第1話 臀身!赤い少女とケツ割り箸

 どうしても追いつかない。何度も何度も叫んでも、決して振り返る事はないその影を、必死になって追いすがる。けれど、どんなに走っても追いつかない。(((心配するな、オレは……)))待ってくれ、待って……


(((兄さんーッ!)))


「ーーッッ!!」がばりと跳ね起きる。滝のような汗と、全力疾走した直後のような息苦しさに耐えながら、滝原 断九郎は悪夢から目覚めた。襖の向こう側から朝日が差し込んでくる。残念ながら、目覚めは最悪であった。「ちぇっ、縁起でもない」


 パキッ。パキッ。庭からは規則正しく響いてくる破砕音。断九郎は襖を開け縁側へと滑り出た。「おはよう、兄さん」庭で素振りをしていた兄、恋爾が振り返る。「おはよう断九郎!」傍らには空の水桶。素振り前に水浴びをしたのであろう。


「朝から精が出るな、兄さん」「うむ、日々これ鍛錬なり。素振りは一日たりとも欠かしてはいかんのだ」そういうと恋爾は再び構え、大臀筋に力を込める。「ふんッ!」パキッ!恋爾の臀部から破砕音が響く。


「毎回不思議なんだけど、なんでそれで音がなるわけ?」恋爾は褌姿、それ以外何も身に付けてはいない。だが確かに破砕音が恋爾の臀部より発せられていた。「はっはっは!それは教えられん!」豪放に笑う恋爾。「なんでさ」「これは我が滝原流の奥義の一端だからな……最も断九郎、お前には才能がある。もう五年修行すれば――」


「無理だよ……何年あっても兄さんには追いつけないよ」断九郎は首を振る。「はっはっは!バカを言え!俺は最強だ、追いつけるわけがないだろう!」そういって恋時は――ケツ割り箸日本最強の男は豪快に笑うのだった。


 ――流鏑馬、薙刀道と並ぶ日本の古武術の一つ。滝原家はケツ割り箸の家元、そして恋爾はその総代にして当代最強のケツ割り箸家であった。そしてそれだけではない、この東東京において、恋爾はもう一つの顔を持っていた。


 ピーッ!ピーッ!警報が鳴り響く。「断九郎、俺は先に行かねばならぬようだ」恋爾が戦士の顔となる。「ああ……」「あとでまた会おう、本部でな」恋爾はシャツを羽織ると、バイクに跨った。「兄さん……」「初出勤だろ?遅刻はするなよ、社会人なんだからな」「うん、じゃあな」「応!」そして恋爾は走り去った。


「頑張れ、兄さん……いや、ケツワリオンシルバー」


 ――――――――――――――――


 チヨダフェンスからほど近く、旧秋葉原駅を改造した要塞、それが対テアーズ防衛組織“BUTTS”の本部である。ここには東東京防衛機構に所属する機動部隊の精鋭が集結している。そして今日からここが、断九郎の就職先となるのであった。


「ごめんくださーい……」事務室の入口で所在無げに声をかける断九郎。書類の山だらけの事務室には、一見すると誰も見当たらない。「えーと……」入室するべきか、断九郎が逡巡していると書類の山の影から手が現れた。「ああ、滝原くんだね?こっちこっち」


 書類の影にいたのは眼鏡をかけた初老の男性。「おっ、おはようございます!」「やあ、おはよう。私はここの事務課長、大驛 良夫だ」書類からは目を離さず、手をひらひらさせながら大驛が応えた。「聞いてるよ~、恋爾君の弟さんなんだってねえ。君もやってるの?ケツ割り箸」


「い、いや、僕は……」「まあそっか、ケツ割り箸やってるなら事務で就職なんかしないかぁ」会話の最中も大驛は書類に次々とハンコを押していく。そのほぼすべてに、始末書、と書かれているのを断九郎は見なかったことにした。


「君の仕事は……おーい、歌織くーん?」ようやく大驛は書類から目を上げ、間延びした声で人を呼んだ。「あ、あの、大驛さん、歌織って……」「ん?うん、恋爾君の幼馴染の娘だよ……ふむ、そうすると君の幼馴染ということでもあるのかな?」「やっぱりか……」


 月野原 歌織は、断九郎の2つ上の幼馴染だ。恋爾のケツ割り箸のマネージャーのようなことをやっており、その流れで恋爾を追いかけるようにBUTTSへ入隊していた。断九郎は兄と3人で遊びまわっていた昔を思い出していた。


