スキャットマン・フロム・アンブラ
「おれは
グラントはつるはしをだらりと左手に提げたまま言う。
「十六の頃からハンスコム――義理の父に頼まれて、もともとのラギッドの調査に来た、MOA脱けしたフリーランスの魔術士に術を教わった。そいつは屑だったが屑なりの上手いやり方を知っていたし、なかなか有意義な時間だったと思う。土地の上前をいくらかはねさせ、その後で貸した蒸騎に仕掛けをして殺した――多分ケイトも知らないと思うけどね。ハンスコムはシャーマン将軍のつながりで軍にもコネがあるから、もみ消すのはそこまで難しい話じゃなかったよ」
レイは踏み出し義手をグラントに向けた体勢のまま。
その場に、縛り留められていた。
動けない。
なんのしるしもなしに、レイはあっけなく敵に捕らわれた。
力を巡らせても、全身を歪なばねで固められているように動きが妨げられる――レイはタロットカードの
特筆すべきは鋼の右腕だった――あたかも義手の内側から空間に固定されているみたいに、自身の力が入り込む余地がない。
正体。
恐らくは魔術による拘束。感触としては束ねられた鋼糸あるいは張り詰めた布。
しかしどうやって?
魔力は空気中に発現されれば拡散する――ゆえに
にも関わらず彼の魔術は発現している――つまりグラントは金属や水分を媒介せず、
魔術の法則から、外れている。
控えめに考えても、この上なく面倒な相手になりそうだった。
「
グラントはレイのほうを見、次いで空に留められた鋼の右腕に視線を傾けた。
「この右手が豆鉄砲なんだな、なるほど。こいつは離れたほうがよさそうだね」
キャノンパイルなんて無骨な通り名の由来がちょっと解った気がするよ、とグラントは笑った。人懐こい笑みだったし、ボトムズたちの言うとおりパンを分けても問題はなさそうな人物にも見える。
グラントの斜め後ろに倒れ伏したボトムズが、わずかに身じろぎしていた。
ボトムズが、崖の上にちらりと視線を向ける。
レイと目が合う。
「ボトムズは友達なんじゃなかったのか?」
「友達だよ。いい奴だ。隠れ蓑にもなってくれたしね」
「なるほど、都合のいい奴か」
「ひどいな。おいらもかれも互いを信頼しあってる。ましてやこれからは腹の内を見せた仲だ、ラギッドを乗っ取った後はハンスコムをぶち殺しておれとベティの二人でここを回してくよ。あいつの水煙草に入れるための水銀もこっそり用意したしね。だから、おいらたちはおいらたちだけの国を作るんだ――蜂蜜とミルクの河が流れるような国をさ。なにも難しいことなんてない。おいらはそのまま、あの二人の影でいるだけで、これ以上ないってくらいに満たされるんだ。なにを賭けてもいい――そう思わされるくらい。」
グラントは安心しきった表情、うっとりとした口調で
彼は狂っていた。
他人とのつながりの色、敵味方そして好悪を蒸気列車の規条のポイントみたいに簡単に――がちゃがちゃ、がちゃがちゃ、切り替えることが出来たし、他人にも同様にがちゃがちゃさせたがった。
「さて。きみが、キャノンパイルがどうしておいらの邪魔しようとしてるのかは解らないけど、このままお土産持たせて帰すってわけにも行かないんだよね。どうしようか。殺すのも簡単だけど、それじゃあ勿体――」
甲高い馬のいななきが、鋭い矢のように響き渡り夜を震わす。
「ベティになんてことを――グラント! この豚野郎!!」
力を盲信しているグラントは、気付かなかったのだ。
世の中の女がやかましくおしゃべりするだけの存在ではないという真実を。
この街でただ一人。ラギッドのくびきを振り払って、黒点が作り出す影から飛び出し――自由へ羽撃こうとしている女性の存在を。
緑閃光のような輝きが、ラギッドの薄闇を切り裂いて零れ落ちてきた――レイはその光に弾かれたように、自らが飛び降りてきた坂を仰ぐ。
「トンプソン嬢――」
あの、彼女の金髪を結わえていたアンモライトの髪飾りだとレイは確信した。
それがボトムズからのプレゼントだと聞かされたこと。
マイヤーズのルビイの耳環にも、魔術がアタッチされていたということ。
今この瞬間に、"宝石"が落ちてきたということ。
(ボトムズの――鉱山で焚くフラッシュか!)
