後編

私は糸田を受け入れた。受け入れたように見せかけた。

痛みを受け入れ、糸田を愛しているフリをこの半年近く続けてきた。

そうすることで拷問や虐待が弱まったり、減ったりすることも無ければ、食事が良くなることも無かった。

 けれど、確実に得たものがある。それは、糸田の信頼だ。

 糸田はこの半年でボクが暴力に屈服し、自分に溺愛していると信じ切っている。

 その証拠にボクはあらゆる虐待に対しても拒否もせず、喜んでそれを受け入れている。

 だが、それは演技。痛いものは痛いし、糸田を好きになるなど死んでもあり得ない。

 すべては、帰るため。ボクが「人間」としてみんなの元に帰るための下準備。

 そのために、あと少しだけ……耐えよう。

 そして、みんな待っていてほしい。

 帰るためなら、私はどんな痛みも苦しみも受け入れると誓った。


 あれから、気が遠くなるほどの時間が経った。

 これで、何度の夏だろう。誘拐されてからもう何年になるんだろう。この場所での生活はもう私にとっての当たり前になっていた。

 この年月で受けた傷と苦痛は数えきれない程だった。けれど、傷は時間が経てば大抵は治るし、痛みも慣れてしまえば意外に何とかなるものだった。

 けれど、左目の眼球と心の傷はいくら時間が経っても言えることは無かった。左目に関しては、もう見えるようになることは無いだろう。眼球をハサミで串刺しにされたのだから、もう回復の見込みは無い。

