ラヴバード・ロンバード

やっとのことで辿り着いたラギッドは閑散としていた。

レイは乾いた赤土の坂を上りながら、巨大な断崖を見上げる。

あの巨人のへそのような台地で出来た崖...サンシャイン・リッジと言ったか。

そこから三角州じみた放射状に街は発展の根を伸ばしているようだった。

立ち上る蒸気は見えるし、近くのゼネラル・ストアを見れば生活の気配はある。

炉は灯っているのだから、人は居る。

読みかけの本と食べかけのシチューも置いてある。客は来ないのだろうか。

しかし...地図では約5マイル平方だが、この分では暮らしているのは200人かそこらと見えて、ラギッドはレイが見て来た鉱山街としてはかなり小規模なほうだ。

山が枯れたのだろう。そうでなければ説明がつかない。


馬を降りたまましばらくサンシャイン・リッジに向かって歩いた。

街の様子を一通り見て、どうも人々はどこかに出払っている様子だった。

ともかく、馬を売らねば話にもならない。

片っ端から人を探し家々を訪ね歩くが、依然として何の声も返ってはこない。

まるで人と言う歯車が街からすっぽりと抜け落ちたみたいだった。

仕方がないので、たまたま目に入った雑貨屋の前のベンチに腰掛けて待つ。

馬も繋いでおく。木屋根の陰は涼しく、旅の疲れもあり瞼は自然と下がる。

まどろみに、落ちてゆく。

ゆったりと意識を落として、ストールに顔を埋めた。

ここで寝ていれば主人たちもいずれ戻ってくるだろうと思い、レイはゆっくりと目を閉じる。


「ちょっと、お客さん。こんな所で寝られると困りますってば」

自分を呼ぶ、澄んだ声で目が覚めた。

若い小柄の金髪の女性。蒸騎で例えればボレーの小型三輪、パワフルな娘。

ベンチに腰掛けていたレイを見下ろしている。

眉は勝ち気で、髪型はポニー・テイル。利発そうな顔立ちをしていた。

「うちの店の居心地が良いのは解りますけどね」

「いや...アレを売ろうかと思ってたんだが、どうにも人が居ないんだ。仕方ないから、あんたの所の店番を買って出ていたんだがね」

「はあ...店の前に繋いであったあの可愛い子ですか?ボトムズさん......私の懇意にさせてもらっている方なんですけどね、彼が『邪魔だから』って紐ほどいちゃいましたよ。今は私の家に戻って、新しく見付かった金鉱床の調査記録をまとめている所かと」

「可愛い?」「可愛くないんですか?あの仔」

「いや...いい。どうということもないんだ、すまない」

レイはそう返すだけに留めた。彼はそれこそ『可愛いあの仔』を胃に収めようとまでしたのでどこか気まずかったし、雄雄しさと膂力の体現のようなアンダルシアンがどのような偏見の膜を通り抜ければ『可愛い』と言う脳みその歯車の二三本抜けた感想と相成るのか、レイには全く解らなかった。そも美意識には深く立ち入らないことにしているが、目の前の女性はどう見ても、インディアンお手製の不気味な工芸品をありがたがる性質に見える。


「でも、金鉱床か。そりゃあいい。いかした街じゃないか」

「はい。けど昔は酷かったんですよ?だから、全部あの人が良くしてくれたんです。こんな街でも、ちゃんと残るものがある。私たちのしてきたことを無駄に終わらせなかったのは、彼のお陰なんですよ」

彼女の瞳には、その人物への深い尊敬が窺えた。きっと好いているのだろう。

「そうかい...それじゃあ、馬のありかも含めて、そのボトムズって奴に聞けば?」

「はい。あっ、よろしければ家まで案内しましょうか?」

「最高だ、よろしく頼む。そう言えば、あんたの名前は?」

「ケイトです。ケイト・トンプソン。あなたは?」

「ああ......レイ・バレットだ。よろしく、トンプソンさん」


レイとケイトは雑貨屋を出て、東のほうへと坂を上った。

標高が高いせいかラギッドの空は澄んでいて、見下ろせばこれまでの轍が微かに見える。

原野と荒野のコントラストはどこか精緻なモザイクのようにも見えて、こうした光景に旅愁を感じる人間もひょっとしたらいるのかも知れない。そも、この街まで立ち寄る人間も今ではもう少なくなってしまっただろうが。