事実が蒸騎のクランクのようにまとまりあって動き出し、ある一つの行動にかれを駆り立てる。
すなわちそれは、目を強く、強くつむることだった。
石の芯から揺らめき闇を溶かす、翠の光。
アンモライトに含まれていた微量なマグネシウムの反応熱が、
その魂が燃える。
内部のレアメタルに限界すれすれまで蓄積された魔力を燃料にして。
はじめは熾火、次いで焔、砲火、そして――全てを焼き尽くすような、
閃光。
まばゆい白がラギッドの夜を打ち払った。
少なくともケイトにはそう感じられた。
ボトムズがケイトへ、髪飾りに込めて託した――
同時に、なぜかレイを縛っていた「糸」も解けた。
目を開き、グラントの声を頼りに突進/跳躍。
レイの脚がぶれた。魔力放出を繋げた強靭な蹴撃。
芯を捕らえた感触=段蹴り三発。
着地と同時によろめく相手の内側に素早くステップインし、腹部に押し付けるように魔弾を撃ちこむ。
ガぎゃんという爆音を伴いながら、グラントが後方に吹っ飛んだ。
同時にケイトが馬を駆って、すり鉢状になっている下層の崖を――ほぼ垂直に駆け下り(転がり落ち)てきた。崖全体は階段みたいになっていていくらかの傾斜があるとはいえ、ものすごい勢いだった。そのまま滑り降りるようにして、地面に転がっている髪飾りを拾い──そして倒れ伏し呻いているボトムズの方へ馬を寄せる。
レイは彼女に叫んだ。
「トンプソン嬢! 面目ない、ボトムズを――」
「もうやってる!」
ケイトは血まみれのボトムズの腋の下から首を差し入れ、肩に担ぎ上げた状態で馬に乗せようとしていたが、上手くいっていないようだった。
「手を貸すよ。そいつは死にかけてるだけで死んでない――さっき視線で合図してくれてほんとうに助かった。トンプソン嬢、あとは頼む」
一旦ケイトが馬に乗り、そこに背中合わせに近い形でレイが代わりにボトムズを担いで乗せ、落ちないよう荷物から荒縄で馬の体に手早く縛りつける。
「ベティ、嘘よこんな、ひどい……ねえ、勝てるの」
「しっかりしろ。しっかりしろ、ボトムズ・ハインウェイ!」
「バレット、さん……」
彼はやっとのことで口を開く。
ほんとうにひどい有様だった。
散弾を防いだブラウスの両袖はぼろきれのように真っ赤に染まり、腕に張り付いている……右脚には破けたジーンズから折れた骨の切片がのぞき、左肩は肩甲骨あたりをピッケルに抉られ、内側から弾けている。肉の花が咲いているようにも見える。肋骨が折れて心臓に達していないのも、左腕がくっついているのも奇跡だった――ひょっとしたらもう動かせなくなるかも知れない。術式で血管を圧迫し、どうにか大量の出血を抑えているのだろう。
「影、影だ……髪飾りに、魔力、をっ」
言葉尻を切ったボトムズが硬直し、次の瞬間ごぼとせき込む。
湿り気が多い、いやな音だった。この場にあって震えていないものは居ない。
彼は死に掛けの獣みたいな浅い呼吸になる。粘ついた血が、溢れ出ている。
「頼むから、もう喋るな。さ、行ってくれ」
「おれは、おれは必ず生きるがら、二人のお墓を――なあ、何も見えない」
「いや、いや、ベティ。何も言わないで。お願いだから黙って、目を閉じて頂戴」
「グ、ラン、ド……おれは、解っちゃいなかった。ごめ、ん、ぐっ、がッはッ」
ピッケルが飛来する。
背骨に走る雷を感じ――反射的に、後ろ回し蹴りでがぎんと叩き落す。