 そして、ボクの心はこの長年で荒み切っていた。毎日絶え間なく与えられる苦痛。どんな人間でも狂ってしまうはずだ。

 けれど、みんなの元に帰るという強い意志だけは死んでいなかった。

 漠然と、ボクの中に帰らなければならないという意思だけはどんなに苦しくても揺らぐことは無かった。

 この数年、ボクはただ糸田の玩具として弄ばれていたわけではない。着実に糸田の信用を得ていたのだ。

 痛みに屈し、泣き叫び、糸田を喜ばせる。そして糸田に絶対的な服従をしているように演じる。そうして糸田の奴隷を演じることで、ボクは狙っていたのだ、逃げる隙を。


 そして、今日その隙を突く時だ。


「あーあじィー」

 糸田は蒸し暑い部屋の中で言い、そのまま床へ寝ころぶ。

「もう、夏も終わりですね」

 ボクはそっけなく返す。糸田がボクの体をライターで炙る遊びをしていたのだが、この気温では長続きせずに飽きてしまったようだ。

「今日は、外がいつもよりにぎやかですね」

 外からは子供の声が聞こえた。ボクとそう変わらない歳だろう。

 ボクも本来ならああやって笑顔で出かけたりしていたんだろうか。

「……花火大会だって。僕らには関係ない話だ。外に出る必要なんてない」

 糸田は不快そうに言う。

 糸田は全く外出しない。買い物は全て通販で済んでしまうし、ボクを痛めつけることが娯楽な糸田には外に出る必要もないのだ。

 つまり、糸田は常にボクと一緒にいた。

「……浩二さんは、なぜ外に出ないんですか?」

「必要が無いからだよ。家には君がいて、僕の玩具になってくれる。けど、外には僕の玩具はいない」

 糸田は笑顔でそう答えた。この男にとって、弱者を虐げることだけが生きがいなのだ。

 外に出れば自分より強い人間が溢れている。だから外に出ない。

 この家ならば、糸田が強者でボクが弱者。だからこの家から……この世界から抜け出そうとしないのだ。

「……花火」

 私は小さな声で呟く。

 花火なんてもう何年見ていないだろう。最後にみんなで見たときは楽しかったなと思い出してみる。

「……見たいのかい?」

「え……」

 すると、糸田が意外なことを言った。

 今までなら絶対に口にしなかったであろう、私を気遣うようなセリフだった。

「見たいの?」

「……見たいですけど、この部屋からじゃ無理みたいですね。外に出るわけにもいかないし」

「……ベランダから、見ればいいんじゃない?」

 驚いた。糸田がこんなことまで許可してくれるなんて。

 誘拐されて数年、ベランダとはいえ外の空気に触れるなんて久しぶり過ぎて頭がおかしくなりそうだ。

「え、良いんですか!?」

「もちろん僕の目が届く範囲だけどね」

 もちろん、糸田はボクが逃げることなんて考えていない。

 まずこの部屋は3階とはいえかなり高さはある。ここから子供のボクが飛び降りて逃げることは不可能だ。

 それ以上に、糸田はボクを信用している。

「……やった! 花火花火!」

 数年越しにやってきた外に出るチャンス。これは逃げるチャンスだ。神様が与えてくれたに違いない。

 ボクは決心した。今日、この地獄から抜け出すと。

「わー綺麗……」

 ベランダに出る。

 手足には手錠が付けられたままだったけれど、それでも片目に映る花火は美しかった。

 ボクは花火の美しさに言葉を失った。こんな大したことのない花火でも、美しい。

「浩二さんは、見ないんですか?」

「興味ないよ」

 糸田に声をかけるが、糸田はそっぽを向いて煙草を吸っている。

 糸田は完全に油断している。2度とないチャンスだ。

「本当に綺麗……でも、もっと近くで見たい。そしたらもっと綺麗に見える」

 私は夜空に吸い込まれるようにベランダの柵に足を掛ける。

 そして、不安定ながら策の上になんとか立つ。地面を見るとすごい高さだ。

 でも、空は少しばかり近くなった気がする。

「……優姫ちゃん?」

「もっと、近くで。お空の近くで花火見たいんです」

 ボクは怖かったけど、精一杯強がって糸田に言った。

 今まで受けた痛みに比べたら、ここから落ちることくらい全く怖くない。

「優姫ちゃん、降りて。危ないから降りてよ」

 糸田は焦り始める。

 今まで見たことないくらいの焦り具合だった。

「浩二さんも見て。すっごい綺麗ですよ」

「やめてよ、やめてよっ! もう戻って来てくれ!」

 糸田は走ってベランダまで向かってくる。

 どうして糸田が焦っているか。それはボクという従順な玩具が壊れることを恐れているから。数年かけて調教したペットを目の前で失うような気分なのだろう。

「……嫌です」

「……は?」

「もう、あなたの玩具になるのは嫌なんです。私は、みんなの元へ帰ります」

 私は、笑顔で言った。

 本当は怖い。こんな高さから落ちたら痛いだろうなぁ。もしかしたら死んじゃうかもしれない。

「帰るって……君は帰れないよ。ずっと僕と一緒に暮らすんだ」

「帰ります。たとえ死体になっても、みんなの元に帰ります」

 けど、ここで糸田の玩具として生きていくなら、死んででもみんなの元に帰ろう。

 死体になれば、もう糸田に辱められることもない。永遠の安息を保障されるんだ。

「……帰って来てよ優姫ちゃん。もう痛いことしないから」

「……」

「美味しいお菓子も買ってあげるよ! 好きな玩具も買ってあげる! だから……」

 糸田は脂汗を流しながら懇願する。

 醜い。醜い糸田を哀れみながら、ボクは柵から体を空中に投げ出す。

「さようなら」

 ボクはベランダから飛び降りた。

