バードケージ
『ディア・ボトムズ
ヨンバンサンドウバクハサル シュウヘンセンロモノキナミダメダ
アナタニタイオンアルヲオモエバキキスゴセヌ シキュウレンラクモトム
ブレーカー・ジョンヨリ テレグラフ・ファッシル208:フロム・MOAマテリア』
「どういうことだい、お二方」
レイは慎重に訊ねた。
色々と解き明かさねばならないことがあったし、事態は混迷を極めていたから。
「俺は......俺が、昨日ケイトと飲んでいて――そしたら、急に地下の念信器がわめき出して――急いで魔力を空流して、信号を変換に掛けたら、このざまだ」
レイ、ボトムズは卓を囲み、ロール紙にインクで焼き散らされた文言をじいっと眺めていた。トンプソン嬢は家の地下へ備蓄の確認に赴いている。
ラギッドは鉱山街で、食糧のおおかたを麓よりも下の輸入に依存していて、その要たる蒸気機関車の
昨夜くつくつと煮えたブイヤ・ベースが置かれた食卓は、今はもう無遠慮な紙の束に占拠されていた。
ボトムズは前髪をくるりと人差し指に巻きつけ、ほどく。
そのまま机を立ち部屋の辺りそこらを引越し時のネズミのようにうろうろと歩き回り、そしてまた机に着いて赤い綿に似た髪を弄り始めた。
傍目から見てもボトムズ・ハインウェイは憔悴していて――その一連の動作がひとまずの収束を向かえたあともやはり憔悴していた。彼は両の目をぎゅっと瞑り何事かをぶつぶつと繰り返していた。レイは彼に何と声を掛けるべきか図りかねたが、この場合は何を言っても上手くいかなかっただろう。ボトムズがこれまで繋いで来た街はこの時落盤のように崩れ落ちようとしていたのだ。それに――まっとうな社会生活を送っているものなら誰でも、自宅から三日後に食べ物がぜんぶ......食べかけのピクルスも、三十セントの鹿肉のジャーキーも、お節介に隣人に押し付けられた崩れたバターカップも......ぜんぶ!
冗談みたいに無くなると確かに知れた時、まったくの平静で居られる人物はそう多くない。
そしてボトムズもまた、大多数のうちの独りだった。
彼は変わらず憔悴していた。
「食べ物は...三人で三日分くらいなら、あるわ」
戻ってきた彼女は現実に挑みかかるように呟いた。
「だが......線路を直すのにどの位掛かるのかが解らない。後でジョンと連絡を取ってみるけれど......そもそも本当に山道は壊れているのかな」
「そんな嘘つく理由が無いでしょう。食糧の件だってお爺さんたちが、だまってないでしょうね。きっと食べ物を要求してくる。この街に残っているものを、全部。仮に皆で分けたとしても、とても線路が直るまでは待っていられないわ」
ケイトがそう言葉を継ぐと、ボトムズは頭を抱えて卓に突っ伏した。
ラギッドは山中であり土壌は薄く、あるのは鉄と石ころばかりで、彼らが無事に明日を迎えられる道理は何一つとしてなかった。
「今、報せを握っているのは、俺と、きみと、バレットさんの三人だけだ。例えば俺たちが線路が壊れたことを黙っていたとして――それで何になる? 街の人間を見捨てて食糧を独り占めするなんて出来やしない。遅かれ早かれ嗅ぎつけられて、それで終わりだ。上のやつらにきっと蒸気の送圧も停められる。鍵は彼らが握っているんだ、それに金も」
その言葉を受け、レイが口をはさむ。
「あんたは魔術士じゃないか? 街の連中を皆殺しにすればそれで終わりだ」
少し間があり、そして二人は揃って表情を歪ませる。
ケイトは苦々しく、ボトムズは苦笑交じり。
ぽかんとした風穴が彼らとの間に生まれたような感じを、レイはおぼえた。
「そうだな――バレットさんの言うとおりだ。だが、それは俺がやることなんでしょう? 見知った人々を仮に地獄に突き落としたとして、その先はどうなる?」
ボトムズは牧師のように、説く口調で続けた。
「俺の友人にグラントと言う若者が居ます。食い扶持を守るためにそいつの眉間をぶち抜いて、その後にパンなんか飲み込めるか、と言う話です――多分あなたはラギッドの人々のことをあまり知らないから、そう言う考えもでてくる。が、たとえあなたでも......一人でも、この街の人間に危害を加えようとするなら」
「殺すのか?俺を」
「まさか。俺にはそんなことは出来ないって、言ったばかりじゃないですか」
彼はそう言って、どこか卑屈な笑みを浮かべた。自らの能力の欠如を隠す気のない表情で、それはレイにとっては昨晩の夕餉と同様、いくぶん奇妙に映った。
「俺にはもう、ここがいいんだ。誰にだって自分の家を修理する権利くらいはある。ただ――俺だって承知はしているんですよ、自分がどうしようもない、腑抜けな穴掘り屋だって。人を殺すことも出来ないし、だからと言って冴えたやり方を用意できるわけでもない。この街はまるで鳥かごみたいになってしまったけど、俺みたいな人間の欠陥には、最初からこんな終わりが用意されていたのかも知れない」
結局のところ、自身には己がためにひとを手に掛ける勇気がないと、ボトムズはぽつぽつと述べた。彼の極めて善良な性質は一欠片のビスケットをももたらさないが、そんなことはボトムズその人が一番承知していたのだ。
彼には人を蹴落としてまで肉をむさぼることは出来ない。
それが聖人としてのあり方なのではなく、彼の隣の大切な人にさえ――暗い影を負わせてしまうことを知っていながら、それでも彼は彼であることを止められない。
事実それは一種の業だ。
それも、たちの悪いことに、ふたりが作り出した業だった。
一通り語り終えた後、
「街の皆に話してくる。ついでに道の様子も確かめてこなきゃ」
と言って、ボトムズ・ハインウェイは出て行った。
ケイトもそれに伴い、レイは彼らの家での滞在を強く勧められた。
「私たちが貴方を引き留めたのだから、責任はこちら側にある。何とかして貴方の面倒は見る」との言い分だったが――別にレイはいますぐラギッドから出て行くことも可能だったのだ。義手の魔力射出機構による、魔力を蒸気に過剰させた弾丸......例えばライフルの概念を加工した「スプリングフィールド」なんかを全力で撃ち込み続ければ、大量に積もっているであろう岩石や土砂も吹き飛ばして、そこを
しかし......それこそ、その先はどうなる?
