walking in the mine,without cradle

ワン・デイ・ワン・ホライゾン

ぱちぱちと、焚き火がはぜている。

ゆらめく熱を感じながら、レイは左手でジャーキーを一口齧った。

マイヤーズのアンダルシアンはすぐ近くの杭に繋げている。

一日背に揺られてやはり良い馬だとは知れたもの、次の街へと持っていく訳にもいかない。

明日は鉱山街のラギッド・マインへ向かい、そこで一泊してからミズーリ川を上る蒸気船に乗る。シャイエン・リバー・リザベーションからはノーザンパシフィック鉄道が通っているから、数多に分岐する線路に沿ってブラックヒルズへと流れていけばいい。

少し遠回りだが、そう言った道行きこそ存外カネの種が転がっているものだ。

しかし、それと馬を捨てるかどうかは全くの別問題だ。

他人の慣れない鞍を使っているせいで腰がひどく痛むし、だからと言ってレイ自身に合わせたものを新調する用意などない。あれは高いのだ。

カウボーイにとっては鞍は一生ものだ。彼らはまず命、そして鞍、最後に馬を大切にする。

結局のところ、ラギッド・マインまでこの駿馬を駆って、あとは売るなりするしか選択肢はなかった。馬でブラックヒルズまで単身赴くのは無用心だし、そもそも交通機関を乗り継いだほうが圧倒的に早い。


「いっそのこと、食っちまおうか」


レイは何の気なしに呟いたが、しかしそれは彼の思考の網を通り抜けることに留まった。

恐らくあのムスタングは高く売れるだろう。馬具もまとめてそこらのキャラバンに売り払ってしまえば、当分は楽が出来る。

ラギッド・マインで売ってもいい。

オーナーと約束している1000ドルの足しにもなる。そう考えると、多少は気が楽になった。

どうせ、最後はみじめったらしく死んでしまう。

ならば少しでも返せる借りは返しておこう。

誰にでも、いくらでも。

レイの鉛色の瞳には、常に諦念が漂っている。

それは目の前の焚き火からこぼれ落ちた一握の灰のように、乾ききった色をしている。


少年は燃えるマツの気を見遣る。

サルーンの瓦礫から二、三十切れほど拝借してきた一日ぶんのものだが、マイヤーズとのいざこざの際に撒き散らされた蒸気のせいか、あまり火付きはよくない。

中のやにでどうにか燃えている状態だ。

それが、時折「ぱちん、つっ、ぱっ」とはぜる。

旅の夜暇に飽かせ、合わせて口ずさんだ。


つっ、つぱつぱっ、つぱっつ、ちっちーぱっ

つっ、つぱつぱっ、つぱつぱっ、ちっちーぱっ


夜のうすぼんやりとした空気があたりを包む。丘は一面に乾いたドレスを纏っている。

見上げても星空しか見えない。更に木切れをくべながら、レイは結局、旧く友を、そしてのことを思っている。彼女とは、こんな風に火を囲んだこともあったろうか。

痛みと泥に塗れて、これもあまり覚えていない。

もう一口、ジャーキーを齧った。鹿肉は野性味があって好みだ。

再び星を見上げる。薪がぱつんとはぜる。

羽織っていたグレーのストールを敷いて、土の上に仰向けで寝転び、義手は外さない。

そのまま目を閉じる。


いつも浮かぶもの。星。音。つぱっ。

炎。銃声。赤黒い自分。黒革のゴーグル。あのひと。優しかったあのひと。

ドクター。右腕。燃え崩れた、命だったもの。

零れ落ちる人、魂、灰の地平。


つっ、つぱっ、ぱっ、ちちっ、ちっちーぱ

つっ、つぱつっ、ちちっ、ちっちーぱ...


