第12話「今度は私たちが恨まれそう」
「間違ってるとは、言えないんですが」
「ええ。でもそれだと、私たちを呼び戻したのはそのためって感じに伝わっていきそうね」
梅花の話を噛みしめつつ、レンカがそう推測する。相槌を打った滝は、思い切り深い雪に足を踏み入れた。話に気を取られていた。彼は顔をしかめながら足下を見下ろす。
人通りの少ないこの辺りは、雪面を踏み固めるだけの人間がいない。基地までの道のりが辛いのはこういう理由もあった。ヤマトの山の麓ほど積もっていないとはいえ、並んで歩くような場所ではない。
とはいえ、梅花の精神状態を考えると、技で飛んでいく提案もしにくかった。
「あ、滝先輩、すみません。そっちは雪が深いですよね」
梅花がちらとこちらを振り返る。その拍子に風に流された黒髪が、舞うように揺れた。どんなに弱っていても、こういうところを気にするのは変わらない。滝は雪を蹴散らすようにして進み、首を横に振った。
「いや、それはいいんだ。話を続けてくれ」
「ですが……」
「滝なら大丈夫よ。だから話を戻しましょう。だってそれって大問題よ。異世界からだなんて、無世界のことと勘違いされそうよね。それだとまるで私たちが失敗したみたい」
飛んで帰れない理由も梅花は察しているだろうから、きっと内心はかなり恐縮しているのだろう。そんな表明が出てくる前にと、レンカが話の矛先を元に戻す。滝の懸念をすぐに理解してくれたらしい。
「今度は私たちが恨まれそう」
「……そうなんですよね。その辺はきっと、上の方たちは深く考えていないんでしょうが。ただ、話をしてくれたリューさんが魔族についてよくわかっていないみたいなので、その辺りについて細かく質問できませんでした」
続けて説明していく梅花の声が暗く沈んだ。そうか、リューは魔族についての知識も乏しいのか。宮殿の者でもその程度であったと、今になって思い出す。皆の事情に通じている者がいないからこうなるのか。
上もどうにか対処法を考えてくれているようだが、それが成功するとは、滝にはどうしても思えなかった。とりあえず一旦宮殿への非難の目は和らぐかもしれない。しかし今度は不満の矛先が、神技隊らに向かうだけかもしれなかった。
理解してもらえていないというのは色々な意味で辛い。上にも、人々にも、わかってもらえない。買い物に行く際にどれだけ注意を払えばいいだろうか。魔族だけでなく人々にも怯えながら生活するというのは、どう考えても割に合わない。
「そして、避難壕を作るようなんです」
そこで梅花は顔を上げた。レンカが眉をひそめるのが、滝の視界に入った。
「避難壕?」
「……無世界では、シェルターとか呼ばれていたものですね。いつどこで戦闘が起こるかわからないとなると不安でしょうから、守ってもらえる場所を作るということです」
「守ってもらうって……」
梅花が曖昧な表現を選んだ理由を、レンカはすぐに察しただろうか。滝は唇を噛む。足下に気を遣わずに足を踏み出したせいで、蹴り上げられた雪が舞い上がった。
「本当は、不可能ですよね。本気でそれを試みるなら、レーナがやったのと同じことをしなければいけないでしょうから」
梅花の声は萎んでいき、相槌を打つレンカの横顔も曇った。滝は首をすくめる。あの場でリューに言い出せなかったのはそういう込み入った話であった。リューは技使いではないから、ますますぴんとこない部分だろう。
技を完全に防ぐというのは困難だ。結界と組み合わせたとしても難しいだろう。レーナは宇宙で集めたという特殊な物質を使い、神技隊の守りとしてくれた。が、それと同じことが上にも可能だとは思えなかった。
しかも避難壕は複数作る予定だという。そうであればますます単なる絵空事だ。
ではどうするのか? まさか建物の外に技使いを置く? だとしても、それだけの人員が宮殿にいるとは思えない。大体、巨大な建物を守るだけの結界など、それなりに力のある技使いでないと生み出せない。
つまり、どこをどう考えてみても、現実的な案ではない。ただ人々の不満を抑え込むためだけの代物としか思えなかった。
――いや、一つ利点はあるか。人々を中に入れる時点で魔族が紛れ込まないよう弾き出せる。人の振りをした魔族が何かしでかすという不安材料だけは排除できる。「完全にその場しのぎね」
苦笑したレンカが目を伏せた。そう、まるで欺瞞だ。
だがもう魔族との戦いについて隠さなくて済むという点は、神技隊らにとってもありがたいだろうか。人々の避難をどうするのかだとか、大混乱が起きた場合はどうなるのかという疑問はあったが、そこは上に任せるより他ない。
「それに避難壕といっても、おそらくそれほど大きなものは作れません。人々全員を入れるなんてことは不可能でしょう。その辺りをどう考えているのかが気になりますね。もしかすると……技使いは入れないかもしれません。今の人々の感情を考えると、おそらくは」
付言する梅花の声が、強く吹き込んだ風に運ばれていった。滝は息を呑む。そこまでは彼も思い至らなかった。だが技使いを疑っていた者たちが「お前たちの中に異世界人が混じっていたらどうするんだ」と言い出したとしても、不思議はない。
だとすると、避難壕の外に置いていかれた技使いの心境はいかほどだろうか。まるで技使いなら自分で身を守れと告げられたようだろう。中には絶望する者もいるかもしれない。技使いと一言でいっても、力には差があるのに。
「上は何を考えてるんでしょうね」
レンカの深いため息に、滝はうまく答えることができなかった。ついつい足取りが重くなる。気分は晴れるどころか沈み行く一方だ。
そもそも、その避難壕がいつ完成するのかという問題もあった。魔族が次の襲撃を決断するのに間に合うのか?
