インシデント・G セカンド

 街には薄青い夜の紗幕が掛かり、山の中腹から望む平野は、昨日の昼に観た精緻なもざいくみたいな紋様を濃度が隆起した闇に様替えしている。

 ラギッドの夜が再び更ける頃、レイはトンプソン嬢の家の門戸を叩いていた。

 ややあって、少し疲れの色を滲ませながら、金髪の若い女性が扉を開け彼を出迎える。

 がちゃりと鍵がほどける音。レイにもいつかあったはずの帰る所、暖かい火。

 昨夜の夕食どきにボトムズが、彼女のブロンドは夕陽にかざすと光の加減でまるで燃えているみたいなんだと酔いに任せて放埓に語っていたのをなんとなしに思い出した。


 「お帰りなさい、バレットさん......今日はどちらに? 昼間から姿が見えないから、どこに行ってたのかなァってベティと話してたんですけど......」

「ああ、色々と大切な確認ごとがあったんだ。トンプソンさんも今日は大変だったろう――ところで、ボトムズはいるかい? あいつに少し話したいことがあるんだけど」

「話したい、ことですか。それって今のこの状況に、ラギッドが切り離されちゃったみたいになってるのに関係あること......そう、なんですよね?」

 レイは応えなかった。ただじいと目の前の利発な女性を見つめた。

「とりあえず、上がってよ。外はまだ寒いでしょうから......」

 ケイト・トンプソンはそう言ってぱしとレイの手を握り、無理やり招き入れようとする。

 しかし少年は彼女の手を振り払った。


 「時間が無いかも知れないんだ。ボトムズはどこにいるのか、知ってるなら」


 教えろ、と続くだろう言葉にトンプソン嬢は形の良い眉と目を歪め、はっきりと震える拒絶の表情を作った。それは確固たる意志、大切なものを守ると言う慈愛と決意に裏打ちされた悲壮な貌だったが、しかしそれはレイの心にはとくに何の感慨ももたらさなかった。

 恩は......返す。そう決めている。

 逆張りをすると――恩以外は返さない。彼女の事情にかかずらっている暇は無い。レイの力はあくまで、彼が規定した状況下でのみふるわれる。そう言う制約を、誓約を、己と己の右腕に課しているのだ。

 祈りは斟酌しない。ガラガラヘビ――マイヤーズとの戦いでも再び思い返したこと。


 だから、この日だけは、レイがボトムズとトンプソン嬢を守らなければならなかった。

 本来礼が出来るならば金銭で、とは考えていたが、こんな状況になっては命より他に大事なものもないだろう。彼は今回の顛末のおおよその筋道を掴んでいた。

 故にケイトが何故彼の居場所を教えることを拒むのかも解る。

 ――彼女は多分、俺が今回の事件の首謀者ライターだと思っているのだろう。

 首肯には難くない。流れの魔術士、手には物騒な義手。素性も知れない謎の少年。

 寂れた街の下らない小事件インシデント、そのミステリー・リリーフに仕立て上げるにはうってつけ過ぎる。俺は昨日彼女たちよりもよほど早く床に就いた。

 それだけのことだが、現実として彼女が俺を潔白だと思う道理はあまりない......

 加えて昼間の奇妙な外出だ。これがラギッドに来る前拾ったトランクの中身のペーパーバックの内容だとしたらレイはその時点で本を破り捨てていただろう。何せ見通しが良すぎる。それこそ文字通りの紙ぺら小説だ。警戒するのも自明かも知れない。

 場当たり的に、筋書きの部品として組み込まれているのを感じる。

 だからレイはケイトに『俺は違う』と言い添える代わりに、こう答えることにした。


 「お前さんが俺のことをどんな目で見てるかって言うのは、重々承知している――重々な。いくらあんたたちがお人よしとは言え、脳みそにまでペヨーテが回ってるわけじゃないだろうから、それは頷けるんだ。信じてくれなんて無茶なことを言うつもりはない。理由がないだなんてとぼけるつもりもない。だがな」

 言葉尻に掛かる剣呑な空気を感じたのか、ケイトがおとがいをぐっと上げる。


 「このままだとボトムズは死ぬぞ。間違いなくな」


  彼女はその言葉を受け、かっと目を見開いた。

「言っていいことと、悪いことってあるんですよバレットさん。解らない?」

 ポニー・テイルに纏めた髪飾りを弄りながらなおもケイトは続ける。

「わたしは......ボトムズが居ないと駄目なの。ねえ、あなたは魔術士なんでしょう? あなたが彼を追い詰めてるんじゃないの? 今から彼を殺すつもりなんじゃないの? この街の金をまた、昔来たMOAの奴らみたいに騙して、奪うつもり?」

