第99話 呼ぶ声


 どんな宙域にも呪いのスポットってあるだろう?


 慣性航行していると、船籍不明のボロ船がずっと追尾してくるデブリ帯とか、触れると時空の裂け目ができて、パスコード入力できない船を五次元にさらうモノリスとかさ。

 突発性の黒い嵐、アルデバランの燃える艦隊、ダフネ・ゲートの怪パルス、旧時代の細菌兵器を満載した、さまよえる軍事実験ステーション――。

 一般人が聞くだけならおもしろおかしい与太話でも、星間救難士にとってはもうひとつ、深刻に聞こえてくるようでね。


 原因が割れてるにしろないにしろ、事故の多発宙域はたしかにあって、おれの友だちが転属したのも、そのすじじゃ有名な星系だった。


 赤みの出はじめた主星に二つのガス惑星が公転してる。

 入植以前の大昔には岩石惑星もあったというが、太陽に落ちたか、遊星になってどっかへ飛んでっちゃったか、いずれにしろ今は二つしかない。主星に近いガス惑星の衛星には中規模の植民都市がある。船の往来もそこそこさかんな、それだけなら別に珍しくもない、ごく普通の星系なんだ。


 平均して一標準年に十二隻だ。跡形もなく船が消えるんだと。星系全体の話じゃないぜ。遠いほうの惑星付近で遭難する船の数だけで、だ。


 入植初期にはもう知られていたというから、お墨付きの魔の領域さ。

 ガラクタ集めて変な未確認古代宙機UFOを作ったり、壊れたドロイドにぼそぼそ昔話を語らせるような、どこにでもあるちゃちな観光地とは格がちがう。配属が決まる以前から、彼女はずいぶん気を引き締めていたようだよ。なぜといって転属は偶然じゃない。彼女自身の希望だったから。その半年前、任務中行方不明になった同期の友人を捜すためにね。


『訓練生時代からの友だちだった』


 彼女はおれに笑おうとして、うまくいかないようだった。


『わたしがへこたれかけると、あのはいつも励ましてくれた。どんな困難にも弱音を吐かない、自慢の、憧れの親友だった』


 久々に会った彼女は昔の面影こそ残していたが、同い年とは思えないほど老けこんでみえたよ。

 いや、喫茶店に誘ったのはむこうのほうさ。おれは単純に旧交を温めるつもりでいた。でも、頼んだコーヒーに手をつけずに喋るあいつを見て察したね。こいつは普通の話じゃないぞ。聞くがわにもなにか重荷を背負わせてくる厄介な話だ、ってな。

 だが、後悔したところで遅かった。そうして聞いた物語を今ここで話すことになるなんて、そのときは思いもしなかったけどな……。


『希望がないのはわかってた』


 彼女はほほえむのを諦めて、無表情の仮面に戻って言った。


『だとしても、わたしたち救難士は仲間を絶対に置き去りにしない。それに有名な遭難宙域の原因を突き止めてやるって、青臭い新人みたいに意気込んでもいたし……』


 転任先の同僚には、当初あまり良い顔をされなかったらしい。

 それというのも問題宙域の遭難が、捜索しようのない蒸発事故ばかりだというなら納得だ。救難信号の発信もなければ不明船の欠片も残らず、諦めるほかないってことを彼らは骨身に沁みて知っていたのさ。

 しかし、彼女の熱意も本物だった。赴任するなり上官に掛けあって、彼女はパトロールの順航路にガス惑星近傍を組みこんでもらった。休日にはコロニー軌道港や大学を訪ね歩き、かたっぱしから情報を集めてまわったというから恐れ入るよ。


 科学者の言うことは、入植初期から同じだったようだな――例のガス惑星が、予測不能な重力変動の性質を持つこと。計算上では、たぶんガス層内に変わった対流があって、密度の振動がどうとか、おれたちには小難しい理屈のいろいろだ。

 だけどな、そもそも危険がわかってるなら星に近寄らなきゃいいだろう? 好奇心で自滅するばかな野次馬はともかく、星系の地元民や救難救助船まで失踪するのが謎なんじゃないか。

