第3話 戦う決意とドジョウ掬い

(((これは夢……すこしばかり前の出来事……)))

 少女は身じろぎひとつせず、静かに精神を集中させている。窮屈なコックピット内は、まるで棺桶を想起させた。

(((そう……これはあの日……使命を帯びて計画に臨んだ日……)))


『Preparing for launch』

 スピーカーからは作戦開始を告げる声。少女はきっと虚空を睨み付けた。

『Main engine ignition』

 衝撃が極小の世界を揺らす。

『Three,Two,One SRB ignition lift off』

 全身に容赦なく襲い掛かる強烈なGに、少女はひたすら耐えた。


(((管制塔からの歓喜の声……まだ成功したわけじゃないのに……)))

 少女は幽体離脱めいて飛翔する機体内から外部を見る。宇宙はただひたすらに闇を湛え深淵は見通すことはできない。そして地球は――


『地球は青かった――この言葉はまさしく過去形になったのね』

 母なる大地は、ある場所を境に色を失っていた。北極点から地球を縦断する乳白色のオーロラ、“ホワイトヴェール”。成層圏まで到達する、何人たりとも通ることの出来ない断絶のカーテン、それを越える。


 ホワイトヴェールの頂点、光を通さぬ白い絶壁の境界から今、太陽が光射す。

『久しぶりね……朝日なんて』

 少女の乗る希望の箱舟はホワイトヴェールを越え、断絶したへと到達した――


「……ん」

 襖の向こうからの柔らかい陽光が少女の――ゆいを眠りから目覚めさせた。

「ふぁ……ん、朝日……ふふふ」

 結の口から自然と笑みがこぼれた。

「素敵……朝日がこんなにも綺麗だったなんて、思いもしなかった。」


 結はあてがわれた客間から食堂に向かう。食卓には焼き魚、玉子焼き、味噌汁、白ご飯。

「まぁ、中々豪勢な朝ごはんね」

 結は食卓に着こうとして、書置きに気付いた。

『今日は出勤日なので早々に出ます。鍵は玄関の鉢の中に入れておいてください』

 家主――滝原 断九郎からの伝言であった。


「いただきます」

 結は一人合掌すると食事を始めた。

「うん、おいしいじゃない」

 食事をしつつ、結は思考した。

「残るチョップスティックは23本……補充は期待できない」


 結はあの日の断九郎の戦いを思い出した。荒削りで危なっかしく、そして力強い戦いであった。

「使える手駒は多い方がいい……使命を果たすまでは、精々使い物になってもらわなくちゃね」

 そういうと結は味噌汁を飲み干した。


 ―――――――――――――――――


 兄、恋爾の死から三日。断九郎はあの日以来初めてBUTTS本部へと出勤した。


「お~おはよう滝原くん」

 書類の山だらけの事務室内で、大驛課長は変わらない様子で断九郎を迎え入れた。「お、おはようございます」

「うん、少しは落ち着けたかな?」

「おかげさまで……何から何までありがとうございます」

 断九郎は深々と頭を下げた。


「うんうん……まあ、それこそ私らは恋爾くんに数えきれないくらいお世話になったからねぇ……」

 大驛課長は書類に捺すハンコの手を止め、ため息をついた。

「さて、滝原、あ~断九郎くんでいいかい?」

「あっはい」

「断九郎くん、初出勤の日にあの事件が起こったせいでうやむやになってた君の所属と勤務内容だけど……」


 大驛課長はごそごそと机の上の書類の山をひっくり返す。

「あれ?ここに置いといたんだけどな~」

 書類の山が崩れ机の周囲に散らばったが、大驛課長は意に介さず捜索を続けた。

「ん~ああ、そうか、分かりやすいようにコピー機に置いといたんだったっけ」

 大驛課長は頭を掻きながらコピー機の上の書類を手に取った。


