幕間


「すみません、お会計を」


 いきなり女性の呼びかけが上から降り、かがんでいたバーテンダーは頭をカウンターにぶつけそうになった。


 一人で読書していた客だ。汚れとりしていたハーブの束を脇へ置き、バーテンダーは落ち着いたふぜいを装って、レジスキャナを取り出す。

 差し出された女性のてのひらをさっとスキャンすると、施設職員の認証が得られ、ホロパネルに瞬いていた金額の数値がゼロになった。


「ありがとう、とても美味しかった。このお店は居心地がよくて、つい読書にふけってしまうの。また睡眠時間を削ってしまったわ」


 眠たげにほほえむ女性はこれから基地下層の居住区へ帰り、就寝するのだろう。

 このバーにくる客はみな、彼らにとって真夜中にいたる少し前、仕事終わりのひとときを安らぐために訪れる。あたりさわりない労いの言葉に真心をこめて、バーテンダーは挨拶し、薄暗い大通廊を去っていく客の後ろ姿を見送った。


 基地ではさまざまな体内時計で働く職員の健康に留意して、共用空間の照明を弱めに設定してある。惑星であればちょうど夕暮れ時の明るさだ。

 たしかにこれなら、むやみに目や脳を刺激する害も少ないのだろう。だが、明けない夜そのものである外宇宙の闇を意識したとき、バーテンダーにはその照度が少々頼りなさすぎる気もした。

 基地を左右に分断する吹き抜けの、ほぼ中央に渡された大通廊は、闇に呑まれる寸前の薄暮といった雰囲気だ。その朧光は輝かしい人間世界の最果て、真の闇を覗きこむ星々の断崖にあるという、この基地の寂しい立ち位置と不必要なほど似合ってしまっている。


「すまない、チェイサーを二つくれ。水でいいよ」


 女性客のテーブルを片付けていると、航宙士の若い男から口頭で注文が入った。ふりむき、バーテンダーは了承の返事をする。


 多少の後ろめたさを感じつつ、バーテンダーはほっとした 。

 今もし自分がカウンターにいて、注文がマイクを介してなされていたら、彼らはスイッチが入っていたことに気付き、通信接続を切っていただろう。

 航宙士たちの不思議な物語は、どうやら次で最後らしい。

 二つの物語を聞き終えた今となっては、プロ意識からくる罪悪感より好奇心のほうが勝っている。盗み聞きといえば聞こえが悪いが、そもそもこの職には、客の私的な会話内容をけして外部へ口外しないという半公然の守秘義務がある。聞いていてもいなくても、実質あまり差はないのだし……。


 誰にともなく言い訳を考えつつ、バーテンダーは精製した冷たい純水を用意した。少し迷ったあと、給仕トレイにプランクトン・スナックの盛り合わせも付けたす。

 テーブルへ運んでいくと、男客二人は一瞬けげんな顔をしたが、とくになにか言うでもなく、秘密の傍聴者のささやかな罪滅ぼしに手を伸ばした。


 バーテンダーが空になったグラス二つを片付けて去ると、会話が再開した。


「人を道連れにする怪談話は、どうも好かないな」


「あたしはおもしろかったけど。ぞくっとして目も覚めたしね」


「二人とも、これは作り話じゃないんだぜ。おれの友だちは本気で苦しんでたんだ」


「わかってるよ。ちょっと怖かったから、茶化したくなっただけよ」


 弁明のあと女が立てた軽い笑い声は、恐怖のためか少し上擦り、ガラスの引っ掻き音めいた甲高い響きになった。

 水を飲むような沈黙があり、誰かの咳払いがする。先ほどの物語の舞台となった星系について、名前や座標を確認するやりとりや、同じような感想のくりかえしのあと、ようやく年輩の男が「とうとう最後だな」と切りだした。


