インシデント・G サード

 ボトムズは肘を開いてコルトSAAを構え、全身補強術式を立ち上げる。

 ケイトを無事に逃がす。そしてグラント・ハンスコムを殺す。

 彼は叫んでいた。腹の底からの憎しみと昂ぶりは、ラギッドの遠雷に似て響いた。


 金を鍛ちこんだグリップに媒体から魔力を流し、グラントを震える手で狙い――プリミティヴな弾道制御/弾芯補強/反動消化を構想する。

 獣を仕留めるのとは、わけが違うのだ。

 一人の人間を冷たい土に葬る、その意味を想いながら引き金を弾く。

 シングルアクション・アーミーはその機構に従い弾丸を送り出す――しかしグラントの挙動はボトムズのそれよりはやい。

 左半身を脱力させ重心を移し、その慣性を利用するように右手のつるはしを振りかぶって、脚・腰・広背筋を連結させ――投擲。

 おおよそ十メートルの間合いが一瞬で潰される。


 鈍い光が、ケイトの瞳の輝きにも似た光がボトムズのなかで瞬いた。

 反射的に左後ろに飛び退って避ける。

 掠められて散る自身の赤い髪を見、初めて「やばい」という警鐘を聞く。

 空を去く、弧を描く鉄。

 脚を。

 動かす。

 化石された時間が、再び流れ始めるのを幻覚する。

 グラントが左手に持っているのはソウドオフされた猟銃スナイドルだった。

 向けられた銃口は闇を湛えているようにも見え、その深さに体が動きを止める。


 だめだ。

 逃げちゃいけない。おれはおれの臆病さを知っている――見る前に踊れ。

 そうでなければ、二度とこの闇の檻から逃げられなくなる。

 おれの身体はまだ動かせば動く。

 だから、銃を、避け、


(避け、)


 られない。

 はっきりと、右脚が何かに掴まれている感覚があった――分厚い唇が早口で何ごとかを形作っている。グラントは未だ動いていない。だがかれは、これまでラギッドにやって来たならず者を殺してきた歴とした魔術士なのだ。


 一切の躊躇なく、

 力が、渦の形をとり、ボトムズの筋と骨を補強ごと巻き潰していった。

 新鮮な鶏骨をまとめて手折るのに似たごべきゃという音がした。

 予感にぞっとする。

 白い骨の切片が、血を吸い黒紫に染まったジーンズを突き破り飛び出るのが見える。防御をしなければ、と考えるのと同時に――緩く張った弦を弾くかのような、低く重い痛みがやってきた。

