少女は素晴らしいか、否か


 迷子となった俺だったが、無事に家で朝を迎えることが出来た。昨夜のことを思い出し、憂鬱な気分になりつつも支度を済まして登校する。今日は家に置いてきた勉強用のテキストもリュックサックに準備しており、勉強の準備は万端だ。

賑やかな教室に入り、顔見知りを見かける。そしていつものように話しかける。


「おはよ」

「おは、壮土たけと

「久しぶりに名前で呼ばれた気がする」

「ん?」

「うん」

「うん……じゃなくて、何かあったん?」

「あったよ」

「……喋りたがり屋なお前が喋ろうとしないってことは、女か」

「え?」

「だろ?」


 コイツは、なかなかに鋭い。中学からの親友なだけある。


「……」


 しかし俺は、それに答えられなかった。彼の推理に驚いて口をつぐんだわけではない。どういうわけか、俺は図書室にいた少女のことを伝える気力が湧かなかったのだ。


「……じゃあ、いいや。このくらいで勘弁しといたるわ!」

「あんがと。で、そっちは彼女とはどう?」


 俺がそう聞き返すと、彼は急に顔を真っ赤に燃え上がらせた。この返しは予想していなかったのか。それともいまだにからかいに慣れていないのか。


「ふ、普通……だよ」

「ホントに?」

「……今週、出かける」

「ひゅーひゅー」

「う、うるせえよ! おま、めっちゃニヤニヤしてんじゃねーか!」


 全く、成立してからそこそこ時が経っているのにコイツらカップルは付き合いたてのようだ。いつまでも新米夫婦やってます、ってか。ああ、世の中はなんて独り身に厳しいのだ。うらやましい、とまでは思わないがなんというか、うん、嬉しい。俺も中学校の頃はさんざん冷やかされた。いまのうちに仕返しをしておこう。


「どこ行く?」

「……え、映画館」

「君たち、何回映画館に行くの?」

「と、言われると思ってだな」


 今度はコイツがニヤニヤする番か。


「映画の後にボーリングします!!」

「それで?」

「えっ?」

「まさか、あのイケメンでチャラいと評判なあなたが、それだけで終わるわけじゃ……ありませんよね?」

「……」


 あ、難しい顔して考え始めた。何時から出かけるかは知らないけど、健全な時間に帰るのであれば悪くない計画だろう。しかし、コイツにそんな甘ったれたことを言ってしまうと、どんどん妥協していってしまう。

 サッカーやってたときからモテ男と評されてたコイツがヘタレだったなんて、そんな事実は誰も知りたくないだろう。


「わ、わたくしめは、いかがいたすべきなのでいたしましょうか?」

「敬語慣れないね、やっぱり」

「お、お願いしゃす!」


 彼女のこととなると、本気になる。やっぱりちょっとだけ、憧れる。ここまで真っ直ぐにみられる親友が、ほんのすこーしだけ、羨ましい。




 堕ちていくような日が見初められる頃、俺は図書室に向かった。きゃんきゃんついてきた親友は、彼の恋人のもとに送り出しておいた。彼の恋人に、お兄さんみたいですね、と言われてしまった。善い人物である彼女からそう言われるのは、悪くない。お世話係と言われるよりよっぽど。

 昨日と同じ道を、辿るように歩く。歩く、というのは不思議なものだ。ボーっとした、次の瞬間には景色が全く違うものに移り変わっているから。


 静寂の空間が、そこにはあった。

 図書室の扉から見える位置にある机は全て埋まり、保持している人たちは、みな一様にテキストを広げていた。それも、俺が見たことがないようなものを。

 チャートの色もさまざまだ。黄色、青色、赤色。黒色なんてあるし。初めて見たわ。黒色ってなんだよ。赤本を開いているヤツもいる。

 頭の中に、様々な疑念と不安が浮かぶ。不安は主に勉強面のことだ。俺たちが部活をやっている間に、他の奴らが毎日毎日この勉強をしていたら。俺たちは追いつけるのか。

 いや、考えすぎはよくないな。これまで通り、こなしていけばいいだろう。

 そして、最大の疑問が一つ。

 なぜ、今日はこんなにもたくさんの人がいるのか。俺がいたはずの昨日は、少女を除いて誰一人として生徒は図書室にいなかった。しかし今は、そんな景色があったことが疑わしいほどに、人で溢れている。


