シンデレラが灰になるまで 10

 少年は携帯を握りしめ、重厚な樫の扉の前で立ち尽くしていた。持たされているのは小さな自動小銃一丁のみ。背にした扉の向こうでは、自分の商品に手を出した愚か者が目の前に突き出されるのを、主が今か今かと待っている。僅かな苛立ちを潜ませながら「何やってるんだよ……」と少年はつま先で床を蹴る。

 このままでは自分の身が危ない。警察に捕まえさせて戸籍偽造を暴いてから連れてこい。そんなまどろっこしい指示を出した自分が今となっては恨めしかった。身に覚えのない些細な罪状で楽園への切符を失い、絶望に打ちひしがれた状態で此処へ連れてくる。それから追い打ちをかけるように、自分の子供ともいうべき存在を奴らの眼前でじっくりいたぶって殺す。最後は保育者(ガーデン)自身に火を着けさせても良い。そんな陰惨な享楽を主に捧げなければと必死になってきたのに、お膳立てが幾ら整っても犯人自体がここに到着しなければ意味が無い。

「早く……早く来い……」

 祈るように呟き続ける少年の耳に、微かな足音が聞こえた。フロアの端の端にあるこの部屋は入口から最も離れているために来訪者に気づきにくい。その為来客があれば都度無線で連絡が入るようになっているが、人質の連行以来連絡は来ていない。あの傲慢な薔薇の歌姫か、と少年は無防備に腕を垂らして足音が近づいてくるままに突っ立っていた。五メートル程先の角から、のそりと人影が現れる。

 それは、数日前に見た悪夢の再来。そして今自分がこんな目に合っている元凶の顕現だった。

「ひっ!」

 少年は反射的に銃口を向ける。漆黒の衣に身を包んだ亡霊が、豪奢なホテルの照明の下、まるで影から生えてきたようにのそりのそりと近づいてきた。三日月型に弧を描く口から、獣のように軋む白い歯が覗く。

 あの時と全く同じ。人を馬鹿にして、炎に塗れた死の手を差し伸ばしてきたあの時と。

「ひぃ……何でここにいるんだよぉ!?」

 少年は銃の引き金を力の限り引いた。フルオートで発射された銃弾が亡霊に一つ漏らさず命中する。亡霊は着弾の衝撃のままに体を弾けさせながら仰け反った。そして何事も無かったかのように上体を起こす。

 そこには、やはり笑顔。少年の中で、ぶちり、と最後の理性が弾け飛んだ。弾切れの銃を投げ捨て、気が狂ったように訳のわからない叫び声をあげて突っ込む。半身をずらして亡霊は少年の体当たりを避けつつ右足を振り上げ、通り過ぎた少年の背中に思いっきり踵を落とした。肺への衝撃で息を詰めたまま廊下の先へとすっころぶ少年を、黒いフードの奥から見やって亡霊は告げる。

「マッチから今度は銃なだけマシになったじゃねえか。それは、ヒトもプランツも殺せる。平等な武器だ」

 平等な武器。その奇妙な響きを持つ単語が気に入ったようで、化け物は何故か満足そうに頷いている。では、その平等な武器である銃を全弾くらっても立っている目の前のお前は何なのだ。そう少年は言いたかったが、げほげほと咽つづけていたのでそれは叶わない。亡霊は「何かの縁だな」と呟きながら少年に歩み寄り伏せる体を引き起こした。

「勉強になっただろ?そろそろお家に帰りな」

 言葉と共に鰭のように黒い袖が襟もとに伸び、乱暴にバッヂを毟り取る。恐怖に目を見開いて見上げてくる少年に亡霊は笑いかける。初めてまともに見た亡霊の顔は、陶器のように白い肌を烏の羽のように黒く沈む髪で縁取った、意外な程綺麗なものだった。

「もう悪さなんてするなよ。善人になれとは言わないが、真っ当には生きてみろ。そうすれば銃の使い方も、もう少し様になるぜ」

 恐怖の象徴だった証を取り上げられ、少年はしばらく憑き物が落ちたように呆然としていた。命を握られ、義務として残酷な音を、陰惨な悲鳴を必死で寄せ集めさせられていたほんの数日間の悪夢。確実におかしくなっていた自分の思考。そんなものが小さな金のバッヂに凝縮されていたのだろうか。それが外されたことで唐突に少年は冷静になった。

「悪かった。もう二度と馬鹿なことはしない……ありがとう死神、おかしくなっていた俺を殺してくれて」

 そう言って少年は立ち上がると角の向こうに走り去っていった。少年の背を見送った後、ゼロは膝を折り毛足の長い絨毯に向かって思いっきり緑の血の混じった吐瀉物を撒き散らした。内臓を踏み潰された蛙のような声を上げて胃の中のものを全て吐き出していると、やがてそれは血液の割合を増やしていく。床に手を突き荒い息を吐く、体が震えるのは全身の繊維や骨が弾丸でぐしゃぐしゃに崩されたからだ。如何にこの耐火スーツが防弾チョッキを兼ねていても、元々これは銃弾や刃物が身体を貫通して常緑血(エヴァーグリーン)を外気に晒さないことを優先して設計されたものだ。衝撃はしっかりとゼロの身体を襲い、体内組織を壊し、彼の身体は確実に死に近づいていく。ゆっくりと緑に濡れる唇を念入りに拭ってゼロは立ち上がった。

 目の前の扉の向こうに、最後の獲物がいる。

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