ローリング・ストーンズ
男は几帳面に金鎚で赤熱した
ぎん、と、鉄を打つ音が工房に響いた。
鍛冶業で培われた丸太のような二の腕が、安物の木綿シャツからのぞいた。
魔力の助けを借りてあかあかと熱せられた鋲は、その内に文明の象徴たる光と火を宿していた。
その光が空気に冷やされ消えかかるのを見てとった男は、工房の無機質で無愛想な石床に置いてある魔導トーチを再度手に取り、トリガを引く。
自らの内の魔力が血管を駆け、手首の裏側辺りに埋め込まれた
瞬間、構えたノズルから白熱が迸り、したたかに鉄を打つ。閃光は鋲に放射され、衝突し、二又に別れた。
被ったシールド越しでも、目をしばたかなければならない程にまばゆい光だった。
男は酩酊にも似た感触をおぼえる。
魔力を使うと、たまにこうなった。
脳みその長らく使っていない部分を叩き起こして使っているのだから、それも道理だ。
もっとも、この”魔力酔い”も見習いの頃と比べて随分と改善されたものだったが。
数瞬考えを過去に飛ばしながら、男は再び鋲の頭にトーチで灼熱を浴びせた。
魔力の燃焼にさらされ、先ほど作った頭にまた光が灯る。
熱が消えない内に、急いでプライヤで鋼板を掴み、据え付けの蒸気ハンマへと設置する。
どこか断頭台を思わせる産業革命の申し子は、がしゅっ、がしゅっ、と機関に従って、律儀に駆動し続けていた。
蒸気ハンマは起動に時間がかかるので、短い作業の時はこうして稼働させていた方がむしろ効率は良くなる。
高出力のピストン運動のエネルギーを真っ向から受け、くろがねが歪んだ。
男は沈着に頭の形を整える。
ここで少しでも手を抜けば、焼き締めの時に形が崩れかねない。
それは彼の面子にとって望ましいものではなかったし、最後まで気張ることが、成果に繋がることを、男は知っていた。
男はひたすらに、鉄を
蒸気の吹き出す間抜けた音と、金属がぶつかり合う甲高い音、そしてひっきりなしに黒煙を吐き出している大型ボイラーの獣じみたうなり声が、独りの工房に響く。
やがて綺麗な椀型に仕上げられた小さな山を見てとり、満足げに、被っていたシールドを外した。
目を保護するために被っていたスモーキー・クォーツ仕込みのバイザーは男の愛用の仕事道具であり、それはつまり彼が鍛冶を生業としている、と言うことでもある。
とはいえ、鍛冶屋の男は別段この宿場工房を長い拠点としているわけでもなかったし、どちらかと言えば彼は流れ者の部類で、出会った人間から運が良ければ飯の種を拾い、蒸気自動車やら壊れた農具やらの修理を請ける雇われの身だ。
魔導を能くしながらも、軍属も研究もせず、こうして流れで世間を渡る彼を、しかし世間はただの変わり者の有能な鍛冶屋だと信じている。
最後に男は、高熱を帯びた鋼板を冷ますため、しゅうしゅうと熱を吹き出す鋼板を、水でたっぷりと満たされた桶に落とし込む。
装甲の赤熱に、水の分子運動が急激に活性し、まるで梅雨時の霞が立ち込めるように、蒸気が、ぶわぁっ、と辺りに広がった。
布でくるんだ鋼板を持って、外に出る。
薄暗い宿場工房の鎧戸を開け、西部の夕焼けを仰いだ。ふと、涼やかな風が男の体の中に吹き込む。
十分に換気はしていたが、それでも蒸気を噴出させながら力仕事をしていれば、必然的に熱はあの薄暗い鍛冶場にこもる。
隣接した宿場の、飯の用意をしているらしい、その良い匂いが漂ってきた。
それは男の仕事上がりの空きっ腹には、いささか堪えるものであった。
夕刻のサウスダコタの陽は、真っ赤に燃えている。朱い光線は転がる
西部の夕野には、緋色の原野がただ一面に広がっている。
男は工房を去り、隣の宿場へ向かった。
