第4話 天才博士と漆黒の新戦士
東東京の空は早朝の晴天が嘘のように暗く曇っていた。ホワイトヴェール直下のこの街は、昼を過ぎれば途端に薄暗くなる。それは既にテアーズ達の時間。今まさに、薄ぼんやりと光るオーロラが揺らめき異形の生物が滲み出してきた。
「ジャ……キキ」
テアーズはぽっかりと空いた眼窩を空へと向け、存在しない瞳で光を睨んでいるかに見えた。
「ジャ?」
そのテアーズの視線の先、ビルの屋上に立つ少女のスカートが風にひらめき、真紅のレオタードが曇天に鮮やかな花を咲かせた。
少女は無言でテアーズを睨む。テアーズは見つけた獲物に下卑た笑いを漏らした。
だが、少女は次の瞬間、ビルから身を投げた。
「ジャギャ!」
少女を襲わんとテアーズもまた駆け出す。
空を飛ぶ烏だけが、少女の臀部に光るシリンダーを発見していた。
「……臀身ッ!」
パキンっ!少女の臀部から小気味よい破砕音、そして紅の光彩が体を包み、紅玉の鎧の戦士が現れる。
「ケツワリオン・ルビィ!」
少女は……結はケツワリオンの鎧を身に纏い、テアーズめがけて躍りかかる。
そして死闘が幕を開ける、その様子を見つめるもう1つの影があった。
「……てんでガキじゃないか」
人影はルビィの繰り出す体術を観察しながら、手元のシリンダーを遊ばせた。
それは黒く光るチョップスティックであった。
―――――――――――――
「やあ、改めて初めまして、私が東東京保安機構・特殊装備開発一課主任開発員、槙島天弦だ」
BUTTS本部に戻った断九郎を待っていたのは、白衣姿の壮年男性であった。
「あなたがさっきの通信の……」
「うむ、モニター越しではあったが、君の戦いは見させてもらった」
男性は椅子から立ち上がると断九郎の目の前へと進み出た。
「実に見事だった、惚れ惚れする!」
「そっ、それほどでも……て、あれ?」
照れる断九郎だったが、槙島は断九郎の横を通り過ぎどんどん歩いていく。
「流石、私の開発したケツワリオンシステム!対面したことのない人間にも対応させる私の開発力!」
「えぇ……?」
槙島は断九郎を最早無視し、両手を広げて語り出していた。
「そして何よりスクーパーシャベルだよ!ケツワリオン支援兵器群≪HIPS≫はこれで完成だ!めでたい!」
「あー、おほん、博士、それくらいにしないとまたあんたの独演会になるんで、いいですかね」
横に控えていた大驛課長が苦笑いしながら割って入る。
「む、まあいいだろう。さて、断九郎君」
槙島が断九郎に向き直る。
「君にこの≪メタルスティック≫と≪ケツワリオンベルト≫を渡しておこう、君の正式な装備品だ」
槙島が差し出したアタッシュケースの中には、先刻断九郎が身に着けていたベルトと、鈍色に淡く輝くシリンダーが――チョップスティックが入っていた。
「これが……」
断九郎はベルトに手を伸ばす。重量は大した重さではない、だが。
「これがケツワリオンになるための……兄さんの遺志を継ぐための……」
言い知れぬ重圧を改めて感じる。人々を守るための責任。断九郎はベルトを持つ手にぐっと力を込めた。
「恋爾君の遺志を継ぐ、か。詩的な表現ではあるが、一側面においては的を射ている」
槙島はメタルスティックを取り上げた。
「私は実際天才ではあるが、君専用のケツワリオンシステムをここまで短期間に仕上げられたのは君の兄、恋爾君が残したデータがあったからでもある」
「兄さんの……!」
「まさしく、その鎧は君の兄さんから贈られた君のための戦う力だ」
槙島の言葉は、断九郎の心に深く突き刺さった。
「さあ、君には疑問が尽きないはずだが、私からは君が戦うべき相手、テアーズについて最低限のレクチャーを行おうと思う」
槙島はソファーに腰を下ろしそう切り出した。
「テアーズについて、断九郎君はどれほど知っているかい?」
「ええと……ホワイトヴェールから現れて、人々を襲う謎の怪物で、あり得ないくらいの怪力であらゆるものを簡単に引き裂いてしまう……」
「うむ、一般的に知られているのはその程度だろう。大驛君、何か補足はあるかね?」