弾き飛ばされたつるはしは銀の弧を描きながら地上に突き刺さった。
グラントがよろめきながら立ち上がるのが見える。
「走れ! 生きたきゃ走れ! ポール・バニヤンが起き上がってきてるぞ!」
ケイト・トンプソンは最後にもう一度だけレイをまっすぐ見据えた。
アンモライトの瞳で、レイの貌から覘いている死すらも見透かすように。
グラントの目を――一切の光を許さない太陽の黒点だと例えるのならば、ケイトは光を一杯に浴びなければ輝くことが出来ないちっぽけな鉱石だった。
世の中の石ころは美しくなんかない。
それでも日を吸い込んで、そしてわずかばかりの煌めきを世界に落とす。
それ故に美しいのだ。
ケイトはボトムズのことを自分の光だと言った。
ボトムズはケイトがいないとしあわせになれないみたいだった。
レイはふいに、自分と”あのひと”のことを思い出した。
ケイトと『彼女』の金髪の色がこの宵闇の中、そっくり同じに見えた。
「あなたも生きるのよ、バレットさん。生きてまた、私に旅を教えて」
ケイト・トンプソンは暗闇のなか、アンモライトの髪飾りをレイに投げた。
+
「やってくれたね、キャノンパイル」
ケイトたちは行った。
遺されているのは二人だけだ。
「やっぱり死んでないよな、そりゃ。ぎりぎり防がれたもの」
「防いでないさ。やけくそになるのも躍起になるのもよしたほうがいい」
「そうかい――いや、そっちこそよしたほうが良いと思うけどな。このお喋りは全くのむだだ。この隙に”影”を俺にくっつけようとする魂胆もな」
夢の中に生きているように掴みどころがなかったグラントが、この時はじめて明確に動きを止めた。舞台の人形が糸を突然切られて崩れ落ちたという感じだった。
「そうか」
瞳がみたび見開かれ――大地がぼっと煙立ち、なんの挙動もなくグラントの姿がぶれる。初動を読み逃したせいで前後左右どの方向から来るかまるで判断できない。
ならば、と放出導式を蒸かし、大きく真上に跳躍する。
直後、
左斜め後方からピッケルがびゅごっという音をたて飛来する――軌道はレイのいた空間を穿ち、地面にふかぶかと突き刺さる。
破散する赤土の破片を見送りながらレイは思考を回した。
グラントの魔術は恐らく、"陰影"を媒介に力学を操作するたぐいのものだ。
確証を持つに至ったのは直前だが、手掛かりはこれまでの短い攻防の中でいくつか積み重なっている。まず、グラントが自身を『影』と称したことと、それに伴って――自身の体が『歪んだばねのような』拘束を受けたこと。
あれは魔力を衣服の影に伝わせて、レイをふん縛ったのだと考える事も出来るし、とくに右腕の拘束が強かったのは――魔弾を警戒した以上に、内部で複雑に入り組んだパーツが落とす闇が、力を潜伏させるのに都合が良かったからではないのか。
二つ目は、先ほどケイトが発動させた、髪飾りに仕込まれた閃光術式によってグラントの術が解けたこと。
ふつう、魔術はレイの”魔弾”のように(再)構築にある程度の時間が必要だ――しかしグラントは、あの光によって怯んだ一瞬にレイの蹴りと魔弾を体に受けても、平然と立ち上がってみせた。
通常弾だったが、補強ごとぶち貫くには充分だったはずだ。
つまり魔術は破棄されたのではなく、術式そのものはアイドリング状態でありながらも、条件を陰影を媒介とするという制約を満たせず――コンマ数秒の時間、解除されたのではないか?
