第六章(1)

   一


 俺は、鬼婆と接見しても茫然としていた。俺の隣に片膝ついたハヤトは、鬼婆と方相氏に戦況と被害の報告を終えようとしていた。そして言った。


「もうこの城は裸同然です。明日もう一度攻められれば、まず間違いなく城内乱戦になります。下手をすれば火を放たれて落城です。やはり計画通り、こちらから先手を打たねばならぬときと存じます」


 ユラが参謀だと言っていた方相氏も、ハヤトの意見に頷いた。


「うむ。もし城門を応急修理して、悪鬼の攻めに対して持久戦に持ち込んだとしても、こうして毎日少しずつ兵の損失が出ると、じり貧になる。それではただ滅亡を待つのみになってしまう。やはり計画通り、明日早朝、決戦に挑むのがよろしいと存ずる」


 鬼婆が腕組みをして「うーん」と唸った。


「負ければ、皆殺しになるな」


 鬼婆はしばらくの間、ハヤトが膝を折る床のあたりを、黙ってじっと睨んでいた。ふいに視線を上げてハヤトを見た。


「ハヤト、して桃太郎はどうだったのじゃ」


 ハヤトは、「は」と答えてから、隣で阿呆のようになっている桃太郎をちらりと見て、それから言葉を継いだ。


「やはり、少なくとも命が危険にさらされているときには、生えてくるようです。そして、生えている間は、精神的にも肉体的にも段違いに強くなる。やはり、間違いないかと」


「天啓と申すか」


「……はい」


 ハヤトはそう言うと、判断を鬼婆に委ねるべく、こうべを垂れた。


 鬼婆と方相氏は、そろってハヤトの隣りの俺に視線を移した。


「そうであるか、桃太郎」


 方相氏が訊ねたその言葉に、今まで茫然自失の相を呈していた俺は激しい怒りを感じた。


「俺は、お前の家来ではない! 無礼なモノ言いはよせ」


 方相氏に噛みつかんばかりに喰ってかかろうとした俺の肩に手を置いてハヤトが無言で諌めた。方相氏は、四つの目をしばたたかせて、「それはすまなかった」と、形だけ非礼を詫びた。俺は我に返っていらいらし始めた。かつて経験しなかったほどの自己不信と焦燥感が、冷や汗となって俺の顔を流れ落ちた。


「桃太郎、分からぬか」


 鬼婆が幾分優しく俺に問いかけた。俺は鬼婆をキッと睨み返した。


「分からぬかだと? 何をだ? 分からぬことばかりだ。なぜお前たちは俺を殺さぬ。なぜ俺の傷の治りが早い。なぜ鬼同士が戦っている。なぜ俺をお前たちの事情に巻き込もうとする。俺は村への狼藉をやめてもらうため、話し合いに来たのだ。それは昨日、すでに伝えたはずだ。それになぜ答えぬのだ。俺に成敗されたいのか。どうなんだ!」


皆がしんと静まった。鯨油の灯火が揺らぎ、あたりに張り巡らせてある薄絹の布帯のように、俺の影が濃く薄く、幾重にも重なって揺れた。


――そして、俺は、誰なんだ……。


さっきと同じ経路で俺の顔を冷や汗が伝った。


「みな、しばらく外せ」


 鬼婆は、方相氏、ハヤトを含め、そこに詰めている者の人払いをした。


 鬼婆と俺の二人が向き合った。鬼婆が、二人の間だけに充分聞こえる程度の声量で優しく切り出した。


「桃太郎、ぬしぁ、わしらの救世主なのじゃよ」


 俺は混乱した。


「なんだ、キュウセイシュってのは」


「わしらを守り、救ってくれる存在じゃ」


「はあ? なんで人間の俺がお前たち鬼を守り、救うのだ。村のためには、むしろ鬼は滅びてくれた方が良いと俺は思っている」


 鬼婆は苦笑し、そしてちょっとためらったが、思い切って言い切った。


「ぬしぁ、純然たる人間では、ない」


 さっきからしくしくと心の領域を占め始めていた苦悩の正体をずばりと指摘されて、そしてそれが俺の予想通りだったことに当惑し、俺は言葉を噛んだ。


「ちょっと、ちょっと待ってくれ、それはどういうことなんだ。答えによっては無礼千万、許さんぞ」


 鬼婆は俺から目を逸らさずに言った。


「受け入れがたいとは思うが、今はもう、真実を受け入れてもらうしかない。これからわしの話をしっかり聴いて、その上でもし納得できなければ、わしを成敗しても良い。話を聴いてくれまいか」