「さあ……そのくらいじゃないですかねえ」
「君は立場の割にものを知らんな、話を振った私がバカみたいじゃないか。私は天才だぞ?」
槙島に叱られた大驛はわざとらしく頭を掻いた。
「断九郎君、君の述べてくれたテアーズの特徴には一点、認識違いがある。」
「認識違い?」
「テアーズの振るう強大な破壊の力、それは単純な物理法則によるものではない」
槙島は傍らのモニターの電源を入れる。
「見たまえ、テアーズの破壊活動の記録をデータ解析したものだ」
画面上には高層ビルの定礎部分を引きちぎり倒壊させるテアーズが映し出されている。
「ここだ」
槙島は動画を止めるとテアーズの各部にパラメーターが表示される。
「これはテアーズの発揮している運動量を表示している。観測されるデータ上では、一般的な成人男性と同等の数値しか確認できない」
「人間と変わらない?」
「そのとおり、テアーズの根本的な身体能力は人間と大した違いなどない」
「そりゃおかしいでしょ、そこら辺の人間にビルは崩せんだろ」
大驛が口を挟む。
「うむ、君がなぜその答えをいまだに理解していないのかという点に目を瞑れば、非常にいい質問だ。その通り、そこには物理法則では説明しきれないあるエネルギーが介在している」
モニターの映像が切り替わりテアーズの三面図が表示された。
「テアーズの体表を構成する乳白色の皮膚、あるいは甲殻、これはホワイトヴェールを構成する物質と同質のものであることが分かった」
「あのオーロラと同じ?」
「そう、テアーズはいわばあの忌々しいオーロラを常に纏っていると言ってよい。これが何を意味するか」
槙島はそこで言葉を切り、断九郎に答えを促した。
「え?えーと……」
「さっぱり分からんな……」
「大驛君、君はもう黙っていたまえ」
「そりゃないでしょうよ。そもそもホワイトヴェールがなんだかも分からないのに」
「む?そうか、そこから説明が必要かね君たちは」
再び槙島がモニターを操作すると、ホワイトヴェールの映像が映し出される。
「地球を二つに分断した乳白色のオーロラ、ホワイトヴェール。その中に入ると、どういうことが起こるかは、さすがに知っているだろう?」
「知らんなあ」
「断九郎君、どうかね?」
大驛を無視し槙島が問いかける。
「ご、ごめんなさい、入った人が二度と出てこない、ってくらいしか」
「ふむ、その程度の認識かね」
「博士、一応断九郎君はこの間まで一般人だったんだから、広報部で公開している程度の情報しか知らないんですよ」
「む?そうか。どうも他人の知識レベルを想定するのが苦手でね……おほん、断九郎君の認識は、間違ってはいない」
モニターの表示が変わる。オーロラの成分分析のようだ。
「結論から言おう、ホワイトヴェールとは、ここではない異世界の大気組成そのものだ」
「い、異世界?」
「並行世界、パラレルワールド、あるいはあの世などと詩的に表現してもよい。ここではないどこかの空気、それがホワイトヴェールだ」
「あんな空気の世界があるって?肺に悪そうだなあ」
大驛が間の抜けた感想を漏らす。
「なぜそのようなものがこの地球に漏れ出しているのか、その回答ははっきりとしたことは分からぬし、本題はそこではない。この世界の物質が異世界の物質と触れた時、どのような反応があるのか」
モニター中のホワイトヴェールに人間の3Dモデルが侵入する。
「反物質を知っているかね?それは通常の物質と反応し対消滅を起こすが、異界物質と現世物質が反応したとき……」
3Dモデルは徐々に輪郭を滲ませ、そして。
「その双方の境界は曖昧になり、その体積の巨大な方へ物質は変換吸収される」
3Dモデルは完全に消失した。
「それじゃ……ホワイトヴェールの中に入った人たちは……」
「皆、自己を消失し、ホワイトヴェールそのものとなったのだ」
断九郎は窓の外を見る。薄暗い外の景色の向こうのホワイトヴェールがまるで墓標に見える気がした。
「ホワイトヴェールがあのように停滞している理由、それは単純に今はまだ地球の大気の方が体積が大きいからに過ぎない。境界付近のバランスに変化があれば、この星は明日にでもオーロラの中へ消えてしまうだろう」