そしてグラントが光に絶叫したのは、この闇の中にあって影を鮮明に視るための
そして三つ目。決定的なのは、ボトムズの「影」という言葉だ。
うわごとではない。
ボトムズは誠実だ。しかも死にかけだった。意味のないことを口走るとは思えない。
レイはこの推測をもってして、相手にかまをかけた。
そしてグラントはそれに応えた。レイの勘は”呪い”のせいでよく当たる。
ピッケルの影は、柄と比して異様に長く伸びている。
その長い影は、グラントのそれに結びついているのだと確信する。
(――来る)
来た。
ピッケルへと自身を撃ち込むように、
グラントがレイの真下にぎゅどんという音を立てて着弾した。
脳天に向け右の踵で軌道を描くが、地面から引き抜いたピッケルで横なぎに挙動を防がれ――体勢を崩しながらなんとか着地する。
(俺の体と”影”がつながるのはまずいな)
瞬時に魔力放出でバックスラストをかける / グラントがレイに手を伸ばす。
伸びる。
伸びた右手の影が、また伸びる。
グラント自身もレイを追いかけてきている。
右脚の放出動式を爆ぜさせ、同時に左足で踏み切る。
宙で速度を殺すことなく方向転換――腰を捻り、背を向け逃げの姿勢をとる。
仕組みはわからないが、特性なら読み解くことが出来る。
マッチをつけるのにマッチの材料を知る必要がないのと同じだ。
空中にいる間は”影”に捕まりはしないとわかったから、逃げても問題ないと判断した。会敵の際、魔弾を放とうと地に足をつけた瞬間を除いてレイは空中にいたのだ。しかし――このまま”放出”を連射してハイド&シークを敢行しても、夜が明けるまでにはレイの魔力はとっくに尽きているだろう。
靴先をめり込ませながら、垂直に崖を駆け上がる。
後ろからピッケルの風切り音――鶴嘴の影と自身の影を繋げて、鉱山の
後方に魔弾を二発放ち、牽制。
グラントのうおわという間抜けな声が聞こえる。
その余波を利用し、風を置き去りにするような加速――鉛直数十メートルもの距離を一気にがしがしと駆け上がる。これで距離は大分開いたはずだった。
しかし同時に、義手の
下層区画へ繋がる山道を狼みたいに疾駆しながら、現在の持ち札を確認する。
”放出”を乱用するにあたっての残存魔力や術式を即時構築することなどを考えると――構成がシンプルで、威力や指向性の細かな調節が可能な
広範囲・高威力の拡散する魔力を撃ち放つ
そして。
特殊成型された蒸気=魔力ライナーによる力学侵食と、着弾をトリガーに魔術回路そのものに干渉し、内部に魔力の異常サーキットを発生させることによる魔力爆発。ふたつの”破壊”をはじき出すレイのとっておきの花火――
あとは、ケイトから託された髪飾り。
仕組みからして、内部のレアメタルを燃焼し尽くしたら止まるだろう。
使える回数も、多くとも二、三回くらいに見積もっておいたほうがいい。
そして髪飾りが壊れたときこそレイ・バレットが終わるときだ。
(まずは詠唱と構築ができるといい。足技だけで凌ぎきるのはちょっと荷が重い)
ラギッドに足を踏み入れたときの、坂からアンブラ・リッジが望める区画に差し掛かる。蒸気管が変らず血管のように病人の皮膚じみた青黄土の山肌から覘いている。
レイは点在する木造の小屋の一つを見つけ、柱を利用しするりと屋根に飛び乗った。
一拍遅れ、同じくグラントが崖を坂まで跳び――登び上がってくる。空にありながら、どろりとした視線がレイを捉える。
かまわない。
義手の二の腕、肘に近い辺りに装けられたリボルバーへのローディングゲートを左手でスライドする――弾倉の孔がひとつのぞく。
首筋の魔力媒体をより深く意識して、詠う。
ソリッドな熱がこもる。
脳漿の闇をこじ開ける鍵、その煌めきを紡ぐ。
「
がしゃり。
装填を確認したリボルバが魔力場の圧力で回転する。
次弾。
「
がしゃり。
次弾。
「銃よ来た――、」
銀の軌跡が中空に閃き、レイのいる小屋の屋根にピッケルがずどんと突き立った。
グラントが右腕を振りぬいた姿勢で見上げている。
『 』
分厚い唇が何事かを象っていた。
ふと横を見ると――
そしてもう一方、自在に伸び迫り来るグラントの影。
弾かれるように鋼の右腕を真下に向ける。
魔導が嚙み合う。
コンプレッサががちゃりと起きる。
蒸気がばしゅと噴出し、魔力が煌めいて過乗する!