そこは宿場──酒場も兼ねている──は、南北戦争帰りのオーナーが、軍で出来た醸造場との伝手を使い立ち上げた小さなサルーン(西武開拓時代特有の宿泊施設兼バー)で、良い酒を出す穴場として、閑古鳥が寄り付く気配が無いほどには繁盛していた。
丸太造りの蒸気パイプが張り巡らされた店舗は、調理器具やヒーターなどの各種設備を蒸気機関に頼っており、食事どきの今、ひっきりなしに鉄管をがたがたと鳴らしている。
店の上の屋根、その側面に打たれた看板には
「Fergahana horse」と彫られている。
パイプと丸太で構成された縦横の有機的な佇まいは、工房とは反対に、どこかせわしなさと暖かみを感じさせる。
蒸気自動車、機関車、二輪車、その類の交通網の多大な発達により合衆国の間隔はぐんと狭くなった。
一攫千金、見果てぬ夢を描き各地へ繰り出してゆく者も随分と増えた。
サルーンには多くのローリング・ストーンズ、すなわち流れ者が立ち寄り、そして立ち去ってゆくし、ましてやブラックヒルズがゴールドラッシュに湧く今、手頃な値段で旨い酒を出すこのサルーンが繁忙期を迎えない道理もなかった。
店の外からでも聞こえるのは、鉄が擦れる音、猟師や砂金堀りの野放図な料理の注文、賭けに興じるギャンブラーたちの笑い声、踊り子たちの俄かな矯声。
そこには、開拓の熱に浮かされた人々の、陽気と無法と解放の坩堝がたしかにあった。
男はスイングドアを押して店内に入り、奥のカウンターで注文を取っているオーナーに、喧騒の只中のこのサルーンでも聞こえるような、「配慮に満ちた声量で」呼び掛ける。
「ビィィィフシチュュウウッ!!!」
男の大音声が築十年のサルーンを、まるごと震わせた。それは建国記念のマーチング・ブラスよりも陽気な亡霊のわめきのように響いた。
「ああ、うるさい! 鍛冶屋さんかっ、解った、今作るから待っていろ、静かにな」
「このバーにはこれ位が似合いだろうっ」
男は悪びれずに叫んだ。
「そうか、だったらあんたの尺度は些か持て余しているように俺には思えるがね、鍛冶屋の寸法が緩いんじゃ困るだろう、畜生め」
壮年のオーナーは眼鏡をずり上げながらまくし立て、なおも「鉱山の水圧掘削機よりも騒々しいんだ、雇うんじゃなかった」とぼやきながらカウンターの奥へと引っ込んだ。
男も罵声で見送りながら、店を見渡す。
見立てが正しければ、彼の依頼主も今ごろはこの店の中で少し豆の固いチリ・コン・カルネなり、スパイスが効きすぎたタコスなりを平らげているはずだった。
「Fergahana horse」には小ぶりの円卓が15卓ほど並んで、周りの椅子は日々の労働の対価の、荒っぽい安らぎを求めるろくでなしどもで埋まっている。
ギャンブラーたちがナイフをダーツ代わりに賭けごとをしている。
小山のようなちょっとした人だかりが出来ている中で、一人のでっぷりと太った賭博師が青ざめた顔をしていた。
お気の毒さま、と呟く声が聞こえた。
そしてその立ち並んだ机の奥には、どうやら一人の青年が、眉をひそめながら座っている。青年は机上のウイスキーを掴み、一口呷って、何か考え込んでいる様子だった。
男の予想に反して食事はしていなかった。
落胆しつつ青年に声を掛ける。
「鋼板の修理、終わらせておいたぞ」
「どうも。現物は」
青年は素っ気なく返す。
この、見立ての年の頃が17、18くらいの、大人びた青年──レイ・バレットと名乗った──が、男の依頼主であった。
そして、レイの右腕には、チューブの様な部品が剥き出しの、鈍色に輝く鋼鉄の義手が
「随分と仕事が早いんだな」
レイは驚嘆と賛辞の念を込めて、男に問い掛けた。実際に今までレイが同じ種類の仕事を任せた中で、こうまで早く仕上げた人物は、その男以外には居なかった。