「疑問を疑問で返すな、そいつらがどうしようもないクズだっただけだ。ラギッドは広い、早くやつを探さなきゃ手遅れになる。後で全部説明するから、ボトムズがどこか教えてくれ」

「だめ。勝手にあなたの荷物を見たのは悪かったけど......バレットさんは信用できない」

 言って彼女はレイの鼻先に、ぺらりと一枚、紙を――レイがラギッドに来るときに見捨てられたように死んでいた男のトランクに入っていたやつだ――を突きつけた。

「あなたのお金じゃないんでしょう、あのトランクの中身。イニシャルがついてたもの」

「いいや俺のだよトンプソン嬢。俺が拾ったんだから俺のだ」

「よしてよ、そんな子供みたいな理屈。後ろ暗いところがあるんじゃないの?」

「それを承知で泊めてくれたものとばかり思っていたんだがね。今お前さんの頭の中身はひっくり返りそうになっている――わかるさ。だがほだされるなよケイト・トンプソン。はっきり言ってあのカネと今回の顛末は関係ない。どこかの馬鹿がギャンブルで命と一緒に落っことした財産を有効利用してるだけだ」

「呆れたわ、恥知らずな人」「自覚はあるさ。でもな」


 それからちょっと思い返して、レイは言った。

「なぁ、昨日の夕飯は本当に楽しかったと思うんだ。久しぶりにどこか満たされた気がした。俺だって恩は返したい。あいつを助けたい。そう思うのは自然なことじゃ......ないのか?」


 トンプソン嬢ははっとした表情で、自らの愛する人、その善性を垣間見た気がした。

 ボトムズの優しさによって衝き動かされ、差し伸べられようとしている手をにべもなく自分が払うのは道理には合わないのではないか?それは彼の優しさの否定にもなりえる。

 それに、ケイトが今この少年の申し出を断ったとして、それでボトムズが更に厄介ごとにでも(今も厄介ごとの渦中ではあるが)巻き込まれたりしたら、どうなる?

 グラントにも、ハンスコムにも申し訳が建たないし、何よりそんなことになりでもすれば、ケイト・トンプソンはおのれの人格を保てる自信が無かった。

 再び、彼が綺麗だと言ってくれた金の髪を。そこから指をつつと流してアンモライトの組紐に触れる。そうして呻くように呟いた。

「それならからそう言うべきだったわね。決めた、わたしもバレットさんに付いて行く。ベティさんに何かあるって言うなら......彼は強いけど脆いのよ。宝石みたいな人だから」

「よくわからないな。どうしてそれほどボトムズに拘る? いや、やつが魅力的な人間なのは認めるよ。怪しいことこの上ないガキに一宿一飯を与えることも女の子、具体的にはお前さんを愛することも街を人望と努力で建て直すことも出来るだろう。俺だって、そこに惚れた腫れたが入り込むのは不自然だとは思わないが――問題はお前さんのほうだ。ことあるごとにベティベティ......うわごとみたいに言いやがって。アヘンにでも漬け込まれてるのか? まともじゃないよ、お嬢さん」

 言ってからレイは己の沢山の過ちに気付いた。ひょっとしたら、物事がスムーズに進行しないことに憤りを感じていたのかも知れない。しかし今のは明らかに必要のない口論だ。

「そう言う風に、見えるの、私は」

 トンプソン嬢の目は据わっていて、体からは例の如くパワフルな小型蒸騎みたいな圧が発せられていた。レイは少しやりすぎたらしかった。世の中の女性は泣いたり笑ったり騒がしくおしゃべりするだけの存在ではないということをすっかり忘れていたのだ。

「ああ、もはや病的だね。見ていて気味が悪いくらいだ――俺が立ち入ることじゃあないんだろうが、昔何かあったのか? 半ば信仰にも近いように見える」

 少年は半ばやけくそで毒を吐いた。次ラギッドに立ち寄る機会があるとするなら――レイの予想ではそんなチャンスは永久に巡ってこないだろうが――少なくとも彼女の家には絶対に上げさせて貰えないだろうなと解った。もうあのブイヤベースは永遠の味わいになってしまったのだ。

「......面白いわね、そのジョーク」

 底冷えのするような声――あのサルーンでマイヤーズがレイを糾したのと似たようなかんじの、人生を焼き尽くしてありあまるほどの怒りを孕んだ声。彼女の瞳は暗い輝きを秘めていた。

