第二章(3)
三
岩陰に小舟を結わえ、岸に降り立った。連なる岩に身を隠しつつ、俺は砂を踏んで城門の前に至った。
近づいてみてはっきり分かったが、扉も、左右の鏡柱も、横渡しの
もちろん、門扉は固く閉ざされている。
俺は音を立てぬように扉を押したり引いたりしてみたが、さすがにびくともしなかった。
雉右衛門が言った。
「桃どの、俺がちょっと裏手に回って見てくる」
「うん、頼む」
雉も用心深く、回り込むように飛び上がり、辺りに誰もいないか確認しつつ、門の向こうに消えていった。
ややあって、雉が戻ってきた。
「向こう側には誰もおり申さぬ。扉には錠はかかっておらぬが、
そうすると、猿の助が答えた。
「向こうには誰もおらぬのだな。そうか、それなら俺も行くぜ」
そう言うと、身のこなしの軽い猿は、脇の岩に手足を懸け、ひょいひょいと登っていって、再び飛んだ雉と共に向こう側へ下りていった。
低く、
「うーん」
と唸る声に続いて、扉の向こうでゴロリと音がした。そして、
「ギィ……」
と、軋みながら扉が内側へ開きかけた。
「でかした、雉どの、猿どの」
桃太郎は犬吉と共に、わずかな隙間に身を滑り込ませた。
空気の青みが薄れ、白々と明るくなってきた。
門の内側もしばらくは砂地であった。門から数間の向こうより、溶岩のような黒い石で作った登り階段があった。それが少し曲がって二の門に連なってゆくように見えた。二の門から上は、木々が生い茂っていることもあってここからはうかがい知れない。しかし、ここから見えるあの楼閣までは、高低差で五十間もあろうように目測では思われる。これはよほど慎重に行かねば、どこかで敵に気づかれるなあと先行きが案じられた。
一の門が首尾よく開いたことに興奮して、犬吉が尻尾を立てたまま、階段の方に先んじかけた。
「桃太郎どん、早く」
その犬吉がはやる心を押さえきれない様子。
「うむ」
俺は頷いて犬吉について歩を進めようとした。
そのとき。
目の前で突如、犬吉が宙を舞った。
「キャイーン!」
犬吉は三間ほど飛んで、ゴロゴロと転がったが、幸いにも落ちたところがまだ砂地だったので、起き上がるが早いか岩場の影に跳んで逃げ隠れた。
それを見届けた俺の視界を遮るように、二頭の得体の知れない怪物が砂の中から起き上がってきた。奴らは、砂を跳ね飛ばし、膝を曲げて足の裏を地面につけると、膝の持つ弾力が上体に伝わっていくかのように、手を地面に突くことなく、ぐわりと上体を起こしてきた。その様子は、積雪を振り落して、たわんだ幹を直立させる大木を思い起こさせた。いったいどこの筋肉を使えば、あのような起き上がり方ができるのか。
――でかい!
バラバラと砂が落ちて、二頭の鬼は左右対称に桃太郎に向けて戦闘態勢を取った。その身の丈は八尺か一丈か。しかしよく見ると、怪物には何か違和感があった。
――なんだ?
そう思う間もなく、怪物は高く振り上げた手刀を力いっぱい振り下ろしてきた。
「桃の兄貴、危ない!」
猿ノ助の叫びを聞くまでもなく、俺は後方に跳び
ドッ!
手刀が砂にめり込んだ。それは、二つの手の甲を背中合わせにぴったり縫い付けた形の、西瓜ほどの大きさがある物体だった。
――こいつら、二頭じゃない!
よく見るとこの怪物、上半身は二体、下半身は一体なのだ。足は二本、一つの腰から上がだんだん枝分かれして、肩は三つ、腕は三本、いや、真ん中の一本はむしろ、二本の腕が皮膚でくっついている、といった感じだ。そして首と頭は二つあるのであった。
――化け物め!
俺は愛刀の
この怪物、腕が異様に長いのが特徴だった。
怪物は、地面にめり込んだ、真ん中の、特別大きく長い腕を再び持ち上げた。
――まずい。後ろがない。
俺は扉を背にして立っていたので今一度後方に跳んで逃げることは適わなかった。左右からは怪物の、これも長い右手と左手が、追い詰められた小魚を掬うように徐々に狭まって来ていた。
――こんな、鬼ヶ島の入口に過ぎぬところで死ぬるのか……。
俺は、扉に身を寄せて、景光を持っていない方の手で思わず頭を抱えた。
頭頂部が何やらむずむずしていたから無意識に頭に手をやったのだったが、頭頂に至る前、前頭部に、鉢巻があった。
――おらの祈りが籠ってるのよう。巻いていれば、きっと守ってくれるから。
声なき声に俺はハッとして左右を見て、それから怪物を見上げた。
二つ頭の怪物の、四つの目が一瞬細まったかと思うと、次の瞬間、くわっと大きく見開かれた。
「うおーむ」
怪物は二つの口で唸り声を上げつつ、真ん中の腕をしならせて加速度をつけながら俺の頭上に振り下ろしてきた。
「桃どのっ!」
上空をはばたく雉右衛門が思わず叫んだ。
怪物の長い腕の先の、異様に大きな拳は、門の切妻造りの屋根瓦に触れ、屋根の縁を勢いよく叩き壊して、そのまま一気に地面まで振り下ろされきった。
バラバラバラッ……。
割れた瓦の欠片や木片が辺りに飛び散り、乾いた土壁が粉砕された埃が門の前にもうもうと立ち昇った。
「桃どのおッ!」
空中に静止しながら様子を見ていた雉右衛門は、絶望の雄叫びを思わず口にした。門扉の前にあった俺の姿が埃が薄れても認められなかったからだ。
念押しするように拳の落下に合わせて少し腰を落とした怪物は、屋根を破壊したときに拳に伝わった触感と、その次に伝わったはずの、人間の頭がい骨が粉砕される触感との区別がつかず、腕の先に神経を集中しているようであった。
土煙が収まりかけた。
怪物の手刀の真ん中から肘のあたりまで、どうと鮮血があふれ出した。怪物はそれを見ると太い眉毛をひそめた。片方の顔がもう片方の顔に訊く。
「イタイ……か」
訊かれた方の顏は頷いた。
「ああ、イタイ……と思う」
次に、訊いた方の顔が、はっきり大きな声で言った。
「イタイ……痛い、いたい、いたぁ、うおーっ、痛いぃーっ!」
そして真ん中の腕を大きく自分の体躯の側に引き寄せようとした。
ベリベリッ!
腕先から鮮血に染まった裂け目が、見る間に肩のあたりまで広がった。
もう一つの顔が絶叫した。
「うぅおあぁぁ! 痛いッ」
裂けたのだ。
真ん中の腕が。
二つに。
門扉のわずかな隙間から愛刀景光が水平に突き出ていた。
そのとき、屋根が壊れた衝撃で、扉が自動的に怪物側に開いた。その門の中央に、景光を水平に構えた俺が現れたのだった。
猿はどこにいるのか知らないが、上空の雉右衛門から見たら、それはとんでもなく格好良い絵図であっただろう。
痛さで地面を転げまわる怪物を横目に、雉右衛門が、今度は驚嘆と喜びの入り混じった雄叫びを上げた。
「桃どのおッ!」
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