第98話 巡礼者


 遠くへ遠くへ行きたいと思って、航宙士になった。

 おれがそう言うと、よく聞く理由だと爺さんは笑い、コクピットのむこうに明滅する複雑な縞輝線の跳躍路を指さした。


 この輝く跳躍空間につながるうちは、まだ本当の遠くじゃねえ。かといって、航路をはずれて、誰も知らない惑星や資源を探しにいく冒険家連中も本当には遠くへは行かんものだ。必ず自分の家や街、人のそばに帰ってくるんだからな。問題なのは、帰らなくなるやつら――帰ってこれなくなるやつらがいることだ。

 本物の遠くってのは、そういう連中が行っちまったところをいう。なにも銀河の最外殻とか、ブラックホールの穴底ばかりの話じゃない。六連星系の眩しい乱舞の内側にだって、遠くへの入り口はあるのさ――と。


 そして爺さんは、自分が会ったことのあるの話をしてくれた。場所は……正確には忘れたが、南十字腕なかほどの球状星団だったと思う。ジャンプ・ジャンクションの展望デッキで、爺さんはその男に会ったらしい。そうだな、きっとこのバーと似たような場所だろう。銀河核に近いぶん、そらはずっと明るかったろうが……。


 何時間も同じ姿勢で星野を眺めてたんで、自殺でもするんじゃないかと爺さんは声をかけたらしい。窓の外には、神々の巨大な内臓みたいな星雲ガスが融けかけの悶えたかたちで凍りついてる――宇宙のきだしの美のひとつだ。

 おれにも憶えがあるが、あの手の星雲の悪魔めいた色彩は、普通の気分なら息をのんで感激する絶景でも、こっちの状態が悪いと、脳回路をジャックされたみたいに魂を引きずりこんでくところがある。だからといって、窓をぶち破って真空に落ちるのは無理だから、まあ爺さんも昔からお節介焼きだったわけだ。


 融合炉エンジンの調子はどうだい――爺さんはお定まりの挨拶をした。

 そいつがおれたち航宙士とおよそ似た職であることは、首のうしろや腕にくっつけた操縦支援端末で予想がついていた。男は当時の爺さんと同年くらい。だが雇われの航宙士じゃなく、フリーのサルベージ業者だった。


 航路デブリの回収屋。下請けでないなら、歴史的な漂浪船さがしやなんかで一獲千金を狙う夢想家だが、そいつも例に漏れず現実に打ちのめされてる最中だってことは、聞かずとも知れた。二三日食ってなさそうな削げた頬、汚れたつなぎ、窓外の星光にかすむほど薄っぺらな立ち姿……。

 だがそいつは、噛み煙草を勧める爺さんを意外と淡泊に断ると、ただこう尋ねたという。


『あんた今までに、どこかで小隕石の連なりか、ばかでかい蛇に似た奇妙な貨物船を見たことはないか』、と。


 軽率には否定できない切迫した光が、そいつの眼にはあったらしい。

 爺さんは曖昧に返事をした。実際、遭難したお宝船や幽霊船の噂のたぐいはおれら航宙士の十八番おはこでもある。知ってるかもしれんから話してみろと爺さんが言うと、男は――自分で聞いたわりには気乗りしない顔つきで、しばらく押し黙り、二度目の催促でやっと喋りはじめた。


『古代船を探してる』


 と、そいつは言った。


『一見デブリの集合だが、生きている船を――その船に、おれは仲間全員を殺されたのさ』


 もとは十六人の仲間がいたという。

 みな同じ宇宙コロニーの出身だ。銀河核バルジ領域には稀少重元素やラジカルガス関連の産業基地が過密にある。往来の船も多ければ跳躍航路の伸縮もさかんで、男たちはそういう廃棄路線を巡り、産廃から資源を回収するリサイクル業で稼いでいた。


 彼らのコロニーは代々その生業で立っていた。知識も技術も経験もそろってたから、ある古い航路跡に奇妙な小天体が漂流中と情報が入ったときも、抜かりなく大金のにおいを嗅ぎつけて精鋭を送りこんだ。はたして彼らの期待は正しかった。計器上ではたんなる小惑星の砕けた連なりとして映る質量群が、目視では、明らかに物理的に接続した長大な構造物だってことがわかったんだ。


