第33話誰も知らない

 無一文。それは、一生聞きたくない言葉。

 無一文。それは、聞くだけで頭を抱えてしまう言葉。


 俺は悪あがきをするように、その場でジャンプしてみた。

 首から下げたネックレス――例の骨董品――が揺れる以外は、何の金属音もしない。

 俺の様子を見たフェリクスが、力なく呟いた。


「僕も、特に装飾品とかは身に着けてないんだ」

「まずいよな、これ……」


 俺たちが葬式もかくやという顔をしていたからだろうか、サラが恐る恐る尋ねてきた。


「あの、お二人とも。もしかして」

「その、もしかしてだよ……」


 俺は両手で頭を抱えた。

 グランツィアならまだしも、外国で無一文はまずい。

 色々なことが起こり過ぎて、所持金の事まで頭が回らなかった自分が恨めしい。


「だ、大丈夫ですよ! お二人の分くらい、私が。――あら?」


 サラはそう言うと、スカートについているポケットを探ったが、サッと顔を青くした。

 嫌な予感がする。

 果てしなく、嫌な予感が。頼む、外れてくれ。


「あの、サラ? まさか」


 フェリクスがそっと尋ねる。

 サラは数度口を開けたり閉めたりした後、ガクリと肩を落とした。


「ごめんなさい。私も、あちこち彷徨っているうちに落としてしまったみたいです」

「や、やっぱり? いや、大丈夫だって! 何とかなる!」


 心底申し訳なさそうにするサラに、俺は無理やり明るい声を作って答えた。

 しかし。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

 そうは言っても、どうすればいいのだろう。

 何か売るものをと言っても、今着てる服はかなり軽装で、これ以上剥ぎ取るわけにはいかない。ただでさえ少し冷えるのだ。風邪を引いてしまうし、変質者として通報でもされたらたまらない。


 ……もう、これしかないのか?


 俺はネックレスを握りしめた。

 失くさないように首から掛けたそれは、俺をここへ連れてきた手掛りだ。唯一の身を守る手段でもある。できれば、いや絶対に手放したくない。

 だけど、このままではどうしようもないじゃないか。

 サラはともかく、フェリクスは俺のせいでこんな目に遭っているのだ。しかも、俺は今から我儘を言おうとしているのに。

 