「そんな恐ろしいこと公表できないでしょ?だから一般には情報は制限がかけられているわけだ」
「大驛君、分かっているなら最初から変な口は挟まないでくれたまえ」
「あんた適度に茶々を入れないと本題を忘れるでしょ」
「余計なお世話だ。断九郎君、ホワイトヴェールの性質は理解できたかね?」
「はい、でも」
「そう、最初に立ち戻る。テアーズは何故ホワイトヴェールの中から現れるのか?なぜホワイトヴェールの中で自己を保つことができるのか?答えは分かるね?」
「テアーズが、異世界の……ホワイトヴェールの世界の生物だから?」
「正解だ。あれは異世界の、ホワイトヴェールの成分を纏い活動する生命体だと推測される」
モニターがテアーズの三面図に戻る。
「テアーズのあの怪力、厳密にはあれは怪力などではなく、異界物質による反応を利用した攻撃……つまり、地球の物質である限り、物質の境界は曖昧になりテアーズはそれを容易く引き裂くことができるのだ。」
「恐ろしい話だ、要するに地球のあらゆるものはあいつらの前では紙同然ってわけだ」
「その通り、通常兵器でのテアーズ討伐が困難な理由がそこにある。だが!」
槙島がモニターを操作すると、次に表示されたのはケツワリオンメタルの設計図であった。
「それに対抗できる物質を私は見つけ出し、そして実用化した!それが異界金属≪チョップウーツ≫であり、そして≪ケツワリオンシステム≫なのだ!」
「異界金属って……それじゃ」
「うむ、チョップウーツもまた、ホワイトヴェールの異世界とはまた別の異界の金属である。テアーズと同様の原理を用いてテアーズを討つ、それがケツワリオンシステムだ」
断九郎は手元の鈍色の光を見る。これがホワイトヴェールと同様の物質だというのか。
「つまりチョップウーツが最硬の金属という認識も間違いだ。正しくはテアーズに有効に攻撃を通すことの出来る特異な物質である。あまりにテアーズからの攻撃を受ければ傷つきもするだろう、あるいは人体とケツワリオンの鎧が異界反応を起こし始め、消滅することさえ考えられる」
槙島は立ち上がり、断九郎の眼前へと進み出た。
「そうならぬためのケツワリオンベルトだ。臀身を行うときは必ずこのベルトを装着し行うように。君の初戦の臀身は、奇跡的な成功例だ。二度とベルトを通さぬ臀身はしないようにしたまえ。命の保証はできない」
「……わかりました」
「よろしい、では……」
その時、BUTTS本部内に警報が鳴り響いた。
「ふむ、どうやら他の臀身戦士が交戦を始めたようだ。これは……オニキスか」
「他の臀身戦士?」
「この東東京には、現在君を含め四人の臀身戦士が存在する。すなわち、メタル・オニキス・ターコイズ・エメラルドだ」
モニターに四体のケツワリオンの鎧の映像が表示される。メタル以外の三体はシルエットに包まれ、その詳細は確認できない。
「君以外の三人はそれぞれ別の地区を担当してもらっているんだが……はて、オニキス君がなぜ秋葉原地区にいるのだ」
「呼びかけてみますか?」
「試したまえ大驛君」
動き出す大驛を眺めながら、断九郎は槙島の言葉を反芻していた。
「ケツワリオンは四人……メタル・オニキス・ターコイズ・エメラルド……」
断九郎の脳裏には、少女の深紅の鎧が浮かんでいた。
「それじゃあ結は……?」
―――――――――――――――――――
【 神 威 ! 】
ケツワリオンルビィのサイリウブレードがテアーズライノスの胴体を貫く。
「ジャガババ……ゴバア」
サイの強靭な皮膚を持つテアーズライノスであるが、結の剣閃はついにその肉体を貫いた。
「終わりよ、もう一撃!」
結がバトルドレスを翻し、とどめの一撃を繰り出しそうとした、その時だった。
「ジャバ……ギャン!」
テアーズライノスの傷口に突如、奇妙な鞭が突き刺さった。それはいくつもの小さな刃が幾重にも連なり、一つの鞭となっている。
『Ignition』
電子音声が鳴り響き鞭が一瞬赤く光ると、次の瞬間テアーズライノスが発火!