「え~……滝原断九郎、右の者を総務部総務課内室保安室臀身戦士部隊所属とする。東東京保安機構長官、二階堂 正義。っと」

 大驛課長は手元の書類を読み上げると断九郎に渡した。

「というわけで、総務課長兼保安室長の大驛です。」

 ふにゃふにゃした敬礼をすると、大驛課長はどっかりと椅子に座りこんだ。


「臀身戦士部隊――略して“臀部”。おめでとう、事務から昇進だよ~」

 大驛課長は3回だけ気の抜けた拍手をし、また捺印作業へと戻った。

「詳しいことはそこの市民向けパンフレットを読んでみてね~」

「えっ?なんか詳しい引き継ぎとか……」

「ごめんね……“臀部”はこないだの一件で全滅しちゃったし、隊長も兼ねてた恋爾くんの死は想定外でね……本部も対応しきれないんだよ」


「課長は詳しくないんですか?」

「専門外、私は事務方だからね~」

「そ、そんなぁ。それで大丈夫なんですか?」

「だぁい問題だよ。一週間以内にはちゃんとした体制に近づけるとは思うけど……」

 大驛課長は書類を捌きながら頭を掻いた。

「だから断九郎くんの臀身装備もまだ準備できてないんだよ、ごめんね?」


「大丈夫です、それなら兄の遺してくれた装備が……」

「サイズとか合うの?分かんないけど、恋爾くん大きかったからねえ」

 恋爾は195cmの偉丈夫、断九郎は175cm程度の身長である。

「でも、僕はこの前、兄さんの遺してくれた装備で……!」

「うーん、専門外だから理屈は分からないけど、保安機構からは危険な行為だから慎むように、ってお達しなんだよね」


「そ、それじゃ……」

「そ、残念だけど正式な君の装備品が届くまでは、断九郎くんは臀身禁止、いいかい?」

「納得できません!」

「できなくてもするの、社会人なんだから。室長命令ね」

 大驛課長はそれきり書類にかかりきりになった。断九郎は市民向けパンフレットを鞄に突っ込むと事務室を出た。


「おーい、どこへ行くんだい」

「待機命令は無いので、病院へ行ってきます」

 断九郎はいらいらしながら言った。

「なら外出表に行先を書いていきなさい」

 大驛課長は壁にかかるホワイトボードを指さした。


 断九郎は渋々向かう。ペンを取り自分の予定欄に行先を記入していく。ホワイトボードに書かれた名前はわずか三人。

 大驛課長、断九郎、そして月野原 歌織。歌織の名予定欄にはずっと、「傷病休暇」・「入院中」の文字が記してある。

「……くっ」断九郎は踵を返し事務室を後にした。


 事務室には大驛課長のハンコの音だけが響く。

「……あーあ、この部屋もえらく広くなっちゃったなぁ」

 ちいさなぼやきは誰にも顧みられることは無かった。


 ――――――――――――――――――――


「歌織……今日も来たよ」

 断九郎は病室に持ち込んだ椅子に座ると、目を閉じたままの歌織に話しかけた。

「聞いてくれよ、僕はまだ戦っちゃダメなんだってさ。おかしいよな……兄さんの使命を継がなくちゃいけないのに」

 歌織は答えない。あの日――“臀部”でただ一人生き残った歌織であったが、その意識は今をもって戻ってはいなかった。

「ごめん……こんな話してちゃダメだよな……歌織は今も戦ってるってのに」


 断九郎は顔をぴしゃりと叩いた。

「よし!うじうじしてても仕方ない」

 断九郎の脳裏には、昨日から突如現れた奇妙な同居人――結の姿が浮かんでいた。

「こんな本読んでても意味がない、僕は戦い方を知らなきゃいけないんだ」

 断九郎は手に持っていたパンフレットを畳むと、椅子から立ち上がった。


「キャアーーッ!」

 外から突然悲鳴が響いた。

「なっ!」

 窓から見えたのは襲われる人々。はぐれテアーズが出現したのだ!