「歌織くーん?おーい?」大驛が呼びかけるが、返事がない。「あの……僕が来たときは他に誰もいない感じでしたけど」「おっかしいなあ~」大驛が額をかきながらホワイトボードに書かれた勤務予定を見る。「ん~歌織君は……あちゃ~、現地随行か」「現地随行?」


「うん、今朝の緊急出動にくっついて行っちゃった。やっぱり最近は後方支援部隊も消耗が激しいからね~」大驛は椅子に戻りながらあくびをした。「緊急出動って……まさか、テアーズ事件の現場に行ってるんですか!?」「ん?大丈夫大丈夫、入って1年未満の新人にはいかせない取り決めになってるから、今のところ」


「い、いやそうじゃなくて!」「ん?ああ、歌織君?心配しなくていいよ~他ならぬ君の兄さんがいるんだから」「そ、それとこれとは……!」その時事務机の電話が鳴り出した。「おっ噂をすれば歌織君だ。もう終わったのかな~」そして受話器を取る。


「はい~BUTTS本部大驛~歌織君お疲れ~」のんきに電話にでた大驛であったが、受話器から聞こえてきたのは悲鳴に近い声だった。『かっ課長!緊急事態です!支援部隊……全滅!』「歌織君、朝から冗談きついよ~」『冗談なんかじゃ……っ!きゃーっ!』悲鳴と共に受話器からは爆発音。大驛の表情が一気にひきつる。


「おいおい、歌織君!本当なんだね?もしもし!?」思わず断九郎は受話器を奪っていた。「あっこら!」「歌織!どうしたんだ!」『断九郎?断九郎なの?』「歌織!無事か?今どこに?兄さんは!?」『いっ今恋爾は交戦中で……!そ、そんな……ウソ……!あ、あたし……!』


「歌織?歌織どうした!?」受話器からは激しい爆発音、耳障りなノイズが鳴り響き、そして――ツーツーという不通音が鳴るばかりであった。「――ッ!歌織!兄さん!」「あっおい断九郎君!」大驛の静止を無視し、断九郎は外へ駆け出した。


 遠くに黒煙。ついで爆発音。「あそこか――ッ!」断九郎は黒煙目がけ走り出した。「はぁっ、はぁっ!」息が上がる。今朝見た悪夢が脳裏をよぎった。「何をバカな……」恋爾は強い。歌織は恋爾が守っている。「はぁっ、はぁっ!」胸騒ぎは一向に収まる気配が無かった。


 ――――――――――――――――


 テアーズに唯一対抗しうる超常の鎧を身にまといし戦士、臀身戦士。そのバックアップを担い、テアーズの牽制、民間人の避難誘導を行うBUTTS機動部隊チーム。その精鋭たちは今、無残に血の海に沈んでいた。


「そ、そんな……」あるものは腕を。あるものは脚を。胴を2つに。体を縦に。それまで人間だったものたちが路上に溜まった血の海の底で紙屑のように引きちぎられていた。「歌織……兄さん!」断九郎は二人の姿を探す。


 一際大きなビル、その基礎部分が引きちぎられ倒壊していた。破壊の跡が異常に大きい。断九郎は恐る恐る回り込む。何を恐れている?自分の単なる予感、胸騒ぎ。一目兄の姿を見れば吹き飛ぶはずの妄想。ただそれだけのことを。だのに足は竦み、一歩一歩が泥のように重い。


(((断九郎、俺は先に行かねばならぬようだ)))兄と交わした最後の会話がよみがえる。「行くな……兄さん……」冷や汗が止まらない。(((あとでまた会おう)))言葉の通り、兄に会いに来ただけだ。思っていたより早い再開にはなったが、それだけだ。「兄さん……!」


 そして最後の一歩を踏み出した断九郎が目にしたのは、胴を真っ二つに引き裂かれた兄の姿であった。「――ッ!兄さん!」はじかれたように飛び出す断九郎。「兄さん!兄さん!」肩をつかみ激しくゆする。恋爾の目は閉じられ、切断面からは今も血が流れ続けていた。


「兄さん、目を開けてくれよ!兄さん!」必死になって叫び続ける断九郎の視界の端に、赤い影が映りこんだ。断九郎は目線を上げる。爆炎を背に、赤髪の少女が、こちらをじっと見つめていた。