「百話語り終わったとき……。なあ、本来なら、どういう怪奇現象が起きるというまじないなんだ? ふつうの願掛けとはちがうんだろう?」


「どんなものかは、あいつも言ってなかったと思うよ」


 若い男が答える。


「本物の怪異が現れるってだけで。たんに伝承があやふやなのかも」


「正式にはね、百個のランプを用意して、一話終わるごとにひとつずつ灯を消していくんだといってたわね」


 古風だなあ、いかにもあいつが好きそうだ、と口々に男たちが苦笑して言った。

 カチッカチッと聞こえたクリック音は、誰かがロケットペンダントを操作して、死んだ男のホロ映像を切り替えたのかもしれない。女がしみじみ呟いた。


「かわりに宇宙のどこかで星の光が九十九個、消えてくれたんじゃない。本気で信じてりゃ、こんな洒落たバーで百話目をやったりしないよ。良いところね、ほんとにさ」


「やつの幽霊が出てきて、別れの言葉くらいいわせてくれりゃいいんだが。もともとあの航路はおれの担当だったわけだしな」


 思わずといった感じで年輩の男が呟き、バーテンダーは少し緊張した。

 しかし今度の沈黙は長くつづかず、若い男がきっぱり言うのが聞こえた。


「あいつが自分で仕事をかわるといってきたんだろ? おれも声をかけられたんだ。なにか金のいる用事があって、仕事を増やしたがってたみたいだ」


「しかしな、あれは無理にねじこまれた集荷依頼で、おれにも手が回らなかったところがあった」


「へえ、そりゃ初耳だな。どこからの依頼だったんだ?」


「聞いたこともない新規の個人顧客さ。料金上乗せでも送りたい緊急の荷があるとかで、受取り場所は先方の宇宙船だった。それも幹線航路をはずれた座標にいて、厄介なわりに、荷物は小包ひとつというんだ」


「それね、高額オークションの落札品だったみたいよ。古代遺跡の発掘資料とか」


 そうだったのか、と男二人の声が重なった。


 ちょうど同じように、遺跡と聞いてバーテンダーにも思い当たったことがあった。カウンター棚裏のパネル端末に指を滑らせ、基地の情報サイトを呼びだす。

 ニュース欄を下へ検索していくと――やはり。中央通廊左手の大講堂で行われている催事のお知らせを見つけた。古代異星文明の遺物に関する講演会だ。


 通常この手のイベントは辺境基地への慰問の意味合いが濃く、学術系のセミナーはまれにしか開催されない。ただ、今回の演題はこの扇区で近年発見された滅亡文明に関するもので、しかも遺物の実物が展示されているらしい。それで皆が興味を持ち、講演を覗きにいっているのだろう。


 今日の大通廊の不思議な静けさに納得がいったところで、バーテンダーはもうすぐ講演が終わったあとの混雑を考えた。疲れた聴衆が大勢来店しても、人気メニューの在庫はじゅうぶんある。残りわずかだったのは、ある特殊なカクテルに使われる緑灰色の塩だけだった。

 そのカクテルは由緒正しい伝統レシピではなく、バーテンダーの創作したこの店オリジナルの品だ。風味には自信があるものの、メニューに載せてまだまもないためか注文数は多くない。今日のシフトでも、給仕した唯一の客は、店最奥の席に座った航宙士の女一人だけだった。


 さきほど卓へ行ったとき、自分の物語をしながら杯を干してしまった男たちとは異なって、彼女のグラスにはまだ半分以上、炭酸の抜けかけた透明な液体が残っていた。遠目に見守っていても、女はスナックにも手を伸ばさず、ひとり物思いにふけるようなたたずまいをつづけている。

 彼女の横顔は、薄明るい燐光を差しこませる展望窓とは逆をむき、暗い大通廊の彼方を思案げに眺めやっていた。うしろ頭の高い位置で無造作にまとめられた長い髪、そこからほつれた幾筋かが窓外の星影に青白く濡れ、あるかなしかの空調の風にゆらめきながら流れている。


「――フレアの爆発があったとき、その積み荷は電磁バーストで駄目になるものじゃなかったらしいんだけど、船火災のせいで黒焦げになっちゃったのよ。依頼主にそうとう文句いわれたみたいで、上司がぼやいてたのさ。でもこっちは人ひとり死んでるんだから……けど、そうだね。古い遺跡からは、時どきとんでもない発見があったりするみたいだし。なにか、すごく貴重なものでも運んでたのかしら。――それじゃ、最後の話をしようか」


 思いきるように話題を変えて、女が語りはじめる。

 カランと氷の壊音がしたが、杯を傾けたのは彼女ではなく、男たちのどちらかのようだった。


「あたしも、大事にとっておいた話さ。今までの話に比べると、もしかしたら少し物足りないかもしれないけれど――なにしろ実話なんだ。あたし自身がこの目で見て、聞いたこと。感じたこと。体験したこと。そういうわけだから映画みたいにおもしろかなかったとしても、勘弁してちょうだいな。あたしにとっては忘れがたい、奇妙で綺麗な話なんだよ……」

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