「くそっ!」

 断九郎ははじかれたように駆け出す。


「くそっ……僕は何を……」

 断九郎は走りながら自問した。

「臀身するための道具も無いのに……っ!」

 今テアーズに向かってどうなる?何もできず、みじめに引き裂かれるだけではないのか?


「それでも……兄さんに約束したんだ……みんなを守るために戦うって!」

 はぐれテアーズは街路樹をなぎ倒しながら、白衣の集団を追っている。白衣の集団はアタッシュケースを抱えながら必死に逃走していた。

「くっ……こっちだ!」

 断九郎は道端に落ちていた石を投げテアーズを挑発する!


「ジャッ?」

 テアーズはぎょろりと向き直ると、白衣の集団を追うか、命知らずの愚か者を無残に殺すかを逡巡した。

「きっ君!」「危ないぞ!」

 白衣の集団は思わず足を止め警告した。


「ジャラーッ!」

 はぐれテアーズはその声に反応し、白衣の集団に跳びかかった!

「ぎゃあああ!」

 アタッシュケース持ち白衣が腕を引きちぎられ、ケースの中身が散乱する。その中に入っていたのは、大量のシリンダーに大仰なベルトであった。


「あれは……!」

 はぐれテアーズは逃げ出した白衣達を追う。断九郎は散乱したシリンダーを……チョップスティックを拾うため走る。

「これを使えば……!」

 断九郎は履いていたデニムを破り捨てる!真っ白に輝く褌が風になびき、鍛えらえた大臀筋が露わになる!


「これで……臀身するッ!」

 断九郎がチョップスティックを臀部に装着しようとしたその時、地面に転がる奇妙なベルトから声が響いた!

『違うぞ断九郎君、臀身とはそうではない!』

「なっ」


 ベルトから何者かが通信を通して語りかけてきた。

『そのままチョップスティックを割ってしまえばケツワリオンの鎧は不安定になるだろう。私の発明は完璧でなくてはならない!』

「貴方は一体……?」

『説明は後だ!ベルトを装着したまえ断九郎君!』


 断九郎は通信音声の導きのままベルトを装着する。

『側部のスイッチを押したまえ!それでレーザーフレームが展開される!』

 断九郎は言われるがままスイッチを押した。ベルトの機構が展開し、中からレーザー光がワイヤーのように発射され、断九郎を包み込んだ。


「こっこれは!」

『レーザーフレームはいわばケツワリオンの鎧の設計図。シリンダーから溢れ出たチョップウーツはレーザーフレームを伝い、完璧なる鎧を生み出すだろう!断九郎君、今こそ臀身の時だ!』

 断九郎は臀部にチョップスティックを装着するとテアーズに向き直った。


「ジャギャッ?」

 白衣たちを追っていたテアーズが異変を感じ振り返る。断九郎は右腕を掲げ、正中線に沿ってゆっくりとおろしてゆく。

「ハァ――ッ!」

 胸の中心に腕が来た瞬間、断九郎は拳を握り胸に引き寄せ叫んだ。


「臀身ッ!!」


 パキッ!小気味良い破砕音を立て断九郎の大臀筋がチョップスティックを割る。鈍色の淡光がレーザーフレームを伝い、断九郎を包み込む!

『うむ!私の調整は完璧だ!断九郎君、それは君専用に調整された新たなケツワリオンの鎧、その名も――』

 鎧が現界し、鈍色の超戦士が誕生する!


「ケツワリオン・メタルッ!」


 鋼鉄の戦士、ケツワリオン・メタル!断九郎が身に纏ったのは、あの日と同じ、超自然の鈍色の鎧であった。

「ジャギャギャギャ!」

 危険を察知したはぐれテアーズは自らの蛇頭を掴み、引き裂く!断裂面から新たにおぞましい奇怪生物が――テアーズバットが現れた!


「ジャコーッ!」

 テアーズバットが皮膜を翻し断九郎に――メタルに襲い掛かる。

「ハッ!」

 断九郎は迎え撃ち、掌打をテアーズバットに浴びせた!