「ふうむ……」


 嫌な予感がありありと感じられたが、どうにもならぬ話の流れだった。天井の穴からか、生ぬるい夜風が柔らかく吹き込んできて、灯を揺らした。鬼婆の影と俺の影が並んで揺れた。


「よし聴こう」


 鬼婆は床几から降りた。二人は向き合って床に胡坐をかいた。


 鬼婆が話し始めた。


「ぬしの棲む備前田原村もそうだが、このあたりの村々では、赤子が生まれるたびに、村長むらおさが、氏神さまのご神託をお伺いするじゃろう」


「ああ、その子の誕生が村にとって吉凶いずれであるかを占う儀式と聞いている」


「ぬしぁ、そのご神託で不吉と出た子がどうなるか知っておるか」


「いや。あれは形だけの儀式であろう? 凶であると神託を受けた子の例など、俺の村では聞いたことがない」


 鬼婆は、しようがないなという顔で言葉を吐き捨てた。


「ふん、村の誰も語らぬので、ぬしが知らぬだけじゃ。あまたあるわい」


 俺は素直に問うた。


「では、不吉と言われた子はどうなるのじゃ」


「不吉であると神託を受けた赤子は、親が処分しなければならぬ。ただ、自らの手で殺して埋めたり、川に流したり、山に棄てたりするのは、祟りがあるということで、村の掟で固く禁じられておる」


「では、処分するとは?」


「最初の新月の、前後三日のうち、いずれかの真夜中に、ご鎮守の御堂前にその赤子をそっと置く。凶なる赤子の運命を氏神さまにお託しするのじゃ。そのとき、その家で出せる範囲で、何かしらの宝物ほうもつ――金砂子きんすなご、銀砂子、珊瑚などの金品もしくは銭――を貢ぎ物として添え置くのじゃ」


「宝物がない場合は?」


「村長が立て替える。親はその後、少しずつ村長に返す」


「すると赤子はどうなる?」


 鬼婆はこともなげに言い放った。


「わしらが引き受ける」


「なんだとッ! 喰うのか」


 俺は思わず立ち上がりかけたが、鬼婆が手を上げて制した。


「馬鹿を申すでない。親が置いて帰った後に、子鬼たちが現れて、貢ぎ物ともども、赤子を大事に連れ去るのじゃ」


「連れ去って何とする」


「育てる」


「なにッ、育てるだと」


 俺はよほど素っ頓狂な声を上げたのであろう。鬼婆が俺を上目使いで覗き込み、驚きの度合いを測っているように見えた。


「鬼が人間の赤ん坊を育てるというのか」


「そうじゃ。子鬼たちは貢ぎ物の大半と、引き取った赤子を夜のうちに海辺の村の外れまで運び、船で迎えに来ている大人鬼たちに引き渡す。大人鬼がその赤子を、ここ、鬼ヶ島へ連れて来る」


