航宙士夜話

鷹羽 玖洋

序幕 


 どうやら彼らは、辺境扇区めぐりの運輸船乗組員らしかった。


 店の最奥、大きな黒鋼のグリッドが入った展望窓に接するテーブルを囲み、もうずいぶん長いこと語らっている。宇宙は暗かったが、窓は星々の密集する銀河中心核のがわに面しており、またグリッドパネル自体にも星野をみやすくする工夫がこしらえてあるのだろう、三人の姿は、むしろ淡い影となって背景に浮かびあがっていた。


 美しい疑似木目調のカウンター内で、バーテンダーは手持ち無沙汰にグラス磨きをくりかえした。連合基地の空調は、適度に湿っていて暖かい。物質の根源まで冷えきった外宇宙と、巨大な展望窓ひとつへだてて寄り添っているこの小さなバーも例外ではなく。施設吹き抜けの中央通廊末端に位置する店には、隔壁などないが、薄暗い人工照明でもよく茂る月陽植物の銀緑葉が、どこか隠れ家的な空間の区切りを作りだしている。


 とはいえ現在、店内にも大通廊にも人影はまばらだった。周囲は閑寂として、まるで真空の厳しい孤独が窓の外から浸み入ってきたかのようだ。眠る人間の呼吸にも似た空調のかすかな排気音さえ、バーカウンターのはるか上から、規則的に耳に届いてくる。


 追加注文は、依然として入らない。ショットグラスをぬぐいながら、バーテンダーはちらと店内を眺めやった。大通廊がわの席にすわり、ホロ文庫を読む女性も作品世界に没頭しているようだ。連合施設の職員たちは八標準時間単位でシフトにつく。つねに一定の人員が目覚め、活動しているはずなのに、元来しめやかな休息の場であるバーにとっても、この静けさは少し珍しかった。


 拭きおえたタンブラーをていねいに並べなおす。頭上に吊り下がるゴブレット列の乱れを几帳面に整える。グラス磨きが終わってしえば、いよいよ次の作業に悩むことになる。新たな客でもこないかと、店の入り口へ首をのばしたとき、ようやく小さな電子ベルがチンと澄んだ音色を立てた。


 耳たぶに貼りつけたシールホンを軽く二タップ、疲れたような男の声がカクテルのお代わりを告げてくる。どうやら自分で雑用をさがす手間がはぶけたらしいとほっとして、バーテンダーは背後の棚からきらびやかなリキュール数本を選びだした。

 それぞれ異なる鮮やかな色、香り、風味のカクテルを手早く、しかし職人芸で作りあげる。それらを深い飴色のトレイに乗せて、バーテンダーは給仕に出向いた。


 中心星域セントラルではボット化されるこの手の仕事が、過疎星域の連合基地においては積極的に、人の――コミュ機能つきのAIドロイドでもなく――仕事とされるのは、人間社会の中心域から数万光年隔絶された、長期滞在職員たちの孤独や不安を和らげるためだという。しかし、この基地へ物資を供給する運輸船については話が異なる。補給が自動化されず、窓際にいる彼らのような航宙士が必要となるのは、辺境宙域にコンテナ船専用の跳躍航路がないせいだ。


 職員には施設の娯楽サービスを無償で提供する連合も、その賢明さを民間企業の航宙士にまで適用しはしない。けして安くはないこのバーで、くたびれた制服を着こんだ彼らが、飲むでもなく、場所を変えるでもなく、数時間も座を温めつづけていることは、バーテンダーにとって今日のちょっとした謎だった。


 それで、つい魔が差したのだろう。


 ひかえめに給仕を終えてカウンターに戻ったとき、先ほどと同じ男の声が耳のシールホンにだしぬけに響いた。バーテンダーはオヤと顔をあげ、客が卓付きの注文用マイクを切り忘れたようだと気がつく。

 職業倫理に従うならば、こちらの操作で接続をオフにするべきだった。だが、グリーンに輝くボタンの直前でバーテンダーの指はふと動きを止めていた。


「それで、残るのはあと三話になったが……」


 注文のときと同様に、声はひどく陰鬱だった。


「もうじゅうぶんとは思わないか? もちろん、あいつを偲ぶ気持ちはおれだって同じだよ。だが、つまり……おれは、あんたが心配なんだ。話が終わって、なんにも起こらなかったとしてだよ、あんたは心の整理をつけられるのかってことをな」


「ここまできて、まだそれをいうわけ?」


 今度は女の声がした。男とはちがい、苛立ちの棘が語尾の強さに含まれている。


「あたしは正気だし、心療施設にいく予定なんかない。この一年、仕事だってまもとにこなしてるのは知ってるはずだろ。心配なんかいらないよ。あの人のことは、あたし自身があの人の船の残骸を見つけたときにとっくに諦めてるんだ」


