日本と天皇の八月十五日

國永航

ー本土決戦か降伏かー

 ポツダム宣言が瀕死の日本に対して、最後のとどめとばかりに放たれたのは昭和二十年七月二十七日の朝だった。その日から、日本の命の終わりを告げるカウントダウンの響きがより鮮明となって、日本首脳陣の心に重くのしかかったのである。

 その時の日本の首相は鈴木貫太郎という老練な海軍大将だった。

彼は首相就任時に、今日、私に大命が降下いたしました以上、私は最後の御奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って死に花を咲かす。国民諸君は私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信いたしまして、謹んで拝受いたしたのであります、と声明を発表した。

 その時の彼の頭にあったのは、いかに日本を存続させるかということであった。

 最期まで徹底抗戦を敢行しようが、はたまた受け入れがたい無条件降伏を憎き米英敵国に対して行おうが、彼にとって大事なのはあくまで天皇とともに歩んできた日本の長い長い歴史を絶やさないことであり、日本帝国としての面子を保つことではなかったのである。

 ポツダム宣言の一報を受けた鈴木首相は、これは日本にとって受け入れざる内容であろうという思いを抱くと同時に、やはり来るべきものが来たといったんは割り切った。だがそこから始まる日本の崩壊劇――抗戦派によるクーデターのことが脳内を駆け巡り、自分の責務の重大さに、改めて感慨深くため息をついた。

 更に問題であるのはいまだ軍部が戦意を全く失わない状態である今、連合国が出したポツダム宣言を首相として、日本政府としてどのように対応するかということであった。

 政府として強い態度で対応せねば、軍部が黙っていないであろう。しかし頑なに拒絶すれば今後日本を講和、または降伏という戦争終結に導くときに、連合国との交渉が困難となる。そして日本政府として一度断固拒絶した相手に、果たして今後日本軍部がまともに応じるようとするかどうか。

 鈴木にとってその三点が心配である。

 しかるに鈴木は当初、政府としてはポツダム宣言は受諾せず、拒絶もせずに静観すべきだと考えていたし、直ちにそれを実行するべきだと考えた。

 その日、内閣の定例閣議が開かれたとき、時の外相であった東郷茂徳は政府としてこれを静観すべきという、鈴木と同じ意見を言った。これは日本首脳陣の大半が本大戦の見通しについて悲観的な見方をしていたことに起因する。彼らは、日本本土のいたるところの都市という都市はB二十九の手によってなすすべもなく焼き払われていること、そして日本の戦力は大きく摩耗してしまっていることから、日本軍は連合軍に勝てる見込みはないとはっきりと認識しているのだった。大方の意見もそれに賛同する風であったので、閣議の結果、翌二十八日にポツダム宣言のあったことを国内に向けて公表することが決まった。

 ちょうど偶然に首相に対しての記者会見が、ポツダム宣言が国内に発表されることが決まった翌日に予定されていたものだから、鈴木はこれ幸いと直ちに自分の考えを記者に対して述べようと決心した。

 鈴木は、記者の連合国のポツダム宣言について首相としてどう思うかとの問いに対して、私はポツダム宣言についてカイロ宣言(昭和十八年に連合国から発表された宣言。当時は日本軍が未だ戦力の大半を保持していたのでさしたる態度はとられなかった)の焼き直しだと考えているから何ら重大なる価値があるとは思わない。ただ黙殺するのみと言った。 

 この鈴木の口から飛び出した「黙殺」という言葉は鈴木の意から鑑みて、決してポツダム宣言の拒絶や否定というものではなく、一番近いのは静観の意であった。

 しかしここで不運が鈴木を襲った。

 鈴木の声明は海を渡って連合国各国の報道機関でも連日報道されたのだが、「黙殺」という文言について海外の報道機関では翻訳の難しさにより無視、拒絶として受け取られたのである。

 すぐに各国新聞では、スズキ首相はポツダム宣言に対して拒絶の意を示したと報道された。

 だが、当時の鈴木はそのことを知る由もなかった。

 ただ自らの果たした責務に満足するとともに、これから巻き起こるであろう終戦工作の騒動について想像し、その困難さを鑑みて胸を痛めていたのである。

 だがそれ以降政府として、ポツダム宣言に対応する政府の公式閣議も開かれず日本国民及び軍隊に対して、連合国のポツダム宣言を伝える報道もないまま貴重なる一日が刻一刻と過ぎようとしていた。

 鈴木は、かかる事態をどうにかしなけらばならないと腹をくくった。

 そうこうしているうちに、今度は二度目の不運が鈴木を襲いかかったのである。

 陸軍軍部から、首相は直ちにポツダム宣言については日本政府として断固反対するというふうに発言を訂正していただきたいと要請が来たのである。

 なんでも、ポツダム宣言の電波を傍受した海外の日本軍が、なぜ政府はポツダム宣言についてさしたる言及をしないのかとの問い合わせをよこしてきた、これは軍の士気にかかわるから直ちに強硬的な意見を述べるべきであるとのことだった。