「――――」「…………」断九郎と少女の視線が交差する。まるで切り取られたかのように、その瞬間断九郎は時間が静止していると感じた。「………ぁ」声をかけようとする断九郎、だが、何も浮かんでこない。少女は、何の感情も浮かべずに、ただじっと断九郎を――いや、恋爾を見つめていた。


「…………!」断九郎はそこで、少女の後ろに迫る白い影を見つけた。乳白色の、オーロラめいた体表。蛇の頭骨のような、無機質な頭部。その姿からは想像も出来ないほどの怪力を秘めた腕。ホワイトヴェールから現れる謎の生命体、テアーズである。


「ぁ――!」危ない、断九郎はそう叫ぼうとした。だが、声が震えて出てこない。何故なら、少女の背後に現れたテアーズの数は――五体。異常事態だ。テアーズが徒党を組んで現れることはこれまでほぼ無かった。この五体によって機動部隊は、そして兄は。


「ジャーッ!」テアーズのうち一匹が少女目がけ飛びかかった。断九郎は、引き裂かれる少女を幻視し、目を伏せた。肉が無残に引き裂かれる音、だが断九郎が想像したそれは、いつまでたっても聞こえてこない。「え?」目を上げた断九郎が目にしたのは吹き飛ばされるテアーズと、すらりと伸びた少女の脚、そして――


「ジャーッ!?」地面に叩き付けられるテアーズ。赤髪の少女は、回し蹴りでテアーズを蹴り飛ばしたのだ。単なる獲物とばかり認識していた少女の反撃に、テアーズ達は動揺している。「君は一体……」唖然とする断九郎に、少女がようやく口を開いた。「貴方はそこで見ていなさい――」


 少女は身に着けていたベルトの側部にあるボタンを押した。ベルトからレーザー光があふれ出し、少女の体の周りを設計図めいて取り囲む。にじり寄るテアーズ達。一陣の風が吹き、少女のスカートが風に舞い上がった。「……あっ」断九郎は目にした。先ほど少女が回し蹴りをした時に見たものは、見間違いではなかった。


「あれは――割り箸?」少女のスカートの下には、燃え上がるような紅のレオタード、そして臀部に挟み込まれた割り箸に似た何か。少女が構えをとる。圧倒的な威圧感が、少女から発せられているのが分かった。そして少女は叫ぶ――


「――臀身ッ!」


 パキンっ!少女の臀部から破砕音。少女が己の大臀筋の力で、尻に挟んだそれを割り折ったのだ。割れたそれの中から、鮮やかに光る紅い液体がレーザーフレームを伝い少女を包んでゆく。それは光り輝く紅玉の鎧となり、少女を戦士に変えた。


「――ケツワリオン・ルビィ!」


 鮮やかな紅玉のバトルドレスに身を包んだ少女は、高らかに名乗りをあげ、テアーズを迎え撃つ!「ジャーッ!」「ジャーッ!」2体のテアーズが左右から同時に襲い掛かった。少女――ケツワリオン・ルビィは素早くバックステップし回避。テアーズの両腕がコンクリートの地面を豆腐のように抉り取る。


「はぁっ!」ルビィは瞬間距離を詰め直し、強烈なジャブをテアーズに打ち込んだ。「ジャゴーッ!」「ジャガーッ!」吹き飛んでゆく2体のテアーズ。その影から次なるテアーズが襲い掛かり――ルビィの腕を掴んだ!


「あっ危ない!」断九郎が叫ぶ。テアーズの腕は、この世のあらゆる物質を、紙のように引き裂いてしまう。このままではルビィの腕は人形のようにもぎ取られてしまう……!だが!「なめんじゃないわ……こんな下級テアーズごときが……あたしの鎧に傷をつけられると思って!」


 ルビィは腕にしがみつくテアーズをそのまま持ち上げた。「食らいなさい、サイリウブレード!」そしてルビィの手のひらから紅く輝く刀身の剣が現出し、そのままテアーズの体を貫く。「ジャギャーッ!」そして柄を握ると、一気に振りぬいた。「ジャバーッ!」テアーズは真っ二つになり爆発!