 それで彼女はどんな些細で迷信じみた噂もかき集めた。なかでも注意を引いたのが、星系の航宙士たちの噂だったという。


 船乗りたちは、まず例の星の話をふられること自体を嫌がり、彼女が無理を押して尋ねると、航宙祈願のお守りにキスしながらこう警告したそうだ――あの惑星付近をとおりかかると、時折り妙な電波を受信する。だがけっして周波数を合わせるな。聞こえてくる妖しい歌声に惑わされたが最後、われから星に近づいて引力に捕まって墜ちるんだ、と。


 ――ああ、わかるよ。よくある怪談話だよな。今までの百物語にも入っていたかな。航路ラジオの背景音に難破船の通信会話がまじるとか、出所不明の幽霊管制にまちがった航路を指示されるとか。

 でも、いいか、この星では実際事故がつづいてるんだし、なにかに呼び寄せられた結果、墜ちると考えたほうが辻褄もあうだろう。だから彼女は歌の噂をおざなりにせず、注意して巡廻任務に励んだんだ。


『身の程をわきまえてる』彼女はそう言ったよ。『宇宙は、人間には死の領域。過酷で非情で絶対的で、自然の温かみはどこにもない。そこで生きようと思ったら、最後に頼りになるのは同じ人間の、仲間の感覚だけ』だと。

 星の光はすぐ嘘をつく。遠いと思ったら近いし、近いと思ったら遠い……。


 とうとう執念が実ったのは、配属から数か月後のことだった。

 尋常じゃない彼女の意欲にほだされて、そのころには同僚たちも調査に参加していたようだな。チーム一丸となった監視が、科学者のいう重力の変動を例の星に検出したんだ。


 おれはホロを見せてもらった――まろやかな青色をしたガス惑星だった。

 どこかの旧い国の海の精霊の名前が冠されている。表層は一様の青じゃなく、白や淡い黄色や金色のすじが、自転に引き延ばされたり、乱流に織り込まれたりしながら全球を複雑に飾りたててる。ところどころ、眠たい虚ろな目玉に似たが渦巻いてて、見るだけなら瑪瑙玉のように美しい星なんだ――見るだけならな。


 彼女は巡廻艇を星からかなり遠い距離で安定させると、惑星表面をモニターしつつ、同僚に耳栓をしてもらった。

 どうも船乗りたちの警告した歌を、大気層の怪物級大嵐が生む電磁波の干渉音とでも考えていたらしい。なにか、人間の主観を攪乱させる特殊な音波というのがあって、同僚がその話をしたんだな。

 それから彼女は一人で周波数のチャンネルを合わせまくった。第二の兆候である歌――というより、なにか意味ありげな雑音を期待して。


 だが、いくらもしないうち聞こえてきたのは、歌でも雑音でもなかった。


『救難信号。それも仲間の船の――親友が乗っていた救助艇の信号だった』


 やっとひとくちコーヒーを啜って、彼女は呻くみたいに言ったよ。

 寒くもないのに色のない唇を見て、おれの嫌な予感はどんどん増していったね。でも、こっちの相槌が減ったのも気に留めず、彼女は話しつづけるんだ。


『チームはよく訓練されていた。あっというまに信号の出所を割りだした。案の定、ガス層の内部。でも幸運にも、それほど深いところじゃない。基地のいちばんパワーのある船なら潜れる深度だったから、私たちは急いで本部に応援要請を出した』


 駆けつけた救助艇に乗り換えて、彼女のチームは迅速に惑星へ降下していった。

 救難信号が出てるなら難破船はまだ生きてる。冷凍睡眠プロセスさえ成功していれば、親友を含む救難士七名の生存が期待できたんだ。


 ところが、奇妙な事実がひとつ――いや、言いはじめればなにもかもが妙だったが、看過しえない問題がひとつだけあったという。


 何度計測しなおしても、難破船がおかしな位置にいるんだ。

 ガス層雲の頭より少し下層。たとえフルパワーで噴射しつづけたとして、その船のエンジンでは絶対に長期間高度を維持できない位置、つまり、惑星核までつづくガス雲下層へとっくに落下しているはずの深さにね。