「
振り落ちる瓦礫と共に、レイは天井にあけた大穴から室内に着地した。さきほど屋根に投げつけられたピッケルもごとんと落ちてきた。
夜の湿気を含んだ柱がびりびりと震えた。無人の木床は埃避けの砂粒で塗れていて、ブーツ越しにざりという感覚が伝わった。
陽はもはや一片もなく、ラギッドは不穏な闇に浸されている。
この夜は、いつ明けるのだろうか。
「み、見つけたぞ――キャノンパイル」
足音。小屋の外だ。
耳をすませる。
みしという音。
嫌な汗が、首許を伝う――。
轟、音。
小屋が倒壊する。
震えていた柱が今度こそ引き裂かれる。
サーカス小屋のテントを畳むように、あるいは
グラントが小屋の構造材の陰影に”接続”し、建屋ごと魔術を行使したのだ。
すんでの所で小屋の骸を内側から蹴り飛ばし、脱出する。
ゴーグルのおかげで粉塵は目に入らずに済んでいた。
グラントは近い。
後ろに圧を感じる。
足元にボルト入りの木片が大量に散らばっている――天井あたりの部品だろうか。
それらを、鞠の要領で蹴り上げて。
金属部品がばしゅるると振り飛び、
散弾じみて敵へ襲い掛かる。
グラントは舌打ちし、”影”を自身に素早く纏わせこれを防御。
ギプスのようにぎりぎりと全身を締め付け、直後張力を暴発させる。
魔力の衝撃波が即席の――いや足席の弾丸すべてを叩き落とした。
しかし牽制にはなっている。
レイは木片を何個か拾って駆け出す。
機動力はこちらが上だが、影との”接続”によるスリング・ショットじみた高速突撃を警戒しなければあっという間に”あの人”のもとへ直行だ――いや。
(グラントは飛び出してきたとき、小屋自体に”影”を延ばさなかった。これまでの高速突撃はピッケルの影を媒介にしている……そもそもとして”影”の射程が短いか、もしくは長かったとしても延ばすのに時間がかかる――こんなところか)
しかしつるはしを壊して終わりと言うわけにも行かない。
魔弾の射程もけして長くはないし、不慮の接近をみせればボトムズのように絡め取られるだろう。さて、どうしようかと思ったところで――ブラウスの胸ポケットにある髪飾りの暖かさが、不意に感じられた。
(やってみるか。これならブタ札になる可能性も少し下がる)
頭のなかで素早く仕掛けを組み立てる。
種が割れても成功する、シンプルで確実なプランだ。
風を切る。
小屋の立ち並ぶ急峻を疾駆する。
しゅぼっという音が、風切りに混ざって聞こえる。
身を低く。
避ける。
一秒後に、頭上をつるはしが通過していった。
となるとグラント=ピッケル間の軌道は危険だ。
あえてそこに立ち高速突撃のタイミングにあわせて装填しているコルトを撃ち込むという手もあるが、あちらが速度や呼吸をずらしてくるという可能性もじゅうぶんに考えられた――魔術士相手には油断だけはしてはならない。
放出導式をブースト。
体が宙に投げ出される――再び右脚の導式を連打する。
しゅぼぼ、という音を置き去りにして左脚で接地。
螺旋導式で踏み切り、みたびの加速。
今度は滑走するようなかたちで両足を使って着地し、なおも走る。
路地を真左に曲がると、前方にレイがケイトと初めて会った雑貨屋が見える。
頭の中で彼女に侘びを入れつつ、
飛び蹴りを入れ、
壁を突き破って入店した。