 しかし、いったんポツダム宣言について言及をしたのだから、今更それを修正するわけにもいかなかった。

 結果的に鈴木の発言は陸軍や本土決戦断行を唱える陸海の軍人たちを硬化させるに至った。

 鈴木首相は本土決戦を遂行するのに本当にふさわしい首相であろうか、なぜ黙殺というあいまいな表現を使うのだろうか、果たして

本土決戦は敢行され国体の護持をなすことができるのだろうか、という幾つもの疑問が、軍の士官たち、特に本土決戦を肯定する将校たちの間に暗雲のように立ち込めることとなった。

 悲しいことに鈴木の発言は、連合国においてはポツダム宣言の受諾の断固反対、国内、国外に展開する日本軍の大半には同宣言の無視、静観として捉えられたのである。

 問題は国内外の日本軍の中に首相不信の意識という薄い膜が覆っていき、反体制の意識が知らず知らずのうちに刷り込まれたことであった。

 今や戦争終結に当たって何よりも恐ろしいのは、物量に任せて日本本土に襲い来る連合国ではなく、身内であるはずの日本軍へと変わったのである。

 昭和二十年の八月に入ると、いよいよ本土決戦の機運が軍部を中心にして高まってきて、各新聞はどれも似たように一億総火の玉、

本土決戦だと国民を煽っていた。

 そのころ日本軍部の本土決戦の作戦計画は旧態依然とした水際作戦をとっていた。

 外地の日本軍部隊はおろか内地の一般国民までも食料事情は芳しくなかったにもかかわらず、軍部は、内地では我が軍は補給を十分に受けられるから間違っても今までのように一辺倒に負けることはないと踏んでいた。

 こうした内地の食糧事情からも本土決戦遂行はかなり困難と思えた。さらには武器の生産も追いついておらず、兵隊には満足な武器も配給されてはいない。

 本土決戦計画は陸軍では通称決号作戦と規定されていた。

 陸軍兵力のうち、千島・樺太・北海道には第五方面軍が防衛の任につく。東北、関東、東海地方には三つの方面軍からなる第一総軍。近畿・中国・四国・九州には二つの方面軍からなる第二総軍。満州    

・朝鮮には三つの方面軍からなる関東軍。

 これらすべての軍団を合わせると約五十個の師団と四十余りの旅団にもなる。更には二つの航空軍と三つの航空師団を本土を中心に展開させている。

 海軍兵力は昔の栄光の連合艦隊からその姿を変えた、海軍総隊麾下の特攻兵器を搭載した水上特攻部隊。四つの航空艦隊。そして戦艦四、空母四、巡洋艦五、駆逐艦四十、潜水艦四十、水上特攻兵器

四千数百隻。

 陸海軍合わせた航空機数は約一万機。そして、その大半が九州、関東に配置され、本土に迫りくる米艦隊を特攻にて攻撃する。

 更には国民も兵士として徴用されることが決まっており、いざ本土が決戦場ともなれば三千万もの一般国民が義勇戦闘隊として戦陣に赴く手筈である。

 日本は敗戦濃厚にもかかわらず、依然としてこれら膨大な戦力を保持していた。そのため陸海軍統帥部は本土決戦にはそれなりの自信を持っていたのだった。

 しかし、ほどなくして陸海統帥部の高官の幻想が打ち砕かれる時が来た。

 昭和二十年八月六日のことである。

 その日の朝、広島上空はからっとした快晴だった。

 それが、けだるい夏の暑さをいやがおうにも引き立てていた。

 広島市内では多くの学徒・勤労奉仕隊が空襲に備えて建物疎開を行っており、空襲時に火が燃え広がらないように、町の各所で住宅を破壊する作業を進めていた。

 さらには平日の月曜日ということもあって多くの人々が市内を行き来していた。

 その日、日本軍の大和田通信所ではB二十九の編隊が広島に飛来するということを米軍から傍受した通信で分かっていた。しかしその通信の情報では、広島に飛来するB二十九は数機のみとなっていたので日本軍はなんら対策を立てないまま、その情報を看過したのだった。

 八時。広島市内からは数機のB二十九が飛来するのが見えた。

 日本軍はこれを確認し、直ちに警戒警報準備に取り掛かった。しかしB二十九に対して何の攻撃も加えなかった。少数機の編隊であったため広島市内への偵察であると踏んだのである。

