彼ら、異世界中毒者につき

ぱんどら

第1話 二度目の出会い、二度目の救済

正義のヒーローが嫌いだ。


物心ついた時から憧れなど一度も抱かなかった。

悪役の方が好きだとか、ヒーローなんてダサいからだとかそんな理由では無く、至極単純に、誰かに救いの手を差し伸べる行為は、人がすべき当たり前の事だと思っていたからだ。

そんな当たり前の事を大袈裟に行うヒーロー達がバカらしく見えたし、恩着せがましく思えた。


ヒーローなんてチンケな幻想に頼らず、救いの手は互いが互いに伸ばせば良い。皆が皆を思いやれば良い、そう思っていた。


けれど、現実は違った。

十七年生きて、世界に間違いだと知らしめられた。


誰かに救いの手を差し伸べる行為は、当たり前では無い。誰しも自分が可愛くて、利益や自己防衛の為なら不幸者の横を素通りする。

正義のヒーローに憧れていたであろう人々だってそうだ。何食わぬ顔で悪を見逃し、淡々と日常を過ごしている。


再度言う、俺は正義のヒーローが嫌いだ。


いや、違うかもしれない。

本当に俺が嫌いなのは……正義のヒーローが必要なこの世界だ。


※※※



カーテンの隙間からあまく光が差し込み、自室に朝を知らせ始める。少し開けた窓から、早朝のひんやりとした空気が頬を掠め、鳥のさえずりが聞こえてくる……そんな朝だ。


「ふぁーあ」


大きな欠伸をしながら、一色遊いっしきゆうの1日は始まりを告げる。

ここまで聞こえが良い言葉で飾ってきたが、実際の所、最悪のコンディションでスタートする。

ねちっこい朝日が眩しくて目を細めながら、鬱陶しい冷ややかな風と、鳥の鳴き声を遮断すべく、窓をピシャリと閉める。


あぁ、身体が重いーー

眠気が全く取れていないのは、昨日遅くまでスマートフォンを弄っていた所為だ。

過去の愚行を後悔しながら、分かりやすく眉を寄せ、もう一度ベッドへと身体を投げた。


「後5分……」


これが最後に思い出せる今朝の記憶だったーー



「間に……あわねぇ!!」


プシューっと気の抜けた音が聞こえ、目の前で閉まる扉。肩を上下させ、息を荒らげる遊を横目に、アナウンスが電車を促し去っていった。

首元をきつく締め上げたネクタイを緩め、汗ばんだカッターをパタパタと上下させる。残暑の暑さを舐めていたわけじゃないが、走らざる得なかった。

ズバリ寝坊したから。

毎朝スマートフォンの目覚まし機能を使い、指定した時間に起きている。なのに今日は、自分が眠りから覚めた時、スマートフォンは深い眠りについていた。どうやら充電が上手く出来ていなかった様だ。まぁ、壊れていないだけ良しとしよう。


一介の男子高校生が、通学電車を逃せば遅刻だが、遊の場合は適正時間より一時間早い電車に乗っている。

しかし、「だから大丈夫、次に乗れば良いや」ーーとはいかない。

通勤ラッシュと重なり、ノンビリと座って電車に乗れないのは、取り返しのつかない非常事態だ。特に疲れ切ったこの体では、座りたい事この上ない。


「はぁ……」


対岸のホームをぼんやり眺める。疎らな人々は数えるほどしかいない。その内の一人なのだと、遊は優越感に浸りながら思考に耽る。


この駅の付近はビジネス街だ。社会人の大多数は、勤めの為に降りるだろう。この並び順ならば、椅子取り合戦にも相当有利だ。空いてる座席は少ないだろうが、座れる可能性は十分ある。なんだかんだ言って、今日も席は確保出来そうだ。


「オイてめぇ!!」


不意に怒号が響き渡ったーー

遊を含め、電車を待つ人々の視線は、一斉にその声の主へと向けられた。

目付きの悪い金髪の男性と、刺青を入れたサングラスの男、その二人に睨まれて居るのは、一人の女子高生だった。


遊は、雷に打たれた様な衝撃を受ける。


その少女はとても美しかったのだ。

艶やかな黒髪を肩ぐらいの長さに切り揃え、驚く程整った顔は、幼さと美しさが混ざり合い、気品の高さを感じる程魅力的に思えた。


「何ぶつかって来てんだオイコラァ!!」


「…………。」


「おい落ち着けって……可哀想だろ?

