第2話 受け継ぐ誓いと鈍色の決意

 紅い鎧を身に纏いし少女戦士、ケツワリオン・ルビィは手にしたサイリウブレードを翻し背後から襲い来るテアーズスパイダーを斬り捌く。わずかに体毛を刈り取るのみで斬撃は回避され、代わりにテアーズスパイダーは口から粘着性の糸を吐き出す。脚を絡め取った都合三度目の糸をサイリウブレードで斬り離し、テアーズリザード、テアーズシケイダーの同時攻撃を手甲でガードするルビィ。


 少女の戦いは見とれるほどに可憐であり、苛烈であった。しかし、三対一という状況が、少しずつ異形の怪物たちに有利となろうとしていた。テアーズの持久力は生命体とは思えぬほどに高く、無尽蔵といっても過言ではない。対するルビィは、ケツワリオンの鎧のブーストを受けながらも、その呼吸はわずかに乱れ始めている。


 「はぁっ!」テアーズリザードの硫酸舌を斬り裂く!「ジャシャーッ!」切断された硫酸舌がコンクリートを泡を立てて溶かしながら地面をのたうちまわる。「ジャーッ!」テアーズスパイダーが再び粘着糸噴射!「くっ!」回避不能、まともに糸の洗礼を浴びたルビィは両腕を絡めとられ身動きができない!


 「ジャー……」「ジャヒィ……」ゆっくりとにじり寄るテアーズ怪人達。ルビィは粘着糸を引き千切ろうと試み、すぐにそれを放棄した。粘着糸は、単純な腕力では振り解けそうになかったからだ。ルビィは一か八か、テアーズ怪人たちの攻撃を受けることで粘着糸を引きはがそうと考えた。攻撃を受けきる覚悟を決めた、その時。


 「兄さんの使命は、僕が必ず貫き通す!」響く声。ルビィが、テアーズ怪人達が動きを止め、声のする方を見る。視線の先の青年――滝原 断九郎は、決意の表情と共に立ち上がると、履いているジーンズを破り捨てた。すらりと伸びる脚が露わになり、まばゆい白の六尺褌が風になびいた。断九郎は手にした白銀に淡く光るシリンダーを――“チョップスティック”を褌と臀部の間に挿入した。


 断九郎の脳裏に兄の声がこだまする。(((いいか断九郎、ケツ割り箸の基礎、それは呼吸だ)))断九郎は深く息を吐く。(((いいか、呼吸は肺だけで行うんじゃない、全身を使うんだ。構えは即ち、呼吸に最適な体勢を作るための指針だ)))断九郎は右腕を掲げ、正中線に沿ってゆっくりとおろしてゆく。


 (((正しい呼吸が完成していれば、大臀筋に力を入れずとも割り箸は割れる)))滝原流、正眼の構え。兄が教えてくれた、ケツ割り箸の技。兄と自分をつなぐ、大切な絆。(((ケツの割れ目とは即ち、此岸と彼岸の間に出来た裂け目。正しい呼吸はその裂け目から力の流れを引き寄せることができる。それがケツ割り箸だ)))


 何度挑戦しても理解ができなかった兄の言葉。断九郎は今、ようやく意味を理解し始めていた。正眼の構えをこなしてゆくことで、己の臀部に壮絶な力が集まってきているのが分かる。兄の言葉がきっかけか、それともこの謎めいたシリンダーの効力なのか?真偽の程は断九郎には興味が無かった。今必要なのは疑問の回答ではなく、兄の意志を継ぎ、戦うための力。胸の中心に腕が来た瞬間、断九郎は拳を握り胸に引き寄せ叫んだ。


 「――臀身ッ!」


 パキッ!断九郎の大臀筋がチョップスティックを割り折る。割れた管の中から溢れ出た白銀光が爆発的に広がり、意志を持つアメーバの如く断九郎を飲み込んだ!「まさか……レーザーフレームの補助なしに臀身を!?」ルビィの目が驚愕に見開かれる。危険を察知したテアーズリザードが断九郎目がけ跳びかかる!「ジャラーッ!」


