第五章(4)

   四


 二の門のあたりからどよめきが起きた。血まみれの黒悪鬼が折り重なるようにして倒れているのを、闘っていた敵味方が見つけたからだ。


 天狗たちや鬼熊たちが、信じがたいその光景に驚きの声を上げ、ついで赤悪鬼たちが悲嘆の叫びを上げた。


「ガダムッ! ダガムッ! 」


 駆け寄った赤悪鬼たちは、それぞれ黒悪鬼の上体を助け起こして、意識の有無を確かめるように話しかけていた。黒悪鬼たちに息はあったようだ。


 そして、赤悪鬼たちは、こっちを見上げた。


 俺とハヤトは、まっすぐ赤悪鬼たちを見すえ、並んで階段を降りていた。


 赤悪鬼たちの表情が恐怖にゆがんだ。そして、顏を見合わせ、頷き合うと、急いで黒悪鬼一体ずつを肩に背負い、棍棒を杖替わりに退却を始めた。


 赤悪鬼たちは、一の門の跡に座っていた仲間の鬼たちに、「おうい、船を出す用意を」と叫んだ。


 下の鬼が笑い含みに上に大声で問い返す。


「どうした、鬼熊に噛まれて怖くなったか」


「ガダムとダガムが死にかかっている」


「なんだと! 何があった」


 下の鬼からも、赤悪鬼たちが背負っている黒悪鬼の姿が見えて、鬼たちの血相が変わった。


 上の鬼が叫ぶ。


「詳しくは後ほど。イットゥ、帰ろう」


 イットゥと言われた紫の大きな鬼は、むしろ怒りの表情を見せ、立ち上がって答えた。


「黒どもが揃って情けないことじゃ。雑魚相手にそのようなことでは本番の戦では使い物にならぬわ。助けずともよい。そこへ打ち棄てておけ」


 それを聞いて周りの三頭の鬼が口ぐちにイットゥに嘆願した。


「イットゥ、ガダムとダガムはおそらく雑魚にやられたのではないと存ずる」


「傷は俺たちとは違って深手のようだ。誰も信じぬというあんたはともかく、俺たちには大事な仲間なんだ。手当てをさせてやってくれ」


「もう日が落ちるし、ここは一応、敵地だ。イットゥ、帰ろう」


「ふん」


 イットゥは不機嫌そうに手下の鬼どもの嘆願を聞き入れた。


 二の門の踊り場から赤悪鬼たちが下り始めたとき、俺たちは二の門に着いた。


 ひどいありさまだった。


 赤悪鬼どもの棍棒によって破壊し尽くされ、もはや門の体を為していなかった。


「死者、負傷者は」


 ハヤトが問い、天狗の一人が答えた。


「死者はなし、負傷者は多数」


「そうか、門の死守ごくろう。負傷者の手当てを」


 ハヤトは気の毒そうに味方を見回して言った。


 俺はハヤトを急かした。


「おい、悪鬼たちを追おう。すぐ追いつく」


 しかしハヤトは、傷を負って横たわる天狗の一人の前に片膝ついて、その頬に手をやって気遣いながら俺に言った。


「待て桃太郎。下に見えるあの紫の肌の奴は、『イットゥ』という悪鬼の親玉で、かなり強い。あいつにこれから闘いを挑むとなると、こちらもそれなりの損失を覚悟せねばならぬ。今日はもう、これ以上、兵の負傷を増やしたくないのだ。闘いはせずとも良い。あいつらも今日は退却する意向ゆえ、ゆっくり一の門まで追って、あいつらが岸を離れるのを見届ければ良い」


 ハヤトは恐れをなしたのかと俺はいぶかしんだ。


「しかし、やっておかねば、また来るぞ」


「ああ、そのことについては、われらに考えがあるのだ」


 ハヤトは顏を上げてそう言いながら、俺の目ではなく、頭に視線を向けていた。


 俺たちは、少し間をおいて一の門に降りた。ちょうど悪鬼たちが船を漕ぎだそうとしているところだった。


 ハヤトは、倒れているガムガラの元に駆け寄った。


 俺は、沖に向けて後退している船の舳先に仁王立ちに立って、こちらを睨んでいる、ひときわ図体の大きな紫色の悪鬼の姿を目に焼き付けた。


――あれがイットゥ、悪鬼の親玉か。


「おい鬼ッ、貴様が黒鬼たちを斬ったのか」


 そのイットゥが、俺に問うてきた。


 俺が答えた。


「おい鬼ッ、俺は鬼ではない。だって、そいつらが俺たちに斬りかかってきたゆえ」


 イットゥは再び問うてきた。


「貴様の名は?」


「俺か、俺の名は、桃太郎」


「この島の鬼か」


「いや、鬼ではない。備前田原村より来た人間だ」


 悪鬼の船が後退を終え、向きを変え始めた。


 イットゥは、片頬を吊り上げてあざ笑うように、俺に捨て台詞を吐いた。


「そうか、ツノはあっても鬼ではないと申すか。備前田原村の桃太郎とやら、名を覚えておく。今日の礼はいずれさせてもらう」


 船は沖に向かって漕ぎ出されていった。


「ツノはあっても、って、鬼ではないと申しておるに……」


 船が再上陸してこないのを見届けながら俺は頭に手をやった。


「!!!」


 俺はかっと眼を見開き、まずは落ち着こうと、景光を丁寧に鞘に納めた。


 それから、改めて、今度は両手で、そうっと、そうっと、頭に触れてみた。


……ない。


――ないじゃないか、ツノなんか。


 俺は、確かなものの非存在を両手で確認するかのように、自分の頭を大事そうに撫でさすりながら、トコトコとハヤトの方に歩み寄っていった。


「おい、ハヤト」


 ハヤトはガムガラの前に片膝ついて、脈をとっていたが、ちらりと桃太郎の方を向いて言った。


「かすかに脈があるんだ。城に運び上げて手当てをしたい。カラス天狗たちの助けを借りたい。呼んでくれないか」


「おい、ハヤト」


「傷口はもうふさがっているようだ。ガムガラは、群を抜いて回復力が強いんだ。だから一の門の門番なんだ」


「おい、ハヤトぉ」


「なんだっ!」


 ハヤトはキッと桃太郎を睨んだ。仲間のガムガラが虫の息なので、ハヤトは相当いらいらしていた。


「俺って、ツノ、ないよな?」


 俺は抱えていた両手をそうっと開いて、頭をのぞかせた。その桃太郎の頭を見て、ハヤトは眉を上げたままぶっきらぼうに答えた。


「ああ、ない。今はな」


「そうか、ないか。良かった」


 俺はまた、広げた両手で頭を撫でさすった。


ハヤトはしびれを切らした。


「もう、良い。俺が自分で呼ぶ。おうい、二の門の天狗! ちょっと手伝ってくれ」


 カラス天狗が数人、二の門のあたりからわさわさと飛んできた。

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