 死んでもいい。けど、みんなの元へ帰りたい。

 その一心でベランダから身を投げた。


「……」

「……優姫」

 耳元で、声がした。

 幼いけど、勇ましい声。糸田の声じゃない。懐かしい声。

「父さん、母さん! 優姫が! 優姫が!」

 辺りが急に騒がしくなる。

 目を開けると、真っ白な天井。おかしいな、糸田の部屋はもっと暗くて汚くて臭かったはずなのに……。

「……ここは」

「優姫!」

 部屋の入り口から声がした。入り口には男女2人……お父さんとお母さんか。

「ごめんっ……ごめんねっ……もっと、早く助けてあげられなくて」

 お母さんがベットに駆け寄って来てボクのことを覗き込む。ボクの顔の上にポタポタと涙が落ちてくる。

「……優姫、父さんや母さんや和彦の事が分かるかい」

 その後ろでお父さんが経っていた。しばらく見ないうちに大分痩せたな。

 ボクの記憶の中のお父さんより10歳からくらい年を取ったように見える。

「……分かるよ。右目はちゃんと見えているんだから」

 左目にはちゃんと眼帯が付けられていた。けど、右目でみんなの事は確認できた。

 それを見て、お父さんもお母さんも兄さんも表情を歪ませる。実の娘、妹が左目を失ったんだから当然か。

「……あれ、あれっ……」

 みんなの顔をよく見たくて、背中をベットから起こそうとするけど、何故か体は一ミリも動かなかった。まるで糸が切れた操り人形みたいに体は動かない。

「おかしいな……動かないよ。手も足も、体のどこも動かないよっ……」

 あれ、なんで。

 今すぐみんなの胸の中に飛び込んで再会を喜びたいのに、体が動いてくれない。

 何度も挑戦するけど、体は何も反応しない。

「……うぅ!」

 するとお母さんが座り込みながら泣き出す。なんでだろう、再会できたのに嬉しくないのかな。

「優姫、無理はしなくていい。今は体が疲れているんだ。だから一時的にうまく体を動かせないだけなんだ。だから……」

 お父さんが声を詰まらせながら言う。お父さんも目には涙が溜まっている。

 お父さんがボクに気を遣っているのは明らかだった。

 そして、ボクの体が一生動かないものになったのも明らかだった。

「……はーっ、なんだ。やっぱり打ち所が悪かったのかぁ。そりゃそうか、頭から真っ逆さまに落ちたもんね、脊髄かどこかやっちゃったか」

 麻痺なんかじゃない。完全にボクの体は飾りになってしまった。自分の体のことなんだからボクが一番分かっているに決まっている。

 ボクの神経はベランダから落ちた衝撃で死んでしまった。糸田から逃げ出すために、ボクは体の自由を奪われたんだ。

「……優姫」

「誤魔化さなくてもいいよ。自分の体なんだ、どんな状態かくらい分かるよ。けど、生きてる。全身不随でもこうして家族のもとに戻ってこれて良かった……」

 ボクは自嘲気味に笑った。

「……すまないッ! 病院に運ばれた時にはもう遅くて……これが最善の処置だったんだ」

 お父さんが頭を深々と下げる。お父さんのせいじゃないのに。

 どうやらボクが落ちた時、たまたま糸田より早く現場に駆け付けた近所の人が救急車を呼んでくれたらしい。

 仮に糸田が最初に駆けつけていて、逃走に失敗したらボクは舌を噛み切って死ぬつもりだった。

けど、見事ボクは賭けに勝った。だからこうして家族の元へ帰ってこれた。

 唯一の反省点は、打ち所が悪かったところくらいか。

「……いいよ。こうして体の自由は失ったけど、家族の元に帰ってこられたんだ。それがボクにとっての一番の幸せだよ、お父さん、お母さん、兄さん」

「優姫……」

 ボクの作り笑顔を見て、兄さんは目を背ける。

 兄さんも分かっているんだ。3年前の妹はもういないのだと。

「……あ、安心して優姫! あの糸田とかいう男は捕まったわ! きっと死刑になるはず! ううん、死刑にならなくてもお母さんが必ずこの手で……」

 そんな暗い空気の中、お母さんが声を荒げて言う。

 お母さんもあんなに若くて綺麗な人だったのに、今じゃ見る影もない。

 でも、こうなったのもボクのせいだと思うと悔やみきれない。

「嫌だなぁ母さん。そんな血眼にならないで。もう糸田の事はどうでもいいよ。もう元の生活に戻りたいんだ、忘れよう」

「優姫……」

「糸田は言っていたよ。誘拐するのはボクが初めてじゃなかった、この10年近くで何人もさらって、玩具にして殺してきたと。じゃあなんで今まで足が付かなかったか? それは糸田の父親が有力な議員で、金と権力を存分に使って都合の悪いことは全てもみ消してきたんだって。それに加えて持病の精神疾患もあって裁かれることはまずないんだ」

 糸田は複数の精神疾患を患っていた。自分でも自覚はあったが、幼いころから適切な処置をせず、甘やかされて育ったことから今の人格ができあがってしまったらしい。

 だから、自分は無罪だ。悪いとすれば僕の病気だ。

 糸田はそう言っていた。だから、いくら残酷なことをしても自分の意志ではなく、それは病気によるものだから自分に非は無い。糸田の持論だった。

「そんな……けど、お母さんは負けない! 優姫をこんな目に遭わせた男を許せない……」

 それでもお母さんは引き下がらない。

 もう、その気持ちだけで十分だった。これ以上、家族を巻き込みたくない。

「ボクが誘拐されてから3年。父さんと母さんは仕事をほとんど廃業してまでボクの捜索をしてくれてたんでしょ? だから、もう終わりにしよう。糸田を死刑にするために母さんたちの時間とお金を浪費するなんて……ボクが嫌なんだ」