 長い歴史を持つコロニーにも記録がない、不思議なかたちをしていたという。全体はコンテナの連続した貨物船に似ている。だがそれにしちゃ各ユニットの規格がまちまちだし、第一巨大すぎた。


 最初、男はどこかの軌道環状基地がちぎれて、直線状態で漂浪してるんじゃないかと疑ったらしい。しかしもちろん、そんなおかしな事故の報告はなかったし、あったとしても一億年むかしの出来事だろう。漂流物の外装はぶ厚い氷に覆われて、長い時をかけて堆積した塵やごみが、それをすっかり汚れた泥だるまに変えていたんだ。


 簡易分析の結果は男たちを小躍りさせた。表層の泥氷の下に眠る船外殻は未知の合金製で、銀河でもとりわけ貴重な鉱物が多く含まれるとわかったからだ。グラム当たりの値が百万をこえるというから、お宝中のお宝だよ。彼らは周辺宙域をただちに電磁隔離した。違法だと? おまえだってそうしたさ。有名な話だろ、異星文明考古局の謝礼がシリウス旅行の燃料代にもならんというのは……。


 話を戻そう。サルベージ船は全部で十一隻いた。

 彼らはまずそのすべてを、古代船とカーボン錨鎖で厳重に連結した。もともとのろかった速度を逆噴射でほぼゼロまで相殺して、とりあえず初日の実作業はそこで切りあげとなった。急ぐ必要はなかったし、異星文明遺物の場合、扱いをしくじったら危険だ。ひととおりの検査で情報を集めたあと、彼らは全員で解体の段取りを話しあうことにした。


 最初の異変が起きたのはそのときだ。リーダー船に集まった仲間の顔ぶれに、一人、見知らぬ人物が混じっていた。


 ――男はそこで一度口を閉ざすと、自嘲的な笑い方をしたそうだ。

 窓の外に視線をさまよわせてから、急にふりむいて爺さんを睨むと、『この先もまだ聞く気があるか』と尋ねたらしい。

 もし自分が少しでも笑ったり、逆に怖がったなら、男は消えていただろうと爺さんはいったよ。でも最初に告げたとおり爺さんは世話焼きだったし、そのときは仕事上がりで一杯ひっかけてもいたそうだ。なるべく真面目な顔を作って爺さんが頷くと、それでもまだ男は疑わしげに黙りこくっていたんだと……。


『まるで気配がなかった』


 思いだすのが苦痛みたいに、男はひたいをこすってた。


『相談が終わって、さあ自船に戻ろうとみんなが動きだしたとき、そいつが唐突に喋りだしたので気がついたんだ』


 会議室は凍りついた。違法行為の画策がいきなり部外者にバレれば当然だ。だが本当に恐ろしかったのはそこじゃない。植民星系内でもなく、機能中の航路もない完全な孤絶宙域に、仲間以外の人間がいるはずがなかったからだ。

 不審船が近づけばレーダーが探知したろうし、船に乗り移るためのドッキングだって勝手にはできない。いつ、どうやってそいつが侵入したのか誰も説明できなかった。おまけにそいつの見た目は異様の一言に尽きた。


 設備最悪の宇宙基地で百年も放射線に焼かれたみたいに、古革さながらの黒い顔はおびただしいしわに覆われていた。声は喘息持ちよりガラガラで、男女の別もさだかじゃない。年齢だけは、とんでもなく上だというのが着てる与圧服からもわかった。

 白の保護表層は褐色に古びて、半分は銀色の断熱層が露出してる。穴がないのが不思議なほどだが、旧時代の宇宙服は鉛の層でも重ねてたのかもしれん。信じがたいことに、その老人は歴史書でしかお目にかからないような極厚の骨董品を着ていたんだ。


 見た目もいかれてるなら、いうこともおかしかった。

 老人は男たちのなかば脅しを含んだ詰問や尋問にはいっさい答えず、ただ件の貨物船を破壊するなとしつこく訴えたという。涙すら流しながらな――


『どうかあの龍を殺さないでくれ。おまえたちの目には難破船に映るかもしれないが、わたしはちがうと知っている。わたしも当初は気づけなかった。だから伝えにきたのだ。あれは船ではない、生き物なのだと。