馬を買われ、一宿一飯の借りもある。それを放って出て行くのか?
きっと、あの人ならば
彼女の綻んだ口元を思い返して、投げ掛けられた言葉の暖かさを思い出して、最後に渡されたゴーグルの重量を思い遺して――なんでもいい。とにかく、思い出しさえすれば自分のかたちを保っていられる。あの人を辿れば、レイはレイとして存在することができる。
レイは灰色のストールを右肩に流して、首許にゴーグルを掛けて、トンプソン家の扉を左手で押し開けた。
「だから、外には出れないんですって」
ボトムズとケイトはラギッドの上層、老人たちの居住区へ足を伸ばしていた。
比較的人当たりの良い彼ら――と言っても全く穏やかなものではなかったが――が、若者たちと老人たちとの橋渡しのような役も兼任していて、そんな二人が見せた爆破事件の報に、老人たちは一様に渋い顔を見せた。
とりわけボトムズの目の前で水煙草を
巌のような表情で、視線は送られた念信用紙を交互にうろついている。
ボトムズは、こいつは怪物だと思った。
ラギッドを支配しているのがただの
しかしボトムズにはこれまでも、そしてこれからも、彼に勝てる筋道はないように思われた。
名をゴードン・ハンスコムと言い、南北戦争では北軍でちょっとした軍功を立てていたが、彼が南部の出だと言うことで、つまらないイデオロギーと嫉妬心に駆られた彼の上官に出世を妨げられ、魔導士がはびこる激戦区(ウィリアム・テカムセ・シャーマン将軍の腹心だったらしい、『海への進軍』だったかゲティスバーグだったかは忘れたが)に放り込まれて――その場に居た魔術士百人全員を、一個中隊を使い潰すのみで皆殺して帰ってきた男だ。特別な魔術も武術も持たなかったが、ただただ頭が切れた、と聞く。
魔術士はそこらの騎兵や蒸騎などでは束となっても太刀打ちは叶わず、蒸騎艦でも引っ張ってこなければ殲滅など到底出来るものではない......とされていた。
魔術士を戦力単位として見た時の最大の欠点とは、『個人であること』だ。
複数人で運用する軍用の
開戦当時は魔術に通じていない指揮官も両軍に多く、そしてハンスコムはそこを突いた。
味方の魔術士に当時としては新興の技術だった念信設備を駆使しての、徹底した偵察・情報収集を指示し、自身も魔術をよく勉強し――その結果、適切な部隊の運用(例えば弾幕による面制圧での足止め、通信の遮断、インフラの破壊、徹底した妨害工作、そして五百パイントの、大樽いっぱいの爆弾!)さえあれば、いくら魔術士といえどもくたばる、と。
その言葉に違わず、実際に敵軍を囮で殺し、毒で殺し、火で殺し、罠で殺した。
敵の魔導士の舌を引っこ抜いて魔術を封じた後、四肢を切り落とし、片っ端から生きてもぞもぞと動く『案山子』を作った。部下の魔術士に命じて、魔術を編みこんだ爆弾を作り、『案山子』に飲み込ませて――救助に来た仲間ごと爆発させ、巻き込まれたものを使ってまた新しい『案山子』を作った、とグラントが興奮ぎみに語っていたのを思い出す。
彼は人の殺害と言う一点において、非常に有能だった――が、結局の所戦後のフロンティアにはそうした『戦争ジャンキー』に生きる場所は無かった。
彼はうまくやったが、あまりにもうまくやりすぎていたのだ。
味方からも敵からも蔑まれ、流れに流れた場所が、このラギッド......そう言うことだった。
そうなるとシャーマン将軍の盟友であるグラントの名を持つ若者がたまたまこの街に居たのは一つの奇妙な巡り会わせだったのかも知れない......
