カウント・オン・ミー

 レイは何となくしらけた心持ちだった。

 ボトムズとトンプソン嬢は親切すぎるほど親切で、いっそのこと一服盛られて気付けば保安官の顔とご対面、なんて決着付きでも彼はたいして驚かなかっただろう。

 つまり、彼らは底抜けに『良きひとびと』だったのだ。

 それこそロッド・サーストン、あの偏屈でそれなりの教養を持った鍛冶屋が見れば肩をすくめたに違いない。聖書のように善良な、模範的西部人。

 へんに善人ぶって左の頬を差し出さないからむしろ原典よりましかも知れないが――ともかく、ふたりはレイの立っているところからは奇妙にさえ映った。

 見知らぬ旅人の馬を買い、故でそのまま食事に招待し、てきぱきと気の行き届いた寝床まで用意する。それも今日出会ったばかりの得体の知れない義手の男に!


「そう言えばグラントが今日、金脈の使いみちを考えてみたいだったわ」

「ええ...参ったな、まだ取れてもいないのに、気が速い奴!」

「本当。でも、解る気はするわ。この街はちょっとずつ良い方向に回り始めてる......あなたのお陰でね」

「よせよ、恥ずかしいなぁ」「いいじゃない。本当のことなんだから」


 彼らの夕食どきの会話はとりどりの花を気まぐれに摘んでいるかのようだった。

 寄り道が多く、明確な目的意識――例えば客人に対しての間を持たせるためだったりとか、そう言うものがない。そのくせ倦んだ感じもしない。


「それより!バレットさんは、どうして旅を?お若いでしょう、まだ銃を握ったことが無くてもおかしくはない。それに腕も......さぞかし苦労をされてきたのでしょうが」

 鉱山技師の青年は慌ててレイの方へと話を投げたが、声には確と気遣いが滲んでいる。

「ん――ああ、そうさな、それなりには。お前さんの方がよほど大変に見えるが」

「そうでしょうか」

「こんな街で、その娘さんと二人三脚だろう?トンプソン嬢から話は聞いてはいるが――随分と、苦労したと。机に散らばってる紙も拝見させて貰ったが、アレは値打ちものだ。お前さんは間違いなく、俺の見てきた中で一番の穴掘り屋だよ。そしてお嬢さんも」

「そうですね、彼女は...ケイトは本当によく支えてくれています。彼女が居なきゃ絶対に俺はくたばってた、本当に。きみが作ってくれたあの時のシチューは本当にうまかったなぁ。バッファロー入りのやつさ」

「ベティさんだって、恥ずかしいって言ったじゃない!」

「いやぁ、すまないね」「もう」


 彼らは比翼の鳥、連理の枝。別ち難くあたたかい。

 しあわせというものがあるのならば、間違いなくそれはふたりの食卓のかたちをしている。

 レイは何となくわかった気がした。彼らはそれこそ、番いでなければいけない。

 形式的なものではなく、それこそ在りようで繋がっているのが一番望ましいのだと気付く。

 ひょっとしたら、自分にだってこう言う未来はあり得たのかも知れない。


 木の器にはたっぷりと満たされたフィッシュチャウダー。

 一口そのブイヤ・ベースを啜る。

 範囲カテゴリとしてはケイジャン料理、フランス東海岸から18世紀の合衆国ステイツまで逃げてきた移民が伝えた食事で、あっさりとした味わいが特色ではあるのだが、どうしてそんな品を彼女が出すのだろうか。

 ひょっとしたらどちらかがアイリッシュの流れを汲んでいるのかも知れない。


 たっぷりと溶かされたバターの、きめ細かいスープ。淡いオパールの輝きをしている。

 舌で少しだけ転がしてから魚の切り身とあわせ、二、三度噛んで飲み下す。

 白身魚に特有の淡白な旨味と、魚介と野菜の出汁でとられた絡み付くようなオイルがふわりとした切り身にじんわり染み込み、味覚を喜ばせた。

「うまいな、これ」

「でしょう」

 応えたのはなぜかボトムズだった。

 いいにおいのする器を手に持ち、こちらをじっとみつめている。

「魚の保存は?腐っているようには見えないが、ここいらから海は随分と遠くじゃないか。トンプソン嬢も随分と良い料理の腕をしている......」

「ああ――MOA時代の同僚が良く冷える箱...ろくでもない魔術を入れ込んだがらくたを退職金代わりに押し付けたんですよ。生ものにはしつらえたようにぴったりですが。ケイトについては全くの同意見ですね。いくら俺が試行錯誤してもまるでこうはならない」

