第32話花々の里、エクラ=リラ
「何言ってるの、オスカー!」
「まあ、大歓迎です!」
フェリクスとサラは同時に口を開いた。
その表情は対照的で、フェリクスは「信じれない」とでも言いたげな、慌てたような顔。サラは満面の笑みで、胸の前で両手を握りしめている。
フェリクスは俺の腕を掴むと、サラから離れるように少し遠くへと俺を連れ出した。
苛立ちが現れているのか、足元の雑草を乱暴に踏みしめる。
「どういうつもり?」
フェリクスはサラに聞こえないよう、声を潜めて言った。
「僕たちは早く帰らなきゃいけないんだよ? 寄り道してる場合じゃ」
「そ、そうだけどさ。俺、どうしてもその遺跡に行きたいんだよ」
「何故?」
「それは、その」
ここで「家に帰るためだ」と言っても、「ジャクロットの遺跡と何の関係があるんだ」と返されるだろう。
ならば、この場は適当に誤魔化すのが良いのかもしれない。何なら、「俺の故郷の近くなんだ」とか、嘘を言ったって。だけど。
それは、フェリクスの友情を裏切る行為になる。
俺が巻き込んで、こんなに遠くまで連れてきてしまったのに。文句ひとつも言わず、俺を責めることもない、彼を。それだけは絶対にしたくない。
俺は心の中で決断した。フェリクスに、本当の事を話すのだ。
陛下はなるべく他の人間には話さないようにと言っていたが、こうなってはフェリクスも関係者だ。怒られたら誠心誠意謝ろう。
……だが、ここでは。
「ごめん、フェリクス。ここじゃ話せないんだ」
俺はチラリとサラを見た。
彼女は不思議そうな顔で、俺たちを待っている。
「エクラ=リラに着いたら、必ず説明する。絶対だ。だから」
「この場は、黙ってほしいって?」
頷くと、フェリクスは俺を睨みつけ、やがて深いため息を吐いた。
「ごめん」
俺はフェリクスに頭を下げた。
彼は「仕方ないね」と言って、俺に頭を上げるように促した。
「エクラ=リラまでだよ。必ず、訳を話して」
「ああ。約束する」
俺はフェリクスの目をしっかりと見つめ、彼に拳を突き出した。
フェリクスはそれを見ると、怪訝そうな顔になった。
「なに、それ」
「何って、約束のポーズ?」
それは、最近俺の周りで流行ってるものだった。
何かの漫画にあったのか、約束事をする時に拳同士を打ち合わせる。
これをしたら、その約束は決して破ってはいけない、なんて。子供っぽいが何だか楽しくて、ブームが去りつつある今も俺は使っている。
まあ、冬彦の奴は1回で飽きたけど。
フェリクスに説明すると、目をパチパチと瞬かせ俺の拳を見て、コツン、と控えめに打ち合わせた。
「ありがとな」
「ううん。こういうの、友達って感じする」
「そりゃあ、友達だし。……とりあえず、戻るぞ。サラを待たせてるし」
「そうだね」
サラの元に戻ると、彼女は「お二人とも、早く」と俺たちを急かした。
「このままだと、着くのが朝になってしまいますよ」
「ごめんごめん。さあ、行こう!」
俺はサラに謝ると、エクラ=リラへの道を歩き出した。
そよ風に吹かれ、度々襲ってくる睡魔と闘いながら歩くこと、2時間。
東の空が白み、月が眠りに着こうとする頃、甘い匂いが俺の嗅覚をノックした。
何だろう。
同じくこの香りに気付いたサラが、「まあ!」と歓声を上げた。
「お二人とも、もうすぐ着きますよ」
「ああ、やっとか」
俺は安堵の息を吐いた。
何分夜通し歩いたものだから、足は怠いし目蓋は重いしで、若干うんざりしていたのだ。
フェリクスだって、もはや体力は赤信号。休みやすみきたものの、足の重さは隠しきれない。
でも、どうしてサラはもうすぐ目的地に着くと分かったのだろう?