男は少し驚いた顔をして、それから
「物事にはコツがある」
とだけ言った。
レイは鋼板を右腕の義手にはめようとして、
「レンチを貸しては貰えないか」
と尋ねる。
男は腰に巻いていた厚い革のベルトから、愛用のスパナ・レンチを取りだしレイに与えた。
レイは慣れた手つきで装甲に鋼板を組み込んでゆく。今回レイが男に修理を頼んだのは、右腕の手首側部分のものだった。
義手の四隅の六角ネジをレンチでくい、くい、と次々に締め付け、最後にそれらをレンチの角で無造作に叩く。
すると、締められたボルトが、鋼板に施された六角の孔にすこんと嵌まり、さらに義手の奥に沈頭する。ナット自体に彫刻された溝も義手の内部の施錠機構と噛み合い、堅牢な構造を産み出す。
それらが噛み合い、さながらもう一つの鋲のように、鋼板に埋まった体となった。沈んだボルト自体が、鋼板の密度と強度をより高める構造材となる。
「スチュアート・ダブル・ロックか、悪趣味だな」
男はふんと鼻を鳴らした。
レイは訝しみながらも、
「解るのか」
とだけ言っておく。
「アレのせいでどれだけガンスミスが頭を抱えたと思っていやがるんだ、俺の知り合いはその忌々しいロックねじのお陰で路頭に迷っちまった、くそったれ」
レイは男の事情も命題もさっぱり解らなかったが、取り敢えず謝っておくことにした。
これまでのレイの経験から言って、こんな風に「我慢ならない人種」には、歯向かっておくべきではなかったのだ。
「解った、悪かったよ。お前さんの友人に何があったかは知らないが、ともかくお前さんはコレ自体我慢ならないんだろう」
男は舌打ちをした。
ちらりと覗いた舌は分厚かった。
「造りはしっかり噛み合ってるようだが、義手ってのはそこまで固める必要があるものだったか?」
男は更に続けてこぼした。
「まるでアルマジロだ。まさかそいつで殴り合うわけじゃないだろうな? おまけに
男は早口で一気にまくし立てる。
飛び散った唾がレイのテーブルに飛んだ。
レイはうんざりしながら返す。
「こいつは蒸気義手じゃねえ」
「それじゃあ何か、あんたが魔導士で、右手にぶら下がってるのは魔導義手だとでも? 何の冗談だ」
「あんたは随分と腹を抱えるような冗談に巡りあって来なかったようだな」
レイはにやりと笑って体内の魔導、その励起を想った。魔力は蒸気圧筋肉に編み込まれたテクスチャに従い、魔導となり、運動エネルギを産み出してゆく。
かすかな鉄擦れの音と共に、眠っていた獣が身を揺り起こすように義手は確かに蠕動し、次の瞬間、握られていた五指が、がちゃりと開かれた。
「ほらな」
男はアメリカバイソンが火を焚く現場を目撃したような、やるせない溜め息を着いた。
「すると何だ、俺の前の、ほそっこいがきが、魔導士だと」
「がきじゃあねぇが、確かに俺は魔導士だ」
無免許だがなとレイは心の中で付け加えた。昔は正式の魔導を習った時もあったが、ライセンスを取得する前にのっぴきならない事情が出来たのだ。
「ふざけろっ、ご丁寧にウイスキーなんかやって、何のつもりだ?レンジャー気取りにしてはちと若すぎやしないかい」
「人を探してるんだ」
「人」
そうして、二人は沈黙した。
互いの距離を測りかねている沈黙だった。
しかしサルーンの中は相変わらず矯声と奇声に包まれ、大方静かに物を考えるにはあまりに無遠慮すぎた。
「取り敢えず、あれだ」
レイは、気まずさを払うように言い捨てる。
「代金はいくらだ」
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