転がる
ゼネラル・ストア内部をざっと見渡す。
小さな円テーブルに木椅子が二、三脚。棚を見ると、炭鉱で使うのだろう売り物のデービー灯や紙袋詰めされたペミカン、酒、カップ、火打石、そして視線をぐるりと真後ろに回すと、カウンターの裏にふてぶてしく鎮座する
「さて」
棚の酒を左手、ランプを右手に抱え込んでから、カウンターの裏に飛び込む。
蒸気圧着機のレバーを引き、ボイラがゆっくりと
「
外装を通常弾で粉砕する。
高圧の蒸気が鉄砲水じみて噴出する。
ケイトの店が、柔らかく白い海に呑み込まれる。
レイが壁に開けた穴から、重い木製のドアの隙間から――靄がゆっくりと溢れ出ているのが見えた。これなら傍目からも解りやすいだろう。
はっ、と鋭く息を吐き出す。
魂を絞る感覚がある――もはや自身が死人だとしても。
あの日の熾火を辛うじて命と呼ぶのなら、俺はそれで動いている。
つぱっ。
つぱっ、つぱっ、っちっちーぱ。
これは”あのひと”から授かった最初で最後の弾丸だった。
つぱっ。
全てを突然喪うということ。この右腕も、”呪い”も、彼女も。
俺はどこにいるんだろう。
彼女の形を辿りながら生きて、どれくらい経ったんだろう。
「銃よ――
魔力媒体がまた熱を宿す――力の織布を、ブラック・ボックスに委ねる。
足音がかすかに聞こえた。
(やるか)
カウンターに飛び乗り、店の外に向けてほえる。
蒸気の海の中、グラントの位置は朧気にだが判断できる程度だ。
充分だった。
「来いよ、スキャットマン! 軍隊仕込みのジャズを聞かせてやる」
ざりと、
「おいらはパレードはあんまり好きじゃないんだ。ほ、ほら、今の君みたいに派手なスモーク焚いたりしてさ、この上なくやかましい。いらいらさせられる。」
持ってきていた木片を、手の内に滑り込ませる。
「うちの隊にもそんなやつがいたよ。砲兵なのに、時折――野砲の轟音がうるさかったからなんてわけのわからない理由で人を殺した。ブルランあたりでくたばっておけば地獄を見ずに済んだだろうに――なッ!」
間髪いれず、一発。
蹴り飛ばして弾丸を送る。
破片が霧をひゅぼと貫く。
「知らないよそんなこと! やかましいな、どいつも、こいつも!」
再度繰り出されたらしい、影での張力防御。
手ごたえはない。
かまわない。なおも牽制を続ける。
グラントはピッケルを未だ投げてこない。
店の中が蒸気で満たされていることを思い出したのだろう。
新しい”影”はもう、作らせない。
(突っ込んでこい、小熊め)
きた。
グラントが突っ込んできた。
迅い――影を自らに纏わせ張力を全身に流しているのかも知れない。
ピッケルを使った高速の突撃――あれほどの速さはないが、イン・ファイトの際に使われると中々に面倒そうだ。恐らくは奥の手の一つだろう。
寄れば縛られ、離れれば近付かれ、逃げれば隠れ家ごと巻き潰される。
夜はまさしく彼の時間だ。
レイはブラウスの胸ポケットを探る。
未だ、お互いの姿は晴れない。
+
木片、弾く。木片、かわす、木片、弾く、ボルト、かわす。
うんざりしていた。
先ほどのように”影”を延ばして小屋ごと潰すのが手っ取り早かったが、アレは建屋に近寄っていたからとれたやり方だ。ピッケルによる突撃も封じられた。
故に、寄り切る。