ねぇ、お嬢ちゃん、いきなりぶつかって来て無視は無いんじゃない?オレら痛い思いしてんだよねぇ?」


「五月蝿いですね、貴方達が通路に座って居たのが悪いと思いますが」


「だからって蹴るのは酷いっしょ?ホラ、俺なんて肩外れちゃったよ」


そう言って痛がるフリをするサングラスの男。それを見ながら金髪の男はケタケタと笑う。

一方少女は、二人など眼中に無いと言わんばかりに、視線を手に持つスマートフォンに落としていた。


「痛いから病院行かなきゃなぁ……分かるよね?治療費だよ、治療費!!」


「ハハハッ!!おめぇのが酷ぇじゃねーか!!」


「生憎、貴方の様な人間に払うお金は持ち合わせてません」


「見た感じ高校生だしそれもそうか……まぁ払うのはさ、別のもんでも良いから。身体とか……な?」



男が下卑た表情を見せた瞬間、革靴を踏み鳴らした。男達と少女の間に飛び出した遊には、考えなんて無かった。助けと呼ぶには些か頼り無い。しかし、この場に飛び出せたのは、一色遊という男以外に居なかっただろう。


「……お、おい紫!!何してんだ!!」


「何だオメェ?」


「すいません。ウチの妹……紫が何か迷惑かけました?」


「兄貴か?丁度良いじゃん。コイツが急にぶつかって来てよ、俺ら大怪我したんだよなァ。だから治療費、ほれ、寄越せ」


「ち、治療費!?それは勘弁して貰えませんかね?ほら、故意じゃないんだし……」


「アァ!?払わねぇ訳じゃねーだろうなァ!?」


「いやはや成る程。払わないと面倒なんで、ここは払いましょうお兄ちゃん」


「何でお前も払わせようとしてんだよ!!」


遊にとって紫むらさきとは実の妹だ。

断じてこの女子高生では無い。にも関わらず彼女は、遊の演技に乗っかり、自分も妹を演じ始めた。そして、今まさに出来た兄弟の絆は、音を立てて崩れたのだった。


「お前が歩きスマホしてるから悪いんだぞ。ほら、この通り取り上げますから許して下さい」


そう言って遊は、少女が食い入るように見ていたスマートフォンを取り上げる。


「あぁ!!!何しているのですか貴方は!!」


「取り上げますから許して下さいだぁ?寝言は寝て言え、そんなもんで俺らが引き下がる訳ねーだろ」


「じゃあコレならどうですかね?」


そう言って見せつけたスマートフォンを、男性二人は食い入る様に見つめた。その画面には110の数字と発信の文字が映し出されている。


「け、警察!?てめぇ!!こんな事でよぶこたぁ無ぇだろ!!」


「いや、アンタらがしてんのは恐喝だし犯罪でしょ。これ以上付き纏うなら本当に警察呼ぶけど」


「クッ……」


男達は悔しそうに睨みを効かせる。

しかし、勝敗は付いた。彼らが恐喝まがいの事をした事実は、周りの人間が証明出来る。


「「クソッ覚えてろッ!!」」


「ありきたりな捨て台詞さんきゅーな」


男達は人波を掻き分けて、この場から去っていった。

もう二度と会いたくは無い連中だし、会ってはいけない輩だ。犯人は現場に舞い戻る。つまり、明日からこの時間は絶対に避けなければならない、益々寝坊NGだと言うことだ。


「わ、私のスマホっ!!」


「お、おうスマン。生憎、今日はスマートフォンを持っていなくて咄嗟にアンタの借りちゃったよ」


「あぁ、全然構いませ………うにゃああぁーー!!」


スマートフォンを見つめた少女の瞳は、重くして動かない。

数十秒の沈黙の後、彼女の目には、悲哀の色が深く漂い始めた。

少女は我に返った様に顔を上げ、ぼんやり様子を見つめていた遊に、手に持つスマートフォンを突き出す。画面には「ノーマル獲得!!」と、平凡な色合いで、文字がふわふわ躍っていた。