 八時十五分。広島市内に空襲警報のサイレンが鳴り響く中、三機のB二十九が、市の中心部直上を悠々と飛行し、その巨大で優美な白銀の機体を市民に見せつけた。

 と、編隊の先頭を行く機体の爆弾層がぱっくりと開いた。

 中から、巨大な黒い物体が顔を出し、ひゅるひゅると不気味な飛翔音を発しながらきりきり舞い落下していく。

 「黒い何か」を投下し終えたB二十九らは百五十五度旋回し逃げるように飛び去って行った。

 市民らは、そのことに別段気にもとめるふうでなく各々の仕事に熱中あるいは、朝の一時のあきれ返るほど平和な休息にその身をうずめていた。

 刹那、人類史上初の圧倒的暴力が、広島上空六百メートルを中心にして吹き荒れた。

 その時広島市上空では小さな「太陽」が出現した。その太陽は辺りを膨大な光線と熱によって焼き尽くした。太陽の直下にいる人々は瞬時にして髪が焦がされ、水分が体内から蒸発して血は沸騰し、のどの渇きに苛まれながら一瞬のうちに炭化、消滅した。

 人々、建物、木々、小動物。ありとあらゆるものが塵へと姿を変え、小さな太陽の直下には生きとし生けるものは何一つなくなった。

太陽は三秒間、広島を照射したあと、一気に膨らみ、秒速四百四十メートルという音速を超える風で広島を吹き荒れた。

 熱線と光線から辛うじて命をつないでいた人々は、その風によって体があらぬ方向に捻じ曲げられ、一瞬のうちに数百、数千メートル先へとぶっ飛ばされる。

 さらに火焔が町全体を襲い、たちまち建物や人々を灰燼に帰した。

 爆心地からは傲然たる赤くどす黒いキノコ雲がもくもくと膨れ上がり、広島市をその影によって夜のごとき闇に染め上げてしまった。

 広島市は死屍累々とした亡者の町へと変えられたのだった。

 

 当時中学生であった管田健司は、その日朝早くから建物疎開の作業を行っていた。

 八時十五分。建物疎開の作業がひと段落つき、教師から休憩の合図が出たので、友人の高島太郎とともに、自分たちが壊した建物の瓦礫の上に腰を下ろしていた。

 すると教師が空を見上げ、

 「オイ。みんな見てみろ。あれがB二十九だ。君達ももうすぐあいつらと戦うことになる、後学のためによく見ておけ」

 しかし、菅田はあらためてB二十九をまじまじと見つめる気にはなれなかった。世の中はいつも戦時一色で、鬱憤がたまり切っているのだから、せめてひと時の休憩だけは戦争にけがされたくなかったのである。

 「ケンジ。見てみいあれB二十九じゃぞ。でっかいのう」

 友人の太郎は感嘆の声を上げた。

 辺りにB二十九の爆音が響き渡る。健司は耳をふさぎ、瓦礫の中に咲く一輪のタンポポをぼうっとして見つめていた。

 すると太郎が急に、

 「あ!あいつなんか落としよった。爆弾かのう」

 というので、上空に目を向けた。何か得体のしれない黒いものがはるか上空を舞っているのが見えた。

 

 急に目の前が真っ白になった。何が起きたかはわからなかった。

耳が聞こえなくなる。

 体中に焼きごてを押し付けられるような鋭い痛みが奔った。

 痛さに耐えきれず思わず顔を掻きむしった。

 自分の体は、まるで大男に思い切り蹴りつけられたかのように、その場から一気に吹っ飛ばされた。

 肉の焼けるにおい。全身の焼けるような痛み。耳の穴に何かが詰め込まれて塞がったような嫌悪感。

 それらを感じるとともに、健司の意識は次第に脳の深層の奥深くへと引きずり込まれていった。

 

 目が覚めた。

 体の全身の痛みを感じるとともに、いつしか自分が地面に倒れこんでいるのに気が付く。立ち上がる時の手の感触から、自分は瓦礫の上に横になっていたのが分かった。

 起きてからずっと、どこか遠くでセミが鳴いているように思ったがそれは脳の奥底から響いてくるような自身の耳鳴りだった。

 あたりを見渡すと真っ黒であり、自分は夜まで眠ってしまっていたのだと思った。

 先ほどの衝撃波は何だったのだろう。

 と、そこで太郎が爆弾だと言っていたのを思い出す。まさか爆弾は自分たちの頭上で炸裂したのだろうか。

 友人の太郎のことが気になりその名を呼ぼうとした。

 しかし、のどは擦れて声が全くでない。

 やっと絞り出した声でおーいと叫んでみても、辺りは瓦礫の中に点在する小さな火が野辺に咲く花のように目に冴えて、広がっている瓦礫の山を照らすのみであり、後はどこまでも続く暗闇だった。