 レイには二重の意味で馴染みのある感情だった......これ以上はまずい。本当に、この気丈な女性に刺されかねない。

「解った、解ったよ。俺が全部悪かった......一から十までだ。何もお前さんを苛めたかったわけじゃない。謝るよ。行こう、本当に時間がないんだ」


                            +


 時間はいささか巻き戻る。

 レイはトンプソン家からくすねてきた地図を手に、ラギッドの下層から再びダコタへと帰るための山道――もちろん爆破されているはずだった――への道筋をなぞった。

 それから一言、己に対する暗示のための言葉を漏らす。

I was bornto run

 一本、脳髄から爪先へと、雷が走る。何かが切り替わった感覚が在った。

 ぴりと頭に来る、心地よい痺れを感じる。がしゃりと義手を鳴らしゴーグルを掛ける。

 地面を削り、狼のように姿勢を下げる。一拍置いて、駆け出した。

 痩せこけた病人の肌のようにざらりとむき出しになった地面を、蹄鉄仕込の黒い軍靴で強く叩く。大地に蹴り付けられた運動エネルギが、發条となるように組み上げられた導式に浸透する――、ロスを生み出しながらも、魔力の助けを得て機動への軌道へと筋が通ってゆく。奔る熱は第一、第二結節点を通って螺旋機構へ。交互に配列された蓄積式と循環式と反射式がばチンとスパークを放つ。回路を通る。経路を通る。からだが、進む。魔導で完成された發条は稠密にレイを前方へと押し出した。


 血管に沿って張り巡らされた魔力の路を煮えたぎるものが突き抜ける感覚がある。

 そしてそれらは次の機構へと辿りつく。集合知の暗い泉に光を灯すようにブラック・ボックスが反応し、力学はさながら赤熱する甲鉄艦の砲身のごとく、爆ぜる。

 放出導式――魔力を純粋な運動エネルギーとして指向させる魔導。

 いわばインスタント・ブースターだが、そも生身に張るものとして想定されていない。

 マイヤーズの鞭の加速であったり、ボトムズも恐らく何度か鉱山の関係で使ったことはあるのだろうが、本来の使い方はそれだ。

 無理を通しても道理は通らず、当然の如く魔力を噴出した瞬間筋が弾け腱が裂ける。

 肉体を保護するための補強導式に魔力リソースを割いては肝心の加速も空威しとなり元も子もない。故に魔術士の戦いはまず西洋の騎士のごとく全身を魔導で固め、それから強化された鉛弾やら拳やら、不可思議な魔術を撃ち合って勝敗をつけるのが常だ。

 しかしレイ・バレットは違う。彼は右腕の義手と駆動のための下半身以外は基本的に補強をしない。魔力を廻さない。故に「単なる」魔術士では彼の速さに応せない。


 彼の師が造り、そしてレイ自身が完成させた身体強化のハイエンド。格闘機動コンバット・マニューバは彼を単一の機械として、更なる速さに誘ってゆく。

 苛速機構たる螺旋。加速機構たる放出。

 初速は魔力の噴出、そこから勢い乗せてバネ状の螺旋式に負荷し、跳びだす。動き出しや強引な方向転換、不意の加速は放出導式のを三つ並べ、靴底一つ、脹脛のベルト二つに仕込んだ魔力チャネルからそれぞれ任意方向に噴射。螺旋式は速度と力の維持、跳躍の補助に衝撃吸収アブゾーバ。疾走と飛翔の境目を往く機動。

 少年は竣嶺を疾走する。


 自分の足で地を掴んで走るのは、馬に乗る時とは比べ物にならないほど風を切る心地がする。砂塵が後ろに、蒸騎の余剰排出みたいにばあっと立ってそして晴れる。

 体感で一半マイルほど走っただろうか。巨人の筋肉のような刺々しいサンシャイン・リッジ(ラギッドの連中は皮肉を込めてアンブラ・リッジと呼んでいるらしい)が流れながら望める。

 切り立ったラギッドの心臓部は、地図によると上層の中心部に行ってから、更に半マイル東にある別の舗装路を辿って近道――ひとつしかない道を近道と呼ぶかどうかは疑問だが――のようで、つまりレイはそちらとは逆走している。向かう先もまた見えてきた。