「んーと……これってアプリゲーム……か?」


「私が、明日からの夏イベントに向けてコツコツ貯めてた魔法の石が……たった今ノーマルキャラ十体に変わってしまいました!!」


銀鈴の様な声音で弾き出された言葉は、明らかに遊に対しての怒りを孕んでいた。


「俺の所為?」


「確認するまでもありません!!貴方が適当に画面を押してしまったのですよ!!」


それはタイミングが悪かった……としか言いようが無い。


「そうか、それはすまん。でもそれで助かったと思えばーー」


「許しませんよ、言い訳はありますか?」


「即答かよ」


よくよく見たら、同じ高校の制服を着ていた少女に向かってツッコミを入れる。ちなみにネクタイの色が1世代下の指定色なので彼女は後輩だ。だからこそ敬語も無しに話せる。


にしても考えられない奴だ。

恩着せがましく自分が助けたとは言わないが、それでも問題を解決する手助けをした男に、突っかかってくるか?普通。


「俺が謝るのは可笑しいと思うけどな。はいはい、故意じゃないとはいえ悪かったよ」


「それだけですか?」


「あぁ、そのゲームまだやってる人居たんだな、古いぞ」


「しっ……失礼ですね!!」


「じゃあ、十回引いて全部ノーマルなんて運が無いな……とか?」


「引いたのは貴方ですっ!!怒りますよ!?」


十分怒ってるじゃねーか……

そんな心の声を口に出せば、彼女を逆撫でするだけだ。

遊は、反省の色を浮かべて軽く頭を下げる。それで納得してくれれば良かったものの、少女の機嫌は明らかに悪く、求めている答えを出すまでは、絶対に逃さないといった圧力を感じた。