「昨日の、あなたですか」


 反射的に振り向くと、そこには真顔の司書さんがいた。昨日、会った人だ。この人、普段からずっとこの顔だったのか。雰囲気感じるわ。


「多分、そうですね」


 咄嗟に、口に出す。


「昨日図書室は、閉館日でした」


 真顔のまま、司書さんは続ける。


「彼女はここを図書室として使っていないからいいとして、あなたはどうして入ってきたのですか?」

「ど、どうしてと言われましても。鍵があいていたので」


 あれ、これはもしかしなくても俺がやらかした類なのではないだろうか。


「入口の扉に、大きく誰もが分かるよう張り紙が貼っていたことに、もしかして気付いていませんでしたか?」


 証拠を一つ一つ、突きつけてくる。今の司書さんはさながら裁判員といったところだ。そして毒も凄い。全身にじくじくとくる。


「……た、大変申し訳ございませんでした。この度のご無礼、決して忘れず今後無いよう善処していきます」


 俺が悪いのなら、謝るしかない。過剰敬語をふんだんに盛り付けて、精一杯の謝罪を送らせていただく。


「悪いような、悪くないような文章をつくりますね。嫌いじゃないですよ」


 口角をニヤリとさせる、悪だくみをしているときのような笑顔の司書さん。追撃されているような、ちょっとだけ許してもらえたような。なんとも言えない微妙な距離感である。


美紅みくさんなら、文芸部の集まる場所にいますよ」

「いや、会いにきたわけではありませ」


 司書さんこっわ。目力ヤバい。射殺されそう。これは早急にこの場から去ろう。


「ありがとうございます、司書さん」

「美紅さん、あなたに用があるようでしたので、サボタージュはおすすめしません」

「あ、ありがとうございます」


 そういえば、文芸部の集まるところってどこだ。いやまずは司書さんの視線が痛いし、歩こうか。




 その後、三十分が経った。美紅とかいう少女は見つからず。何回か同じ先生にすれ違い、疑いの視線で見られた。恥はかいたが、目的は達せず。

 俺にどうしろというんだ。疲れた俺は、スマホ片手に図書室の近くの壁に寄りかかる。英単語の復習をと、デジタルの単語帳を開く。覚えた英単語と、覚えてない英単語。取捨選択を繰り返し、膨大な単語数を徐々に、徐々に減らしていく。


「とんぼ?」


 おお、と思わず驚いた声を上げてしまう。まさかこのタイミングで会うことになるとは。たった今図書室から出てきたのは、一応探していたということになっている、美紅という少女だった。


「何か御用ですか?」


 よくわからないけれど、訊いてみる。何か用があるなら聞くだけ聞くし、何もないのなら、帰ろうか。


「え?」


 は? みたいな顔された。ああ、心が痛む。どうして女子の鋭い視線には抗えないのだろうか、俺は踵を返して帰路につこうとする。勉強は家でやろう。浪費してしまった時間の分も、勉強しよう。勉強、勉強。受験生だもの。


「あ、ごめん噓」

「は?」


 あ、思わず素が出てしまった。ま、まあこのくらい大丈夫だろう。


「私の、お姉ちゃん知ってる?」

「お姉ちゃん、ですか?」


 この少女にも姉がいるのか。この学校だろうか。


「なんのことか、わかりませんね」


 素直に答える。突飛な答えで惑わせようか、とも思ってしまったが墓穴を掘りそうなのでやめておいた。

というか何で急にそんな質問が。兄はいないけれど、姉はいるのか。こんな妹をもって大変だろうなあ。


「えー、知らないんだー?」


俺が答えると、ニヤニヤとこちらを煽るように告げる。


「知りません」

「私の、お姉ちゃん、だよ?」


いや、だから知らないと言ってるじゃないか。俺の知らない姉のことでわざわざ呼び出したというのか。なら、これで帰らせていただこう。久しぶりに舌戦がこなせて、ほんの少しだけ楽しかった。ストレスも発散できたし、なによりだ。