 まるで世界は自分一人になったようで寂しかった。

 しかしそれよりも全身の痛みが依然として引かないことが気がかりであった。右腕に手をやると、学生服がボロボロになって、肌が露出していることが分かった。

 さらに腕は腫れあがっていて触ると激痛が走った。これがやけどの症状であることは健司の目にも明らかだった。

 顔に手をやると、右ほおが右腕と同様に腫れあがっていて、まるでアンパンが顔に引っ付いているようだ、と健司は思った。

 助けてくれ。小さな声がした。

 太郎の声だ。健司は声の出所を探るために、耳を澄まし、次の一声を待った。

 助けて。

 自身の左斜め後方のがれきの山からだった。

 健司は急いで駆け寄り、瓦礫をどかし始めた。

 太郎はその間、痛いよう痛いようとしきりに喚いていた。

 「もう大丈夫だ」

 健司が瓦礫をどかし終わってそういったとき、太郎はおずおずと立ち上がった。

 「なあ、わしの体痛いんじゃ。顔も腕もはれとるみたいでのう、

火に焼かれたようじゃ」

 耳の具合はどうか、と聞くと、

 「そういえば、どっか遠くで蝉が鳴いとるみたあに耳鳴りが聞こえる」

 健司はそれを聞いて、自分も太郎も似たような境遇であると知った。それから健司は何も言わずに歩き始めた。一刻も早く家に帰りたかった。

 太郎が後ろで、

 「オイみんなはどうするんじゃ。助けんと」

 というのが聞こえたが、もはやどうでもよかった。体はだるく、脚は鉛のように重たかったが、一時でも地獄の中に身を置いていることが嫌であった。

 健司はふらふらと闇の中の道を歩いて行った。


 広島に新型爆弾投下の一報が届いたとき、鈴木首相はこれ以上戦争が続けば、日本は崩壊すると確信した。彼のもとに届いた情報によれば、広島はただ一発の爆弾で壊滅、焦土と化したという。

 ほかの閣僚たちにも情報が届いたが、彼らは頑なにそれを信じようとはしなかった。それもそのはずで、普通、一発の爆弾で都市が壊滅するなどありえない。

 しかし幾分か時間がたって、陸海軍の広島救援隊が当地の惨状を伝えはじめてからやっと現実のものとして受け入れ始めた。

 彼らは、これから日本全国の国民たちが新型爆弾によって身を焦がされる様を想像して、一様に頭を悩ませた。

 「もしも皇居に新型爆弾が落とされてはいけない。何か早急に手を打たねば」

 内大臣の木戸は報を受け、そう公言した。

 早速、対策が練られた。

 調査の結果、広島に落ちた新型爆弾には核反応兵器であることが分かった。核兵器は投下時に、熱線が大量に放射され、それに伴う多くの人員のやけどが予想されるので、皇居の窓の一つ一つには熱線を防ぐために白いカーテンが割り当てられることになった。

 これは広島救護隊が報告した内容にも、白い服を着ているものはやけどの症状が少なかったとあったので、至極まっとうな対策であった。しかし、それ以外の対策は、官民を通してこれといって立てられないままであった。


 (陸軍将校、畑中少佐、椎崎中佐は、無理を言って説得した井田中佐を伴って水面下で不穏な動きをみせる。それは、もしも日本政府がポツダム宣言を受諾したときには、政権を奪取し、あくまでも徹底抗戦を行う計画の準備であった。広島、長崎への原爆投下、ソ連の参戦により、ポツダム宣言の受託は決定的なものとなる。畑中少佐らは近衛師団長森中将に近衛師団のクーデターの要請に行く。彼日本を陸軍の掌中に収めようと画策し、森に対して決起要請を熱を持った口調でまくしたてたが……)


 森は、しばし瞑目した後に、

 「君達の言うことは陛下の命に逆らえということである。君達の言うクーデター計画の大義がはっきりとしているのならば、私は逆賊の汚名を着てまでも起つことは厭わない。だが諸君の大義は何か。

これ以上無謀な戦さを続けて何になる。ただ国民の生命を脅かし、

その生きる土地さえも戦争の業火でき払ってしまうのみである。

 ――諸君らは何か勘違いをしているようだが、もとより近衛師団は東部軍に使えておるのではない。近衛師団は天皇陛下の直属の師団である。陛下のご聖断は下った。そして君達のクーデター計画には大義というものがない。自分としては、我が軍はもうこれ以上事を荒立てる必要もないから、戦争終結を冷静粛々として受け入れ、最後に日本帝国の介錯に花を添える以外にない。名誉ある降伏。我らが行うべきはそれである」

 森が自身の考えを述べ終えたとき、決起将校たちの目つきは、急に殺意を帯びたかのように鋭くなった。

 決起将校たちの値踏みするかのような冷ややかな視線が森師団長一身へと突き刺さるように向けられている。

 近くの、しっぽりと闇に染まった森林から蝉たちの鳴き声がみんみんと鳴り響き、じめっとした夏の暑さを引き立て、否が応でも灼熱の暑さを感じさせていた場はどこ吹く風。

 それまで決起将校の熱気により白熱していた師団長室の空気は、まるで寒空の下、一軒の丘陵に立つ家の締め切っていた窓を開け放ち、一陣の風が下から屋内に吹き抜けるかのように頬を切り裂くような痛々しい冷たさに変わった。

