第13話「私は心強く思ってるんだからね」

 壁際の席でコップを手にしたシンは、ちらと左手へ一瞥をくれた。食事会も時間が経てば、部屋へと帰る者が現れ始める。戻ろうとする梅花をあの手この手で引き留めるリンの努力は、そろそろ限界に達するだろう。

 食堂で急遽開かれることになった食事会の意図は、彼もすぐに理解した。

 このところ肉類を口にする機会にも恵まれていなかった彼にとっても、ありがたいことではあった。どうにか買い出しに出掛けてくれた北斗たちに感謝すべきところだ。久しぶりに口にする、新鮮な野菜も嬉しい。

 足を組んでふと視線を上げると、窓際で騒ぐゲイニたちの姿が目に飛び込んできた。フライングはラフトとカエリがまだ治療室から離れられない状態であった。そのせいでずっと暗い顔をしていることが多かっただけに、こういう様子が見られるとほっとする。

 ラフトたちの怪我そのものは治っているし、傷口からひどい感染を起こしているわけでもないようだが。おそらく出血量が多かったのと、破壊系か精神系の技をくらったのが原因だろう。そう予測されていた。

 時折目を覚ますのだが、長くは起きていられない。そのせいで栄養がろくに取れないために、ますます回復が遅れるという悪循環に陥っている。

 こうなってしまうと、やはり両系の医者に見せるより他なかった。だが、今は避難壕の件で宮殿には余裕がない。両系の医者などは宮殿を通して手配してもらうしかないのだが、それを頼み込む先についてはシンたちも知らなかった。

 それでもさすがにそろそろ梅花に頼まなければいけないだろうか。それを切り出す時期をいつにすべきかも、実のところ悩みどころだ。

 考えるのに疲れたシンは、コップに残っているジュースを一気に飲み干した。

 これが酒であれば幾分か気が紛れるのだろうか。そんな想像をしたくもなるが、いつ魔族が来るかわからないことを考えると飲酒などもってのほかだ。それが原因で仲間を失うようなことになれば、一生自分を恨む。

 シンは空になったコップから右へと視線を移す。その先のテーブルにはジュリたちがいる。先ほどから何度か会話が耳に飛び込んできていたが、よつきとジュリはメユリを囲みながら、何やらよくわからないやりとりを続けていた。

「ジュリはわたくしにだけ冷たすぎません?」

「自覚があるのでしたら何よりですけど。理由でしたら自分の胸に手を当てて考えてみてください」

「え、全く心当たりがないのですが」

「よつきさん、お姉ちゃんはね、頼りにできると思った人は放っておくの。あ、違う。頼りになるけど危ない人は遠ざけたがるの」

 よつきとジュリの語らいが特徴的なのはシンも知っているが。そこに妹のメユリが加わるとまた違う方向へと話が発展していく。

 複雑そうに眉尻を下げるよつきに、うろんげな目を向けるジュリ。そんな二人を、メユリは笑顔で見上げていた。食事会を一番楽しみにしていたのはメユリだというが、それが果たしてこんな状態でいいのだろうか。

「メユリ、よく見ていますね」

「うん。だってお姉ちゃんのことだから!」

「その観察眼はきっと役に立ちますよ」

「……ジュリ、否定しないんですか。というかそれってつまり、わたくし危ないって思われてるってことですか?」

「え、よつきさん、自覚なかったんですか?」

 シンの心配をよそに、メユリはきゃらきゃらと嬉しげな声で笑う。一方、よつきは大袈裟に悲しそうな顔を作っていた。先ほどからずっとそんな調子だ。遠慮のない関係というものは、ある意味ではシンにも羨ましく感じられる。

「大体アキセさんへのあの態度は何ですか? よくないですよ」

 ジュリの鋭い声がシンの鼓膜をも叩く。それはアキセの耳にも入ったらしく、奥の方の席にいたアキセが、ぎくりと振り返る姿が見えた。

 アキセは他のゲットの面々と集まっていた。欠けているのはレグルスだけだ。

 レグルスも治療室で眠っている者の一人だ。神技隊として正式にこちらに加わって間もないことを考えると、彼らの心境はいかほどだろうか。

 表向きは落ち込んでいる素振りもないし、逆に回りを気遣ったり、何かできることはないかと色々な人に聞き回っていたが。

 ――いや、何かやることがないと落ち着かないのかもしれない。つい倒れた仲間のことを考えてしまうのかもしれない。

 日々の雑務に追われている方が気が紛れるのは確かだ。北斗たちが買い出しを申し出てきたのも、そんな思いがあったからだろうか。

「シン、どうかしたの? ぼーっとして」

 と、そこで声をかけられてシンははっとした。いつの間にか、すぐ傍の席までリンが近寄ってきていた。彼女の手には空っぽになったグラスがあるのみ。隣に梅花の姿はなかった。

「いや別に。……梅花は戻ったのか?」

「うん、引き延ばすのは限界だったわ。ちょうどコスミたちも戻るところだったしね」

 そう言われてシンはもう一度食堂内を見回した。まだまだ賑やかな場所には違いないが、いつの間にか料理も減ってきている。食事会が明確に何時までなのかは聞いていなかったが、じきに自然と終わりそうだ。