その時がいつになるのかは誰にも予測ができない。明日かもしれない。明後日かもしれない。春かもしれない。
その時はきっと、五腹心も現れるだろう。イダーの時よりも、ミリカの時よりも、街が破壊されるかもしれない。今度こそ人々の中に犠牲者が出るかもしれない。冷静になればなるだけ、思考が悪い方へと流されていく。
「まあ、こればかりはわからないわよね。シリウスさんやミケルダさんでもいれば、話が聞けたかもしれないけど」
これ以上話をしても無駄とばかりに、レンカはそう締めくくった。そう、せめて説明してくれたのが上の者であれば、もう少し詳しく聞けたのだが。
「……きっと忙しく動き回っているんでしょう。宮殿の人手だけでは到底無理なことをやろうとしていますから。そうなると、上の方たちを引っ張り出さなければなりません。――あの、人間には慣れていないだろう方たちを」
そこで梅花がふっと吐息を漏らした。先ほどよりも幾分か軽い調子だった。上――神と聞いて思い出すのはシリウスやミケルダ、あとは説明会に現れたアルティードやケイルといった者たちくらいだが。それ以外の者が出てくることがあるのだろうか。
そう考えたところで思い出す。リシヤの森で、上がレーナを殺そうと動いた時には、白装束の者たちが大勢忍んでいたそうだ。そういった者たちだろうか? 確かにあの森で火を放っていたくらいだから、こちらの事情には疎そうだ。
「そっか。そうなると期待はできないわね。こっちはこっちで対策しないと」
諦めたようにレンカは深々と頷いた。そんな彼女の発言に別の意図が潜んでいることを、滝は口調から察する。気が隠されていなければ、もっとわかりやすかっただろう。
「対策?」
「そうそう。ところで梅花は今夜時間ある?」
レンカは顔をほころばせつつ、梅花の横顔へとそう問いかけた。話が読めていない様子の梅花は、訝しげにしながらも静かに首を縦に振る。いきなり何故夜の話になるのかと、その気は問うているようだ。
「ええ、特に何も予定はないので」
「よかった。ようやく食料の買い出しに行けたから、今夜はご馳走にしようと思うのよね。最近みんな粗食だったから、元気を出してもらいたいなと思って。これはリンの提案なんだけど」
微笑んだレンカはひらりと手を振った。その案については昼前に滝も耳にしていた。食事準備の負担が増えるのは気にかかったが、あの小さなメユリまで手伝うからやりたいと意気揚々としていたので、彼も水を差すのを躊躇われた。
「お手伝いですか? かまいませんよ」
「いや、お手伝いっていうか。ちゃんと来てねってこと。最近、梅花もあんまり食べていないでしょう? 少しでも食べてもらいたくて」
レンカの真正面からの指摘に、梅花が困ったように微笑むのが目に入った。なるほど、そういったことまで把握しているのはリンだろう。ただ「食べなさい」と言ったところで効果がないことをわかっていて、機会を用意したということか。
人目があればそれなりに梅花も口にせずにはいられない。もちろん、そういう場そのものが今の梅花には負担なのだろうが。それでも食べなければまず体がもたない。
「メユリちゃんもね、楽しみにしていたのよ。このところ皆ばらばらな食事でしょう? しょうがないんだけど。でもそれがずっとだと、きっと寂しいでしょうから」
「……そういうことでしたら」
梅花の逃げ道をどんどんと塞いだレンカは、穏やかに破顔する。梅花が困っているのはわかっているが、それでも強引にいかなければならないと思っている態度だ。こういう時の開き直りは、滝にはなかなか真似できない。
ふわりとまた白い雪が頬をかすめた。瞳をすがめた彼は、ちらと頭上を見上げる。降り落ちてくる雪片は先ほどよりも大きい。この調子ではまた夜には積もるだろうか。
皆が元気を取り戻すためには様々なものが不足している。仲間の無事、安定した食事に、たっぷりの睡眠。未来への希望。どれも今の彼らの手元にはない。
早くレーナが目覚めればいいのに。そんな祈りを口にすることさえ、今は憚られた。どうにもならない現状に、ただただ無力感ばかりが漂っていった。
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