「とても信じられぬ。それがまことなら、ここには多くの人間がおるはずではないか。やはり、連れてきて、太らせて喰うのだな、この人喰い鬼どもめ」


 鬼婆は俺に呼応して少し語気を荒げた。


「馬鹿者が。喰わぬと言うておろうが。ぬしあ思い込みが強すぎる」


「うぬぬ……」


 鬼婆は俺にまだ冷静さが残っていると看てとって、再び語りかける口調になった。


「聴け、訳がある。ぬしあ、なぜわしらが、いや、わしらの先祖が、この島に棲むことを選び、代々お前たちと隔絶した社会を営んできたか、ユラかハヤトに聞かされたか」


「いや、何も」


「わしらの先祖は、ぬしらの先祖に、追い出されたのじゃ」


「さもあらん。お前たちは鬼だからな」


「ぬしあ、わしらのことを鬼というが、それは正しくない。じゃが、そのことは今は措こう。ただ、わしらの先祖は、鬼ではない。人間だ」


「鬼だ」


 即座に抗った俺に、鬼婆は不機嫌な顔をした。


「ふん、昔もぬしのような頭の固い世間知らずがあまたおったのじゃろうよ」


 鬼婆はそう言って続けた。


「わしらの先祖は、ぬしらの先祖と共に、普通に村に棲んでおった。しかし、少しばかり肌の色が濃かったり、図体がでかかったり、頭の上に小さな骨のでっぱりがあったり、そうした、見かけの違いをあげつらわれて迫害を受けた。身体のほとんどの部分は他の村人と変わらないのに、色、大きさ、形、それらのわずかな違いだけで村八分になり、つぶてを投げられ、村を追い出された。どこの村でもそうしたことがしばしば起きた」


「それで、そういう、村を追われた者たちが昔、この島へ集まったのか」


「その上、人の交流はもちろん、物の交換や商いも避けられた。わしらの先祖はどうすればよいのじゃ。自分たちだけの社会をつくるほかあるまいが」


 俺は頷いた。


「そう……だな」


 鬼婆は俺から視線を逸らし、虚空を睨んだ。


「鬼ヶ島に棲む一部の鬼は、先祖代々伝わるそうした迫害を、今もたいそう恨んでおる」


「ふうん、それで村々に鬼どもを遣わして、恨みを晴らしておるのか」


 鬼婆は否定するために、視線をまっすぐ俺に戻した。


「そうではない……いや、あるいは、奴らにはそういう思いがあるかもしれんが」


 また鬼婆が遠くを見るような目つきになったので、俺はそれを遮って、わが胸に渦巻くたくさんの疑問を次々ぶつけてみることにした。


「自分たちの社会をつくるにしても、なぜ、この島に? この、暮らしにくそうな島に封じたのは、人間か」


「うむ、そうじゃが、先祖があえて抵抗せず、ここに定住する道を選んだのには、もうひとつ理由がある。この島には何か、わしらの理解を超えた不思議な力が存在しておる」


「不思議な力……」


「傷の治りが早かろう?」


「お、おお! 確かに」


「だが、それも皆が同じではないのじゃ。誰もがケガを早く癒す力の恩恵を受けるわけではない。例えば、先ほどの話、鬼ヶ島に連れて来られた人間の赤子は、大人になる過程で、なぜかほとんどが重い病にかかる。半数はそれで命尽きる。じゃが、その病を乗り越えた者は、立派な大人の鬼になる」


「ちょ、ちょっと待て。連れてきた人間の赤子が、ここで育つと鬼になるだと」


「いかにも」


「そのような荒唐無稽な……」


「ユラは昔、人間の赤子じゃった」


「な……!」


 目を見開く俺の心中は、実は驚きだけではなかった。この話の流れで突然ユラの過去が出てきたので、当惑したのだった。心の臓が鼓動を早めた。俺は恥ずかしかった。


 鬼婆は続ける。


「ここで育つにつれて、ある者は肌の色が次第に濃くなり、ある者にはツノが生え、ある者は鼻が長くなる。もちろん、代々の血の継承もあろうが、この島には血とは違う、そのような、不思議な何かがあるのじゃ」


「ふうん」


「立派な大人鬼になった元人間は、この島の鬼と交わって子鬼が生まれる。産まれる子鬼も、生まれたときからツノがあったり、最初はないが、育つにつれて徐々に現れたり、年ごろになると突如生えてきたり、さまざまじゃ」


 俺は合いの手を打つことさえ忘れてじっと鬼婆を見ていた。


「分かるか桃太郎、わしらは何世代にもわたって、閉鎖された社会で暮らしてきた。ただでさえ、同族の血が濃くなり過ぎると部族全体にとって良くないが、この島では、不思議な力の影響か、それが極端に現れることがある。それゆえにわしらは、しばしば外、つまり鬼ヶ島の外から人間の赤子を引き受けて来て、大人に育ててから交わるのじゃ。人間の娘で、自ら望んで鬼ヶ島に嫁いでくる者や、嫁を探しに鬼ヶ島に来る男子おのこなど、まずおらぬゆえな」