 俺は目線をあちこちに漂わせた後、気持ちを固めるようにグッと目を瞑った。そして口を開こうとした瞬間。


「あのぉ、すみません~」


 背後から、声がかけられた。


「そこ、邪魔なんですけど~」


 コテン、と首を傾げながら、メイド服の女性は言う。


「あ、ごめんなさい! 今退きますから」


 動揺のあまり、俺たちは道のど真ん中で立ち止まっていた。

 確かに、それ程広くもない通りだからかなり邪魔だっただろう。

 俺たちが端に退いたのを見て、女性は一礼して先へと進んで行った。

 その背中を見送りながら、隣のサラが口を開いた。


「もしかしたら、貴族の方が来てるのかもしれませんね」

「貴族?」

「ええ、身なりのしっかりしたメイドのようでしたし。一般の商人だと、もうちょっとこう、何というか。……安っぽかったり、しますし」

「へえ、良く知ってるな」

「これでも、貴族の家にも出入りしていたんですよ」


 サラがニッコリ笑ってウインクする。

 感心しながら聞いていると、フェリクスがコホン、と咳払いした。


「とにかく、どうしようか。僕達どうやら、何も売れるものを持ってないみたいだし」

「フェリクス、それなら」


 俺がネックレスを見せると、サラが渋い顔をした。


「駄目ですよ、オスカーさん。それはきっと大切なものです」

「いや、大切っていうか」

「私、見ましたから。そのネックレスが剣になったのを。きっとそれにも神様の加護があるに違いありません。売るなんて、とんでもない」

「でもな、それならどうすれば」

「あのぉ」


 再び、声。

 俺達の目が、一斉に道の方を向いた。

 六つの目で凝視された彼女は、全く動じずに佇んでいた。

 先程通り過ぎて行ったのに、わざわざ戻って来たらしい。


「もしかして、お金にお困りでしょうか~」

「え、なんで」

「すみません~。聞こえてしまったので」


 えらく間延びする話し方だ。

 ひざ丈まである黒ワンピースに白いエプロン、茶色いボブヘアにヘッドドレスを付けた彼女は、ぼんやりとした顔でこちらに話しかけた。

「すみません」なんて言っているが、一片たりともそう思ってはいなさそうだ。

 それにしても、早朝の静かな時間帯とはいえ、中々の地獄耳だな。


「もしよろしければ、良い仕事をご紹介しましょうか~?」

「し、仕事?」

「ええ。わたし、今とっても困ってるんです~」


 俺達が顔を見合わせると、メイドは、そばかすが散らばる頬に手を当てて、ため息を吐いた。


「わたしのお嬢様のお迎えに行かなくてはいけないのですが、どうも最近賊がでるそうで~」

「賊? 賊って、山賊とか?」

「ええ、そうです~。それで、北の街道が規制されてるんですよ~。何でも、一人か二人で旅をしている商人や、観光客を狙うとか。わたし一人では通してくれないんです~」


 メイドは「あの兵士さんたち、石頭なんですよ~」と、頬を膨らませる。


「それでは、私たちに同行しろというんですか?」


 サラは顎に手を寄せ、首を傾げた。

 メイドは「その通りです~」と頷き、持っていた鞄から巾着袋を取り出した。


「お代は、五万シャッツでいかがでしょう? 悪くない話だと思いますよ~?」

「ご、五万S!」


 サラが上ずった声を出した。

 一体どのくらいの価値なのだろう? 以前5円玉を売った時には、たしか1000Sだったような。うん、S? 国が違っても金の単位は一緒なのか。

 サラは頬を紅潮とさせ、メイドに食いついている。よほどの大金なのだろうか。

 話についていけない俺は、小声でフェリクスに聞いた。


「なあ、フェリクス? 五万Sって、そこそこの値段なのか? 俺、いまいちピンと来なくて」

「僕に聞かないでよ。自分で買い物とか、したことないんだから」

「え」


 俺は彼の顔を見た。

 フェリクスは俺の視線をどう受け取ったのか、若干居心地悪そうにすると、「必要なものはいつの間にか揃ってるし、個人的に欲しいものはゲオルグが買ってくるから」と言い訳した。

 いや、でもまあそう言うもんなんだろう。貴族なんだし。どっちかって言うと、エルゼさんの方が規格外なのかもしれない。貴族の令嬢なのに、庶民街へも頻繁に行っているようだったし。


「呆れた? エルゼは何でも知ってるのに、僕は……」


 暗い顔のフェリクスに、「いや、そんなもんだろ?」と元気づけた。

 白熱しだしているサラとメイドをチラリと見て、こちらに注意を向けられていないことを確認し、小声でフェリクスに語り掛けた。


「だってお前、貴族なんだし。エルゼさんがそういう、下々の生活? に精通してるだけで、そんなに落ち込まなくても」

「でも、領主としては必要な知識だ。まあ、家はエルゼが継ぐんだけど」

「それを言うなら、この機会に学べばいいだろ?」


 フェリクスが「え?」とこちらを見る。


「巻き込んだ俺が言うのもなんだけど、こんな風に旅することなんて無かったんだろ? ただの、一旅人として。王都とは違って、お前の事は誰も知らないんだ。ちょっとくらい貴族らしくない事をしたって、誰も咎めないぜ」

「一、旅人……。誰も、僕の事を知らない」


 フェリクスは、何とも言えない、透明な表情で周りを見渡した。

 この村に入った時よりも、往来する人が増えてきている。

 向こうの角の家のおばあさんが、玄関を掃き掃除しているし、その正面の家からは、少女が木のバケツを持って家を飛び出した。

 さっき通り過ぎたパン屋から出てきた恰幅の良い女性が、店先の花壇に水をやっている。俺たちが入ろうとした宿屋からも、旅人が出てきた。

 皆、俺たちの事を知らない。どんな身分で、どんな能力があって、どんなところに住んでいるのかも。

 この光景を、フェリクスはどう見たのだろう? 


 以前、ネルケ村でエルゼさんが言ったことを思い出す。

 彼女は、誰もが彼女を知らない場所に行きたいと言った。冗談めかしていたけど、あの寂し気な顔。今も覚えてる。

 誰も知らないところへ行くのは、自分が背負っているものを全て捨て去ることと同意義であるように思う。

 彼女が何故そう思ったのかは、俺には分からないけど。それでも帰った時に、彼女の気晴らしに付き合いたいと思った。エルゼさんには、寂しい顔をしてほしくないから。


「ねえ、僕の事、どう見える?」


 フェリクスは、静かに尋ねる。

 だから俺も、波の立たない湖面のように、静かに言った。


「ただの、旅人。友達と連れ立って、観光に来たって感じだよ」

「ふうん、そう。――ただの」


 俺の言葉を、フェリクスがどう受け止めたか分からない。

 だけど、彼の暗雲が晴れたらいいと思うばかりだ。

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水鏡の夢 ~水たまりの向こうは異世界でした~ 榊真冬 @rinhiragi

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