あの地平のどこかに、汗血馬の名を冠したあのサルーンもまた建っているのだろうか。


「上の区画には、お爺さんたちが居るんです。眺めが良いって...私には、違いが良く解りませんけど。そう言えばここから少し歩きますが、旅人さんは大丈夫ですか?」

「ああ、どうも。幸運なことに足腰は丈夫でね、お前さんは?」

レイがそう応えると、トンプソン嬢はくすりと笑う。

「バレットさん、おっかしい。それじゃあ本当にお爺さんみたいですよ」

「おかしいって、どこが」

「そうですね...お気を悪くしないで聞いて下さいね?だって、口調ですよ、口調。『お前さん』とか、『そうかい』とか。バレットさんは私と歳、同じくらいでしょう?ふつうの人はそんな喋り方をしないから、ちょっと不思議だなァって」

レイはその言葉を聞いて、少し眉をしかめながら首もとのゴーグルを弄った。

「まぁ...そうだな。お前さんみたいな歳の奴と旅をしたことがないから、実の所どう喋れば自然なのか、あまり良く解らんのだ」

「旅をしているのは凄いことだと思いますよ?ベティさんも『臆病者は出掛けなかったし、弱虫は生き残れなかった』って言ってましたし」

「然るべき準備と用心さえあれば、それほど難しいことでもないさ」

「その準備と用心が億劫で大変なんでしょう?私詳しいんですから」

そうしてトンプソン嬢も、髪を結わえた飾り紐を弄りながら呟く。


「私は旅なんて、したことも、することもないだろうから、実感は湧かないんですけどね」


しかし。その言葉には一抹の嘘が、火薬みたいな、希望への偽りが込められているとレイは思った。この女は、待っている。恐らくはそいつと一緒に出てゆくことを。

その男に、この街から掻っ攫われることを待っているのだ。

だが......男のほうは?

望むと望むとに関わらず、ボトムズ――顔も知らない鉱山技師は決断を迫られるのだろう。この花のような娘をいつまでもこのおんぼろの籠に閉じ込めるのか。

それとも『彼』は最後まで、トンプソン嬢と添い遂げるのか。

いずれにせよレイは早目にラギッドを出る心積もりだった。

この街はきな臭い。何か不幸なことが起こるかも知れない。面倒ごとと切って捨てるつもりはないが、余所者が首を突っ込むにはあまりにも入り組んでいるように思える。


「ベティ、お客さんよ」

鉄の門戸をぎいと開き、トンプソン嬢は中に向かって呼びかけた。

土台にしっかりと埋め込んだ丸太と鉄管、木を渡して煉瓦を積み上げた小屋が、ケイト・トンプソンと技師の住処らしかった。造りは頑健で、技師と雑貨屋の娘が二人で住むには不釣合いなほどだ。ダコタに煉瓦の家は珍しい。大抵は丸木に蒸気パイプを這わせているだけいて、魔導士の家だとそれに念信設備が付いてくる。

「ああ、ケイトか。客って誰だい、グラントか?データの収集なら...」

出てきたのは、線の細い若い男性だった。

鉱山技師と言う職種から想起される風貌......屈強な肉体、ぼうぼうのひげ。そういった物からは遥かに距離を置いている。まなじりは下がり気味で、柔和だ。

。数々のそれらを始末してきたレイの本能が囁いている。

「違うよ。馬よ、馬。あの可愛いアンダルシアン」

「ああ!どうも、すまなかったね。勝手に動かしてしまって。今ほどいてくるよ」

「私がやるわ」「本当かい?それじゃあたのむ」

ボトムズはそう返し、彼女は家の裏手へと回っていった。

「取りあえず...中に入って、待っていてくれ。茶を淹れよう」

彼は人の好さそうな笑顔でレイを招き入れる。

馬を返して貰うだけだから特に応じる必要はなかったのだが、丁度訊きたいこともいくつかある


トンプソン家の椅子に腰を下ろす。

内装はテキサスのクラシック・コテージと言った趣で、蒸気パイプを通した木床は踏めばぎしぎしと暖かい軋みを返してくれる。天井では喚起のためか三枚羽のプロペラがゆっくりと回り、鎧窓は開け放たれて、そこから青空がのぞいている。

