もえないひと 20

「……まあ急に言っても何だ、とりあえず街でも案内してやるよ」

 気を取り直そうとゼロが立ち上がる。リウも気が進まないながらも腰を上げた。自分はまだこの街について何も知らない。頼る者のいない中で、街に慣れたゼロから離れるのは得策ではなかった。妙な甘言など後で突っ撥ねればいいだけだ。そう自分を納得させて後に続く。通過した部屋を覗くと埃を被ったオフィス用品が乱雑に詰まれていたり、ひしゃげたロッカールームだったりと様様だ。

「無茶苦茶だな……」

 それでも前に隠れていたスラムに比べれば四方を堅い壁に囲まれているだけ上等だ。そう横目にしつつ足を進めていると、嫌に暗い、小さな部屋に差し掛かった。思わず歩く速度を緩めてゆっくりと外れた扉の割れ目から部屋の中を覗き目を凝らす。そしてリウは気付いた。

 その部屋は、暗いわけではなかった。ただ、黒かった。

 壁や天井、そして床に黒い煤がべったりとこびり付き、その部屋はまるで奈落に繋がっているようだ。

何かが燃えた、いや燃やされた跡。すっとリウの体温が下がった。

「リウ」

 はっとしてリウは呼ばれた方へ首を回す。廊下の先ではゼロが鰭のような裾を振って、彼の目の前にある階段を指差している。

「エレベーター壊れているから、これで降りるぜー」

「マジか。三十四階分を?」

「マジマジ」

 ここまでよく自分を運んできたものだ。リウはクーを背負って床へ壁の剥がれた階段を、おっかなびっくり下っていく。なるべく先ほど見た黒い部屋のことを考えないようにしながら。二十階に到る頃に、クーが起きて身体を揺らす振動にきゃっきゃと無邪気にはしゃいだ。

 外に出ると、何処の町でも同じ、目新しさの無いスラム街の景観がそこには広がっている。違いは微かに潮の匂いに満ちている事ぐらいだろうか。何処に行こうが底辺は底辺、クーは内陸寄りの――要は太陽(サニーサイド)の中心となる東側を振り仰ぐ。そこには海面を反射してきらきらと光る、ガラス張りの綺麗なビルが立ち並び巨大な影を落としていた。

「本当に、笑っちまうぐらい何処も同じだ」

 リウの皮肉に心地よさそうに赤い目を細めてゼロは微笑んだ。

「こっちだ」

 潮風が劣化を早めるのだろうか、ひび割れ煤けたコンクリートやトタン製の小屋が立ち並ぶ中、ガラスも扉も無い家の中は丸見えで、その中と言わず外と言わずボロボロの服を着た人間で溢れかえっていた。

「先立つものも無いままに、月に逃げたくて此処まで来たプランツが大勢いるから、この街のスラムは周りより盛況だ」

 海の向こうを濁った目で見つめるハルジオンの老人。その横に転がりピクリとも動かないヒトの男。少しでも光に当たろうと屋根をよじ登るイチョウの少女。黴たパンを齧るまだ幼いヒトの少年。

 プランツが解放されてもう五百年以上経つ。今となっては貧富の差も、種族の壁を越えてこんなにも平等だ。

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