●●地下三番街
ついさっきまで、俺は用を足していたはずだった。あと十五分もすれば、帰路のよく知る地下街をいつも通りに通り過ぎ、途中のコンビニでコーラを買って、さっさと家に帰っていただろう。
だが、今はどうだ。見慣れたはずの地下街が、全然知らない場所のように見える。照明はほとんど落ち、シャッターが降り、人と一人も出会わない。
「何がどうなってんだよ……」
スマホを見ると、時刻は十八時、電波は圏外になっているから、役に立ちそうにない。とにかく、出口に向かうしかない。意味がわからない状況に放り込まれて、無性にイライラして、ガシガシと頭をかき、舌打ちをする。そうして、スマホを制服のポケットへ入れて、いつも使っている出口へ向かって歩き出した。
両側がシャッターで囲まれているせいで、いつもよりだいぶ狭く感じる。毎日煩わしいと思う人混み
が、今は少しだけ恋しい。なんせ、誰もいないのだ。客もいない、従業員もいない、警備員も、俺の他には誰もいない。飲み屋に入るサラリーマンも、服屋で悩んでいるオバサンも、走り回る子を叱る親も、ここにはいない。
俺一人しか、ここにはいない。
「……おい、誰か居ないのかよ」
小さい独り言が、口の奥から出てくる。右を見てもシャッター、左を見てもシャッター。とにかく出口だ。たまらなくなって、俺は出口へ走り出した。
「……は?」
出口まで辿り着いた俺の目の前には、打ち捨てられた首なしマネキンでできた壁があった。
「なんだよ、これ」
マネキンの壁の隙間から、ガラスのドアを透かしてオレンジ色の光が見える。だが、壁は俺の頭の高さまであり、階段の奥の方まで続いている。プラスチックの腕と脚がみっちりと絡まりあい、崩れる気配は全くと言っていいくらいに無い。気味が悪い。どかせないかと、おそるおそる触れてみる。
生暖かい。
気味が悪い。マジでふざけんなよ、口の中でつぶやく。マジでふざけんな。
マネキンの手触りは人間そっくりだった。嫌な汗が流れる。マジで、ふざけんな。嫌な感触が右手と記憶に焼き付けられたような感覚に怖くなり、俺は一目散に逆方向へと駆け出した。
「誰か!居ないのかよ!おい!」
叫びながら走る。後ろからは何も来ていないのに、何かに追われていそうな気がして、足を止められない。右を見ても、左を見ても、シャッター以外に何もない。人の気配はひとつもないのに、まだ残っている生暖かい感触に追われている気がしてならない。
L字型になっている地下街の角を曲がったところで、立ち止まって息を整えた。くそ、なんなんだよ。こんなんじゃ帰るも何もない。制服のポケットからスマホを取り出す。あいかわらず電波は入っていない。そのうえ、デジタル時計は十八時丁度のまま止まっている。本当に役に立たないなと、また舌打ちをひとつ。その直後にスマホが震え、心臓が跳ね上がった。
電波は入っていないはずなのに、通話アプリにメッセージが来ている。送信元の名前は書いていない。気味が悪い。通知を消そうとすると、ひとりでにアプリが開く。やけに長い読み込み時間の後、画面が切り替わり、
百景。百景。百景。百景。百景。
百景。百景。百景。百景。百景。
百景。百景。百景。百景。百景。
百景。百景。百景。百景。百景。
百景。百景。百景。百景。百景。
百景。百景。百景。百景。百景。
百景。百景。百景。百景。百景。
「うわっ」
思わずスマホを投げ捨てる。音を立てて床に落ちてもなお、スマホは震え続け、画面上に”百景”の二文字を際限なく増やし続けている。
「なんなんだよ、マジでふざけんなよ……」
壁に背中を預け、座り込む。誰の声も聞こえない。誰の足音も聞こえない。ただ、床で震えるスマホの音だけが、地下街中に響いている。
今頃とっくに家に帰って、自分の部屋でダラダラと過ごしているはずだった。
母の作った夕飯を待って、漫画なんか読みながら寝転がっているはずだった。
「なんなんだよ……」
助けてくれよ、誰か。
地下街には、誰もいない。俺の他には、床に転がった震え続けるスマホがあるだけだった。
終末百景 魚津野美都 @uo2no32
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