 異常な状況に基地本部からも中止の声がかかった。重力変動のこともあるし、もう少し慎重に事態を把握してかかるべきだと。

 納得せざるをえなくて、彼女も救助艇の下降を一時中断した――その、すきまみたいな時間だったらしい。


『声が聞こえた』


 彼女は再会してはじめて、おれとまともに視線を合わせた。


『あのの声だった。わたしの友だち、わたしの親友。推進が止まって静かになるタイミングを待ってたみたいに。涙なんて一度も見せたことない、あのの泣く声が聞こえた』


 全員が、たしかに聞いたと断言したという。救難信号の騒々しいアラームとは別に、救助チームの無線にまじった喘ぐような女の声を。すぐに雑音の砂嵐にかき消えてしまったが、助けを求めてむせび泣く悲壮な声……。


 救助作業は再開された。艇は細心の注意を払いながらガス雲へ単独突入していった。大気は安定していたそうだ。不気味なほどにな。それでも降りていけたのは、難破船の上空三百メートルが限度だったという。

 装備を整えるひまももどかしく、彼女は仲間の一人とともに、はるか下の難破船へケーブル伝いに急降下していった。無事に船外殻へ着いちまえば、あとは勝手知ったる救助船だ。手持ちのデバイスで難なくシステムに侵入し、エアハッチを開口して中へ入った。

 やっぱり船は稼働していた。それどころか、失踪当時から少しも変わってないように見える。半年以上、ガス惑星の過酷な気象にさんざん痛めつけられてるはずなのにな。


『そういう異常を感じた時点で』と、とつぜん彼女は声を荒げて言ったよ。『引き返すべきだった!』


 ――正直に言うさ。話は佳境だったが、おれには続きを聞く気がなくなっていた。

 だって彼女は完全に取り乱してたからね。握りしめたカップがスプーンと触れてカチャカチャ鳴ってるんだぜ。おれは彼女が通ってるって病院に連絡しようかと申し出たくらいだ。でも相手はこっちの言葉をぜんぜん聞いてない。

 必死になってる人間てのは異常な力を出すもんでね。逃げようとしたおれの手は彼女にがっちり抑えこまれて、引くことができなかった。怖かったよ。視線はこっちを見ていても、焦点があってないんだから。

 おれは目立つのが心配で、わざと周りをきょろきょろしたが、 あいつは目を見開いて喋りつづけるのさ……


『あのとき、わたしたちが降りる前にケーブルが切れてしまえばよかったのに! そうすればわたしは今も悪夢に悩まされたりしなかった!

 船のなかには誰もいなかった。冷凍睡眠カプセルも無人。わたしは相棒といっしょに船中を探しまわった。通信があったのだから、コクピットには居るにちがいない。時間がなくて、相棒を脱出路の確保に行かせ、わたしは一人で操縦室にむかった。

 絞り開きの扉があく光景が、まだまぶたの裏に見えるの――フロントガラスから主星の弱い金色光と、それよりずっと濃い濁ったガス雲の青暗い反射が、二層に分かれて差しこんでいる。通信席のマイクのあたりに、なにかがもたれかかってる。それが病気みたいに痙攣しながら、ゆっくり起きあがっていく……』


 巨大な昆虫にみえたという。初期の宇宙探索者が怖れただろう、悪夢そのものをかたどったもの。惑星の色を反射して表皮は青黒く艶めき、震える挙動のたび響くきしみが、虫の甲殻を思わせたのかもしれない。

 だが二本足で立ちあがってみると、そいつが気味悪いほど人間によく似ているのが見てとれた。そして醜悪に膨らんでみえた背中や後ろ脚には、甲虫じみた機械の群れが何百匹とたかり、触覚もどきのアンテナを細かく蠢かしていたのも……。