 その中で一人畑中は、最初の熱気を帯び紅潮させていた顔を青白くさせ口をぱくぱくとさせている。

 だが、次第にその顔は熱き文学青年の顔から、得体のしれないきちがいじみた怪人のものへと変貌していった。

 「閣下。お願いです。賽はすでに投げられたのです。今近衛師団が起っていただかなければ何もかも手遅れに……日本は米国の隷属下に置かれ、もはや国体も民族を守ることもなくなってしまいます。閣下……」

 そう懇願する彼の手は、しっかりと腰の拳銃を握っていたのである。

 


 井田中佐が、一発の銃声から始まる男たちの喧騒を聞いたのは、

師団長室へとつながる渡り廊下だった。

 彼は、もしや師団長に何かよからぬことが起きたのではないかと案じ、その歩を速めた。

 ノックし、師団長室に入ろうとしたとき、眼前の師団長室から長靴の擦れる音、空気を切り裂く軍刀の音、何かを一刀両断にする音、

男の呻き声、それらが一つの集合体となって彼の耳へと飛び込んできた。

 井田は意を決し、師団長室の扉を荒々しく開け放った。

 彼の双眸の前に広がる光景はまさに死屍累々としたものだった。

 あろうことか近衛師団長の森が何者かにより惨殺され、床に横たわっている。いや、だれに殺されたのかは分かり切った事であった。

 しかしその時、井田の頭はそのことを頑なに受け付けようとはしなかった。

 寝間着姿の森は無残にも肩から袈裟ぎりに、一刀のもとに切り捨てられ、さらに額には拳銃で撃たれたと思われる銃創があった。

 中指の穴ほどの穴が空き、そこからピンク色のどろりとした血がにじみ出ている。

 その死体には軍刀が握られていた。

 おそらく刀傷を負った森が、なおも闘志を捨てず軍刀をもって反乱将校と対峙したところ、反乱将校が拳銃で森の頭を打ちぬいたのだろう。

 井田は森の死体を見た切り、頭が真っ白となり、何も考えられなくなっていた。

 茫然とその光景を眺めるだけであった。

 ふと足元に嫌な感触を感じ、目をやるとそこには肉片の浮いた血だまりが広がっている。

 恐ろしさに身をゆだねられ、体の底から悪寒がわきあがり思わず身震いした。

 更には師団長室に詰めていた近衛師団の若き将校もまた、森師団長と同じく惨殺されていた。

 首を跳ね飛ばされた胴体が、横たわる森師団長の前にごろりと転がっている。

 その中枢――頭を失った胴体からはどくどくと鮮血がほとばしり、今もなお師団長室の床をどす黒く染め続けていた。

 胴体は森師団長の足元にに折り重なるように仰向けに倒れ、両手は肩と平行になって、手のひらを天井へと向けていた。

 それはまるでとおせんぼをする恰好で、森師団長を、死してなお反乱将校の凶弾から守り抜こうとしているようであった。死体となってまで公のために尽くすその将校の姿を、井田は、日本軍人の矜持の現れのように思った。

 と、そこでやっと正気を取り戻した井田は、死体から目を離し、

事件の首謀者――畑中少佐に視線を変えた。

 畑中は肩を上下させ、荒々しく呼吸している。

 返り血に染まった拳銃とそれを押し包むかのように握りしめる両手はわなわなと震えている。

 たった今殺人を犯した畑中の目は肉食獣のそれのように、鋭く冷徹な目をしていた。しかしそれに相反するがごとく、その体は自分が犯した大罪に対する罪悪感に苛まれ、縮こまって震えているのである。

 誰も声を発せない状況下で井田は重い口を開いた。

 

 「貴様がやったんだな」

 

 返答はない。しかし畑中の体の芯からくる震えがすべてを物語っていた――。

 と畑中は、突然両手を軍衣の胸のあたりにやると、釦の引きちぎるのも構わず軍衣を剥ぎ、精悍なる裸の上半身をあらわにした。

 引きちぎられて飛んで行った釦の一つは、森師団長の屍の顔面に当たって、止まった。

 切腹する気なのだろうか。

 井田はまずそのことが頭に浮かんだ。

 しかし畑中はそうはしなかった。

 突然、胸のあたりを搔きむしったのである。

 反乱将校たちも畑中が切腹する気なのだろうと踏んで、早速抑えかかろうと思っていたが、畑中がとった思いがけない奇行にただ驚き傍観するだけであった。

 畑中は何か憑き物でも付いたかのように、一心に胸を掻くことに興じていたが、自分の爪に胸を掻きむしったことによる血垢が付着しているのを確認すると黙って襯衣を着て、その上に釦の飛んで行った軍衣を羽織った。