「そんな……」

「父さんと母さんがずっと裁判所に通い続けて糸田と戦い続けるのなんて見たくない。きっと口止め料として糸田の父からお金はそれなりに受け取れるはず。だから、もうお金を受け取ったら事件のことは忘れてほしい。事件を表に出すこともしないで、ボクたちの中でこの事件は黙秘してほしい。ボクの名誉のためにも……世間の好機の目に晒されたくない」

 家族を巻き込みたくないのは本心だったけれど、それ以上に普通の人間として生活したかった。

 もし事件が公にされれば、糸田は社会的制裁を受ける。けど、同時にボクとボクの家族も世間の晒し者だ。そうすれば、もう元の生活に戻ることはできない。

 そんなことなら、この事件を闇に葬ってほしい。

「そんな……っ、私は、私は糸田を許すことなんて!」

「許さなくても良い。ただ、忘れてほしい。そしてすぐに元の生活に戻りたい……もう、糸田に振り回されるのは嫌だ……」

 ボクは無意識に涙を流していた。

 糸田に虐待されることなんかより、元の生活を壊されることの方が辛い。

 そんなことになったら、ボクは何のために体の自由を失ってまで逃げ出したんだ。

「そんなっ、そんなぁ……っ! 優姫!」

 お母さんは納得がいかないみたいで、その場で暴れ出した。

 飾られていた花瓶を叩き割り、泣き叫ぶ。

「落ち着け由美子! ……優姫が望んでいることだ、事件を公にすることは避けよう。被害者が晒されて生きづらくなるなんて本末転倒じゃないか」

 お母さんはお父さんに連れられてとりあえず落ち着くまで病室の外にいることになった。 

 

「……ありがとうお父さん」

 戻ってきたお父さんに、静かに告げる。

「……ああ、優姫のことを考えればわざわざ事件を掘り返すこともないだろう……」

 お父さんは、疲れたんだろう。

 もう、お父さんも散々なのだ。こんな事件をこれ以上引き伸ばしたくないというのが本心なんだろう。

「じゃあ、父さんにあともう1つだけお願いがあるんだ」

 これが最後の親不孝のつもりだった。その覚悟でボクは口を開く。

「ボクを……ゆうちゃんとあんちゃんに会わせてほしい」

「……優姫、それは」

 ボクの要求に、お父さんは言葉を失う。

「会わせてやろうよ父さん! やっと優姫が帰って来たんだ、あいつらもきっと!」

 兄さんが身を乗り出してお父さんに言う。

「和彦、そう簡単じゃないんだ」

「なんで……」

 兄さんの言葉に、お父さんの顔はどんどん曇っていく。

「あの2人が今の優姫を見て、どう思う?」

「どうって……嬉しいに決まってる。3年ぶりに友達に再会できたんだから」

「そうかもしれない。けど、そうは思わないかもしれない」

「……なんでだよ! だって!」

「3年ぶりに会った友達が、左目を失い、全身に生傷を負わされ、全身不随になっていることを2人に知らせてしまうのは……酷な話じゃないか。2人ともまだ幼い……もちろんお前たち2人も幼い。だから、互いの心を傷付けてしまうかもしれない」