いつもと同じようにぱちりと目が覚めた。

物は取られていないが、気配があれば気付くだろうから、当たり前と言えば当たり前だった。

顔を上げて、曙光に目を細める。

盆地から見上げる空は冷涼に澄み、紫暗の雲をたなびかせている。

それは朝の光を内包する、たおやかな煙のようにも感じられる。

丘から覗く地平は遠く、かすかに揺らめく朝靄の彼方には赤土の荒野。

鉄条レール蒸騎バッパーライダも地平の向こうにはなく、やはりここは開拓のただ中なのだ。


恐らく時刻は5時半頃だろうか。

時計くらい次の街で買っておいたほうがいいのかも知れない。どちらにせよ、鉱山街までは馬を走らせて4時間と言った所だろう。やることは変わらない。


盆地を下りて近くの小川へと、顔を洗いに足を運ぶ。

地図によると、ここはローワー・ブルーレイの支流を汲んでいるはずで、レイが今キャンプを張っているこの場所はサルーンから30マイルほど離れており、燃料に出来るような植生ではない。やはり行き掛けに薪を(黙って)補充しておいて助かったとレイはひとりごちた。

道筋は確かに合っていて、これならば予定通り昼ごろには暖かいスープにありつくことが出来るだろうし、馬も売りさばけそうだった。

ばしゃあと顔から清流に突っ込む。

ぴりりと冷たさは顔にしみて、しかし特に何の感慨も抱かない。


この盆地は、一年半ほど前....1874年、辺りにMOAの念信設備テレグラフ・ファッシルがあって、場所だと聞く。

ライセンスを取得せずに魔導士殺しとしての傍流を続けているレイに内情は知り得ないが、恐らくは効率的な念信システムが構築されたとか、そんな所だろうとあたりを付けた。結局、彼らの撤収は完璧に、そして清潔に行われ、この丘は再び一人ぼっちになった。(1876年現在、念信設備はほとんど無人管制におかれているのでこの言い方は正確ではない)

人工的に組み上げられたこの盆地には「SD237:アバンドゥンド・バレー」と言う、歴とした悪趣味な名がつけられている。

レイは馬にくくってあったトランクから、折りたたまれた地図を出し、ポイントを指でなぞって確かめていく。方向としては蛇行するミズーリ川の右側に沿うように進んでいて、蒸気船で向かいに渡るという寸法だ。

これ以上、確かめる必要もない。

朝飯を食べたら馬に乗って出発しようと、少年は支度を始めた。


薪は先の食事で殆ど使い切った。もとより一晩を明かす心積もりで持ってきたものだが、もう火の景気づけくらいにしかならない。

どうせラギッドに到着すればその心配も無用のものになる。

全粒ビスケットと昨夜の鹿肉のジャーキー、炙った蒸気饅で腹を満たす。

思えば戦時は、食糧と言えば乾パンジャガ芋ベーコン玉ネギ―――だったはずだ。

レイたちは特別な部隊に籍を置いていたから、一般兵士よりは心持ちましな食事が与えられていた。といっても、それこそ蒸気二輪のトランクを改造して作った燻製機用の生肉といったものだったが。