 すると彼の顔は、今までのことは何もなかったかのように、いつもの神経質の若い文学青年の顔に戻った。

 そして畑中はすくっと立ち上がった。

 その時視界の端に井田中佐の姿を認めた畑中は、即座に中佐に駆け寄り、血に染まった両手で井田の両肩を鷲掴んだ。

 「井田さん……!どうしようもなかったのです。師団長を説得する方法は何も……。しかし、しかしこれで師団長の判子は我らの掌中にあります。これで近衛師団は押さえました。あとは陸軍大臣と東部軍を押さえれば、作戦完遂です。中佐、お願いです。陸軍大臣と東部軍の説得をお願いします」

 凶行を犯した畑中、そしてその凶行に加担した反乱将校の次にやるべきことは、事件の目撃者であり日本陸軍上層部とのパイプの要となる、井田中佐を完全にこちら側に引き込むことだった。彼の説得のいかんせんによって、東部軍、陸軍大臣、はては日本陸軍までもをこちらの味方に引き入れることも可能なはずである。そうすれば無条件降伏による終戦という、彼らにとって最悪のシナリオも避けられる。

 近衛師団師団長の判子は、師団長の殺害と同時に既に彼らの掌中にある。

 もはや近衛師団の動向は彼らの意のままであった。

 あとは決起のための命令書を作成、近衛師団の決起を全軍に布告して全軍の決起を促すのみである。

 しかし、近衛師団の「反乱」が味方に露呈すればどうなるか。

 その場合は、皇居内に配置されている近衛師団と、東部軍及び近衛師団を除くすべての日本軍と戦わなければならない。

 皇軍相撃の愚を犯してはならないことは彼らが一番よく知っていた。

 そうなれば彼らは単なる逆賊として終わる。

 近衛師団の決起はその師団長によるものであると日本陸軍上層部を騙し、決起に日本陸軍全体を引き摺りこむ。天皇陛下のご宸襟を安んじる近衛師団の決起に、参謀本部や陸軍省のお偉方は賛同せずにはいられないはずである。

 事実、陸軍の中には無条件降伏による終戦に反対する者がうんかといる。

 鈴木内閣のおしすすめる戦争終結を辞めさせた後は、かねてからの作戦通り本土決戦で敵に大損害を与えたのちに、日本の国体、日本軍の維持を条項に加えた講和で日本の国体とともに敗戦で失ってしまうはずの大和魂を守り切る。

 今まさに彼らの頭の中には、勇壮なる陸軍分列行進曲のメロディーに乗せて、日本の進むべき道が緻密に、そして鮮明に組み上げられつつある。

 「私からも願います」

 そう言ったのは、剣道五段で剣の達人であり、師団長を肩から袈裟切りにした航空士官の上原大尉であった。

 彼は鮫のような、横に切れた鋭い目の奥をきらりと光らせて、井田に対し、脅しをかけるように睨んだ。

 井田はゴクリと生唾を飲み込んだ。彼の唇は渇ききっていて、その隙間からヒューッという、か細い呼吸の音を漏らしていた。

 しだいにその乾いた唇は運命に逆らわんとするがごとく、溜まっていた感情を漏らし始めた。

 「貴様たち。貴様らのやったことは、もはや重営倉行きでは済まない。これは反乱である。直ちに投降するべきだ。自分は貴様らのやることには付き合いきれん。自分もこれから東部軍に出頭するから貴様らもおとなしくお縄につけ」

 この井田の心変わりに慌てた畑中は、

 「いや中佐殿。それはなりません。我々が日本を救うのです。ここでやめてしまっては本末転倒です。陸軍大臣と東部軍さえ完全に説得すれば、我々の意は帝国陸軍上層部さらには陛下の耳も達し、必ずやその意は組まれ戦争指導を見直すことになるでしょう。今、

日本が無条件降伏を受け入れんとしているのは、内閣の鈴木たちが騒いでいる終戦計画に気弱になった天皇がのせられただけのことです。

 今ならすべて間に合います。我々が日本を取り戻さねばならんのです。宮城は目の前です。腐れ切った重臣どもと陛下を切り離せば、必ずや陛下はその考えを変えてくださるでしょう。井田中佐、今我々がすべきことは陸軍大臣と東部軍の説得です」

 と叫んだ。

 それを受け井田中佐は、

 「……ならばわかった。貴様たちにもう一度かけてみることにしよう」

 と言った。

投降に固まりかけていた井田の意思は、畑中の強烈な意思によって、再び「日本改造」の興奮の渦中に引き摺りこまれたのである。

 