「まさかと思うけど……引いてしまった分の代金を求めてる?」


「頭の回転が早い人は好きです、ついでに行動力があるとより素晴らしいです。あぁ、全く持って関係無いですけど、このゲームでガチャを十回引くには三千円かかりますよ」


「…………」


「三千円かかります」


「聞こえてるって……」


キリッとした表情で、何故が自信有り気に、無い胸を張る美少女。


「それさぁ、俺から金取るの?してる事、さっきの輩と同じだぞ」


「一緒にしないで下さい。私はあの人達よりなん億倍も可愛いです」


「可愛さで勝負してやんなよ。

ってか冷静に考えて事故だから、俺に払う責任は無いと思うぜ」


「逃げるのですか」


「挑発しても無駄。俺も今月ピンチなんでね、こんな訳分からない理由で三千円も失いたくない」


「なっ!?ガチャを引けずして、明日のイベントをどうやって乗り越えろというのですか?」


「引かなきゃいいんじゃないか?」


「それは無理です。期間限定、明日のみしか出現しない激レアキャラを入手しなければならないので」


食い入る様に話す彼女の姿は、まるで外界を始めて見たお嬢様の様だ。どうやらレアキャラを手に入れた後を想像しているらしい。

その程度でこんなにも幸せそうな顔が出来るなんて、なんともめでたい人なのだろう。


「なら趣向を変えよう。

貯めに貯めてたって言葉から察するに無課金貫いてるんだろ?俺が、もしココで大人の力を使ったら、信念曲げることになるけど大丈夫?」


「大丈夫です。私はお金を使ってないので」


「うわぁ……」


人の金でガチャを回した事はあるけれど、私は無課金だ。そう言われて納得する輩は居るのだろうか?いや、いない。


「何を躊躇っているのですか?私への罪悪感は少なからずあるでしょう?ほら、コンビニはすぐそこですよ、一緒にガチャと経済を回しましょう」


「上手くねぇよ!」


遊が軽快なツッコミを入れたところで、プシューっと気の抜けた音が辺りに響いた。橙色の日差しを反射させた鉄の乗り物が、ゆっくりと動きを止め人々を吸い込んでいく。

食い気味に言葉を発する彼女を横目に、遊は開いた扉の奥へと飛び込む。ハッと気が付いた少女も、慌てて電車へと駆け込んだ。


「待ってくださいよ先輩」


「まぁ同じ学校なら同じ電車に乗るよなぁ……」


「当たり前です」


ふんすっと鼻を鳴らし、ジト目を繰り出す少女。続々と入ってくる人波に押されて、ジリジリと距離を詰めてくる。それはもう他人との距離感では無い程近くまでだ。遊は慌てて退こうとするが、後退りするスペースなど微塵も無かった。

そして、最後列から乗り込んだ遊に、最早残され席など有る筈もなく。


「じー」


「そんな近くでまじまじと見られても、飴ぐらいしかあげられないけど……」


「私は小学生ですか!」


「なんだよ、不満か?その飴、結構レアなやつなんだぞ、ほら、一つやるから………おっとすまん」


遊の手から包装された飴が零れ落ちる。

「あぁ、何落としてるんですか」っと彼女は、文句を垂れながら、落ちた飴を拾う。


悪いけれど作戦通りだったーー


【扉が閉まります。ご注意ください】


聞き慣れたアナウンスを合図に、遊は人を掻き分け電車から駆け降りる。厚意を利用するのは心苦しいものがあるが、ここで彼女を撒かなければ厄介そうだ。


扉が完全に閉まる。

ガラス越しに飴を手にした美少女が、驚いた表情で周りを見渡す。そして、窓の外に先程まで隣にいた人物を見つけ、状況を飲み込めた様だ。

その感情が、驚きから悔しさに変わる前に、彼女を乗せた電車はゆっくりと動き出した。


「結局二本も見逃す羽目になったなぁ……こんなんなら早起き、徹底しとけば良かった」


不格好でも良い。誰かを助けることは、一色遊にとって特別では無い。けれど、今日の出会いは特別だった。

今は分からなくてもーー良い、いずれ全てを知るだろう。


※※※


三階の教室から眺める窓の外は格別だ。夕闇の予感に染まったグラウンドや、灯りが付き色めき始める街などを一望出来る場所だからだ。

帰宅部の遊は、部活動をせずにまだ教室に残っている。

夏の夜が近づいてくる感覚が、言葉に表せないほど愛おしいから。他の学生と帰宅時間をズラしたい。など、理由は幾つも挙げられる。

しかし、今日の場合は、他にも理由があった。

少ない友人が、二人揃って放課後に残ることなど珍しく、何やかんや雑談という形で時間が過ぎていたのだ。


「それは遊が悪いわね」


「ちゃんと話聞いてたか?遊里」


「聞いてたわよ?その可愛い後輩ちゃんを颯爽と助けつつナンパしたんでしょう?あと遊里じゃなくてお姉ちゃんって呼びなさい」


女性の名を一色遊里いっしきゆうりという。

遊と一文字違いの彼女は、一つ上の高校三年だ。艶やかな黒髪ロングに、つり上がりつつもパッチリと開いた大きな瞳。魅力的な薄い桜色の唇がぷるんっと動き、ニーソックスを履いた健康的な長い脚を組む。モデルの様なその姿と、気品溢れる立ち振る舞いに、近寄りがたいイメージだが、それと相反して驚く程人当たりが良い。


「似た名前だからって、毎回会うたびにソレ言うのやめてくれないか?仮に姉が居たとしても、俺はそんな呼び方しないからな」


「昔は呼んでくれていたじゃない。ユーリお姉ちゃんって。お風呂も一緒に入ったのに……もう入ってくれないの?」


制服の上からでも分かる程、豊満な胸を持ち上げて、ウインクする遊里。からかうのは大概にしろと釘を刺してから、遊はこの場に居るもう一人に、助けを求め、目線を飛ばす。


「そんな目で助けを乞うなよ遊」


「頼むよ」


「……へいへい、話題を戻してやるよ。お前が話すその子は、きっと一学年下の 東雲祈しののめいのりだぜ」


良く言えば明るい。悪く言えば軽い声が、救いの手を差し伸べてくる。クラス委員を担う程生真面目なやつなのだが、チャラさが悪目立ちしている。その口調も勿論だが、気怠げな背筋、薄い胸板、茶髪の髪に、誠実さを感じさせない眼差しが後を押すからだ。