暖炉には火は入っていないが、更に寒くなれば彼らは仲むつまじく赤い煉瓦のそれを囲むのだろう。灰と木材の香気は部屋を充たし、オークのマントルピースの上にはラギッドの人々と思しき写真が場所を争うように額入りで置かれていた。

やはりトンプソン嬢とボトムズ、二人の写真が多く見受けられる。

左側から順を追って年ごと並んでいるようで、最初は傍目から見て巌のようだった彼の顔が―――右側に目を遣ると、彼女と二人で、安らいだ笑みを見せていた。


東の壁には木組みの階段、西の壁には筒型に据えられた蒸気時計。

文字盤が円筒の側面に貼りつけられるようになっていて、しかし狂いはほとんどない。

ぜんまいと水力を複合したそれはぷしゅうかちこちとせわしなく音を立て、1800年代初頭の機械式時計と全く異なり...気温や湿度をも表すようになった。

ウエストミンターのビッグ・ベンなんかも確か最初から複合型で設計されていたはずだ。

師匠に連れられ、一ヶ月ほど滞在したか。飯は大抵のものを美味いと豪語するあのひとが顔をしかめるほどまずく、貧民窟は糞便と血臭で最悪だったが、蒸気冶金の技術や魔術機構の組み込みは目を見張るものがあった。

魔術と解析機関を併用した高級手工業仕様の自動人形オウトマタは不気味な巨人の手のようだったし、水を差し、たわんだバネで羽撃はばたく玩具をどうしてもとせがんだ覚えもある。もっとも買って二日でぜんまいがボタンみたいに弾け飛んで、ちゃかぽこと忙しなく動き回るゴム鞠のようなざまになったが。

しかして、英国は蒸気の国―――煤と鉄の国。

そう、あの呟いたあのひとの目はどこか輝いていたのではなかったか。

解らない。無為なことばかりがこびりついているのに、これも、もう、思い出せない。




ボトムズはキッチンで薬缶を取って、保温していた湯をポットに注ぎ、ポットの中身を暫く待ってからカップに三つ注ぎ、そしてガラスの壜から取り出したレモンピールを加えた。

仕上げに少し値の張った蜂蜜を加え(ケイトのぶんだけ心持ち多く入れた。彼女は甘い紅茶が大のお気に入りなのだ)、木を薄く削って作ったトレイに乗せた所で―――

リビングルームの卓が通信販売のカタログだか打ち出しかけた鉱山の鉱床分布図だかケイトお手製チリ・コン・カルネのレシピ――ボトムズが世界の何よりもうまいと信じている――だかが乱雑に雪崩を打ち、くつろげる空間と言う旗を引きぬいてぎゅうぎゅう踏みにじっていたのをふと思い出した。

彼がケイトにそのことで散々に柳眉を逆立てられていたことも。




「それで、訊きたいことと言うのはなんですかね、バレットさん」

可及的速やかに机を片付けた(資料を全て見えないところへ追いやったのを『片付けた』と呼ぶならば)ボトムズは、彼に尋ねた。

「ああ......取るに足らない疑問なんだがな、この街に若い人間はお前さん方の他には?やけにだだっ広いし、いささか活気が足りないようだが」

レイはそのあとでちょっと付け加えた。

「馬を換金したいんだ」

目の前の男の眉が少しだけ上がる。

「丁度旅人さんも聞いているとは思いますがね、アンブラ・リッジの新しい金鉱床の方の記録を取りにいって貰ってます。それでもってその穴ぐらに十二人で全員ですよ。馬を売る伝手だってなくはないですが」