「っぢィ、あ、うがあッ――」

 まず膝が折れ、銃が手からこぼれ、体が崩れる。

 そこに猟銃が向けられる。

 何も考えずに腕で顔を庇う=衝撃=轟音=激痛。

 散った大粒のバックショットが、肉を削り飛ばす。

 耳がじんじんする。骨全体が残響している風にも感じる。

 グラントがブリーチを引き、薬莢をかしゅと排出する音だけが何故か聞こえる。

 ボトムズはもうぼろきれ同然だった。最低の気分だった。


 それでもまだ、身体に巡る補強は崩れていない。

 片足が残っている。悲痛は苦痛を越えていた。

 思い出せ。

 思い出せ。

 思い出せ。

 数式、大学カレッジで習った、護身程度の薄っぺらな魔導式。実体魔導論考Cマイナスのレポート。担当教官の鼻のできもの――まだだ、まだやれるはずだ。

 ケイトの揺れる色あせた金髪を、ボトムズは霞む視界の中でたしかに捉えていた。

 足元に転がる、血濡れの小石を素早く拾う。

 互いの力量は把握している。

 それでも、こいつだけはこの街に生かしておくわけにはいかないのだ――両足はくれてやる。ケイトを無事に逃がせるならば安いものだ。

 残った左脚が、もう一度何かに

 概ね予想通りだった。先の攻防で一息にボトムズの全身を折らなかった所から、あの力はいくつかの制限があるのだろうと朧気ながら読み取れていた。

 脚が締め付けられる。魔力場が干渉し合い、構築技量において劣るボトムズの補強式は全身フルスケールで瞬時に崩壊していく。

 それでも上半身までには「力」は及んでいない――理は暴けないが、隙ならば作り出せる。そこに、最大をねじ込もうとする。

 響く。鉄と石ころと共に歩んできたボトムズの、たった一つの矜持。

魂は、鋼に在りてSpirit,in the meta――」

 手に握られた血まみれの小石が、内側から紅く、淡く光を放つ。

 しかし、かれは空を切って背後に迫るつるはしに最後まで気づくことはなく。

「ごめんよ、ベティ」

 肩口にピッケルが突き刺さり、今度こそ、呆気なくボトムズ・ハインウェイのすべてを引き裂いていく。鉱泉みたいに、ごぶと傷口から血が湧き出た。

 視界が――赤、白、灰色とめまぐるしく変わる、遷る。

 苦し紛れにグラントを見、あれあいつはどうして横倒しになってるんだと思う。

 違う。おれが倒れてるんだ――そういや、金鉱のデータは結局グラントの嘘だったんだよな。ラギッドは結局どうなるんだろう。ハンスコムは奴に殺されるんだろうか。義手の少年はもう逃げたろうか。そもそもなんであいつは魔術を使えるんだろう。ああ、ケイト――だめだ。ここはひどく寒い。何も見えない。

 彼女の髪に似た、鈍い光が弱く瞬く。

 アンモライトの髪飾り。

 ふたりのお墓について。

 なぜだろう。

 今は五月のはずなのに、ひどく寒い。

 光が消える。


           +


「トンプソン嬢」

「なに、バレットさん」

「ボトムズには悪いが、あいつは戦いはだめだ。素人に毛が生えたくらいで、そして本物な魔導士ってのはその毛を瞬く間にむしり取れる」

 馬の手綱を取っているのはケイトだった。ラギッドの道は彼女の方が詳しいから、レイは鞍の後ろで備えることにしていた。

 義手は構造材自体に半自律オートプロットで刻印されている放熱術式によって手で触れるくらいには冷めている。魔力は残り六割ほどだから、もう二発炸裂弾ホロゥ・ポイントを撃てば空になる。コルトなら七十発、ピアッシングとスプリングフィールドなら各四十発ほどか。

 小さく詠唱し、通常弾・回転弾・貫通弾の順に二廻り。計六発を、金張りの弾倉に滑り込ませる。格闘機動も正常だ。脚部に大きな違和はない。

「あと、どのくらいでグラントの家に?」

「もうすぐ着くわ。その、」

 ケイトの声音には怯えはなく、純粋にふたりを案じているように聞こえた。

 状況が飲み込めていないというわけでもなさそうだったし、やけっぱちになっている様子でもない。案外こういう修羅場にも慣れているのかも知れない。

「大丈夫だ。あんたもボトムズもやらせない、約束するよ」

 レイは馬の尾みたいに揺れるケイトの金髪と、アンモライトの髪飾りを眺めながら断言した。きっぱりと言葉を世界に放り投げれば、物事はおのずと上手く回るようになると――は本気で信じている節があった。

「恩はきちんと返すべきだ。誰にでも、何にでも」

 ケイトは俯き、そのまま馬を飛ばす。

 流れる群青の闇に、一瞬『下層区画The Lower(←くたばれLowerども!)』と彫られている看板が見え、つられるように下に目を遣ると――なんの予兆もなく、見知った赤毛の男が、肩からつるはしを生やし倒れ伏しているのが見える。

