第三章(2)

   二


 扉の向こうには、広間のように大きな空洞があった。殺風景な岩肌を隠すように、柔らかく透ける絹の布が幾重にも巡らされ、松明が焚かれていた。


 正面には一段高いところに平たい岩盤があり、そこに背もたれのある椅子が置かれていた。


 椅子のあるところだけ洞窟の天井が空に抜けているようで、一間ほどの丸い太陽光の筒が垂直に立っていた。


 光の柱の範疇でゆるりと漂う無数の埃や塵は、後光のようにキラキラと輝き、椅子に座っている、人のような何かの存在を、逆光の中でも際立たせていた。


 この場所にいるのは、椅子に座る何かと、ガムガラと俺達だけではない。松明の光が届かぬ、布の後ろのそこここに、無数の視線が息をひそめていた。犬吉の鼻がヒクヒクと動いた。


 ガムガラに導かれた俺たちは、椅子の何かの前に立った。ガムガラは床にぬかづくと脇に下がった。


 入室を許されなかった烏合の衆のざわめきはもう聞こえない。


 張りつめた静寂。


 俺は自分の鼻息を聞いていた。


 すう、はあ、すう、はあ、す……。


「雉ッ!」


 椅子の何かが、俺ではなくいきなり雉を指名した。しわがれた老女の声であったが、太く鋭く、威厳にあふれていた。


 鳥がビクリとするところを俺は初めて見たが、明らかに不自然に角ばった動きをする。カクカクと雉右衛門は首をかしげた。


「今一度、朗じよ」


「え?」


「その者の肩書きを」


 雉右衛門は意味を悟った。先ほどガムガラにしたように、俺を紹介せよと言っているのだ。


 それにしても、俺の脇で俺に注目が集まっているうちはともかく、いざ自分が関心の中心となると、雉は気の毒なほど震えていた。


――内気な奴なんだ。


 俺と同じだ、と俺は妙に雉に親近感を持った。


 雉は、蚊の鳴くような雉の鳴き声でつぶやき始めた。


「お伴は、猿に犬に雉……」


「そこは要らぬ!」


 ぴしゃりと言われて、雉は口をつぐんでカクカクと首をかしげた。


 俺は椅子の声の主に答えた。


「肩書きなら俺が自分で言う。俺は備前の国、田原村の、与兵衛とトメの倅ながら、実際は桃から生まれた桃太郎である」


「田原村の、与兵衛とトメ……とな」


「そうだ」 


「ぬしあ、真っこと、桃から生まれたのか」


「そうだ」


「ふうむ……」


 椅子の声の主は少し考える様子だった……と俺は思いかけた。


 否、椅子の主はいきなり、考えられない速さで段を降り、俺の前、五寸まで駆け寄って止まった。それはやはり人間業ではありえなかった。あっ! と言う、その間すら全くなかった。


 長く伸びた白髪の一本一本は無秩序に広がり、柳のようにしだれていた。その頭からツノが二本、生えているのが見えた。が、俺の視野の大半は、老婆の化け物の顔で占められていた。


 驚くべきことに老婆はおおよそ俺と同じ背丈だった。俺を見上げるのではなく、俺と同じ目の高さでぎょろりと俺の目に見入った。俺は目を見張る以外、なすすべがなかった。身体は凍りついたように動けなかった。


 俺は息苦しくなった。老婆の体臭が鼻を突いた。いや、老婆の方も俺の臭いを嗅いでいるようだ。とても女のものとは思えぬ、ごつい鼻がヒクと動いた。


「して、ここへ何しに来た」


 もわあとした湿気が顔に当たった。


 俺は微動だにせず、答えた。


「なぜオレたちの村を襲う」


「なぜぬしらの村を……」


 老婆はわずかばかりきょとんとした。


「そうだ、やめさせるために来た」


 老婆は得心したように「ほう」と言い、その目がわずかに笑みを含んだ。


「やめさせたいのか」


「もちろんだ」


「止めさせられん場合は何とする」


「その場合は、成敗する」


「誰をだ?」


 不穏な空気が五寸の間に流れた。


「鬼どもだ」


 老婆は、太い眉を吊り上げ、さらに食い入るようにオレの目の奥をつぶらに観察すると、あきらめたように「フン」とため息をつき、踵を返して椅子へとゆっくりと戻り始めた。


「見た目や臭いでは分からん」


 老婆はそうつぶやくと声を上げて背中越しにオレに言った。


「鬼どもを成敗できるかどうか、試してみよう。ハヤト!」


「はっ」


 絹布けんぷの向こうの暗がりから答える声があった。


「与兵衛とトメが育ての親だそうだ。試せ」


「……はっ」


 老婆は椅子に戻った。

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