「ほんと。むしろあの箱が一番使いやすい贈り物だったような気もするもの......コツがあるのよ、コツが」

「へえ...いや、少し待て」

「なんです?」

「ハインウェイさんは、魔導を修めて?鉱山技師だとは聞いたが、魔術士でもあるのか」

「そりゃ多少は。ただ言っておきますがね、戦闘はからっきしですよ。本当に俺は穴を掘ることくらいしか能がありやしないんだ」

 彼はそう言って一息にスープを飲み干す。

「そんなことは無いと思うがね。ほんとうの価値と言うのは個々人の『当然』の中に存在するんじゃないかい?あんたにとっては起き抜けのコーヒーを淹れるくらい容易いことが、他の輩にとっては一生かかっても突き通せなかったなんてことは十分にありうる」

「バレットさんの言う通りよ、ベティ。あなたはあなたにしか出来ないことをやってのけているもの。グラントだってあなたと働くようになってから見違えたわ」

 トンプソン嬢はボトムズの手を静かに取った。

「ケイト」

「いいのよ、あなたは。もう少し顔を上げても。皆がそれを望んでる」

 それを聞いたボトムズは少し考えて、何かを言いかけたようだったが...結局は、言葉は形を留めぬままに終わった。レイは二人を変わらず憮然とした面持ちで眺めていた。

 しかし、口元は微かにほころんでいる。

「あんた方は、いつからこう言う風になったんだ?」

「俺とケイトが――どんな風にですって?」

「見たままさ。阿呆みたいに睦まじいカップルの話だよ」

 彼らはひどく赤面した。


 夕食がひと段落して、義手の少年は先に

「ご馳走になったよ。この恩はいつか、必ず返す」

 と、床に就いてしまった。

 あとにはやはりボトムズとケイト、二人が机を挟んでぼんやりと向かい合っている。

 一刻ほど前に料理が盛られていた卓には、今は蒸留酒の瓶とナッツや黒くなるまで炒ったカボチャの種がこつんと置かれている。

 平素から、これが彼らのきまりだった。口約束を交わしたわけでもないが、何とはなしに二人して、毎晩酒をちびちびとやっている内に染み付いた面映いならい。

 三年前からケイトの家に転がり込んで以来、互いの都合が合致しない時を除いては、毎日なにがしかを彼女が彼、あるいは彼が彼女に語りかけていた。


「何か、心配事があるんじゃない?」

 ケイトが訊く。やはり今日の自分の様子はすこしばかりへんだったかも知れない。

「いや、ううん...そうだな、君が怒らないで聞いてくれるなら」

「ばかだなァ。私が怒るのはあなた自身が誇れないこと...悪いコトをした時だけよ。つまりそんな日は絶対に来ないってこと、ダーリン」

 ボトムズは胸の内がケイトへの暖かい信頼で充たされるのを感じた。

 彼女のやわらかなブロンドに手を伸ばし、気ままに梳く。娘はくすぐったそうな顔をしながらボトムズの手をとる。時計は変わらずぷしゅうかちこちと時を刻んでいる。


 彼は鉱山用のニトロを製剤する時みたいに、注意深く言葉を選んだ。

「俺は今日、バレットさんが来てるってきみにあの崖で最初に知らせた時──皆があそこに集まっていた時、またいつもの類いの輩だと思っていたんだ。死にかけのラギッドに食いつく――ハイエナみたいな奴等だって」

「でも、かれは違った。そうでしょう?」

 彼はゆっくりと頷いた。

「慎重であれと言うのが教えだった。あの少年はきっと良くないものを引き連れて来る...そう身構えていたんだよ。でも、一緒に食卓を囲んでしまえば何となく解る。彼はいいやつだ」

 二人のグラスには焼き樫色の酒が注がれていた。60度以上の焼け付くようなアルコールに砕いた桃、カラメルを混ぜて薄く割った、ノースダコタ風のウェディング・ウイスキー。

 ふたりで杯を合わせて、どちらからともなく微笑む。

乾杯チアーズ

「乾杯」

 ケイトは控えめにウイスキーを呷った。美しいおとがいがこくこくと隆起する。

 顔にはほんのりと朱が差し、目尻が緩んだ。

「あなたはきっとそう言うと思ったの、そこには際限なんかない。他人事のようにも思えるお人よしだしね、見ていると不安にだってなるもの。あなたは根本的に、人の悪を信じていない節があるわ。前の職場を辞めたのだって、あなたが皆悪いことをするだなんて思ってなかったからでしょう?信じてなかったら、必要にもしないわ」