 彼女はおぞけをふるって跳びのいた。銃を構え、だがふりかえったそいつの顔にトリガーを引く指が麻痺したみたいに固まった。

 直感でわかった、と彼女は言ったよ。それが変わりはてた親友の顔だと。


 音割れした悲鳴が無線をつんざいて、彼女はまた背を泡立てた。

 ふりむくと通路の奥に発砲する相棒が小さく見える。恐怖の罵声をわめきながら彼はしりもちをつき、波となって押し寄せた黒い大群に、見るまに足元から飲みこまれた。次の瞬間、身の毛もよだつ絶叫をあげたのは、しかし彼女自身だったという。


 背後に覆いかぶさってきた重みに、背中のジェットパックを反射的に起動した。

 天井まで吹っ飛んで身をひねりながら床に落ちると、視界いっぱいに黒い蠢きが広がるところだ。のけぞり、発砲しながら彼女は逃げた。相棒の姿はもうどこにもない。

 必死にハッチを潜り抜け、救助艇から下がるケーブルへ彼女はがむしゃらに跳びついた。嵐が近いのか、さっきまで聞こえてなかった轟音がガス雲下から轟いてたが、気にする余裕なんかない。上の艇からの通信を怒声でさえぎり、ケーブルごと上昇しろと彼女は大声でわめきちらした――なのに、救助艇が動かないんだ。

 下を見て血が凍ったという。甲虫機械の大群と、異形の姿になりはてた数人のなにかが、小山を作ってケーブルにすがりつき、よじ登ってきていたんだ。彼女はレーザーナイフをふるい、ケーブルを切断した。


 チームに引っ張りあげられるあいだ、何度も艇の噴射炎に焙られて、与圧服の融解臭を嗅いだというよ。彼女がやっとの思いで収容されたとき、船内には重力圏の異常拡大を報せるアラームが激しく鳴り響いていた。


 下でなにがあったのか、相棒はどうしたのか――なぜか問う者はなく、チームはただ必死に大気圏離脱に専念していた。外付けドローンや遊泳艀、可能なかぎりの重みを切り捨て、身軽になって危険域から脱し、艇の崩壊寸前出力で急上昇をつづけて……。

 やがて真空に視界が澄みわたり、惑星大気の輝く円弧が静かに下へ沈んでいったころ――ようやく仲間たちは、放心していた彼女に、彼らの見たものを話してくれたそうだ。


 ガス雲が風に流れた一瞬、難破船の下に大規模な建造物がかいま見えたこと。

 難破船は滞空してるんじゃなく、そいつに下から支えられていたこと。

 そして黒光りする何本もの長大な機械腕クレーンが、どんな種類の探知レーダーにも映らないまま、救助艇へゆっくり伸びてきていたことも……。


 だが心底彼女を脅えさせたのは、聞かされた録音のほうだったらしい。彼女がケーブルに齧りついてるあいだ、艇の無線に送られつづけていた音声さ。

 雑音の彼方、途切れがちに、その声は恨み言を告げていたそうだよ。ああ、そうさ、そうとも。彼女の親友の声でな――


『どうしていっしょに来てくれないの。わたしを置いていくなんて。やつらはこの星から出られないのよ。わたしだけ捕まって、こんな姿。あんたもこっちへ来るべきだ。ひどい、ひどい……』


 ――おれはもう限界だった。


 給仕ボットに頼んで病院に連絡してもらい、迎えが来るまで、ヒステリーを起こして泣きわめく彼女をなんとかなだめようと努力したよ。

 結局、鎮静剤を打つまでは無駄だったけど……。

 浮揚車に乗せられて去るあいつを見送って、とにかく――彼女の話はそれで終わりだし、それ以上聞きたいともおれは思わなかったね。


 真相? わからないよ。科学者か医者の解明待ちさ。


 ただ、その星系が一時的に封鎖されたのはおれたちも知るとおりだし……。

 実は、少しだけ調べたんだが、事件後に調査に行った学者だか関係者がまた何人か行方不明になったらしい。

 例の声の録音は事故の混乱の誤操作とかで、二、三回の再生にしか耐えられなかったそうだから――鍛えぬかれた救助チームの全員が、集団ヒステリーに陥って幻覚を視たのか、そうでなければ、まあ、あるいは……。

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