シンデレラが灰になるまで 11

 扉の向こうに銃声が響くのを確かに聞いていた。だが、ゴーシュは逃げることもなく回転椅子に座ってその音に耳を傾けていた。鈍い着弾音。柔らかい物を穿った音が心地良い。ゴーシュは音が好きだった。子供の頃はストレスに弱く、年齢と共に精神的負荷が髪の色を漂白していく様から鏡を見るのが嫌になり、視覚における美には興味が無くなった。そしてその代り、聴覚における世界、音に彼は傾倒していった。目を閉じて音を追いかけていたら、何時の間にか目を開けていてもどす黒い闇ばかりが自分を取り囲むようになっていた。

 それさえも、彼は楽しんだ。何かを殴る音、痛みに泣き叫ぶ声、聴くに堪えない金切音さえも彼は愛した。ハンナの声も、その愛しい音のひとつだった。

 こんこん。質の良い木材を叩く音は木琴の音色にも似ている。

「開いている」

 そう声を掛けると扉は静かに開かれた。扉を盾に銃でも撃ってくるかと思ったが、相手は何の躊躇いもなくその姿をゴーシュの目の前に曝す。そいつは手に持っていた青く輝くイミテーションをゴーシュへと掲げる。花弁を模した緻密な金の台座が光を受けて輝く

「これ、届けに来たぜ」

 ゆったりとした黒いパーカーに包まれたその姿は死神に似ていた。だが、ゴーシュにとって外見などさした問題ではない。他人の恐怖や嫌悪や後ろめたさを引き出すその格好も、彼にとってはハリボテじみて滑稽に目に映る。どちらかというと分厚いゴムのようなパーカーの質感のせいで、水族館で餌の為に人に媚びて曲芸を行う、飼い慣らされた海獣のようだ。

 放り投げられたイミテーションのシンデレラティアが床に落下してぱかりと割れ、そのがらんどうの腹を電灯の下に晒したことにも興醒めした。

「何だ、使ってしまったのか」

「ああ。中身は全部ハンナが使っちまった」

「そうか……あの馬鹿女、加減しろとあれだけ言ったのにな」

 そう言いながらゴーシュの口の端は緩く持ち上がる。全部使ってくれたのなら有難い。あれだけの量を一気に服用したならば、急激な副作用で確実にショック症状を引き起こす。絶命し今頃灰になっているだろう。灰を吹き流せば麻薬の痕跡など残らない。

 しかし、なら目の前のこいつは交渉材料もなく、ガラクタを片手に何をしにきたのか。息を吐いて棒立ちのままの死神に視線を送る。フードを深く被っているせいかこちらの視線にも気づかずに相手は小さく呟いた。

「そうだな……ホントに馬鹿だよ。ハンナは、クスリなんて使わなくてもずっと昔から綺麗だったのに」

 その言葉にゆっくりと首を傾げる。そしてゴーシュは軽く手を打った。

「折角だ、顔を見せてくれないか?赤ずきんだって喰われる前に狼の顔をきちんと見せてもらっている」

 その言葉に、数秒の沈黙の後に死神は黒いフードをゆっくりと下ろした。黒い髪に赤い実を散らした頭部が露わになる。何時も浮かべていた笑顔はそこには無く、ただ静かに、赤い瞳で椅子に座ったまま薄く笑いを浮かべるゴーシュを見つめていた。

 フードを取って尚、不吉さを払拭できない目の前のプランツの青年の姿に、ゴーシュは見覚えがあった。記憶を辿るように片手をこめかみに添える、視線を机上に彷徨わせると、写真立てに飾られた出会った当時のハンナの姿が目に入った。それと同時に思い出す。深夜のバーが閉まる時間帯になると、決まって店の裏で膝を抱えて待っていた、少年の姿を。

「そうか!君はあの時の!」

 ゴーシュは喜色満面の笑みで椅子から立ち上がった。記憶の糸が手繰り寄せられる。

「素敵な夜だった。素敵な思い出だった。素敵な音だった。あの夜の君の悲痛な叫びを壁越しに聞いているときの私の幸せといったら!愛する者が自分を火にかけようとする瞬間、その裏切りへの絶望に染まった凄まじい絶叫。震えたよ、思わず涙してしまった!それ程に、綺麗な音だった」

 ゴーシュは目を輝かせてそう捲し立ててから、がらりと表情を変えた。

「あんな美しい絶鳴を上げておいて、何故君はのうのうと生きているんだ?」

 茶色い瞳が、濁った泥のように淀む。覗き込むとこちらの精神さえも汚染しそうな不浄がそこにはあった。

「あれは君が命を燃やしながらあげた慟哭だからこそ美しかったんだ。完成されていたんだ。君が生きてたんじゃ意味がないんだよ――なあ、何故今君は生きてるんだ?」

 心の底から残念そうに言うゴーシュに向かって、初めてゼロは笑いかけた。いつも浮かべるふてぶてしいものではない、弱々しい、力無い笑顔。

「さあ、何でだろうな……」

 いっそ、あの時燃えて灰になってしまいたかった。そうすれば、もう二度と立ち上がらなくて良かったのに。あの路地裏の小さな小屋で、確かにゼロの、いやナナの心は熱に溶け、焦げ付き、灰塵と化した。

 それでもこうしてゼロとなった躰はまだふらふらと現世を徘徊する。ハンナへの執着だけを熱源として。しかし、それすらもう失われた。

 なのにゼロはまだ動いている。

 悪い冗談だ、まるで、

「君は亡霊だ」

 ゼロに憎しみのこもった視線を向け、ゴーシュは大きな椅子の背凭れの裏に手を回した。そこには常日頃から、護身用の火炎放射器が隠されている。常緑血(エヴァーグリーン)ではなく、ガソリンを燃料としたそれはヒトも焼き殺すことができる代物で、ある意味これも、平等な武器だった。