 安心した反乱将校らは、次に、かねてから考えていた師団命令を正式に作成した。

 その命令文の趣旨は大体以下のようなものであった。


 近衛師団は、敵の謀略を粉砕、天皇陛下のもと国体を護持する。

近衛歩兵第一連隊は東部軍司令部付近を占領すべし。さらに皇居本丸馬場付近を占拠。そして約一中隊をもって東京放送局を制圧すべし。

 近衛歩兵第二連隊は、宮城吹上地区を占拠すべし。近衛歩兵第七連隊は二重橋前宮城外周を遮断せよ。近衛機砲連隊は現態勢をもって宮城防衛の任につけ。近衛電信第一連隊は、近衛師団間を除く宮城通信網を遮断せよ。

 なお自分、森赳師団長は師団司令部にある。


 命令書の作成が終わった時、畑中は森師団長の机をごそごそとやると判子を取り出し、命令書にしっかりと印を押した。

 とうとう反乱が始まった。

 運命の歯車は今まさにこの時、傲然と回転し始めたのである。

 

 ちょうど森師団長が惨殺されたころ、時同じくして宮城では天皇の玉音放送の録音が始められていた。

 「朕深く、世界の大勢と帝国の現状とに鑑み……」

 天皇の優しげな声が、独特の抑揚を持って、宮城内の御政務室に

厳かに流れ始めた。

 その時、場に居合わせた下村総裁は、最敬礼をもって日本帝国の葬送曲を躰に受け止めている。

 宮内大臣石渡荘太郎は体の芯から湧き起こる、かつてない悲しさを、天皇の姿を目に焼きつけることで必死にごまかそうとした。

 藤田侍従長は虚脱感に身を駆られ、天を仰ぐように、ただ茫然と御政務室の幾何学模様の天井を見つめていた。

 録音員、榛名、玉虫の各技師の顔には滂沱として涙が流れ、必死に嗚咽を堪えている。

 長友、村上技師は、帝国の最後の大仕事を決して損ずることのないよう、極度の緊張をもって仕事に取り組んでいた。

 あるものは、ただ茫然と天を仰ぎ、あるものは平然と腰を折り、

またあるものは、大粒の涙を流し、さらには極度の緊張をもって仕事に励む中、天皇が淡々と詔書を読み上げるという、極めて奇怪な光景であった。

 五分ほどで録音は終わった。

 「声の具合はいいか」

 という、天皇の御下問に、技師は、

 「お言葉に数か所、不明瞭なところがありました」

 「ならばもう一度読もう」

 と天皇が言った。

 二度目の録音が始められた。

 今度もまた五分ほどで終わった。

 しかし、連日の激務のせいか、はたまた一刻も早く録音を済ませ、

戦争を終わらせねばならないと焦ったのか、天皇の言葉に一か所抜けたところが出た。

 天皇は、

 「もう一度録音してよいか」

 と再度言った。

 しかしその時技師は、

 「いや今度は大丈夫です」

 と言った。

 更には、下村総裁と石渡宮相が三回目の録音に待ったをかけた。

 彼らが言うには、天皇陛下の疲労、心痛を思えば三回もの録音は

大変畏れ多いとのことだった。

 かくして録音は二回目をもって終了した。

 天皇は、入江侍従を連れて部屋を出て行った。

 天皇は皇居の長い渡り廊下で、立ち止まるとこういった。

 「国民の命は何とか救われた。しかし、今まで死んでいった幾百万のものに思いを致せばまことに堪えがたいものがある。入江、果たして私は、この戦争を通して最善を尽くせただろうか」

 入江は、まごつきながらも







 (畑中少佐らの努力もむなしく、終戦の決定は不動であった。クーデター計画もことごとくとん挫し、最期の頼みの綱であった、日本国民に対するラジオでの抗戦の呼びかけも、不可能となった。時の陸軍大臣阿南惟幾は終戦とクーデターの全責任を取って割腹自決を遂げた。悲嘆にくれる畑中少佐、椎崎中佐の二名も、皇居前で自決する。すべてが終わった時、日本では玉音放送が始まらんとしていた)


 日本帝国最後の時が、真夏の太陽が昇るにつれて刻一刻と迫っていた。あたりは水を打ったようにしんと静まり返るのに比例して、ラジオの前の人だかりが町の各所で増えていった。

 彼ら群衆の顔は皆、一様に何かを欲していた。

 開戦から三年七か月、今や三百万もの骸を吞み込んだ太平洋戦争。その間さなかに、天皇自らの放送がある。

 この事実は日本国民の心に多大な感慨と期待を植え付けた。

 しかしその期待というのも千差万別であった。

 戦争継続を望む声、天皇の自らの国民に対する叱咤激励を望む声、あるいは早期なる戦争終結を望む声。

 幾多の声なき声がその聴衆の発する視線とともに、一台のラジオに重くのしかかっているのである。

 時刻が十二時ちょうどをさした。

 ラジオから聞こえる、アナウンサーの第一声は緊張して、声の上ずったものだった

 「只今より重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様ご起立願います」

 続いて、情報局総裁下村の、初老の貫録をたえた声が流れた。

 「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くも御自ら

大詔を宣らせ給うこととなりました。これより謹みて玉音を送りいたします」

 直後に、君が代のオーケストラ演奏が流れ始める。

 レコードの音を拾ったラジオの放送は、ひどく擦れて聞こえた。

 そのせいかひどく調子が外れたようで、日本帝国の最後の時が近づくのを暗示しているようである。終戦を知っている一部の軍人はラジオから流れる君が代からそんな印象を受けた。