疑問に思って問いかけると、彼女は「ああ」と小さく笑った。
「エクラ=リラは、別名『花々の里』と呼ばれているんです。石造りの家が並び立つ、ジャクロットでも一二を争う美しい村と称えられるその周囲には、大小様々な花が咲き誇る……!」
サラは、まるで夢見る乙女のように恍惚とした表情で言った。
「特にマルグリットと言う花が、村のシンボルとして大切にされてるんです。村の何処にいてもマルグリットの香りがするくらい」
「あ、じゃあこの香りが?」
「ええ、マルグリットの香りです! ほら、早く」
彼女は疲れを見せない軽やかな足取りで、目の前の小高い丘を登り始める。
俺たちの数倍は体力があるようだ。旅の商人は伊達じゃないな。
俺とフェリクスは、最後の力を振り絞って
エクラ=リラ。『花々の里』。
やっとの思いで丘を登り切った俺たちの目に映ったのは、その名に恥じぬ美しい村だった。
夜明けの光を浴びて、白く輝く教会を取り囲むように家々が立ち並ぶ。
村の隅には小川が流れ、苔むした石造りのアーチ橋が歴史を感じさせる。
そして村の周囲には、大小様々、色とりどりの花々が咲き乱れ、その美しさと言ったら、見るものを楽しませるどころか天界まで連れて行きそうなくらいだ。
まるでおとぎの国のような村に目を奪われていると、遠くで鶏の鳴き声が聞こえた。
その声にハッと我に返ると、俺たちは丘を下りエクラ=リラへと向かって行った。
エクラ=リラは、外から見た通りの美しさで俺たちを迎え入れてくれた。
周囲に咲き誇る花々は、そよ風に乗ってその香りを送り続ける。主張しすぎることのないそれは、道を歩くだけで穏やかな気分にしてくれた。
立ち並ぶ家々も、決して豪華というわけではないが、何処か暖かみを感じさせる作りで、何だか懐かしい気持ちになる。
昔に読んだ外国の童話の世界が、ここに広がっている。そんな感じだ。
「エクラ=リラは、有名な観光地でもあるんですよ」
村を歩きながら、サラが言う。
俺とフェリクスは、彼女の声を聞きながら、揃ってキョロキョロと村を見渡した。
夜明けとともに住人達も起きだしているようで、窓を開ける人や井戸に水を汲みに行く人。パン屋らしき所からは、香ばしい良い匂いが漂い始めている。
「この村の美しさは本に書かれたり、絵画に描かれたりしていますから。それを見た人が沢山訪れるんです。そのまま、長期間逗留する人もいるんですよ」
「その気持ち、分かるかも」
フェリクスは、ほう、と息を吐いて言った。
「僕も本で読んだことあるけど、百聞は一見に如かずってこういうことを言うんだね。想像していたよりもずっと、綺麗」
「へえ、どんな風に書いてあったんだ?」
「そうだね。――この村には、白く優美な教会があるそうだよ。特殊な石を使っていて、まるで新雪のような輝かしい白だって。その教会の扉の上には、鮮やかなステンドグラスがはめ込まれているんだって」
「雪のような白、か」
俺は話に聞く教会とやらを想像した。
一分の穢れもなく建つ、神聖な教会。太陽の光に照らされると、きっと神々しいまでに輝くのだろう。ステンドグラスだって、キラキラと光るに違いない。
「リュミエール教会ですね! この村を訪れたなら、一度は見ないと損ですよ」
サラがニコニコと笑いながら言った。
その言葉に心惹かれるものがあるが、しかし俺は首を振った。
「とりあえず、宿に行こうぜ。俺たち、夜通し歩いてきたわけだし」
「ええ、そうですね!」
サラはそう言うと、一軒の建物を指さした。
蜂蜜色の石壁に灰色の屋根を備えたその建物は、どうやら目当ての宿屋らしかった。
「あそこが、エクラ=リラの宿屋ですね。他にも何軒かありますが、一番リーズナブルです」
「あ、そりゃいいな。やっぱり安い方、が……」
俺はそう言ったところで、はた、と気づいた。
無言でズボンのポケットに手を突っ込む。
無い。
もう一度、今度は裏地ごとひっくり返す。
無い。
俺は、ダラダラと冷や汗が出てくるのを感じた。きっと、顔も真っ青になっているに違いない。
俺の顔色に気付いたフェリクスが、ギョッとしたように俺を見る。
「ど、どうしたの? 真っ青だよ?」
「フェ、フェリクス。どうしよう」
俺は蚊の鳴くような声で言った。
「俺、財布ない……」
フェリクスは最初キョトンとしていたが、次第に事の重大性が分かったようだ。
俺と同じく青ざめた顔で、力なく首を振った。
そうだよな。貴族の子息だし、普段財布なんか持たないよな。しかも、家でくつろいでる時には。
「申し訳ないけど、僕も」
俺たち、外国で無一文確定。
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