彼の返答は淀みがなく、簡潔だった。

しかし意識はどこか上の空で、もっと大切なことに向けられているように見える。

「ケイトには気付かれないようにして頂きたいんです。あの娘は一度愛情を向けたものを手放すのは辛がるタチだ。あんたの酷薄な真似を知ったら大いに悲しむだろう」

「馬ごときで」

「俺だってそれは思いますよ。ですから...これは惚れた弱みです」

ボトムズはそう呟いて紅茶をすする。

レイもそれに合わせた。

ミントの清冽な香気を鼻先で転がしてから、ゆっくりと木のカップに口をつける。

削り出された不恰好なマグは二人のしあわせを象っているようだ。

まろやかな蜂蜜の、癒すような甘味。一口喉に流すと芯から潤う。

「うまい」

「お気に召されたのなら良かったです、コーヒーじゃなくて悪かったですが」

彼ははじめて苦笑を見せた。空気がほどけるような感じがする。

レイの心にはいつしかボトムズ・ハインウェイと言う人物への信頼が芽生えていた。

「トンプソン嬢の趣味かい?」

「ええ。つられて俺まで嗜むようになってしまったんですけど...いいものですよ、背中を預けても蹴飛ばされない相手が居ると言うのは」

レイは困惑する。

彼はおおむねトンプソン嬢を心から愛しているように見える。


「こんな不躾な質問をするのはなんだが...娶ってやらないのか?あの娘を」

鉱山技師の表情がぴくりと変わる。

彼はまずマントルピースの方を見て、ぐしゃぐしゃの机にぐしゃぐしゃの紙束を見て、そしてもう一度マントルピースの方を見た。

ボトムズの視線は写真のもっと奥を、思い出の膜の向こうを見透かそうと試みている。

そして言葉を紡いだ。

「そうですね――確かに、『花嫁衣裳を着せてやれ』とは脂ぎった爺連中からも良く言われます。俺は彼女を好いているし、彼女も憎からず俺のことを想ってくれている、それは知っていますよ。ただね、結婚をしたら、彼女は標本の蝶みたいに家に縫い止められる」

「ガキの心配か?」

「それもそうですが、そもそも俺はこのラギッドの空気が嫌いなんです。上から吹き降ろしてくるいやな風!やつらはくそったれのレイシストだ。ケイト達が居なければとっくに逃げ出してましたよ」

「大変なんだな」

「ええ。金庫さえやつらが握ってなければ、ここまでこじれることも無かったんですが」

「そうかい」

やはりこの街は複雑な生き物のようだ。少し話を聴いただけでも確執の根は深いと知れるし、やはり面倒ごとが近いうちに起こりそうだった。

金庫を握っていると言っただろうか?若者たちの心の裏では炎......抑圧された不自由が渦巻いているだろう。どの道、この街のばねがこれ以上縮む余裕があるとは思えない。


「美味い茶をありがとう、ハインウェイさん。彼女によろしく、馬を取りに行くよ」

「ああ――いや、そのことで相談があるんです」

「なに?」

「100ドルでよければその馬を買います」

レイはぎょっとしてボトムズを眺め――首を振った。

「ばかげてる」

「売る側が文句付けるようなことでもないでしょう。ケイトには悲しんで欲しくないし、丁度蒸騎にもがたが来てる。俺にも貴方にも損はない。違いますか?」

「いや――」

仮に法外な値段で馬を売り払ったとして、それで何か不都合があるわけでもない。

俺は100ドルを得て、ボトムズはトンプソン嬢にたっぷりのキスでもって返礼され、そして馬は幸せに暮らすだろう。これ以上ない選択肢に思えた。

「ありがとう、ハインウェイさん」「こちらこそ」


結局のところ、ことはおおむねうまく運んだ。

ケイト・トンプソンはおおいにレイの申し出に喜び、そしてマントルピースの上にはレイと馬、それにボトムズとトンプソン嬢の写真が一枚増えることになり、またその日の食卓には三人ぶんの温かいフィッシュチャウダーが並んだ。




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