 長い時間をかけてわたしは悟った。おそらく銀河核の奥からやってきたものだ。銀河系誕生の初期に生まれ、星系から星系へ、星々の渦をたどって外部へ泳ぎでてきたもの。人間とは比較にならない非常に稀有な生命だが、今、龍は最期の旅の途中にある。ここまで同種の個体には遭えなかった。最後の一頭にちがいないのだ。

 どのみち命は長くない。どうかこのままそっとしておいてくれないだろうか。星のすくない闇のなかで安らかな死を迎えたあとなら、好きなように彼の遺骸を、おまえたちの糧にかえてよいから――』


 龍だって? ばかをいえ。異常すぎて男たちは笑えもしなかった。

 そのうち誰かが仕事の前に商船から買い物したのを思い出すと、そのさい忍びこんだのだという話になって、みんなで老人を追い出しにかかった。だが老人は手に負えなかった。とりあってもらえないと知るや激しい口調で男たちを責め、外見からは想像できないほどの力で暴れはじめたんだ。


 それで彼らは――老人を殺してしまった。


 爺さんの言葉を正確に伝えるなら、『遺体は救命ポッドに乗せて、いちばん近い恒星へ墜ちるルートで射出した』そうだ。

 もののはずみの事故だったので、ポッドブースターの灯が見えなくなるまで丁寧に見送ったというよ。当然、通報はなし――したとしても、誰も信じなかったろう。翌日の大惨事のあとではな……。


 解体の準備作業はとどこおりなく進んでた。

 普通の廃船ならでかいままコロニーへ運んでもいいが、法に触れるものはなるべく原型をなくしてからコンテナに隠して運びたい。男たちは細かい発破を何度もかけて、船の切断したい箇所に張りついた氷を少しずつ崩していった。


 前日の凶事を話題にする者もいたが、男は気にしていなかった。頭の狂ったやつは宇宙にごまんといて、一方目前のお宝は人生でもそうない代物だ。彼はサルベージ業が嫌いじゃなかったが、遊んで暮らせるならそのほうがいい。ためらいなく切断用のプラズマ爆弾を起爆した。


 きれいにちぎれるはずの船首が、燦く氷煙のむこうに無傷のまま現れたとき――だが、彼が感じたのは驚きじゃなく、恐怖と混乱だったという。


 爆弾は、船首の氷の大部分を吹っ飛ばしていた。あらわになった船外殻は人間の常識に反するもので、ごつごつ岩石じみた鋼板を不揃いに溶接したようにいびつだった。色は赤錆びた濃い茶色。ところどころ鉱物結晶らしき反射光がある。そして鱗を逆立てた蛇にもみえる鋼板のすきまに、彼は見つけたんだよ――半壊した、旧時代の小型航宙機をな。


 うしろ半分を潰すかたちで、機体は鱗にねじ込まれてた。かなり古いものらしく、一部は鱗と同化していた。


『サーチライトが操縦席に照らし出したものを、きっとおれは一生忘れられない』


 男は言った。


『乗っていたのは、ミイラ化した人間の死体だった。着座ベルトに固定されて、古い、極厚の――表層が半分はげた与圧服を着た……』


 その後の一連の出来事を彼はよく憶えていない。


 たしかなのは、古代船と連結した錨鎖から激烈な衝撃が襲ってきたことだけだ。

 より後方に仲間が仕掛けた爆弾の暴発では説明のつかない、ひねるような遠心力と奇怪なきしりが発生した。自船全体を激震させる絶叫に似た不協和音に、男はほとんどなにもできぬまま意識を失ったという。


 最後に見えた気がしたのは、直線だったはずの古代船がうねるかたちにのたうつ光景だ。錨鎖で繋がれた仲間の船が、振り回されながら古代船に巻きついていく。無線には彼らの悲鳴が炸裂していた。磔にされて……。


『おれは、古代船の頭部におかしな光を見た気がする』


 しまいの男の呟きは、独り言として尻すぼみに途切れた。


『一対だったか、どうだったか、よく憶えちゃいない。だがあれは、誓って星の光や人工光なんかじゃなかった。もっと別の……、暗闇に反射する、獣の……』


 次に目覚めたとき、彼はコロニーにある病院のベッドにいたという。

 警察やあちこちの調査機関が事故の経緯を聞きにきたが、男の証言は老人の殺害も含めて、後遺症による錯乱と判断された。現場にはサルベージ船団の残骸少しと爆発の痕跡、塵氷しか残っておらず、古代船どころか、事故の前に射出したはずの救命ポッドすら発見されなかったからだ。