 そしてそのまま少女は剣を翻し、次のテアーズへと向かってゆく。断九郎はただ呆然とその光景を見守るしかなかった。「ジャバーッ!」2体目のテアーズが膾に斬られ、3体目のテアーズが刺し貫かれた時、最初に吹き飛ばされたテアーズが恐ろしい奇声を発し始めた。


「ジャギョギョギョギョ!」「なっなんだ?」「くっ!」ルビィは慌てて剣を引き抜き奇声テアーズに向け走り出す。奇声テアーズは自らの蛇頭を腕で掴むと、バリバリと音を立てて自ら引きちぎり始めた!「なっあいつ、何を」「しまった!」剣を振り下ろそうとしたルビィは、テアーズから放たれるエネルギーの暴風に吹き飛ばされた。


「なっ」断九郎は見た。引き裂かれたテアーズの内側から、新たな何かが現れようとしている。「間に合わなかったわね……」ルビィが態勢を立て直しながらつぶやく。テアーズの肉体を裂いて現れたのは、一回り大きな新たな怪物。黒く変色した腕。全身に生えたおどろおどろしい体毛。何らかの毒液の滲みだすトゲ。そして顔には大小合わせて眼が8つ。まるで蜘蛛のような顔に変貌した、テアーズスパイダーだ!


 ルビィはひるむことなくテアーズスパイダーに斬りかかって行く。変態後のテアーズは、蛇頭時に比べ、体格が増し、動きも素早くなっているようだ。「はっ!」「ジャシューッ!」テアーズスパイダーの手刀を刀身で捌く。踏み込んだルビィは膝蹴りを喰らわせた!「ジャゴーッ!」


 変態したテアーズスパイダーになお互角以上の戦いぶりを見せるルビィ、だが。「ジャギャギャギャギャ!」「ジャギャギャギャギャ!」「そっそんな!」残る2体のテアーズもまた、同じく奇声を発し自らの肉体を引き裂き始めた!「不覚ッ!」ルビィの顔に初めて焦りの表情が浮かぶ。テアーズの体から膨大なエネルギー風が吹き始めた。


「ごほッ!ごほッ!」断九郎の腕の中で声。「に、兄さん?兄さん!」驚くべきことに、恋爾の目が開いた。「兄さん、しっかりして!」だが、断九郎が覗き込んだ恋爾の目には、消えかかる命の光がはっきりと映っていた。「断九郎……はは、無様なところを見せちまったな」「兄さん、いいんだ、しゃべるな!」


 恋爾は顔を横に向ける。「っ!見るな、兄さん!」恋爾の顔の先には、己自身の下半身が横たわっていた。「いいんだ、自分の体がどうなっているかぐらいわかるさ……」恋爾の目は鮮血に染まった己の臀部を見ていた。「はっはっは、初めてだぜ、自分の尻をこんなに間近で見るなんて……」


 恋爾は力なく笑った。「最期にいい経験ができたぜ……」「兄さん、最期ってなんだよ……」「最期は最期だ、オレはこれで死ぬ」恋爾は言い切った。「そんなこと言うなよ!兄さんは最強だろ?元気にしゃべってんじゃん、死ぬわけなんか」「人はいつか死ぬ……こればかりはどうしようもない、だから何かを託さなきゃならない」


 恋爾は手を伸ばし、己の褌から何かを抜き取った。「お前に託す。お前ならやれる」「なんだよこれ……兄さん」断九郎が受け取ったそれは、白銀に淡く輝く液体の入ったシリンダーであった。「オレの使命を……お前が継ぐんだ」恋爾は拳を突き上げた。


「頼んだぜ、自慢の弟……よ」そして微笑んだまま、恋爾は再び目を閉じ、そして2度と開くことは無かった。「兄さん……兄さんーーーッ!!」いくら断九郎が叫んでも、恋爾は答えない。遠くではテアーズスパイダー、テアーズリザード、テアーズシケイダーに囲まれたルビィが追い詰められていた。


「兄さん……」断九郎は手に握られたシリンダーを見つめた。兄はこれで自分に何をしろというのか?断九郎の脳裏に、ルビィの小さな臀部がフラッシュバックした。「っ!」理解はできた、あれは割り箸ではなく、このシリンダーだったのだ。やるべきことは一つ。


 断九郎はズボンを破り捨てた。汗でびっしょりの褌と臀部の間にシリンダーを挟み込む。「兄さん……兄さんの使命は、僕が必ず貫き通す!」断九郎は右腕を掲げ、正中線に沿ってゆっくりとおろしてゆく。滝原流、正眼の構え。兄が教えてくれた、ケツ割り箸の技。兄と自分をつなぐ、大切な絆。胸の中心に腕が来た瞬間、断九郎は拳を握り胸に引き寄せ叫んだ。


「――臀身ッ!」


つづく

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