「シンはちゃんと食べてる? もうあのテーブルに並んでる分で終わりだからね?」

「え? ああ、オレは食べてるけど。リンこそ食べられたのか?」

「私の分はサホとアキセがちゃんと持ってきてくれたから大丈夫」

 ごく当たり前のように隣に座った彼女の横顔を、シンはじっと見つめた。以前青葉に忠告された言葉が、またふいと思い出された。

 こうやって言葉を交わす時間さえ、いつ失われるかもわからない。だが皆が皆限界ぎりぎりのところで自分を保っている時に、これ以上ぎこちない空気を作りたくもなかった。後悔しないために、自分には何ができるのだろう。

「あの、なあ、リン」

 ぐるぐると回るだけの思考は答えを見いだせないまま。ただ唇だけが動いていた。自然と紡ぎ出された名前の響きに、胸の奥が小さくうずく。

「何?」

 こちらを振り返った彼女は、空っぽのグラスをテーブルに置いた。そして笑顔のまま不思議そうに頭を傾ける。こちらへと体を向けてくるその仕草一つに、わずかばかり心が跳ねた。

 ――大切なのだと、ただ告げたいだけなのに。それだけなのに、どうしてこんなに躊躇ってしまうのだろう。

 いや、おそらく、そう告げるだけなら簡単だ。彼女は驚きつつもきっと「ありがとう」とだけ答えて、それで終わりだ。何も変わらないし、何も生まれない。

 そうやって考えれば、つまり自分は今の関係を変えたいと思っているのだと気づいてしまう。このままがいいのだと思い込もうとしていたが、違う。このままでは嫌なのだ。それが彼の願望なのだと、眼前に突き付けられる。

「……いや、何でもない」

 では駄目だ。少なくとも今は駄目だ。彼は頭を振った。そんな思いを、勢いに流されて、こんな場で口にはできない。

「ちょっと何それ? まあ、言いたくないならいいんだけど。でも気になるじゃない」

 リンは少しばかり不満そうに口をすぼめ、ついで軽く彼の肩を小突いてきた。たったそれだけの言動にまたもや心がぐらつく。気安く触れてくる距離の近さに、胸の奥がざわつく。それを押し込めるように彼は口を開いた。

「いや、リンはすごい奴だなぁって思ってな」

 言い訳にしては唐突な言葉。だが言いたいこととは別であれ、本心でもあった。

 こんな時だというのに周りを見るその力も、現実的かつ前向きなところも、周囲を動かしてしまう力も、どれも彼にはないものだ。眩しすぎて、時折目がくらむ思いがする。

「どうしたのよ急に。変なの。何だか照れるじゃない」

 彼女は一瞬虚を突かれたように黙り込んでから、へらっと笑った。普段見かけない表情だった。テーブルの上に置かれていた手が、所在なげにグラスに触れては離れてを繰り返す。中身があれば、本当は口にしたい気分なのだろう。

「リンでも照れるのか」

「照れるわよ! もう、シンは私のこと何だと思ってるのよ」

 彼女の方へ向き直ると、その視線がわずかに逸らされた。彼女が動じている。そう認識した途端、彼にも少しだけ余裕が戻ってきた。完璧な人間などいないというのは知っているつもりだったが、また忘れかけていたらしい。

 意を決した彼は、居心地悪そうな彼女の手をそっと手のひらで包み込んだ。

「いや、本当にすごい奴だって、オレは思ってる」

 この感情であれば伝えてもかまわないだろう。真摯にそう告げれば、彼女は恐る恐るこちらへと双眸を向けてきた。

 その瞳に困惑の色が宿っているのはすぐに読み取れる。こうした言葉を受け取るのは慣れているのかと思っていたのだが。当たり前すぎて、逆に口に出す者は少なかったのだろうか?

「……何よ、改まって」

「こういう時だからな」

 彼が微笑むと、彼女は戸惑いつつも口の端に苦い笑みを浮かべた。そして何か言いたげに口を開きかけてから、また少し考え込む。

 それらしいことは何も言っていないのに、何故だか告白の返事待ちのような心地になってきた。手のひらに汗が滲んでいるのではないかと、彼はたちまち心配になる。

「……弱気にならないでよ。シンが隣にいること、私は心強く思ってるんだからね」

 重ねた手のひらの上に、もう一方の彼女の手が乗せられた。こちらへと体ごと向き直った彼女は、気遣わしげな眼差しで彼を見上げてくる。

 彼がこの状況に不安を抱いていると、そう受け取られたのか?

 いや、その想像は的外れでもない。足下が不確かで心許ないから、確かなものが欲しくなるのだろう。彼女との関係だって、明確に言葉で表せないからこそ、対外的に示せる何かを求めるのかもしれない。

 そういう意味では「右腕」だの「一番弟子」だのと名乗っているジュリやサホは、ある種の確固たる自信を持っているとも言える。

「一人でやれるってことと、一人でも大丈夫ってことは違うんだから」

 彼女の声が少しだけ小さくなる。言い聞かせるようなその調子に、どこか切実な色が滲んでいるような気がした。

 はっとした彼は固唾を呑む。彼女も弱気になっている? いや、そんな風には見えない。だが少なくとも彼がいることは、彼女の助けにはなっているらしい。そう自惚れてもよいだろうか?

「だから勝手に一人で結論づけないでね?」

 付け加えられたその一言をどう受け取ってよいのか。彼にはすぐに判断がつかなかった。自分に都合の良い解釈をするだけの自信が、やはり彼にはなかった。

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white minds 藍間真珠 @aimapearl

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