それが彼、新田克哉にったかつやだ。


「東雲祈?」


「あぁ、知らないの?その端麗な見た目から男子生徒に大人気、今ではファンクラブまであるらしい」


「あの性格でファンクラブねぇ」


「彼女の特殊な性格を加味しても、有り余る見た目良さって話っしょ。狂った様にゲームにハマって、依存していてもな」


そうなのかと遊は相槌を打ち、昼に買った炭酸飲料を口に含む。強烈な甘みと気の抜けた酸味が口いっぱいに広がって心地良い。

それを見ていた遊里が、一口頂戴と手を差し出すが、遊は気付かない振りをして飲み干した。


朝の様子を見る限り、新田の言う情報は正しい。確かに彼女はゲームに執着していた。


「変わってる所はお前と似てるな遊」


「……は?」


「清潔感のある黒髪に女性寄りの童顔イケメン。顔は良いのに人当たりが悪いし、面倒くさがり。相反して何かを助けようと、変な所で首を突っ込みに行って問題に巻き込まれる」


「お姉ちゃんと呼んでくれない、ってのも追加ね!」


「それは遊里先輩だけだけど……ともあれ遊はなぁ、なんだ……少し変わってる」


「お前ら……」


「中学生の時だっけか?お前が寝坊して、先生に問い詰められた時、教室間違えましたって言い張ってたよな。それも一時間ぐらい」


「それを言うなら、荷物が重くて休憩しながら来ましたってヤツも強烈だったよね〜。そのどちらも誰かを助けてて遅刻しちゃってたんだよね?

まさに一色遊という人物を前面に押し出したエピソードって感じだね」


「んで、決まって後悔するんだよな、自分の発言や行動に対してさ」


「うんうん。面倒臭がり屋で正義感が強いって大変だよねぇ」


「グチグチうるせぇ!!ズバリ何が言いたい!?」


「変わってる」


「私はそこも含めて好きだけどね」


「はぁ……二人とも嫌味ありがとよ。

けど、そんなの並び立てたって全然似てない。少なくとも俺は、初めて会う人間に、課金を要求したりしないからな」


遊は、黒髪の先輩と茶髪の同級生に対して怪訝な表情を浮かべてみせる。

一色遊も東雲祈も、黙っていれば人に好まれるタイプの人間だが、いかんせん黙っていられない。各々独自の毒を持った狂い桜だ。どれだけ美しかろうが、何処か皆と違っていれば、人は受け入れられない。故に友達は……少ない。