 男の船だけは、外部カーボン錨鎖が基盤ごとなくなってたほかは致命的な損傷がなく、三日間漂流したあと、奇跡的に捜索隊に救難信号が拾われた。彼以外の十隻の船が、すべて乗員ごと消息を断ったのとは対照的にな……。


 ――それで何年もその船を探してるのか、と爺さんは男に尋ねた。

 男は頷きかけたが、途中で気を変えたようで、逆にこう問い返したそうだよ。おれの話を信じたのか、とな。


 爺さんは事故の話は信じたらしい。だがほかの部分についてはいうのをためらった。不思議な話はよく聞く――幽霊とか、予言とか。たいがいは茶飲み話で、人の正気に重大に関わるものじゃない。でもこの話はちがった。男は自分の見たものを信じていた。爺さんは後押ししたくなかったのさ。男の狂気をな。


 彼は言ったそうだ。


『おれ自身、自分の記憶を怪しんでる。年々夢だと思えてくるんだ。だが仲間たちが消えたのは事実だし、今もまだはっきり思い出す瞬間がある――あの鱗、あの死体、耐えがたい龍の悲鳴に、それからあの老人が死ぬ前に罵った言葉を……。

 あいつは言ったんだよ――自分は龍と旅をし、星の世界のあらゆるものを目にしてきた。生まれたての恒星が最初に灯をともす瞬間。星に落ち、引き裂かれゆくガス惑星の蒼褪めた死相。輝線星雲の狂おしい綾、受け手のない信号を送りつづける亡星の遺跡の声。暗黒星雲の怒りの雷が内部の彗星を弾いて遊ぶ。超新星爆発の、浄化と再生の炎。

 これらの記憶が、偉大な自然のわざる龍の歴史が、貴様らのつまらぬ欲のために穢されるのだ。そして永遠に戻らない……』


 詩人だな、爺さんが感心すると、男は鼻で笑った。


『そうだろう、そうだろう! このおれのお粗末な脳みそじゃ、とても考えつかない文句だよ! 詩だと? そんな食えない趣味! こっちは四六時中どこかの隙間からのガス漏れに脅えてなくちゃならんような貧乏コロニー育ちだぞ。宇宙基地と航路以外の世界なぞ知る余裕もない生活だった。……だから、妙なんだ。

 後遺症の錯乱や妄想で片付けるにしちゃ、納得しきれないところがある。本気で龍を見たとは思っちゃいない――だが、おれはただ、たしかめたいだけだ。自分の正気を。もう少しだけ――ああ、あと二、三年だけな……結局あんたは龍の噂を聞いたことがあるのか?』


 急にふられたもんで、爺さんは思わず答えちまったんだよ。いいや、とな。


 男に失望の色は見えなかった。

 どころか、そうだろうという顔をして寄りかかってた展望デッキの手すりからさっと身を離した。短い別れの挨拶に爺さんは焦ったようだ。なんとか引き留めようと声をかけ、しかし去りぎわの男の言葉に、そもそも最初からそいつをこっちへ連れ戻すことは無理だったと悟ったそうだよ。


 故郷には帰ってるのか、新情報があるかもしれない――爺さんの呼びかけに、男は苛立った声で返事をしたという。


『退院して以来コロニーには戻ってない。言ったろう、方向が逆なんだ。龍は銀河系外縁にむかってた。渦状腕を外側へたどっていかないと、追いつけない……』


 背中が雑踏にまぎれてしまうと、もう駄目だった。存在感のない姿は、ほんの二、三のまばたきのまに人波に溶けて消えてしまった。

 爺さんはしばらくぼんやり立ち尽くしてたが、そのうち自分がいま本当に誰か人間と会話したのか、それとも亡霊にでも出くわしたんじゃないかという悪寒に憑りつかれて、震えながら船に戻ったそうだよ。


 もちろん、龍を探す男には二度と会うことはなかったそうだ。

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