幕間


 カラッと耳慣れた氷の音がして、バーテンダーは語り手がカクテルを飲み干したのを知った。


 いつのまにか話に聞き入っていたようだ。グラスを拭く手が完全に止まっていたのにハッとし、いささかやましい気持ちで周囲を見まわす。女性の一人客は相変わらず読書にいそしみ、大通廊には不思議なほどひとけが少ない。

 この静寂。清掃ドローンが気忙しげに往復する姿まで見とおせる。しかしそういえば、今日は大講堂でなにかの催しがあったような? 自分の関心をひくイベントではなかったようだが、どうせ仕事中ということでチェックが甘く、世間では話題性のある映画会や音楽会でも開催されているのかもしれない。

 今更ながら合点がいくと、バーテンダーは少し考え、やや慌てて青果の在庫を確認しはじめた。


「星間を泳ぐ未知の生物か。いるのかな」


「やめておけ」


 物語のつづくテーブルでは、若い男を年輩の男がすぐさま遮っている。


「それこそが爺さんの警告だ。おれたちは連合の制宙域を渡り歩くだけだから、つい忘れるが、銀河の虚無空間は地獄より深い。どこかで理解を諦めないと、今の話の男のように真空に幻聴を聞くはめになるぞ」


「妙なことは、星の数と同じだけあるんだよね。あの人だって、起こるはずない白色矮星のフレアなんかで死んじゃったんだしさ」


 フッと女が笑っていうと、テーブルの空気がまた少し緊張したのが、シールホンごしに会話を聞くバーテンダーにも伝わってきた。

 女には仲間の死を――ひょっとするとたんなる仲間以上だった男の死を、まだ受け入れられないでいる気配がある。男二人の懸念ももっともだとバーデンダーは思い、固唾を飲んで耳を澄ましたが、気まずさに誘いだされた罪悪感もちくちくと胸を刺してきていた。


 彼らは亡くなった仲間を偲ぶため、この物語の会を開いているのだ。それを自分は興味本位で盗み聞きしているうえ、すっかり彼らとともに卓を囲んでいる気分になっている。やはり、いいかげんに接続を切らないと――。


 けれど、ゆるんだバーテンダーの心がホンを介して伝ったかのように、つづく女の声音は和らぎ、色褪せた悲しみだけを滲ませた。現金なもので、雲行きが落ち着いてしまうとマイクを切るのが惜しくなる。

 結局バーテンダーの指は操作パネルを素通りし、カウンター下にある冷蔵棚のオレンジを数えはじめた。


「この基地の天象予報にも予測できなかったんだから、しかたないわね。それともあの人、甲斐性ないくせに時どき怪しい商売の口を貰ってきちゃ失敗してたから、あの日も危ない装置でも運んでいて、矮星を爆発させる引き金を自分で引いたのかもしれない」


「人が好かったのさ。信じやすくて……うまい話に騙されかけるのを、よく止めてやったっけな。フレアの原因は、そのうち科学者が説明してくれるだろうよ」


「おれの残した最後の話も、その手の話だよ」


 グラスを傾けながらだったのか、若い男の声はくぐもり、一拍置いてむせる咳が店内にも響きわたった。


「とっておきというつもりだったけど、もっと前にしたほうがよかったかもしれない。けっこうゾッとする話なんだ。しかも幼馴染に聞いた実話だしな」


「あら、幼馴染なんかいたんだ」


「はるか昔にね。おれは十まで中央星域にいて、そのころの友だちさ。よく喧嘩で泣かされたよ。ガッツがあって、星間救難士になったのも納得だった。しばらく前に配属先から戻ってたのを、ばったり出くわしたんだ――しかしこの酒、かなり甘いな」


 思わずバーテンダーは顔をあげた。

 まっすぐ、カウンターからいちばん遠いテーブルでこちらに背をむけた男が、トールグラスを持ちあげている。彼に給仕したのは青白濁のリキュールに柑橘のシロップを複層に重ねたカクテルだ。メニュー表に立ちあらわれるサンプル虚像ホロの、マドラーでかき混ぜた縞模様が美しいので注文したのだろうが、独特の痺れる甘さには、たしかに好みの別れるところがあった。

 グラス縁に飾られた合成レモンを絞りながら、彼は語りはじめる。


「少し前、本社から通達があったろ。どこかの星系が重力不安定で一時封鎖されたんで、流通編成が臨時になるって。おれたちには影響なかったが、彼女はその星系で任務についてたようなんだ。

 表向きは物理学の事情にされていても、実際はぜんぜんちがったらしい。彼女は救難士を辞めて、たぶん今もまだ、病院で療養中じゃないかな――」

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