「おっと、そろそろ時間だ。それじゃあ遊、今日はここでお別れだ。夜道は気を付けて帰るんだぜ、知らない人について行くなよ」


「お前は俺の親か何かよ……って一緒に帰らねぇのか?」


「職員室に用があんだ、悪いな遊」


そうか、と一言添えて目線を遊里に向ける。


「私も用事があって遊と帰れないの。気持ちを無下には出来ないから」


遊里の手には一枚の紙。また何時ものラブレターだろう。告白があるから帰れない……一度は言ってみたいものだ。


「大丈夫、丁重にお断りするわ。私はずっと遊のお姉ちゃんだからね、うん。だから遊、私が居なくても、知らない大人について行ったらダメだからね」


「お前ら俺を子供扱いしすぎだろ!」


遊のツッコミに頬を緩める二人は、その後名残惜しそうに数分雑談を続けた後、駆け足で教室を後にした。



そして沈黙ーー

夏が差し迫ったこの時期は、日も長い。

夕暮れと夜の間は、やけに寂しく感じられて、特に思い抱く思い出も無いがノスタルジーに浸れる。


「さて、帰るか」


帰る時間帯は今がベスト。帰宅ラッシュと重なり、満員電車であることは避けれないが、それでも同じ学校の生徒と鉢合わせることは少ない。

帰宅部には遅いし、部活組はまだ帰れない。友人の少ない遊にとっては、この時間に帰ることは必然といった所だった。


「あら、お帰りですか?一色遊先輩」


帰る為に支度をしていた手を止める。

友人に話しかけられたからでは無い。そもそも学校で、自分に話しかけてくる人間など限られている。その人達の、どの声を取っても、今耳にしている銀鈴の様な声音とは異なるものだった。


それでも聞き覚えのあるその声は、一体誰なのだろうか?

振り返ったその瞬間、疑問の答えが顔を強張らせた。


「アンタは……東雲祈?」


教室の入り口には、黒髪の美少女が、スマートフォンを片手に立ち塞がっていた。

闇の中に氷の様な殺気が放たれており、教室内に嵐の前の風が吹いている様だった。


「一色遊、身長百七十センチ、二年A組、所属部活は無し。

朝は誰よりも早く学校に来て、帰りは皆と時間をズラして帰る。顔だけは良く、女子生徒から人気はあるものの、友達は数える程しか居らず、自ら積極的に物事を取り組むタイプでも無い。しかし、実の所正義感が人一倍強く、問題に首を突っ込みがち。

同クラスの新田先輩、三年の一色先輩と仲が良い……けれどお二人の様に人当たりは良くはない。

無気力で、自分に酔っている先輩、こんな所で会うなんて奇遇ですね」


毒舌の嵐が吹き荒れた。

酷い言われようだし、細かいパーソナルデータまで認知されている。どのように調べたのだろうか?


