猫の送り火
梓柚水
第1話
アスファルトの熱が足を焼き、道路から立ち上る蒸気が僕を包む。蝉の声がシャワーのように降り注いでいる。涼を求めて散々歩いて辿り着いたのは、小さな古びたバス停だった。錆びかけたトタンの屋根に、古びたベニアの壁。並んだ椅子の1つに、肩くらいまで黒髪を伸ばした、白いワンピースの女性が座っていた。彼女が顔を上げる。
「あら、猫さん。私が見えるのね。」
見えるも何も君はそこにいるじゃないか。君が見えない奴がいるのだろうか。
「ふふ、私は幽霊なのよ。おいで、猫さん。」
それは驚いた。でも僕を可愛がってくれるならどんな人でも構わないさ。膝の上に飛び乗って丸くなる。さて、どうして君はここで幽霊をやっているのかい?
「数年前の夏にね、私の大好きだった人がここで交通事故にあったの。突っ込んできたトラックから私を庇ってね、私の腕の中で死んだの。」
奇遇だ。僕も交通事故で死んだんだ、そして猫に生まれ変わった。あの子を守ろうとして思わず飛び出したら目の前がトラックのライトでいっぱいで…
僕の喉を撫でながらまた彼女は言う。
「どうしても彼に会いたくて、会いたくて仕方がなくて。未練があるからきっと幽霊になるって思って、毎日このバス停に通っていたの。でも彼は来なかった。そして私はいつしか死んで、幽霊になってたの。笑っちゃうでしょう?」
僕もあの子にどうしても会いかった。最後の記憶はあの子の泣き顔だった、そんな悲しい顔させたこと謝りたかったんだ。僕は君を守れて幸せだったって。そう、君によく似てるんだ…黒髪で、白い服…あれ、記憶に靄がかかったかのように、あの子の顔が思い出せない。
とにかく、そいつもきっと君を守れて幸せで、でも君と離れてとっても寂しかったはずなんだ。
「どうしたのそんなに鳴いて。さては私のこと慰めてくれてるの? ありがとう。幽霊は歳をとらないから、綺麗な私のままいつまでも彼を待ち続けられるから。私はそれでいいのよ。」
君の顔はそれでもいいって顔じゃない、そんなに寂しそうに無理して笑わなくていいんだよ。僕は必死で彼女の手のひらに鼻を擦り付けたから、彼女はくすぐったそうに少し笑った。
気づけば日が傾いて、世界は茜色になり、風とともに、ほんのり煙の匂いが漂ってきた。
「ああ、今日は送り火なのね。じゃあ彼との再会はまた一年お預けか。」
えっ、と思った瞬間。
りぃぃん。
風鈴の音が鳴り響いた。次の瞬間。もう彼女はいなかった。
しばらく呆然とした後、帰ろうと椅子から飛び降りると、バス停の柱に支えられて、小菊が二輪、手向けられていた。
あれから何度目かの夏が過ぎ、今はもう秋になろうとしている。あれ以来僕は彼女には会っていない。僕は随分歳をとって色々忘れたけれど、今でも時々思い出すんだ。どこかのバス停。煙の匂い。風鈴の音。哀しそうな笑顔。
またいつか、会えるだろうか。
猫の送り火 梓柚水 @azusa_yumi
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