「トンプソン嬢」

 ケイトが怪訝そうに振り返る。

「下を絶対見るな。俺は今からあいつを助けに行くから、トンプソン嬢は包帯とか水とか強い紐とか――とにかく色々、必要だと思うものを用意してからこっちに来てくれ」

 彼女の手綱捌きが一瞬狂い、馬が脚を砂利で滑らしかける。

「しっかりしろ。今やつを助けられるのはあんただ――あいつは相当やるぞ」

「昔、から――」

「ああ」

「昔から、私はよく動物の怪我を治すことが多かった。大丈夫できる、お医者さまは、その、あんまりラギッドには来ないからだからっ――」

 声は切なく震えていた。軍隊でこんな新兵を見たことがあったなとレイは思い返した。

「解った大丈夫だとも。落ち着け、そんなお前さんならボトムズを助けられる。言ったろ、二人ともやらせないってさ」

「ええ、ええ――その、気をつけて」

「ああ」

 ゴーグルを掛け、レイは馬から跳ぶ。

 ケイトが驚いたように呼ぶ声がラギッドの夜に宙吊りになった。

 落下の勢いに任せながら、放出導式の連射――重心の調整――右脚右脚振り上げて左脚両足、両脚!

 胸を基点に、空中で縦回転。背面跳びのように、足を振り上げた格好から――空間をカットするような加速が二秒フラットでレイをボトムズたちの真上にまでふっ飛ばす。体幹をねじり、躯を横に流した状態で。

 右腕を振りぬきながら、『魔弾』を撃つ・撃つ。

 通常弾コルトプラス回転弾ライフル――捻転のモーメントを加えた純粋魔力が、砲弾のごとく術者を地上へと叩きつけていく。

 真下。

 猟銃を担いだでぶが、弾かれるようにレイのほうを見上げる。右腕をぶん回して荒ぶる慣性を立て直し、首を刈れるよう踵を跳ね上げた。


「キャノン、パイル――」


 グラントが動く。

 傍に倒れ伏すボトムズの肩から右手でつるはしを一瞬で引き抜き、返す刀で体を捻り宙に振り上げ――猛然ととされる、蹄鉄仕込みの軍靴とかち合う。

 鉄と鉄のせり合いは短く、重い。

 ピカクスの尖った頭が片方ひしゃげ鍬のごとく様相を変えるのと同様に、ブーツの踵側の蹄鉄も衝撃に堪えかね弾け飛ぶ。

 衝突の反動を螺旋導式をつかって流し、後方に宙返り――グラントの重心は先の一撃で後方に流れている――畳み掛ける。

 接地/荷速/跳躍/加速。

 グラントとの間合いは五メートルほど。格闘機動ならば一瞬で潰せる距離だ。

 五、ゼロ。

 跳びながら右足を振りぬくが、屈んでかわされ、グラントを勢いそのまま跳び越える。グラントが振り返り、右腕のつるはしを振りかぶる。

 接地した左足を軸に――姿勢を下げ、右足の放出導式を蒸かし、旋盤のように鋭い脚払いスウィープ

 内股を蹴っ飛ばしたレイの脚が、グラントをよろけさせる。

 螺旋導式のトルクを目いっぱい回し、左脚一本で後方宙返り。勢いそのままサマー・ソルトのように掬い上げる蹴りを放つが、体勢を立て直したグラントに払い落とすように防がれる。

 三度目の着地=空間を穿つように、ピッケルの振り下ろし。

 放出導式のクイック・スラストで右に転がる――低い姿勢のレイの頭に、ふらりとわせるようにグラントの左手の猟銃が向けられる。スナイドルの弾込リロードめは面倒だし、連射も利かない。

 だからこそ、一発で殺せる瞬間を必ず突くはずだった――隙を狙うという、隙。


「銃よ来たれ、《Girl gonna give me the guns》鉛を分かて!《breaking lead,winchester!》」


 転がる勢いで掬い上げるように掲げられた右手──位置は、ちょうど相手の左手の真下。

 グラントが脚をうしろに動かすが、間に合わない。

 コンプレッサが唸り、シリンダーが空圧を思い切り絞り、リボルバが魔力を噴射された水蒸気へと過乗する。

 レイの足がずしりとラギッドの赤土へ沈み──砕かれた刃のような力の閃きが、魔術の散弾ウィンチェスターが、二発の射撃を経て疲労していたスナイドルを銃身ごとずたずたに断ち割る。


「くたばれ」


 よろめいたグラントに、二巡目のコルトを撃ちこもうとした――レイの脚が、ふいに止まった。















             


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