 お父さんの意見は、正しくて残酷だった。

 そうだ、ボクは醜いんだ。昔の優姫じゃない。

 お父さんの言葉でそんな簡単なことを改めて知る。

「そんなことねぇ! あいつらは絶対に!」

「お前はそうでも、あの2人は違うかもしれない……また元の関係に戻れる保証もない……」

 そうだ、お父さんはボクのために言っている。

 ボクが友人を失うことを恐れているんだ。心に傷を負わないように会わせないなんて言ってるんだ。

 それは、ボクにも分かっていた。けど、兄さんは引き下がらなかった。

「……じゃあ、父さんは一生優姫を誰とも会わせないつもりかよ」

「そうは言ってない。この残酷な現実を受け入れるのに彼らもお前たちもまだ未熟だ。だから、それが分かる大人になるまでは会うことは控えるべきだと言ってるんだ」

「……」

「……俺だってこんなこと言いたくない。けど、これも優姫のためだ」

 そう言い残してお父さんは病室の外のお母さんを見てくると言って部屋を出た。

 残されたのは、ボクと兄さん。なんだか気まずい。3年ぶりだからかな。

「……優姫、大丈夫か」

「うん。分かってるよ、こんな醜くなったボクが2人に会う資格なんてあるわけないよね」

「違う! お前は醜くなんか……」

 ボクの言葉に兄さんは怒る。

 こんなに必死な兄さんは初めて見たかも。

「……醜いよ。鏡を見れば分かる。こんな姿じゃ、2人もびっくりだよね」

「安心しろ。明日にでもこっそり2人に会わせてやる。だから……そんな顔しないでくれ」

 兄さんはボクの手を握った。感覚は無かったけど、なぜかあったかい気がした。

「兄さん……」

「俺は、妹のためならなんだってする。この3年間ずっと思ってたことだ」

 きっと、兄さんなら本当に2人を連れて来てくれるかもしれない。

 けど……。

「ふふ……ありがと。けど、まだ遠慮するよ。父さんの言う通り、まだ時期が早いってことだね」

 ボクに自信が無かった。

 お父さんに言われるまで、ボクは自分のことだけしか考えていなかった。

 今、2人に会ってどうする? 2人を絶望させるだけじゃないのか。そんな簡単な事すら気が付かなかった自分が愚かしい。

「多分、今2人と再会したらボクはもう満足しちゃう。生きることへの意味を失くしちゃう。だから、楽しみは先に取っておこうと思うんだ」

 精一杯強がってみる。

 本当は、会うのが怖くなっただけだ。けど、いつかは再会する。

 どんな手段を使ってでも、再会して元の生活を取り戻してやる。

 だから……それまでは死ぬ気で生きてやる。そう誓った。

「だから、2人に再開するまで……また昔の4人に戻れるまで、手伝ってほしい。ボクはリハビリもがんばるし、少しでも綺麗になる。だから……」

「……当たり前だろ。お前のためなら糸田だって殺してやる」

 兄さんは強張った顔で言った。こういう時、兄さんは本当に勇ましい。

「……頼もしくなったね、兄さん」

 こんな立派な兄さんがいれば、もしかしたらボクの夢も叶うかもしれない。

「けどね、さっきのは半分嘘なんだ。本当は糸田の事件を忘れるなんてできない。この手で殺してやりたいくらい憎んでる」

 ボクは殺意の籠った声で言った。これは事実でもあり、永久に変わることは無いと思う。

 家族をこれ以上事件に関わらせたくない反面、糸田を許せない自分もいる。

「なら、俺が……」

「そんなの意味ないよ。それじゃあ兄さんが犯罪者じゃない。だから、事件をネタに復讐として糸田と糸田の父を利用してやろうと思うの」

 だから、自分の中で復讐をしようと思った。

 この事件があったからこそ、できる復讐を。

「どうやって?」

「事件を公にしない代わりに、ボクの夢のための歯車になってもらうんだ。あいつらの有り余る金と権力はきっと役に立つよ」

「それは、どんな計画だ?」

 兄さんが問う。

 計画なんて大それた言い方をしたけど、内容はちっぽけなものだ。

 けど、そのためにボクは何でもする。例え狂ってでも、自分が糸田のようになってもこの夢だけは諦められない。

「こんな醜いボクが、好きな人と結ばれるための魔法かな。そのためにも、糸田とその父を利用してやることがボクの復讐でもあり、けじめでもあるんだ。だから、ボクの夢のために……兄さんも歯車になってくれる?」

 ボクは兄さんの答えを知っていた。

 兄さんなら、こう答えるに決まっている。

「当たり前だろ」

 期待通りの反応だった。兄さんはずっと手を握っていてくれた。

 いつか、ここにあんちゃんとゆうちゃんの手が重なることを考えて、ボクはこれからの人生を歩むことを誓った。


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狂った妹の殺し方-痕- 柘榴 @zakuro07

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