 その外れた調子の君が代は、まるで、今まで死んでいった日本国民に対する物悲しい鎮魂歌といってよかった。

 本土で、沖縄で、中国大陸で、フィリピンで、グアムで、ニューギニアで、名も知らぬような南の小島で。そして、全陸軍の責任をかって、自宅で割腹自決を遂げた阿南大将、反乱将校によりその命を絶たれ、非業の死を遂げた森中将、日本改造の幻想の中に生き、祖国のためにと決起を行った畑中少佐、そして椎崎中佐。

 すべての祖国のために死んでいった人々の頭上には、鎮魂歌としての君が代が流れた。しかしこれで散った人々の死のすべてがあがなわれるとは、決して言えなかった。

 君が代も終わるとラジオからは無音の重圧が流れてきた。

 日本帝国の葬送曲たる玉音放送が、今や始まらんとしているのである。

 その放送をより崇高なものにするためには、無音という立役者は必要であった。無限とも思える長い時間が流れ、日本国民八千万が天皇の声を一字一句聞き必死に逃すまいと耳を傾け、みな極度の緊張に肩をこわばらせた。

 すると、こげ茶色のラジオからは天皇の声がゆるやかに流れ始めた。

 

 「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲモッテ時局ヲ収拾セシムト欲シ、此処ニ忠良ナル爾臣民ニ次グ。朕ハ米英支蘇四国ニ対シソノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ……」

 

 初めて聞く天皇の声は、妙にしおれたもののように思ったが、その裏には、何か、並みならぬ強い意志があるのを感じた。

 それを感じ取った群衆は当初、この放送は天皇陛下がわれわれ国民に頑張れと応援しているのだ、と錯覚した。

 放送の内容は至極難解で、一般国民には到底理解しがたいものであった。

 しかし放送が終わりに近づくにつれて、日本が戦争に負けたのだということが分かった。

 刹那として、一陣の風が通り過ぎるがごとく、群衆の間にさざめきがはしった。

 放送が終わってから、それは業火のごとく燃え上がり始めた。

 

 「本当に日本は戦争に負けたのか」

 

 幾多の人々が異口同音に叫んだ。

 受け入れられないのも当然であった。

 彼らは、数分前まで戦争という狂気の中に身を置き、数年の時を過ごしてきたのである。

 その日常がいきなり、「崩れ去って」しまったのだから、どうしようもなかった。

 老いも若きも聖戦完遂と戦争の熱に浮かされて、ただそれのみを目標として今まで邁進してきたのであるから。

 あるものが天皇陛下万歳と叫んだが、その声さえもかき消すほど

さざめきは大きくなっていた。

 どうしようもない虚脱感とそれに抗するようにやり場のない怒り、そして自分はこの戦争に生き残ったのだという感慨が一瞬のうちに体を突き抜けた。

 それからが大変だった。

 生気を失ったように倒れるもの、泣き崩れるもの、戦争断固継続だ、と戦争の熱を一層激化させて怒るもの、戦争という生きる目標を失ってただその場に座り込むもの。

 人間たちの大きな同様のよそに、小鳥たちは焼け跡の日本の空を囀りながら飛び交っていた。

 

 天皇は御座所において、自身の声が日本の降伏意を伝えるのを、涙にむせびながらただじっと、聞いていた。

 この放送は男たちの血と汗と涙であがなわれているのである。

 そしてそのために、一人の男が死んだのを天皇は知っていた。

 今、天皇は阿南惟幾という一人の殉教者を思い、その心を痛めているのである。

 いや、それだけではなかった。

 今まで死んでいった数百万の犠牲者に対しても同様であった。

 この一人の君主は、自身のため、また自身の属する国家のために死んでいった物言わぬ数百万名の墓標に対して、その死の責任を感じ泣いているのである。

 玉音放送は数百万の墓標からなっているといってもよかった。

 日本、そして日本人の行く末を決めた、ポツダム宣言受諾という大きな決断のために、無力な一人一人の人間がどのような形であれ、協力し、苦悩し、行動し、命を燃やした。それは反乱将校の畑中少佐たちとて同じことである。

 多くの日本人が涙を呑んで死んでいき、また後に残ったものが死力を尽くして終わらせたアジア・太平洋戦争。そして運命の昭和二十年八月十五日の裏には、先人の多大な努力と功績があったことを我々は決して忘れてはならない。(終)

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日本と天皇の八月十五日 國永航 @tokuniwataru

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