それを考えれば豪華な朝食だ。

特に蒸気饅はいい。日持ちもするし、なにより蒸した後にフライしているので、満足感がある。

食事に味は特段求めないが、あのひとならばきっと、食べるときは満たされていようぜ、とでも言うだろう。

レイは立ち上がり、日が燦然と輝く丘の向こうを見這る。

空を仰ぐことは旅の中で覚えた。景色を心の中で転がして味わうほどの情念は持っていないが、それでも黎明に人々の生活を一時思い浮かべることくらいはする。


杭に繋げてあった縄を解いて、ムスタングを宥める。

荷物は全てトランクにぶち込んでいる。

サドルに飛び乗り、手綱を軽く握ってから馬の腹を蹴った。

ぶるるといななきを上げて、精悍な四肢や、雄雄しい筋が躍動を始める。

揺れ動き流れゆく平野を俯瞰して、レイは進みだした。



二時間ほど走らせたろうか、道すがら、何かの塊が転がっていた。

手綱を取って近くに駆け寄り、まじまじとそれを見る。


脂ぎった男がうつ伏せで倒れていた。

くたびれたインディゴのシャツには、右腹のほうに血がこびり付いている。

逃げた末に流れ弾でくたばったかと見当をつけた。近くにはトランクが転がっており、弾薬や現金などの中身が散らばっている。

近くにヘビが二三匹しゅるると蠢いていたので、下馬して踏み殺した。

赤が舞って、一匹が死んで、他は何処かへと逃げ帰っていった。


「おい、お前さん、大丈夫か」


何とはなしに声をかけるが、返事を期待していたわけでもない。

半ば保険のようなもので、レイの目当ては無論トランクの中身だ。

軍靴の爪先で樽のような腹を蹴り転がして、ぴくりとも動かないことを確かめてから、跪いてトランクの中身を漁る。知らずと口笛が出てきた。

「騎兵隊パンチ」だ。歌詞はもう覚えていない。

曲が二番に差し掛かったところで鞄を検めていると、血のついたハンカチが出てきた。

もしや、と思い、男の右手を覗くと、案の定ごつごつとした手の甲から続くはずの、丘の起伏にも、芋虫のようにも見えた人差し指が欠けている。

断面は焼け焦げており、恐らくはとち狂った彼が出血を恐れてとった行動の結果だろう。

本来は紐か何かで縛っておくのが良いのだが、そこまで頭が回らなかったのだ。


「運が無いよな、お前さんも。こんなハイエナにたかられて、ダコタの真ん中で野垂れ死んで。ギャンブルで指詰められた位で動揺するようなたまじゃ、この先も神様のご加護があったかどうかは首を傾げるところだがな」


結局トランクには300ドルが束になっていた。

「なんだよ...結構持ってんじゃねえか」

もしくは手を出すと色々と好ましくないことになるたぐいのカネだったか。

「どうでもいいか。金は天下の回りもの、世はこともなしってね」

しかし。レイはインク製の「建国の父」を眺めながら思った。多分こいつはお前らのせいで死ぬんだぜ、と。当然、モチーフに話しかけた所で何の意味も持たない。

トランクの裏には若い娘と、男の子の写真が貼ってあった。

「本当に、ついてなかったな」

レイは男の、苦悶に見開かれた瞼をそっと閉じてやった。

あのひとならきっとそうする。心などなくても、辿ることくらいはする。


結局のところ、弱虫はこんなろくでなしどもの蔓延る世界で生き残れない。

智慧と武器、判断力と少しの運、そしてたまには美味い酒。

逆説的に、それらが揃っていればほとんどの面倒ごとは切り抜けられる。

札束で頬を引っぱたくより、拳で鼻っ面をへし折る方が手っ取り早いこともままある。


使えそうなものをあらかた(といっても、金の他に残されていたのはダイム・ノベルが二冊とウイスキー、薄い毛布だけだった)を引き剥いで、再び馬に飛び乗る。今度こそもう立ち止まることはない。ラギッド・マインへと揺られながら、考えた。


フロンティアにはエネルギーが満ち溢れている。

自由、冒険、開拓、成功、ありとあらゆる願望とヒロイズムを煮詰めた結果が、先の酒樽男の末路だ。ワイルドビル・ヒコックだって、リー将軍だって、リンカーンだって死んだのだ。

どうして彼らは金鍍金めっきを追い求める?それとも自らの死は彼らの慮外で、恐らくフロンティア自体が何が何だかよく解らないまま、マニフェスト・デスティニーに押し上げられて西進したぶり返しが今ここで来ているのか?


そこまで頭を巡らせて、やめた。

何が金めっきだ。俺だって金ぴか時代の立派な仲間だ。

一端に生きている振りをするな、この義手を装けた時からもう道は分かたれている。

あの紅蓮の戦場で、俺は今も灰をかき集めているだろう。

それに、世の中がどう動くかなんて、死人には関係のないこと...


時刻は昼を過ぎている。厚い雲が出てきて、空にはすこしずつ雨のしるしが見え始める。

不意に、「騎兵隊パンチ」の一節を思い出す。


『おれたち騎兵隊、ララミー砦で乾杯しよう、

おれたち騎兵隊、黄色いスカーフを空に掲げて!

十隊に栄光あれ、ステイツに祝福あれ、

おれたち騎兵隊、おれたち騎兵隊』


たまらずレイは苦笑した。

1876年の今「騎兵隊パンチ」を覚えている者が何人居るだろう? これはレイたちだけの歌だった。ひょっとしたら彼がこれを最後に歌う人間かも知れない。


覚えている限りの歌を口ずさみながら馬を駆けさせる。

あの焚き火の響きでもいいし、もう何曲か、彼らとの歌をなぞろうかと考えて―――止めておいた。思えば古傷に手を突っ込むような行為でもある。

粘りつくような記憶は時を知らず、風化するということがないから、触れなければ少なくとも火傷はせずにすむ。心は乾いているけれど、だからといって痛みを感じないわけでもない。

まるでアヘンのフラッシュ・バック。

溜め息ごと浮かんだ思いを吹き飛ばして、ひたすらに北進する。

地平線には、少しずつ形のある街が見え始める。

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