「毒のある挨拶どうも、些か長過ぎるけどな」


二人が居なくなった絶妙なタイミングで彼女が現れた、決して奇遇では無い。そこから導かれる答えは、


「新田も遊里も可哀想な奴だ」


「………!!」


東雲祈は遊の一言に、眠そうにしていた目を見開いた。そして、口元を軽く微笑ませてみせる。


「……少し苦情を言っただけですよ。

昼休み、そちらのクラスが騒がし過ぎるって。特に今日は酷いもので、私達下級生のクラスまで聞こえてきました。ぜひ放課後に指導をお願いしますと」


遊と仲が良い新田は、クラス委員である。

祈にとって話をしたいのは遊であり、新田では無い。つまり、その苦情を入れる事で、放課後、邪魔になりそうな人物を退場させたのだ。


「と、なると遊里のラブレターもアンタの仕業か?」


「男子の字って難しいですね」


「そうまでして俺に会いたかったのか?こんな美少女からそう思われるなんて光栄だ」


「美人にはブスと言え、ブスには美人と言え。

モテる男の技ですよね?私を馬鹿にしているのですか?」


率直に褒めたのだが、どうやら彼女は、遊が思っているよりも、もっとハイレベルな捻くれ者らしい。


「いやいや、素直に褒めただけだって。

だってそうだろ?夕方、いきなり知らない美少女に絡まれたら誰だってその見た目を褒めて、そんで……逃げ出したくなる」


「それはとても良いイベントだと思いますけどね、逃げるなんて勿体無いです」


「うわぁ……まさにゲーム脳だな。お前、道端に落ちている骸骨とか見たら、「ただの屍のようだ」って言いたいだろ?」


「道端に骸骨が落ちている世界なんて嫌です」


手を額に当てがって、やれやれと疲れた素振りを見せる遊と、自分の言った事の何がゲーム脳なのか分からない祈。

この学校で、容姿という部分で一目置かれる二人が、その捻くれた性格をぶつけ合っていた。


「まず、お前とかアンタって言わないで下さい。私には東雲祈って名前がありますから」


「悪かったよ祈、ゲームは程々にな」


「なんで下の名前を選ぶんですか!」


「しののめって四文字より、いのりって三文字の方が楽だし」


物言いたげな祈を差し置いて、遊は話を進める。


「んで?大体予想は付いてるけど何の用?」


「朝の問題について話し合いに来たのですが、気が変わりました。

貴方がゲームと私を見下しているならば話し合いをする以前の問題です、だからーー」


祈はまるで王族、貴族になったかの様な優美な表情で、


「ゲームの楽しさからお教えします」


「いや、いい。俺は帰る」


ガチャリ。


「へ?」


「もうお帰りですか?」


鞄と机がワイヤー式の鍵でロックされているーー


一般的に自転車で使われるダイヤルナンバー式の鍵だ。無情にも遊が鞄を持ち出せない様に固定されていた。


「学校の備品を持って帰るのはダメですよ先輩。それに、そんなに重い荷物だとさぞ大変ですし」


そう言った少女を見つめ、遊は深い深いため息を吐いた。


※※※


「くっそ……こんな時間まで拘束しやがって」


電車を降り、自宅からの最寄駅に着いた頃には二十一時を過ぎていた。

『ゲームの素晴らしさが分かりましたか遊先輩?』と、祈が教室で、最後に言った言葉が耳に残る。

遊は嫌々頷いて、全て面倒になった心で、半額の千五百円を手放し鞄と自分を解放した。


勝敗をつけるのならば、明らかに祈側に軍配が上がるこの状況。それを更に決定付けるのは、遊の隣で今もなおスマートフォンを弄っている祈そのものだろう。


「何みふぇるんですか先輩?ふぉんなにじっと見られたら、飴ぐらいしかあげられまふぇんよ」


祈のしつこい程長い話から解放されたくて、遊は金を払ったのだ。

なのに何故、彼女は隣にいるのだろうか?


「朝あげた飴を食べながら話すな」


「あんまりおいひふないですね、コレ」


「……お前が同じ電車で通学してた事を忘れてたよ。そりゃ帰りも一緒だよなぁ」


お前じゃなくて東雲祈です、と遊に指摘をしながら、数歩先を歩く少女。ピッという電子音とともに、改札に翳かざしたスマートファンを、大事そうにポケットに仕舞う。


「人のガチャを無理矢理引く様な輩が、私の家の近くに住んでいたなんてびっくりです。世も末ですね」


「あぁ、暴論で人から金を搾り取る様な輩が、近くに住んでる様な街だからな。十分気を付けとけ」


そう言いつつ、遊はゆっくり足を止めた。

祈が進んでいく道は、あろう事か自分が帰る道でもあったからだ。

今日の初めて出会い、色々な出来事があったが驚く事に彼女の事を特別嫌いにはならなかった。むしろ騒がしくて楽しさすらあるかもしれない。

けれど、並んで帰る理由も無い。


「じゃあな、俺はこっちだから。あんまりゲームに夢中になって、電柱とかに頭ぶつけんなよ、そっちの道は暗いからな」


「今日出会ったばかりの人間に、些か馴れ馴れしくないですか?」


「俺に放ってきた暴言と所業を思い返してくれ。もう俺達に垣根もクソも無いだろ、あんのは被害者と加害者だ」


「そうですね」


文面に起こせば物分かりの良さそうな言葉だか、明らかに自分の事を被害者だと思っている様なそんな表情をする祈。

その本意は分からない。

が、今日初めて出会い、少ない時間だか会話を交わして遊が感じた彼女とは、そういう人間だった。


「そんなに疲労困憊な顔、しないで下さいよ」


「疲れたんだよ今日一日、大きな問題があったし」


「今日問題が有ったのは私です。遊先輩は首を突っ込んで来ただけです。そんな事ばかりしていたら、いつか誰かから恨みを買いますよ」


「そりゃ怖い、現に今日も、誰かさんから恨みを買ったみたいだしな」


「私が売ったのは恨みだけじゃ無いですよ?東雲祈という人間の、貴重な貴重な一日の大半を貴方に捧げた様なものです。売り捧げたのです。非売品ですよ、もっと誇って下さい遊先輩」