「ジャアーッ!!」
鞭が発火している。鞭がテアーズライノスを焼いているのだ。
「ジャ……ガアーッ!」
炎の柱に包まれ、テアーズライノスは炎上、そして爆散した!
「これは……」
結は乱入者を睨み付ける。鞭の持ち主、漆黒の鎧に身を包んだ男は、鞭を振るう。刃が収束し、巻いた簾のように変形した。
「ああ、大驛サン、ちょっとテアーズを深追いしてね。まあいいだろ。アンタのところは今大変だろ?」
漆黒の鎧……黒衣のケツワリオン装者は通信をしている。結に目線を向けていない。
「心配するな、もう倒した。応援は必要ない。……ああ?博士がいる?知らん知らん。もう切るぞ」
男は通信を一方的に切断した。
「……人の獲物を横取りして、しかも無視?礼儀のなってない男ね?」
結は静かに体を半身に構え直す。
「ああ?小娘のくせにいっちょまえのことを言ってんじゃねえ」
男は結に向き直る。
「ほら、礼儀を言うなら、そっちから名乗りな、背伸び娘」
次の瞬間、結はすでに男に飛びかかっていた。
「おいおい、どっちが礼儀知らず……だ!」
男はわずかに身をかわし、結を蹴りつけた。
「あっ!」
結は地面に叩き付けられる。
「さあ、聞かせてもらおうか?そのケツワリオンの鎧はなんだ?んん?テメエは何者だ?」
男は腰に鞭を括り付け、結に向かい歩く。結は素早く身を起こし、態勢を立て直す。
「小娘、遊びで戦いをやってんじゃねえぞ。ここは戦場だ。お前のはごっこ遊びか?」
「バカにするな!」
挑発に乗った結はサイリウブレードを展開、男に斬りかかった。
「ふん、動きが丸わかり……」
男は再び身をかわそうとし……
「何?」
だがしかし結は空中で突如身を翻し、ビルの壁を駆け上がる。
「逃げか!小癪な!」
結はそのままビルの屋上へ上る。
「今はまだ他の臀身戦士に接触するときじゃない……!」
結が隣のビルへ飛び移ろうとしたその時、頭上を影が遮る。
「なっ!?」
結は寸でのところで身を翻すのと、眼前に刃鞭が突き刺さるのは同時。
「まさか!」
突き立った地点を起点に、鞭が収縮していく。そしてアンカーの如き鞭の動きに牽引され屋上に上ってきたのは……
「次は鬼ごっこでもしたいのか?ああ?」
「黒い臀身戦士……!」
「とことん付き合ってもらうぜ、テメエの正体を吐かせるまでは」
男は鞭を簾状に戻すと、再び構えを取る。
「さあ、この鎧……ケツワリオンオニキスの力に、どこまで耐えられるかな?小娘」
つづく
臀身戦士 ケツワリオン じょう @jou-jou
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