「ひどいな」

 彼はぽりぽりと頭を掻く。一から十まで彼女の言うとおりだった。

 このすぱりとした言い草にケイト・トンプソンのすべてが現れている。

 金色の瞳はやわらかな髪と等しく煌めいている...その眼には彼の心も映し出されている。

 月は冷ややかで、ひかりはふたりのグラスを濡らす。


「何度だって言うわ。絶対に。あなたは...魔術士よ。もしもやろうと思えばお爺さんたちを...その、殺して、一からこの街をやり直すこともかなったでしょう。それに私たちを見捨てて逃げるコトだって、反対に騙してお金を奪うコトだって」

 ボトムズは困惑と寂寥の中で、同じく酒に口をつけた。

 頭のなかがかあっと熱くなるが、しかしそれを上回る分厚い氷が彼の考えを覆っている。


 俺はやろうと思えば彼らを皆殺すことも出来た。


 そう、出来た。戦いはからきしだが、魔を纏ったものにとっては...無抵抗な女、老人を八つ裂きにすることなど造作もないし、そこまで行けば後は何人を殺しても一緒だ。

 グラントのはらわたを裂き、ケイトの背骨を鯖折りにして、いけ好かない老人たちの頭をクラッカーのように握りつぶせただろう。

 そう考えると、自らが持つ力の――「魔法」の業深さに押しつぶされそうにもなる。

 こんな、意味も解らない力学が何万人を深い死の淵に追いやってきたのか?

 だが―――結局、俺はそれをしなかった。

 やりたくなかった、たったのそれだけ。崇高な意志も、瞠目する大義もない。

 ひとを殺すのは、それでもやはりひどく痛ましいことに思えただけだ。

 おぞましいのではなく、痛ましい。どちらも等しく粘ついた傷を...死と茨を受ける。

 手にかけた命はない。あれば多分、彼女と一緒に生きてはいけない。


「だから...多分ね、こんな時代で、に行ってしまうことはとっても―――そう、すごく簡単なこと」

 ケイトはそう呟いて、新しく琥珀を彼のグラスにひょいと注いだ。

「こんな風に、人間っぽさが零れ落ちる。その人の欠片がどんどんあふれ出していく」

 だからこそ、そういうものを抑え付けなきゃ。と彼女は繰り返す。

「いつか、もっと平和な時代が来たとき、あなたのやって来たことは間違いじゃあなかったって多分わかる。ベティは自分のことをつまんない穴掘り屋だって言うけど......私はそうは思わない。あなた自身を信じて。それが駄目なら、あなたを信じるcounton meじてくれてもいい。あなたはちゃんとここにいるの」

 ケイトが紡ぐ言葉の連なりは宝石で、彼の心を繋ぐ不思議なひと欠片だった。

 わたしを信じて。その決然とした響きはゆったりとボトムズの深い芯にしみ込む。

 充たされなかった人生の底――そこは三年前から、たった一人だけが住み着いている。

 ボトムズは机から身を乗り出して、ケイトのちいさな頭をそっとかき抱いた。

「きみが好きだ。俺がここにいるとしたら、それはケイト・トンプソンのお陰だ」

 ケイトはくすりと唇をほころばす。

「ねえ、あなたとキスしたいな」

 彼女はボトムズにそっと口付けた。彼はそれを受け容れる。

 啄ばむような...ひとときの触れ合い。乾いたくちびると、潤す唇が一つになる。

 彼らはそうして、幾度となく夜さえも越えていく。


 急な階下からの物音でぱちりと目が覚める。

 忙しない、夜逃げの準備でもしているような床の振動。

 借りていた部屋の毛布を跳ね除け、一気に魔導を全開にする。

 義手に水を差している暇はない。ゆっくりと階下に降りると、昨夜彼らと夕食をともにした、変わらぬトンプソン家の内観があった。

 時刻は朝。時計は7時を指している。

 トンプソン嬢とボトムズが何枚かの紙束を手に、呆然としているのが見える。

「おい」

 二人はびくり、と振り向いた。

「何が――何があった?」

 ボトムズはかすれた声で応える。

「ラギッドの中腹に通じる列車が...線路も含めて軒並み、爆破されたんです。それだけじゃない。昨日の金鉱も――まったくの偽物だ。何がどうなっているのか、訳が解らない」

 彼はそう語り、頭を抱える。

「なぜ...なぜ、今なんだ。どうなってるんだ、ラギッドは...」


 彼らが初めて過ごす、長い長い夜が始まった。




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