「誇れる様なモンじゃ無いからな。その買い物は失敗だ」


「人生に失敗がなければ人生を失敗しますよ。貴方は自分が恵まれていると理解すべきです。失敗を取り返せる時間がある、失敗を成功に変える日常がある。余命を宣告された人間には、それが出来ない」


「お前まさか……」


「いえ、私は健康体です」


「俺の心配を返せ、少しでも力になりたくなっちゃっただろ」


「ふふっ」


下らないやり取りに微笑む祈を見て、遊もつられて笑ってしまう。


「では帰ります。また縁があれば」


「じゃあな、もう関わらない事を祈るよ」


「…………ま」


「ん?」


「…………待って下さい」


「何?文句は明日でも良いか?」


「ち、違います!!ただ……遊先輩の一日は失敗なんかじゃ無い……少し救われましたって……そう言いたくて」


「まさかと思うけど……感謝してんの?それ」


「……はい、そうですけど」


「お前も大概、不器用だな」


「お前じゃ無くて祈です!!」


「そうだな、じゃあまたな祈」


遊はひらひと手のひらを揺らし、何処までも優しい声で別れを告げた。


そして、国道沿いに風が吹く。


何の根拠も無かった。

何も根拠が無いのだか、何故か彼女の放った貴重な一日という言葉が、心の底から湧き出た本心の様な気がしてならなかった。


二手に分かれた後でも、その言葉は遊を縛り付け、大通りに差し掛かる五分程の道のりで、ぐるぐると考え込んでしまった。


果たして自分は、自分の一日を貴重だと、彼女の様に言い切れるのだろうか?失敗を取り返す努力はしているのか?


「……この道はやめとけば良かった、人が多過ぎる」


込み入った人波を掻き分けて進む。

産業道路として利用されるこの道路は、大型車が頻繁に通る。更に道なりに飲食店が並び、この時間でも人足は絶えない。

相反して、祈が選んだ道は、遊も好んで使う帰り道なのだが、住宅街の裏道で、昼でも閑散としている。

先程も言った通り、この日、遊はそちらの道を使っていない。こうなる事は予想出来ていたのだが……


「せめて前見て歩いてくれ」


対面する人々は、道を譲る事も無く、悪ければ肩がぶつかっても謝罪すらしない。どころか、まるでそこに人がいなかったかの様にスタスタと後方へ歩いて行ってしまう。


これは苦痛でしかない、早めに大通りを抜けようーー


前方には人々が固まって信号待ちをしていた。歩道の信号機は赤を示し、車道側の信号機が黄色から赤に変わる。つまり、もう直ぐ歩道の信号機は青になるのだ。

そうなればまた人の嵐。

少しでもそれを避けたいと思うのは当たり前の思考だろう、急いでいれば特にだ。


七歳程だろうか?

目の前の少女が、皆より先に歩道を歩き始めた。

反対には母親らしき人物が立っている。早く渡って母親の元へ行きたいという彼女の気持ちが現れた行動だ。

厳密に言えば信号無視だが、やむ終えない。少女の瞳には、信号の色など映らない。

母親もそれを咎める様子は無く、娘が渡って来るのが待ち遠しいといった表情だ。心の天秤に掛けた時、社会のモラル、マナーよりも、少しでも早く、という思いだったのだ。


何気ない日常の一コマ。

だが、この日に限って言えば、それは最悪のタイミングだったーー


「え?」


少女は、自分の身体が光り始めた事に疑問を感じ、顔を上げ目視する。光の正体が車のヘッドライトだと理解した時、サーっと血の気が引いていく。その感情が手に取るように伝わって来た。

滑り込んできた十トントラック。

そのスピードは人一人など簡単に吹き飛ばせるものだった。


ヤバいーー


空白が脳を支配し、思考を奪う。

もはや遊にとって、考える事も叫ぶことも選択肢には無かった。あるのは「ただ動き出す事」だけだ。


トラックの前に飛び出た少女。

それを助けようと、追う様に飛び出た少年。


そして空白の中で感情が生まれる。

それはだだ一つ、揺るぎのない「救済」だったーー


そして一色遊は、異世界へと足を踏み入れた。

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