「あなたの友達の、恋人」

「え?」


少女が発したのは、驚愕の言葉だった。


「あなたがいつも朝、話してる人、彼女いるでしょ?」

「それが、私のお姉ちゃん」

「優しくて温かい、素敵な彼女」

「少しだけ、好きな人のことを想いすぎちゃうけれど」

「それも魅力な、私のお姉ちゃん」


 毒に侵されたように、少女はうっとりと語り出す。連なる言葉は姉を称賛するもので、彼女が姉に心酔しているさまがよくわかる。


「まじ、すか?」


 あっけにとられて、気の抜けた反応をしてしまう。それがトリガーになったのか、少女の表情は再び引き締まる。


「まじなのです」


 憑き物が落ちたような、スッキリとした顔で返される。


「あいつの彼女の、妹?」

「そうですよ、先輩」


 にこりと笑みを浮かべる。飄々としていたタメ口がいつの間にか、敬語に戻っている。


「今までの、ご無礼に謝罪を」


 キリッと整えられた言葉の端には、確かに彼女が漂わせるのと同じ品格が浮かんでいた。


「いやもう、遅くない?」


 こちらも敬語をやめ、聞き返す。今さら取り繕われても、少女の印象は決まってしまったから、取り返しがつかない。それならいっそ、タメ口のままでいいと思った。


「んだったらそれで」


 随分と切り替えが早い。清廉潔白を象徴としていた少女は、快活な印象を与える彼女に戻っていた。役者とか案外向いてるんじゃないだろうか。

 こちらの言葉から、内に秘められた意図を読み取っている様子からは知性が見受けられる。やっぱりこいつ、頭いいな。


それで、俺にどうしてほしいの?」


 こちらも取り繕うのをやめた。女子への接し方には自信がないが、こいつには気を遣わなくていいだろう。


「とんぼ先輩の友達のこと、教えて下さい」


 少女の礼と共に、奇妙な夏の、幕が上がる。




 俺の親友と、美紅の姉。その二人の仲が円滑になるように、俺たちは奮闘した。

 受験生の夏休みという、大変な時間の大部分を、親友に捧げた。それも、美紅と共に。


 二人の遊園地にこっそりついていったとき。観覧車の頂上での、一時。あのときは俺たちもついでに観覧車に乗った。


 二人と共に、映画を観たとき。たまたま他のやつに見られてダブルデートだと冷やかされ、めっちゃ恥ずかしかった。


 二人の横を、並んで歩いたとき。あの祭の、美紅の横顔は今でもハッキリと脳裏に焼き付いている。りんごあめ、驕らされたっけなあ。


 そして、俺たち二人で出掛けたとき。親友と、姉のため。デートスポットの下見にいった。本来の目的を忘れて、美紅と楽しんだ。


 ついに、幕が下りる時間だ。楽しかった夏も終わり、勉強一本に絞る時期に差し掛かっていた。勉強をしていないわけではないが、受験生と名乗るにはあまりに充実した生活を送っている。さすがに焦りを感じていた。


「とんぼ先輩!」


 ニコニコと嬉しそうに、美紅が手を繋いでくる。この夏で、随分と俺たちの距離も縮まった。


「美紅」


 俺もつい、美紅の名前を呼んでしまう。

 普段は冷静を保っている俺が感傷的になってしまうほど、目の前の光景は素晴らしいものなのだ。


「お姉ちゃんと先輩、幸せそうでよかった」

「俺の親友も、報われたようでなにより」


 俺たち二人のは、黙る。彼らの影が一つになっているのをただただ見つめる。


 その景色を、この図書室から見ることが出来ている。おかげでこの図書室は、俺の一番の思い出の場所になっている。

 隣にいる美紅とも、なんとも奇妙な縁で繋がったものだ。


 本当に、素晴らしい日々だった。二人の幸せを、一番近くで支えることができて。


「……とんぼ先輩」

「どうした、美紅」

「夏、楽しかった?」


 そんなこと、当たり前だろう。


「お姉ちゃんたちの近くにいれて、よかった?」


 答えを返すまでもない。


「私たちで、幸せだった?」


 俺が口に出すべき言葉ではないだろう。


「……わ、私ね、伝えないといけないことがあるの」


 視線を合わせると、真剣な眼と交わる。


「とんぼ先輩にとっても、私にとっても、大事なこと」


 聞かせてもらおう、美紅の言葉を。


「文芸部で、言葉の力、鍛えたんだけどなあ。こういうときに合う言葉、見つからないや」


 えへへ、と美紅が笑う。


「とんぼ先輩」


 そして、言葉は語られる。


「私と、この図書室で――」


 美しい紅色をした少女と、一人の純朴な少年の話の幕は、たった今、上がったばかりのようだった。

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図書室は君と 新米ブン屋 @kiyokutadashii

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