「ジャギャッ!」


「ハッ!セヤッ!タアッ!」

 掌打、上段蹴り、裏拳!メタルの打撃がテアーズバットを打ち据える!

「ジャギャーッ!」

 テアーズバットはたまらず、上空へと飛び上がった。

「くっ!」


「ジャジャジャ……」

 滑空するテアーズバットはにやりと笑うと、地面のメタルに向けて超音波攻撃を放つ!

「ジャシャーッ!シャーッ!シャーッ!」

「ぐあああ!」

 超音波により動きを封じられたメタル目がけ、テアーズバットの滑空体当たりが炸裂する!


「くそっ!」

 反撃を試みようとする断九郎だが、テアーズバットは素早く飛び上がり追撃不能高度へと逃れてしまった!

「ジャシャーッ!シャーッ!シャーッ!」

「ぐあああ!」

 二度目の超音波滑空!メタルはまたしてもまともに喰らってしまう!


「くそっ!上空の敵とどうやって戦えばいいんだ!」

『断九郎君、聞きたまえ。チョップスティックを一本ベルトの左ソケットに装備するのだ!』

 ベルトから通信音声!メタルはその言葉にかけた。

「よし……これか!」


 ソケットにチョップスティックが挿入されると、再びスイッチが光り出した。メタルはスイッチを押す!

『Ready the Scooper !』

 ベルトから電子音。そしてレーザーフレームが発条しメタルの右手に設計図を描く!

「こっこれは!」


 鈍色の光はオレンジに変化し、武器を形成してゆく。多数の竹を思わせるしなやかな金属が、巨大なシャベルを編みこんでゆく!

『Scooper Shovel Complete!』

「これは……シャベル!」

 鋼の刃、スクーパーシャベル!


『そのスクーパーシャベルに掘れないものはない。さあ断九郎君、蝙蝠を撃ち落とすのだ、!』

「うおおおお!」

 メタルはスクーパーシャベルを地面に突き立てる!奇妙なほど抵抗なく地面に突き刺さったスクーパーシャベルを、メタルは思い切り振り抜いた!


「ジャシャッ……ギャッ!」

 メタルの掬い上げた大量の土砂礫に翼膜を貫かれ撃ち落とされるテアーズバット!

「いまだ!」

 メタルは機を逃すことなくテアーズバットの落下地点に潜り込む!

「ハアーッ!」

 落下するテアーズバット目がけ、メタルは思いきりスクーパーシャベルを突き上げた!


【 天 空 稲 妻 突 き ! 】


「ジャゴアーッ!」

 スクーパーシャベルに突き上げられたテアーズバットは上半身と下半身にわかれ切断!

「ふん!」

 メタルは残心し、背後でテアーズバットの半身たちがそれぞれ大爆発を起こした!


『うむ、すばらしい!断九郎君、やはり君は逸材だ!』

 ベルトからの通信は、やや興奮した様子であった。

「貴方は一体……?」

『私か?私の名は槙島まきしま 天弦てんげん、ケツワリオンシステムの開発者だ』

「ケツワリオンシステムの開発者?」

『もうじき処理部隊が来る。君はBUTTS本部に帰投したまえ。そこでゆっくり話そう、では』


 それを最後に、通信はぷつりと切れた。

「…………」

 鎧が光と共に空気中に拡散していく。断九郎は己が振るった力を噛みしめていた。

「僕が……戦ったんだ!」


 ―――――――――――――――


 断九郎の鎧が拡散していくのを、結は近くのビルの屋上から見ていた。

「……東のケツワリオンは至れり尽くせりね」

 結は断九郎ではなく、その周囲を深く観察していた。

「結局、あれははぐれテアーズ一匹だけ、か」

 結はかぶりを振り、ビルからビルへと飛び移る。


「待ってなさい、必ず見つけ出してみせる」

 小さな呟きだけを残し、風になってビルを渡って行く結。スカートがひらめき、赤いレオタードと小さい臀部が露わになった。

「必ずあるはず……ゲートが!」


 つづく

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