 それはそうであろう。


 俺はさらに問うた。


「では、この島には、純然たる人間はいないのか」


「言った通りだ。稚児の中にはまだ鬼の気が出ておらぬ人の子もいようが、ここで育つにつれて鬼に近うなってゆく」


 俺はハッと我に返って鬼婆をまっすぐ見返して、言葉に力を込めて言った。


「鬼婆、お前は先ほど何やら血迷いごとを申しておったが、俺は、ここで育ったわけではない。たった一日半しか過ごしておらん。俺は純然たる人間だ」


 鬼婆はひとつため息をつくと、居ずまいを正すようにしてじっと俺を見つめた。


「ぬしは、それほどまでに、純然たる人間であることにこだわるのか」


「でなければ、なぜ俺はここに、人間の村々の、人々の期待を背負しょって鬼征伐に来ているのだ? 訳が分からなくなろうが」


 鬼婆はため息をついた。


「状況から己の立ち位置を規定しようとするから、迷うのじゃ。ぬしは昨日、己自身と向き合うたのではなかったのか」


 俺は鬼婆が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。


「では、ぬしのことを、話そう」


 呆れたような表情を見せた鬼婆だったが、優しい口調で話題を変えた。


「が、その前に桃太郎、腹が減らぬか」


 俺も素直に答えた。


「減った」


うりがある、それでしばらくしのごう」


「わかった」


 鬼婆は家来を呼んだ。


「たれかある。瓜をもて」


 まくわ瓜が丸ごといくつも乗ったざるが運ばれてきた。鬼婆はざるを俺との間に置かせると、家来を下がらせ、瓜をひとつ手に取って、「ほれ」と言って俺に差し出した。俺が「ありがとう」と言って瓜を受け取り、かぶりつこうとしたら、鬼婆がもうひとつの瓜を手にして俺に問うた。


「こちらのが色が良い。こちらを喰うか」


「いや、気にせぬ。味はそう変わらんだろう。こっちで充分だ」


 俺はそういって瓜をがぶりとやった。


 鬼婆が訊いた。


「旨いか」


「うん、旨い」


 鬼婆はにやりとして、自分が手にした瓜にかぶりついた。そして鬼婆は、口をもごもご動かしながら言った。


「この島では魚は獲れるが、見ての通り切り立った山が多く平らな土地が少ない。また大きな川はないゆえ、飲用の水程度は問題ないが、農耕に充分な水まではない。よって米や野菜は多くは獲れぬ」


「うむ、魚介以外の食い物はどうやって調達する」


「人間の赤子に添えられる貢ぎ物を少しずつ使って、早船で少し遠くの町に行っては、ツノのない子鬼たちを放って、コメや野菜や、暮らしに必要なものを買ってこさせる。よいか、買ってこさせるのであって、決して、奪い取ってこさせるのではないぞ」


「なるほど、お前たちは、俺の村を襲った赤鬼、青鬼とは違うと」


「ああ違う。奴らはアッキだ」


「アッキ……ハヤトが言っていた。お前たちが闘っている、あの鬼たちの一味か」


 鬼婆は、深くため息をついた。


「そうだ」


「お前たちは明日、あいつらと決戦をしようとしておるのか」


 鬼婆は、頷くとも首を横に振るとも、どちらともつかぬ動きを見せた。俺にすがるような目つきであったので、俺の方が少なからずうろたえた。


「まだ……まだ、決めかねて……おるのだ」


 俺は思わず鬼婆から目を逸らして、瓜をかじった。かじりながらあらぬ方向を向いて俺は言った。


「しかし、二の門が破壊された以上、この城は持ちこたえられぬとハヤトが言っておった。今に至って、何を迷っておるのだ」


 鬼婆は完全に沈黙した。

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