「だがよ……」


 と、いいさす男をさえぎって、また別の男の声がする。こちらは先の二人より若そうだったが、やはり声は憂鬱だった。


「いいじゃないか、あと三話なんだ。さっさと済ませてしまってもさ」


「わかってるんだよ、なんにも起きりゃしないって。でも今日この日に、あたしらが示し合わせたわけでもなく航路が交差するなんて、偶然にしちゃあできすぎだよ。あんたらだって、なんにもしないで過ごすより少しは気持ちが晴れたでしょ」


「やりたい、やりたいといつもいってたが、実際百話も怪談を集める大変さがわかったら、真っ先に音をあげたのはやつだったろうけど」


 若い男の軽口に仲間の男が苦笑する。その裏で、女がぼつりと呟いていた。


「一年前のあの矮星の光が、今ちょうどこの基地を通過してる。あの人を記憶した……、生きてるあの人を記録した、最後の光が」


 重い沈黙、あるいは不安な沈黙があった。

 誰かグラスをあおったのか、コトリとガラスの卓を打つ音。


 バーテンダーの指はすでに操作パネルから離れて、ふたたびグラス磨き用の柔らかな布を取っていた。もうわずかな水滴のあとひとつ残さぬグラスをうわの空でもてあそびつつ、むかし誰かから聞いた航宙士たちの古い遊びをおぼろげながら思いだしていた。


 一般向けの超光速跳躍航路がまだ広く整備されなかった時代。冷凍睡眠に入るまでもない近距離運航の航宙船では、航路情報局通信ラジオもない暇な時間と眠気をもてあましていた。そこでパイロットたちが始めたのが、百物語という遊びだった。


 怪談や不思議な話を持ち寄っては交互に語り、感想をかわし、批評しあう。世間話だけではネタのもたない気詰まりな長時間でも、物語なら楽しんで聞いていられる。いっときはだいぶ流行ったものだと懐かしげに目を細めていたのは、バーにきた宙軍の老パイロットだったか、それとも祖母や祖父だったか。


 もともとは地球の小国に栄えた古い文化に由来するらしい。オリジナルの形式で行われる百物語は、ある種の迷信的な魔術の儀式でもあったようで、百話目の怪談が語り終えられたとき、本物の怪異が呼びだされるのだと聞いた。


 すでに多くの話を語り終えてきたようすの航宙士たちにも、そんなクラシックな会合をわざわざ彼らの操縦席の外で持つ理由があるようだった。バーテンダーは、つい今しがた彼らのテーブルで見たものを思いだす。


 三人の中央に据えられていた、傷だらけのロケットペンダント。内部のホロ肖像投影チップが映しだしていた幻影は、壮年の男だ。小太りの身体に、幅広の大きな顔がそう不釣りあいでもなく乗っている。顔つきに覇気は足りないが、ホロがほほえむと目尻のしわに人の好さが滲みでた。


「……おまえのいうとおりか。さっさと終わらせちまおう」


 最初に注文した男が沈黙を破った。


「これだけの物語を語りとおすなんて、われながらよくやったよ。たしかにおれは、やつの葬儀に出られなかったとはいえ――いや。それにしても、百物語の願掛けとはな。大昔の地球ホームはさぞゆったりした良い時代だったんだろう。気長なまじないもあったもんだぜ」


 ともかくおれの話も最後だと、やや早口に喋りたて、男は一度言葉を切った。

 ゴクッと喉の鳴るのが聞こえ、バーテンダーは彼に給仕した度の強い蒸留酒を思い浮かべる。深い黒茶色の液体。底には、七色の遊色に輝く細かな塵糖の欠片が敷きつめてある。塵糖には数種の樹皮を煮詰めた香液をしみこませてあるので、飲みくだした舌に残る後味は苦い。


 もう一度バーテンダーの視線は、カウンターの棚裏にある無線管理ディスプレイのグリーンライト上を泳いだが、迷うよりも早く男が語りだしていた。

 もの憂げな、抑揚も小さい疲れた航宙士の低い声。それはちょうど退屈していたバーテンダーの興味をとらえ、偶然あわせたラジオ局で流れた朗読に聞き入るように、その耳をすんなりと物語の渦中へ引きこんでいった。


「今度の話は、星間ステラーネットで読みかじった嘘かもわからん話でも、又聞きの又聞きの又聞きでもない。おれが若造のころ、イータカリーナ近くのグラン・アトラスで航宙士の初仕事に就いたとき、先輩の爺さんが警告がわりに話してくれたものだ。だから今からだと、そうだな、半標準世紀くらいは前の話になるか……」

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