 「うおおーッ!」鈍く光る金属手甲に覆われた断九郎の腕は大振りに振り抜かれ、テアーズリザードの頭部を打ち砕いた!「ジャッ……」制動を失ったテアーズリザードの胴体は、勢いのまま地面を三度跳ねて転がり、そして爆発した。「ジャギャッ」「ジャーッ!」残る二体の怪人たちがけたたましく鳴き声を上げる。


 「はぁ……はぁ……」白銀光が断九郎に固着すると光は鈍く失われてゆき、鈍色の鎧となった。「はぁ……これが、僕……!」断九郎は鎧われた己の両腕を見た。重厚な手甲でありながら、重量を微塵も感じない。だがその存在感はすさまじかった。力が鎧の内側から、いくらでも湧いてくる感覚があった。


 「すぅー……っ!」断九郎は深く息を吸い、眼前の二体のテアーズを見据えた。テアーズ怪人達は左右に分かれ、じりじりと断九郎との距離を測り始める。断九郎は迷わず飛び出した!「ジャミッ!」「おらあッ!」断九郎の拳は、テアーズシケイダーの巨大な複眼を捉え、破壊!「ミミーン!」おぞましい悲鳴がこだまする!


 「ジャシューッ!」テアーズスパイダーは粘着糸を噴射、断九郎の脚が道路へと縫い付けられる!「ッ!」「ジャバババ!」勝鬨の叫びを上げながらテアーズスパイダーがにじり寄る。残酷に開いた口腔からは、おぞましい毒液の滴る鋏角が現れた。危うし、断九郎!


 「―――――ッ!」断九郎は腕を丹田の前で交差し、呼吸に意識を向ける。呼気と共に体内を霊気がめぐり、丹田を通り臀部から放出される――滝原流ケツ割り箸の極意の呼吸が、今の断九郎にははっきりと感じることができた。体内をめぐるエネルギーの流れは分かった。そして、それを操る方法も――


 「ジャババ……ジャギ?」テアーズスパイダーが歩みを止めた。断九郎の膨れ上がる闘気に気圧されたのだ。「ハァ――ッ!」断九郎の雄叫びに呼応するように、アスファルトの道路にヒビが入り、割れてゆく!いかにテアーズスパイダーの粘着糸が強靭でも、――!


 「せりゃぁぁッ!!」断九郎の叫びに呼応するように、臀部から白銀光が放たれた。「ジャギッ!」一条の閃光がテアーズスパイダーの視界を奪う。同時に、轟音と共にアスファルトの地面が破砕される!断九郎は縫い付けられた道路ごと、はるか上空へと飛び上がった!


 「ジャッ……ジャギャギャ!」テアーズスパイダーが断九郎を見上げる。断九郎は跳躍の頂点で静止、急激な縦回転運動を始めた!「はああーーッッ!喰らえーーッッ!!」高速回転により鈍色の光輪となった断九郎の踵がテアーズスパイダーの頭頂部に炸裂!


 【 大 車 輪 踵 落 と し ! 】


 「ジャッ……ギャアアアアーーッ!」強烈な縦回転Gを載せた断九郎の踵落としはテアーズスパイダーの頭部を破砕!粘着していた地面ごと糸が解け、残心する断九郎の背後でテアーズスパイダーは大の字に倒れこみ――爆発!


 「糸が――!」主を失い力を無くした粘着糸から解放されたルビィは音も無く跳躍、逃げ出そうとしていたテアーズシケイダーの眼前へと回り込んだ。「ジャッ!」「どこへ行くつもり?私の刃は決してお前たちを逃がしはしない――!」破れかぶれのテアーズシケイダーは潰れた眼球から粘液をまき散らしながらルビィに突進する。


 ルビィの持つサイリウブレードが七色に変化し、再び紅に戻る。「紅の刃は敵を両断する絶刀――!」大上段に構えられたサイリウブレードから紅の光が溢れ出し、刀身が五倍に伸長する!「ジャミミーン!」「断てッ!」


