第五章(3)

   三


 メリメリッ……ドシャーン!


 昨日の朝、ガムガラが俺たちを案内して登ってきたとき、天狗が内側から顏を出した、あの、来るものを厳しく拒絶するはずの二の門の威容が、今、みじめに形を失いかけていた。


 門柱あたりに化け物の一団がたむろし、「ギョエー」だの、「うがあ」だの、「ケッケッケェー」だの、世の終わりかと聞きまごうような奇声が、途切れることなくあたりに響き渡っていた。


 天狗たちや鬼熊たちがわらわらっと群がるその相手は、ひときわ大きな図体を持っている、四頭の――たしかに――鬼だった。


――こいつらが、「アッキ」か。


 三の門を下り、つづらに折れた石段の下に二の門の周りを見下ろせるところで俺は、ハヤトに続いて思わず足をやめた。


 悪鬼のうち二頭は皮膚が黒かった。あと二頭は、犬が、鉢合わせしたときのことを以前言っていたように、赤黒い皮膚をしていた。赤黒い方の二頭が、それぞれ、鋲を一面に打ち込んだ鉄製の棍棒を振り回して、二の門の最後の門柱を粉々に打ち砕こうとしていた。


 悪鬼の半分ほどの身長の鬼熊たちが、悪鬼たちの体に喰らいついては振り落されるのだった。その回りを天狗たちがわさわさと飛び交って、攻撃の隙を狙っている、といった画(え)で、何か、牛の顔に群がる蠅や虻の如く、五月蠅うるさくはあるのだけれど、それによって赤鬼、黒鬼たちが致命傷を受けることは、おおよそありそうではなかった。


 俺は想像した。注進の天狗が言っていた、三頭の悪鬼が負傷したというのは本当だろうか。本当だとすれば、たぶん、鬼熊あたりが腕か脚に噛みつきでもしたのだろう。だが、もしそうであってもそれは奴らにとって致命傷にはなってはいまい。


 何気なく視線を乱戦中の二の門から逸らしてみると、一の門の、昨日俺自身がガムガラと闘った砂地のあたりに、倒れた黒い巨体が見えた。ガムガラに違いない。その傍らに、四頭の悪鬼たちが、あぐらをかいたり、後ろに手をついて砂地に座って、二の門を眺めていた。


 そのうち、ガムガラにいちばん近い一頭は、遠目には紫の肌の色をしていて、特別大きな身体をしているように見えた。


 その紫の大きな奴を含め、座っている悪鬼たちは、他の仲間に後を頼んで、自分たちはもう気楽に物見を楽しんでいる感すらあった。


 俺も階段を二段ほど降りて、足を止めているハヤトに並び、その横顔をうかがうと、ハヤトもガムガラの姿を認めていた。


「ガム……、ガラ……、駄目だったか……」


 そう言ってハヤトは唇を噛んだが、ハヤトを見上げる俺の視界の右隅に動きがあって、俺はハッとしてそちらを見直した。


 二の門を破壊している二頭の赤とは別の、黒い方の悪鬼二頭が、俺たちの姿を見つけ、それぞれ太刀を手に大股で階段を登りあがってきたのだった。もちろん、ハヤトもすぐに気付いた。