 肩周りにぐるりと燃料筒を巻きつけ、ベルトを首に掛けると火炎放射器を右手に構える。

「あの夜の美しい音は永遠にすべきだ。だから、私が君を灰に還してあげよう」

 そう言って抱えていた火炎放射器をゼロに向ける。微動だにしないゼロを、本能的な恐怖で硬直しているのだと経験上判断したゴーシュは、醜く歪んだ笑顔で引き金に手を掛けた。

「怖くないだろう?ハンナと同じ物へと成り果てるのだから!」

 長いノズルの先から炎が迸った。炎を纏った液体燃料が、直線上にいるゼロへとまるで顎を開いた蛇の如く襲い掛かる。ゼロは抵抗する間も無く炎に飲み込まれた。

「ワハハハッ!!燃えろ燃えろ!!」

 ゴーシュは燃え上がるゼロへと炎の発射を続ける。熱気に当てられゴーシュの額からは玉の汗が流れ落ちた。彼は必死だった。彼の中のあの美しい音を、あの日のまま永久にする為に。

「燃えろ燃えろ燃えろ!……?」

 やがてゴーシュは気付く。炎の中に浮かぶ黒い影が微動だにしないことを。熱さにのたうつことも、痛みに絶叫もしないことに。

「そろそろ満足したか?」

 めらめらとうねる空気の向こうから、エコーのかかった声音が混じった。ゴーシュが首を振り辺りを見回す。そして誰もいないのを確かめ、目の前の燃え盛る人影に視線を戻し、そして驚愕に目を見開いた。

 それは。異形だった。

「お前……何故燃えない!?」

 ヒトさえも焼き焦がす業火。純然たる暴力。それが効かない相手などゴーシュは知らない。

 こいつはプランツではない?

 そもそも人間でさえない?

「お前は何なんだ!?」

「亡霊だよ。なんだよ、お前がそう言ったんじゃねえか」

 混乱し瞳孔を揺らすゴーシュ。炎のヴェール越しにゼロは歯を剥いて笑って見せた。きしきし、きしきし、と歯列が音を立てて擦れ合う。皮肉なことに、何よりも嫌いな炎に包まれてやっと、彼は何時もの調子を取り戻していた。恐怖を振りまく、死の海を泳ぐ怪獣という仮面は、炎の中が一番馴染んでいた。

 ゴーシュは自分の肌が焼けるのも厭わずに火力を上げた。腕の皮膚の表面に水膨れができはじめている。

「ふざけるな!亡霊などに俺が殺されるか!!」

「……なあ知ってる?」

 ゼロが、炎に包まれながら獰猛に笑っていた。黒いフードに顔を半分以上隠しながら、唯一の覗く口元が獣のように牙を剥く。ゆらゆらと、炎を纏ったまま数メーター先のゴーシュへと歩み寄る。

 炎の海を泳ぐ、最強の捕食者のように。もう燃えることさえなくなった、熱量を失った亡霊のように。

 炎と共にかけられた燃料がゼロの身体を伝い、彼が一歩踏み出すたびに毛足の長い絨毯に炎の足跡が刻まれる。

「うおぉぉぉぉぉぉ!」

 ゴーシュは悲鳴を上げながら炎の噴射を続けた。プランツは簡単に燃える。その固定観念が彼の執拗なまでの攻撃を後押しする。さらなる炎の波を受けて、ゼロの服がふわりとはためく。彼の笑みが消えることはなかった。しかし、

 パチッ

 小さな音を立てて、彼の髪に生っていた真紅の実が爆ぜる。

 だが、お互いそんな些細な事には気が付かない。二人は距離を縮め、ついにゼロの手が銃口を掴む。

「なあ、こんなもん使って、あんたわかってるのか?」

 ゴーシュは目の前に立つゼロを恐怖の表情で見つめる。

 化物。

 声にならない声で確かにそう呟かれる。もうゼロの言葉など耳に入らない。

 ゼロは両手を大きく広げる。ゴーシュにはそこに、ゴーシュによって燃やされた数多くのプランツ達の怨霊が重なって見えた。がくがくとゴーシュの身体が震える。轟々と音を立てて空気が爆ぜ、その音はあの夜の小屋が燃え盛る様を思い出させる。

 さあ、というようにゼロの広げられた両手が揺れた。

 誘うように、求めるように。

 ゴーシュが首を振って後退りする。壁までそのやり取りを続けて、ゼロは諦めたように肩をすくめた。

「なんだ、わかってんじゃねえか」

 そして、ことさらゆっくりとした動作で、逃げ場をなくしたゴーシュを抱き締める。

「ヒトも、燃えるんだぜ?」

 炎を纏ったその身体で。

「ぎっ……ぎゃぁぁっぁあああああぎゃぁぁあああああぁぁあああああぁ!!」

 絶叫し、ゼロから逃れようと我武者羅に暴れるゴーシュ。あの日の少年のものとはかけ離れた、壊れた機械のような無様な絶叫。自分で自分の鼓膜を揺らす騒音。

 もう嫌だ、こんな音聞きたくない。そう心では思っているのに、言う事を効かない喉は持てる力を総動員して醜い叫び声を上げ続ける。そうしている間にも炎が、服、髪、皮膚を舐めるように這い回りじりじりと焦がしていく。やがて全身を覆ったその炎は、火炎放射器にまでその手を伸ばし、やがてその内にある燃料にまで辿り着く。

「がぁぁっぁあああああ―――!!」 

 一際大きな炎が、天井さえも焦がすほどに噴き上がった。

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