 【 神 威 ! 】


 振り下ろされる深紅の刃はテアーズシケイダーを真っ二つに斬り、両断されたテアーズシケイダーの肉体がそれぞれ爆発!爆炎が晴れた時、地面に刻まれた破砕痕を挟んで断九郎と少女は向かい合っていた。炎に揺らめき、少女の紅い鎧が空気に溶けてゆく。


 「き、君は一体……」鎧を解いた少女は応えず、ただじっと断九郎を見つめている。「君――がはっ!」断九郎はせき込み地面にへたりこむ。断九郎の鈍色の鎧は急速に風化を始め、ぼろぼろとはがれおちていた。「ごほっ!ごほっ!」断九郎の肉体を激痛が襲う。激闘の反動が現れたのだ。


 「ごほっ……教えてくれ、君は――」遠くからサイレンの音。BUTTSの応援部隊が到着しようとしている。「君は一体――」断九郎は手を伸ばす。だが断九郎は地面の破砕痕に足を取られ倒れこんだ。「うわっ!」少女は不意に視線を外すと、路地裏に消えて行った。


 「はぁ……はぁ……」地面に大の字に転がり、空を見上げた。ホワイトヴェールに遮られ、青空はぶつりと途切れていた。「……兄さん――ッ」断九郎は、ようやく涙を流すことができた。


 「救護班!急げ!」「こっちに一人いる!」BUTTS機動部隊が断九郎を助け起こす。「大丈夫か?」断九郎は力なく頷いた。「本部、生存者一名確認、保護します」「おーい、手伝ってくれ!瓦礫の下に一人いる!」機動隊員の一人が声を上げる。


 「分かった!立てるか?」断九郎は機動隊員の手を借り身を起こした。断九郎は視線を声のした方へ向ける。兄の遺体の向こう、瓦礫の下から引きずり出される女性の姿。「まだ息がある!急いで病院へ!」頭から血を流す、意識のないその女性は――

「歌織――」生きていた。歌織だけは、生きていてくれた。「兄さん……兄さんが守ってくれたんだね」断九郎は、ただ立ち尽くし、涙を流し続けた。


 ―――――――――――――――――


 そして三日が過ぎた。恋爾の葬儀はしめやかに執り行われ、BUTTSや東東京保安機構の人間がかわるがわる弔問に訪れた。断九郎は形ばかりの喪主として葬儀を取り持った。保安機構の人間たちの値踏みをするかのような目線に耐え、じっと時が過ぎるのを待った。


 「色々疲れてるとは思うが、明日はまた本部に来い。話があるからな」葬儀の実務を全て行ってくれた大驛課長はそう言い残し立ち去った。断九郎は、この広い屋敷に一人きりとなった。「元々二人しか住んでなかったのにな……兄さんがいないとこんなに広いなんてなぁ」断九郎は仏壇に向けて語りかける。


 「兄さん……僕は兄さんみたく、みんなを守れるのかな」夕日が部屋に差し込んでくる。「強く……兄さんのように強くなるんだ」断九郎がつぶやいた時、庭から声が響いた。「今の貴方じゃ無理ね」


 断九郎ははじかれたように立ち上がり襖を開く。庭に佇んでいるのは、あの日鎧を身に纏っていた、赤髪の少女であった。「君は……」断九郎は次の言葉が見つからない。少女の小さな臀部の記憶がフラッシュバックする。「この間の戦い、あれでは貴方はこのまま戦い抜くことはできない」


 少女の鋭い視線が断九郎を捉える。そこに敵意や糾弾するような意志は見えない。断九郎はただじっと、見透かすかのような視線に貫かれていた。「どうするの?貴方は無駄死にするために戦うの?」「無駄死に……?」断九郎の脳裏に、両断された兄の遺体が浮かんだ。


 「兄さんは……無駄死になんかじゃない!!歌織を守って……僕に力を託してくれたんだ!」「そして貴方は戦い方も分からないまま敵に殺され、託された力は無駄になる」「――っ!」少女の言葉に声が詰まる。「戦い方も知らない貴方が戦場にいたら、はっきりいって迷惑なの」


