インシデント・M サード

 白一色の視界の中でマイヤーズは鞭を振るった。

 右、左、右、大上段、と細かくブル・ウイップを打ち分けるがいずれも霧の向こうで弾かれ、またかわされる。得物が空を切る感触もある。しゅばっ、しゅばっと少しずつ鞭で空間を掻き切る音に合わせて、ボイラーから漏れた靄が晴れてゆく。


 流石に眼前の敵、兄の仇は殺すに難く、マイヤーズは徐々にレイの敏捷に圧されつつあった。

 相手は特段、妙な魔術や飛び道具を見せているわけではない。こちらが致命的な失策を犯したわけでもない。しかし単純に御しがたい。


 念のため精神汚染の対策はしているが、そもレイが搦め手を用いる魔術士だとの噂も聞かない。

 ただ純粋に、魔導の出力で差が開き始めている。あの化け物じみた運足、そこから繰り出されるしなやかな蹴撃があの少年の魔術なのだろうか? 

 マイヤーズはそれはないと断ずる。

 確かにレイの脚技は脅威だ。

 最も警戒すべきは右腕──ホスローをぶち抜いた、あの得体の知れない鋼鉄の義手だ。

 今のところ、レイは一度もあの右腕を振るってはいない。何がしかの準備が必用なものなのか、それとも単にあの腕を振るうのに値しないと判断しただけなのか。どちらにせよ、マイヤーズに残された手札は少ない。ボイラーを銃で破壊して霧を発生させ、視界を制限して鞭で一方的に破壊しようと画策したもの、当然のように防がれた。

 で位置を特定しても、要たる攻撃が対処されたのでは効果はない。


 銃の残弾は残り三発。

 鞭の先端に発生する衝撃波を増幅、加工し敵の神経を無理矢理インターセプトする奥の手、音爆弾クラッカーも先の攻防で使い切ってしまった。

 術の発動のためには鞭の振動を記録し、蓄える必要がある。魔術は等価なくして成立し得ない。

 何物も0から1を作り出すことは出来ない。

 それこそ「魔法使い」でもない限り。


 こちらも切り札は有しているもの、それは防御に振り切ったもので今の膠着を打破するには全くもって役不足である。

 どん詰まりの思考の中、いつか懐かしいホスローの声が脳裏に響いた。子供の時分、真っ当に働けば生きていけると本気で考えていた頃。

 兄と二人で朝から晩まで牛を追った。

 どう考えても最低な仕事だった。


「とりあえず、やばそうな時は工事の時に分けられたオートミールのことでも思い出せ。あのゲロに比べれば、大抵のことはどうでも良くなる」


 ホスローの声が、一番深い所で聞こえる。

 そこはどこにも繋がっていない。

 彼と自分との、二人だけで閉じている。

 マイヤーズは口の中が、どろどろの無機質な小麦粉の粥で満たされていることを思う。

 兄との日々が頭を通り過ぎる。

 豪放磊落だったあの有り様、その笑顔。

 商談を済ませてアビリーンの事務所に帰ってくると、彼の顔は凍りついたまま、虚空を見つめていた。どこを視ていたのかも、何を思っていたのかも、もうマイヤーズに知る術はない。


 噴き出しそうな怒りと共に、冷静にもなる。

 この男は今ここで殺す。

 頭は冴えている。熱い、自身を満たす何かが湧いてくる。何一つ負けてはいない。圧されてはいるが、けして敗北ではない。

 マイヤーズは振るう右手に力を込め───


 霧の中を、弾丸のように割り裂いて出てくるものがあった。これまでとは段違いに、迅い。

 ほとんど無意識に、マイヤーズは鞭を逆手に持ち替えた。足を払うように、斜めに掬い上げる。

 これで相手は上に跳ぶ。

 跳んだ。レイの身体が毬のように跳ねた。



 ひととき、ふたりの瞳が交錯する。



 ───瞬間、レイは駆け出す。

 脚部の魔導を開き、弾丸のごとく駆け出す。血中の魔力がうなりをあげる。

 張られた導式が噛み合ってゆく。

 十歩の距離を三歩で詰めて。

 三走の距離を五歩で潰す。

 木床を踏み抜かんとするレイの勢いに、たまらず木片が弾け飛んだ。

 間合いを殺す不意の加速、放出された魔力が風を切る音が聞こえる。

 右足を左足に引き付けるようなステップを踏む。


 だんっ、と跳ねる。

 左下から振り抜かれた鞭を避ける。


 跳躍の勢いに委ね、眼前の敵を刈るように右足を振り抜く。マイヤーズは左腕に鞭を巻き付けて防ぐ。しかし、めきりと言う音があって、たしかに相手の芯を捉えた感触が伝わってきた。