「おい、ハヤト、奴らは?」


「敵だ。黒悪鬼だ」


「やるのか」


「ああ、やらねばやられる」


 ハヤトはそう言うと腰を低くして持参の刀を抜いて身構えた。


 俺も景光を抜いた。登って来る黒悪鬼たちも剣を手にしていたからだ。


「がああっ」


 二体の黒悪鬼は声を上げてそれぞれ俺とハヤトに向かってきた。


 俺は視線を黒悪鬼から逸らさず言った。


「ハヤト、礼を言う」


 ハヤトは一瞬、不意をつかれたようだったが、それでも敵から目を逸らさずに返す。


「なんだ、桃太郎」


「いや、この間、意識を失うまで俺を殴ってくれたことに」 


「なぜ、今そんなことで俺に礼を言うのだ」


「おかげで、恐怖心がなくなったんだ」


「何を言っているのか、分からん」


「痛さはそのまま、生きている実感だ。俺の、生きる力が目覚めた。目覚めた俺は、強い」


 俺の視界の隅で、ハヤトがわずかに口元を緩めた気がした。


「そうか、自分と向き合えたのか。めでたい」


 俺は石段の幅いっぱいに二頭並んで駆けあがってくる黒悪鬼の、右側の奴をまず相手にすることにした。


 筋骨隆々の黒悪鬼が太刀を振り上げ、「おおお!」ときの声を上げつつ、いよいよ迫ってきた。


「では、俺は右の奴を。先にまいる!」


 俺はそう言い捨て、右手に持った景光の切っ先を敵の面に向けたまま、勢いをつけて石段を駆け下り始めた。


「うおりゃあぁ」


 脅しも大事である。俺は奇声を発して階段を駆け下りながら、左手の拳の中のものを下手でポイッと前に放った。コチコチに固くなった黍団子が一個、ゆるい放物線を描いて、悪鬼の視線をとらえ、そのまま視線を引っ張って、俺と悪鬼の中間の石段の上にポロリと落ちた。


「なんだぁ?」


 黒悪鬼は危険を感じ、その小さな塊が何なのか確認しようと意識が働いて、思わず前かがみ気味に立ち止まった。


 俺はそのとき、黒悪鬼の頭上を、頭を下にして飛んでいた。黍団子の放物線が下りに入るタイミングで、足を強く踏みしめて、高く飛び上がったのだった。走っていた勢いで、空中で前方大回転するように、俺は飛んでいた。景光の切っ先は、黍団子につられて顏を下に向けようとする黒悪鬼の、額から頭頂、後頭部から背中を丁寧になぞった。


――おお、上手い!


 足の踏み切り方が良かったのであろう。自分でほれぼれするような着地になった。今回はむしろ、積極的に雉に見せたいシーンだった。雉がおらず残念だ。


 一寸ののち、「うわぁー」と、背後で黒悪鬼の悲鳴が聞こえた。


 俺は振り返った。血を噴き出す黒悪鬼の向こうで、俺の華麗な跳躍を、雉の代わりにハヤトが見てくれていることを期待した。


 だが、ハヤトは、もう一頭の黒悪鬼と剣を交えており、全然こちらを見ていなかった。


「チェッ」


 がっかりして軽く舌打ちをした俺は、痛みにもだえる黒悪鬼の剣を、念のため遠くの茂みに投げ捨てておいて、「うるさいよ」と、その大きな口に、そこに転がっていた黍団子を放り込んだ。


「うが! ごほっ」


 固くなった黍団子が見事に喉にひっかかった。黒悪鬼の叫びが封ぜられた。これは、苦しかろう。俺は、黒悪鬼の一段上に回り込んで屈(かが)み、丸太を押し出すかのように、肩で黒悪鬼の身体を力任せに押した。


 血まみれになって目を白黒させながら、黒悪鬼は叫び声を上げることなく階段をごろごろと転げ落ちていった。


 俺はそれを見届けると、さらに数段上でハヤトと激しく剣を打ち合っている、もう一頭の黒悪鬼の背後にそっと近づくと、一昨日ハヤトにしたように、黒悪鬼の踵の腱をサッと景光でひと撫でした。


「あっ」


 とたんに黒悪鬼は足を踏み外したようにがくりと身体を折った。そして、その肩口へ、ハヤトの剣が振り下ろされた。


 血しぶきが飛ぶ。


 目の前で膝を折る黒悪鬼の胸をハヤトが足で蹴とばしたので、俺は横に跳び退った。


 黒悪鬼の身体が俺の横を転げ落ちていった。


 それを見届けてハヤトの方を振り向くと、ハヤトは俺を見て目を見張っていた。


「桃太郎、お前の頭……やはり……」


 俺は少し気を良くした。


「そうだ、ハヤト、気づいたか。頭を使うんだ。相手は強い。まっこうから力でぶつかり合ったら、これは五分五分が良いところだ。下手をすれば、やられる。次からは頭を使って闘え」


 さっき上から目線でものを言ってきたハヤトに、今度は俺が、下から上から目線でものを言っているのに、俺は満悦していた。

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