 「なら……教えてくれ」断九郎は少女の視線を真正面から受けて立つ。「戦い方を、あの鎧の事を!」断九郎は、己よりも年下であろう少女に、迷わず頭を下げた。「……想像してたより、ずいぶん素直だったわね」そういうと少女は靴を脱ぎ、縁側に上った。「……?」「話は長くなるわ。落ち着いて話をしましょう」断九郎は少女に促されるまま、客室へと案内させられた。


――――――――――――――――


 「“チョップウーツ”、すべてはその金属の開発から始まるわ」テーブルを挟んで、断九郎は少女の話を聞いていた。「テアーズの非常識的な破壊力に対抗するべく、超常的な硬度を持つ金属が開発された。それがチョップウーツよ」少女は髪留めを一本引き抜いた……否、それは髪留めではなく、ほのかに紅く光る液体の入ったシリンダーであった。


 「ダイヤモンドの数百倍の硬度をもち、かつ鋼の数千倍のしなやかさを持つ。チョップウーツは常温では液体、ただし空気に触れることにより急激に硬化を始める。だからこうしてシリンダーに――“チョップスティック”に入れて持ち歩く必要があるの」断九郎は少女のチョップスティックを見つめる。兄の持っていたものよりも、すこしだけ小ぶりだった。


 「そしてこのチョップウーツを身に纏い、鎧として再構築したものが、“ケツワリオン”よ」ケツワリオン、超常の鎧を身に纏い戦う戦士。「兄さん……兄さんもケツワリオンだった」「そう、貴方のお兄さんは東では最強の臀身戦士だった」少女は目を伏せた。「でも、テアーズによって倒された」


 断九郎は唇を噛み締めた。「戦いに絶対は無い。私たちは私たちの世界を守るために、決して退いてはならない戦いを続けているの」少女の目が問う。お前にその覚悟があるのか、と。「……僕は兄さんから託されたんだ。みんなを守るための力を。放り出すなんて絶対に出来ない」


 「そう」少女は感情を見せず呟いた。「……貴方は戦場に立ち続ける。私がいくら邪魔だと言っても。そういうことね。なら、教えてあげるわ。戦い方を、邪魔にならないように、ね」「本当かい?なら――」腰を上げようとした断九郎の腹の虫が、盛大に鳴った。


 「あ……」一気に断九郎の顔が真っ赤に染まる。少女は――「……ぷっ」小さく笑った。張りつめていた少女の顔に初めて浮かんだ笑顔はとても可憐で、苛烈な戦士には見えない、年相応の少女の顔だった。「そうね、もう夕ご飯時だもの」少女は膝を払いながら立ち上がる。


 「貴方……料理はできるの?」「え?」「あ、いや。やっぱりいいわ。礼儀として、私がやってあげる」礼儀?少女は断九郎の返事を待たず廊下に滑り出る。「な、なんのことだ?」「何って……私が今晩の食事を作ってあげるって言ってるの」


 「なっなんで?」「だってこれからしばらくお世話になるんだもの。家主にばかり家事をさせてはいけないもの」しばらく――?断九郎はフリーズした。「な、なにを、いって……?」少女は勝手に台所へ入って行く。「当然でしょ?一朝一夕で戦いのイロハが身に着くわけないじゃない。私がしばらく、じっくり面倒を見てあげるわ」


 「つ、つまり」「つまり、私はしばらくこの家に住む、って言ってるの」家に、住む?断九郎は硬直する体を無理矢理動かし台所に抗議せんと侵入する。「そんな勝手に……ッ!」少女はいつの間にか服を脱ぎ、レオタードにエプロン姿となっていた。「これからよろしくね?断九郎くん」いたずらっぽくウィンクをする少女。断九郎は今度こそオーバーヒートを起こした。


 鼻歌交じりに調理器具を品定めし始める少女。「んー、そうか、まだ言ってなかったか」そして少女はくるりと断九郎に向き直り。「私の名前はゆい、よろしくね?」弾けるような笑顔を向けるのだった。


つづく

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