 不意を衝かれたマイヤーズの防御が遅れたのだ。


 マイヤーズはもんどりうって床に打ち倒された。

 蹴りの反動で着地し、倒した相手に止めを刺さんと追撃を仕掛ける。

 瞬間、鞭使いの男は体の任せるままに転がりレイの踏みつけを避けて、鞭を上方に投げ出した。

 サルーンの天井の梁に引っ掛けた鞭をロープ鉱山のウインチの如く魔導で巻き取り、後ろに跳んで難を逃れる。


「ピエロみたいなやつだな」

 レイは素直な感嘆を込めて呟いた。

「......はぁっ、ふぅっ、はぁ」


 マイヤーズの左手は、無理な防御の代償にだらりと垂れ下がっている。

 蒸気はもはや晴れ、レイの視界を妨げるものは何一つとしてない。

 鞭使いの荒い息遣いが聞こえる。


「もう諦めろ、腕折れてるだろ」

「ここまで来て...今更? 冗談はよして下さいよ。情けなんて掛けられるつもりはないんだ」

「違う、悪あがきしないでさっさと首を差しだせっつってるんだよ。解らねぇやつだな。お前、まさか見逃されるなんて思っちゃいないよな?」

「お断り...します。そして思ってませんよ、そんなこと。お前にもそれなりのルールはあるんでしょうが、そう言うことでしょう」

「まぁ、そうだな。なら観念してくたばりな」

「それも、お断りします」


 マイヤーズの声には深い決意が灯っていた。

 まっすぐこちらを見据え、ピアスを少しだけ弄り、そして鞭を左手に持ちかえる。

 そのまま、円弧を描くように鞭をゆらゆらと揺らす。恐らくは「振動」を溜めているのだろう。

 あわよくば先の蹴りでをもぎ取れるかと思ったが、やはりそう簡単にことは運ばない。魔力放出の段階を上げて速さを増したが、反応され、対応された。

 同じ手は恐らく使えない。


 これまでの戦闘から推測するに、あの鞭の轟雷のごとき音には明らかに大きい制限がある。

 もしそうでなければ、あの音の爆弾を連続で放って、今頃レイの体を八つ裂きにしているはずだ。

 そしてもう一つ、更に気にかかっていること。


 何故マイヤーズはあの暴音の渦中で、平然と攻撃を仕掛けてこれるのか?


 恐らくは、あの赤いピアスだ。

 不自然なほどの深紅には、どこか引っ掛かるものがある。恐らくは宝石──かなりの純度のものに自分の血を流し込んで、術式を常時発動させているのだ。

 宝石は保存の概念。けして壊れぬもの、ひたすらに堆積と流転を繰り返すもの。

 ならばこそ、魔術を保存するという荒業も可能にする。きっとあの血色の石は、轟音に対する、自身の鼓膜の防御への魔術が込められている。

 そして多分、昔人伝手に聞いた海豹アザラシ海豚イルカ、それの感覚器官に準ずるような魔術も挿入されているのだろう。

 でなければ、霧の中であれほど正確にレイを鞭で狙えた理由が見当たらない。

 あの男の魔術の根幹は疑いようもなく「音」だ。

 故に、あの耳環を壊してしまえば決着は付く。

 均衡は崩れようとしている。


 レイは格闘機動コンバット・マニューバのギアをもう一段階上げる。「放出」の弁を二つ開けて、脚の骨ごと、自分が切り替わるような感覚がする。

 既に脚部の筋肉は悲鳴を上げ、疼痛を感じるもの頓着はしない。どのみち戦いは終わりを迎えようとしているし、決着は恐らく数瞬だ。


 レイは再び走り出した。

 地を割り砕く勢いで駆ける。

 マイヤーズも迎え撃つ。鞭を右腕にゆるく巻き付け、全方位の防御が瞬時にかなう体勢。

 恐らくはあのとぐろを巻いたがらがら蛇のような構えこそ、本来ホスローとのコンビネーションで使用されるものなのだろう、と、レイは引き延ばされた思考のなかで確信する。

 しかしあの保安官はもう居ない。


 俺が殺したのだ。


 この一撃で勝負を決める。

 ぎりぎりまでにじり寄るように、地を這いながら走り、俊り、迅り───


 今。


 ひゅごっ、と、これまでとは比べ物にならない精度で鞭が走る。空間に線を入れ込むような、無比の打撃。もはや斬檄と呼んでもいい。


 マイヤーズの鞭の迎撃を半身に回転しながらかわし、その勢いで男の脇をすり抜けるように跳躍。

 半ばベースボールで見られるヘッド・スライディングにも近い姿形。体感時間が引き延ばされ、ニューロンが発火する。凄まじい速度に脳が燃える。その体勢から更に前転し、一瞬マイヤーズを見あげるような形をとる。