彼は蜂蜜のフレーバーの水蒸気を吐き出して尋ねる。
どこからかこんな水煙草を買ってきたのだろうか、ボトムズには解らなかった。
「鉱山の爆破用のダイナマイトがあるだろう。アレは使えないのか?ひょっとしたら道を塞いでいるだろう土砂を吹っ飛ばせるかも知れん。そうしたら後は、きみたちの好きにすればいい。食料は流石に運んできてもらうが」
「......それは、そうだけど」
「爆発のあとの影響も、きみならある程度解るのではないのか」
「ええ。しかし、それはあくまで予測ですし、危険すぎます」
「使えない理由でも?」
ゴードン・ハンスコムは巌のような男で、額には人生に倦んだ者に特有の深い二本の縦の皺が走っている。ずっと眉をひそめて生きてきたみたいな人生の映り方だった。
「もう爆弾の貯蔵がないのよ。山が枯れてからは久しく仕入れていなかったって、ぼやいてたじゃない――貴方のお友達の老人方が」
「――ふん! あんな根性の無いやつばら......居ても居なくても、変わらないような奴らだ。シャーマンさんが見ればきっと腑抜けぶりに嘆くだろう。爆弾だってグラント辺りが隠し持っているに違いない。余所者には解らんだろうがな、やつは根から腐っとるのさ。どもりなんぞその証左に他ならん。それに、そうしなかったのはまだ十分余っていたからだ......どこからかやって来た技師が余計なことをしなければな」
ボトムズは応えなかった。身を乗り出しかけていたケイトを抑え、静かに笑った。
「グラントは良い奴です。よくやってくれていますし、どもりだって別に――」
「お前さん方の事情はどうでもいい。 ともかく、手を尽くせ。こちらからも智慧は出すし、必要なものがあれば渡す。どうあれ私は静かに暮らしたいだけだ」
そう言って老人は再び水煙草を吸った。
彼の机上にはジョミニの「戦略理論」が栞を挟まれ置かれている。
ボトムズはハンスコム翁の家の中をもう一度ぐるりと見渡した。
簡素で、人一人が住むのにしか適していない。うず高く積まれた紙類と本の山、芋虫のようなフォルムで鈍く輝く、使い古したアーキタイプの蒸騎。
壁には勲章や星条旗、埃が積もったエンフィールド銃(彼はこれで一体何人を殺したのだろうか?)が、暖炉の上の壁面のひとところに、追いやるように掛けられている。
この部屋は、彼以外の他人の存在を考慮しない、と言外に告げている。
ひとと歩む、そんなことをはなから捨てているようにも感じられた。
ボトムズはもう一度まっすぐ目の前の老人を見据えた。
瞳はどろりとしていて、それこそ、案山子の目の奥の雨に濡れた綿クズのようだった。
「俺たち、どうにか上手くやっていくことは出来ませんか。これは良い機会だと思うんです。なんとかこの危機を乗り越えたら――きっと、この街だって生き返る」
「ラギッドが?」
ハンスコムは皮肉げに眉を吊り上げた。
「ええ。貴方も......解っているはずだ。このままじゃここはおしまいだ。貴方ほどの人間がそれを理解していない道理がない。この三年間、貴方と何度も角を付き合わせてきた――他の老人は揃いも揃って凡暗どもばかりだけど、ハンスコムさん、貴方は違うはずだ。俺には貴方がわざと愚かな振りを、若者たちにしている風に見えます」
「――ボトムズ」
ケイトが呻くように呟いた。
「半分間違えている」
「半分?」
「勘違いしているようだから釘を刺しておくが、私はこの街なんぞどうでもいい。ただ、今回のような――非常に馬鹿げた事情で、読みかけの本を閉じることになるのはごめんだと言っている。もっとも身から出た錆ではあるが......ともかく、私はきみたちにとって少なくとも薄汚い殺人者だ。違うか? ラギッドに流れ着き、気付けば馬鹿どもに祭り上げられ、ちょっとした管理人のようなざまに落ち着いてしまったが――もう誰かに振り回されるのも、誰かを振り回すのも、二度とやらん。静かに暮らすために行動しているに過ぎない」
老人はそこまで言って、おんぼろ機関車の煙のように水煙草をくゆらせた。
ボトムズにはどうするべきか、まるで解らなかった。
とにかく爆弾を探す?グラントの所へ行って、ダイナマイトの在り処を聞いて、一晩を越すだけの食糧を街中からかき集めて、若者たちにも連絡をして。
それから、それから――きさまはほんとうにこの街に続きがあると?
だまれ。
前髪を弄って、心の声を踏み潰して殺す。
俺にはここがいい。ここしかない。ケイトもグラントもいるんだ、やるしかない。
ラギッドは俺が必ず守る。誰も殺さず、誰も死なせず、必ず。
彼はさよならも言わずにハンスコムの家を後にして、戸惑うケイトを伴い、再び下層へと蒸騎を駆ってゆく......
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