あかいみはじけた 8

「おかえり!」

 小さな体が腰にタックルしてくるのを易々と抱きとめてリウはネクタイを解く。住処がばれるといけないのでスラムに入る手前でタクシーからは降りた。それにしても、最後に待ち構えるこの廃ビルの長過ぎる階段には骨が折れる。

「エルザ、もう帰ってたんだ」

「ええ、リウのほうこそ良く自力で帰って来れたわね。偉い偉い。言った傍から特攻作戦に切り戻しかと思って肝が冷えたわ~」

 ドレスもヘアセットも全て取り去り、ジャージとショートパンツに着替えたエルザは無防備な格好で目の前のパソコンに向かっている。

「特にロクの偽者が出たなんて噂も立ってないし、計画に支障は無さそうでね。よかった~そうそう、これ」

 エルザおもむろにショートパンツの後ろポケットから封筒を取り出した。

「さっき“印刷所”から届いてたわ。気合も入るだろうし先に渡しておこうと思って」

 受け取ったリウは中身を取り出す。そこには二枚の紙片が入っていた。

「文字通りプラチナチケットよ。大事にしまっときなさい」

「まさか!これが……?」

 リウはじっとチケットを見つめる。光沢のある銀色の紙に、黒い文字とバーコードがエンボス加工で印字され、見る角度によって線形の細やかな透かしが薄っすらと浮かび上がる。裏返すと細々としたお役所じみた注意書きが延々と記されていた。

「綺麗だな――まるで夜空に浮かぶ星にまで行けそうだ」

「真贋が気になるんなら、港区の航空受付局に持って行けばわかるよー」

「フライト日時は?」

「早々出るもんじゃないから随時便」

「じゃあ今すぐにでも、」

「ただし、有効になるのは、来週の月下美人の曜からなのよね♪」

 艶のある唇が綺麗に弧を描く。流石にそこまで甘くはないらしい。「なるほど」とリウは小さく呟くに留まった。用事は終わったとばかりにエルザは両腕を伸ばす。

「さ、もう夜も遅いしゼロでも夜這っちゃおうかな♪」

 うら若い乙女から出るにはあんまりにあまりな言葉。どうしてあんな奴に、と思わなくも無い。だがパーティでの会話を聞く限り、エルザはゼロを盲愛している。愛に、溺れているのだ。

 事あるごとにゼロに抱きついて、可愛いことから下世話な事までを囁く。何度クーの耳を塞ぎ、冗談は程々にしてくれと窘めたかわからない。

 そして当のゼロと言えば、突き放すことも受け入れることも無くエルザのその言葉に適当に相槌を打つばかりだった。

「今日こそセックスするんだー!」

「!?頼むからそういうことを言うときは事前に「今から私、エロい事言います!」くらいの宣言はしてくれ!」

 吹き荒ぶ海風よりも速くクーの耳を両手で覆ってリウは懇願した。妹の情操教育にはこれ以上無く気を使っているというのに。

「アハハハ~冗談よ冗談。小粋でチャーミングなおふざけじゃない!結婚しないプランツには刺激が強かった?」

 その言葉に、リウの顔が一瞬にして曇った。

「……プランツだって結婚ぐらいするよ」

「そっか、ごめんごめん」

 吹き荒ぶ風に紅茶色の髪を遊ばせながらエルザは、ゼロの部屋に消えていった。

 その背中は何故だろう、とてもこれから愛する人の部屋に入っていくものには見えなかった。

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