『閃光』に対処し、その上でカウンターの一撃を叩き込む。
暗視術式は切れない。”影”を延長するうえでのコントロールが著しく乱れる。
けして、油断はとらない。
ラギッドの闇の中、グラントはかわらず狩人だった。
(殺す。そして取り戻す。なにもかもを。ボトムズもケイトも死ぬほど謝ればきっと許してくれる――誰だってそうする。おいらだってそうする。この街を乗っ取った後も、襲ってくる奴らはおいらがベティに秘密で喉笛を掻き切ってやればいい。これまでと同じだ。仕方がないことなんてなにひとつない)
木片。
速度が違う。かわすのは困難だ。
右袖の”陰”の張力をコントロールし、
解放し、弾丸を弾――、
世界が
+
木片に紛れさせ、髪飾りを飛ばした。
豚みたいに響く咆哮が合図だ。
カウンターの上に空の酒瓶が転がる。
(
最大の加速。
距離を潰す。
宙を走り、無言でグラントに迫る。
左腕で影の防御の為のランプを、右腕を突きつけ――しかし。
「かかったな」
グラントの目が。
潰したはずのグラントの目が、これ以上ないくらいの昏さで、レイを捉えた。
(「望遠鏡」をっ、切ったのか!)
詰みだ。
義手を左手で掴まれる。
放出導式のブーストでも離れられないほど、強い。影を使った把持。
もとより近付いて――もとい、近付かせて死留める寸法だったのだ。
後は地面に叩きつけ――影でホールドすれば、レイは死ぬ。
詰みだ。
「さよならだ、キャノンパイル」
グラントの詰みだ。
レイは口に含んだ酒を霧吹きじみて放った。
飛沫がもろに敵に降りかかる。
グラントが仰け反る。
左手のランプを横殴りに叩きつける。
ピッケルの振り上げに防がれた。
もはや反射だ。
それでいい。
防がれたということは、ランプが壊れるということだ。
ランプが壊れたということは、火花が散るということだ。
火花が散るということは――。
「あ、っづァッ――があああァァあッ!!!」
酒濡れのグラントが、火達磨になるということだ。
レイを掴んだ左手の力が抜ける。
もはや”影”は身に纏われることはない――煌々と、焔に包まれているからだ。
「良かったな。石炭になれたぜ」
グラントの左足を踏み抜く――地に刺し留めるストンピング。
人間ではない者の叫びは耳障りだった。
義手を、構える。軋む。
魔術が砲身からせり出す。
編まれた力が解き放たれる。
火と、鉄と、死。その全ての権化が今、撃ち出される。
「
純粋力学。
筋肉を粉々に掻き混ぜた。
あまりの振動に、グラントの外側をべろべろ舐めていた焔が掻き消えた。
浸透魔力。
グラントの全身が変形する。
崩れた骨が間接部から突き出し/肋骨は内側から開き、毛皮のコートを破った。
穴という孔から血液がふきだす。
目や耳から流れて、焼けただれ桃色と黒が混ざったグラントの顔に垂れる――インディアンの死に化粧みたいにも見える。
グラントはもうどこも見ていない。
ふらふら立ち尽くしていた。
目は濁り、灰色だった。巣食った闇は晴れている。
「おいらの最高の友達に、ピッケルを」
ほとんど声とも呼べないような声で遺して、グラント・ハンスコムは死んだ。
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