 ここだ。


 吟うは呪われし鉛の旋律。

 錬ずるは紡がれし魔導の極彩。

 レイはある銃に捧げられた一節を唱える。


銃よ来たれGirl gonna give me the guns鉛を割れ、73よbreaking lead,winchester


 詠唱に反応し、義手の蒸気機関が滾った。ボイラーが唸る。コンプレッサーががちゃりと起きる。


「こいつ、間合いをっ」


 マイヤーズは瞬時に鞭を蜘蛛の糸のように組み換え盾とする。蹴りに備える判断をこの短時間で構築した才能は称賛に値するものだろう。

 しかし、その適応力が仇となる。


撃鉄ファイアッ!」


 閃く、散弾。散弾。散弾。

 手首部の孔空きの鉄輪から噴射される蒸気は、どこか霧の花弁を思わせた。

 スチームに乗った魔力は弾丸と化し、規定された術式に定まって四方八方に飛び散り。

 礫のように、マイヤーズの顔面を食い千切る。


 鋼の義手に隠された魔力射出機構。

 まさにレイの「奥の手」であり、これこそがレイの真の魔術であると言っていい。

 居合い抜きのように放たれたレイの魔弾の一撃は、確にマイヤーズの耳環を吹き飛ばしている。


 レイが蹴り技のみで戦って来たのはこの為だった。自らの間合いを意図的に限定すること。

 それは無意識の内に、相手の防御の型を限定することにも繋がる。

 結果としてマイヤーズはレイの蹴りを防いで、返す刀で殺す判断をした。

 レイの右腕の存在を、この時だけ忘れた。

 勝負はいかに上手く自らの得意を押し付けるかに尽きる。レイは賭けに勝ったのだ。

 目玉を奪ってしまえば、後の料理は容易い。

「サイドワインダー」はもういない。


「そこっ」

「がっ」


 背中に転がり込んで回り、軸の入った胴蹴りを浴びせる。寸分違わず入る。芯を捉えた感触。

 先程の反応速度が嘘のように、確実にマイヤーズの戦力は落ちていた。

 レイの動きに対応出来ていない。

 右腕に辛うじて保持されていた黒革の鞭を、一足のもと左の上段蹴りで落とす。

 更にホルスターから抜かれようとしていたコルトも蹴り飛ばして、そのまま頭を右手で掴み、飛び掛かって膝を鼻頭に勢いそのまま捩じ込んだ。

 ぐにゃりと曲がった鼻梁から血がごぽごぽと溢れ出す。たまらず、マイヤーズはふらつく。

 その隙を逃さず、レイはマイヤーズの左膝裏を右脚で引っ掛け、後ろに振り回すようにして地面に押し倒した。


 敵はもがいたが、格闘機動で強化された左足で鳩尾を踏み抜いて押さえ付ける。

 瓦を割り抜くような心持ちで、何度も、無心に。

 踏みつける度、マイヤーズの抵抗が次第に弱まる。老人の掠れた咳のような、かひゅっと言う息の音が次第に口から漏れだした。

 ごぼ、ごぼと血さえも口の端から垂れ、つうと床に滴り落ちる。


「......頃合いか」

「ぐっ、か...ぢぐ、しょう」

「危なかったよ、お前さんは良い腕をしていた」

「兄さん...俺はっ、がっ......」

撃鉄ファイア


 せめてもの祈りのように、レイは告げた。


 コンプレッサーが再び息を吹き返す。

 渦巻く蒸気を圧し、熱し、叩きつける。

 リボルバーから生まれた魔力の弾丸が乾いた音を立て、マイヤーズの腹に吸い込まれる。


 サイドワインダーは最後に蛇のようにのたうって、そうしてそれきり動かなくなった。


 西部の時流に飲み込まれた男の命が、また一つと増えた。レイは彼が息を引き取ったのを確認してから、深く溜め息をついた。

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