 下層上層、それぞれ左右に二本ずつ。合計四本、ラギッド・マインにはダコタの平野部へと続く道があり、それらは血脈のようにこの寂れた鉱山街の交通を支えていた。

 レイが上ってきたのは下層の右側の路、あのサルーンへと続く路 。

 手書きらしい地図には「一番山道」と几帳面な字で記されている。

 上層の左が「三番山道」、上層の右が「四番山道」。今朝ボトムズから聞いた話だと、四番山道には線路が通っていたようだが、そこも当然のごとく滅茶苦茶になっているらしい。

 今、レイは「二番山道」、つまりは一番山道とは反対方向へ駆けつけていた。

 導式を切ってゆく。ざりざりと赤土の地面を削り、砂利を巻き上げながら減速。

 黒のボトムスについた砂ぼこりを払って振り返れば、そこには巨大な化石の更に残骸にも似た、土砂と瓦礫の山積があった。ラッシュモア山から続く木々や周囲の岩石の隆起から零れ落ちた岩石が、バリケードのように縦さま横さま重なり合い山道を無愛想に塞いでいる。

 山の斜面から零れ落ちたのであろう岩石には、三フィート以上......大の大人の身長よりもなおおおきい物もたくさんあった。荷物を背負って越えることは不可能と断ずる。

 情報を一つずつ確定させていくが、あくまでボトムズを守るための取捨選択だ。

 だれがこの画を描いたのか、どうしてラギッドを分断したのかはこの際どうでも良い。

 第一。で、何が起こっているかをくまなく整理することなど到底不可能だ。


 精神干渉や視覚干渉などの絡め手を持ち出された場合、魔力蒸気の衝撃波たる「魔弾」と脚技を最たる武器とするレイには、ほとんど対抗策がない。

 魔導は、しばしば混同されがちであるが魔術の下位概念だとしっかと定義づけられている。

 しかし、魔術士の要たる秘法――個々人の無意識、『魔術根拠』によって決まる特質――レイの場合は義手による蒸気魔力ライナー、すなわち「ウィンチェスター」や「コルト」の類、と、もう一つの『呪い』であったり、つまりは魔を扱う者にとっての固有技能だ。

 魔術士をこの合衆国で最大戦力単位足らしめる業。

 形而上下、双方に波紋を起こし世界に干渉するあたらしいクラフト。火砲の発達により朽ち果てた騎士道の精神すら魔術の台頭により舞い戻ったともされる――そんな力。

 このラギッド事件には間違いなくそれを扱う者が関与している。

 ひょっとしたらボトムズ本人かも知れない。きのうレイが床に就いたあとに、こっそり家から飛び出して落盤を仕掛けたのかも知れない――この街の山を三年かけて知ったという彼ならありえなくはない。ないが、その場合あれほど必死にラギッド中を駆けずり回ったりするだろうか? レイにはよく解らなかった。


 「俺にはもう、ここがいいんだ。誰にだって自分の家を修理する権利くらいはある。ただ――俺だって承知はしているんですよ、自分がどうしようもない、腑抜けな穴掘り屋だって。人を殺すことも出来ないし、だからと言って冴えたやり方を用意できるわけでもない。この街はまるで鳥かごみたいになってしまったけど、俺みたいな人間の欠陥には、最初からこんな終わりが用意されていたのかも知れない」


 そう、うそぶいた青年......ボトムズ・ハインウェイ。何かを諦めた人間の口ぶりだった。

 ほんとうに彼なのか? レイは疑問を反芻した。

 自ら町を壊そうと試みる立場だったとして、カモフラージュとして奔走していることも考えた。

 しかし良く考えてみよう。そう言った小手先の偽装をする必要はどこに?

 ボトムズは街の若者に慕われているとケイトは目を輝かせて語った。

 じっさい、彼のやってきたことのおおよそが真実なら、ボトムズはこそこそと今回の顛末の犯人扱いされるのを恐れる必要はない。老人たちとの確執は深く、若者たちは声を張り上げ、然るのち血祭りにあげるはずだ。蜂起の二文字が頭に浮かんだ。

 ボトムズが例え底抜けの善人にしても、これまでの鉱山の発展(今は死にかけているが)には綺麗ごとでは済まされない部分もあっただろう。まして彼は魔術士なのだ。

 ゆえにこの好機に動かないと言うのならば――それは

 その考えが閃いた瞬間、背骨を雷が駆け抜けた。

 はじき出された結論に矛盾はなく。この街と歪に抱き合わさった状況に符合する......もう一人、ボトムズもケイトも預かり知らないこの街の影。そんなものが存在するとすれば。

 その人物は何のためにこの陸の孤島を設計したのだろうか?滅びへと向かうきざはしがゆっくりと彼らを誘っているようにも思える。


 善人の死、とレイは呟いた。


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