蛙と駆け落ち
高山子踊
第1話崖オチからの、駆け落ち。
「君死ぬんならさ、ちょっと駆け落ちに付き合ってよ」
自殺失敗数、数千日。思うだけは簡単で、することは難しいのは、夢だけではなかったようです。
理解される人がいれば、どんなに楽だったか、と。母を殺した私は、自分の妻も殺しました。
けれど、人からは責められませんでした。
私が秘密にしたからでもありません。理解されたから、許されたわけでもありません。
『あれは仕方がなかったさ』
その一言で、私を苦しめるのです。何もかも、用意はするのですけれど、死にはできません。
私の中に何人もの自分がいて、会議をしているのです。テレビの中でみる国会議員の会議のように眠っている自分はいません。
常に考え続けるしか、私を保てない。意見を一つにすればいいのに、できないのです。
死にも生きるもできず、宙ぶらりんと足を浮かせながら、今日も今日とて、頭の中で会議が開かれる。
周りからは、叱咤の声。
『しっかりしないと、天国の奥さんが心配しているぞ』
分かってはいるのです。変な方向に向いているから、乱雑に歩いているのだと。
他人の声も自分の声も、疲れてしまったので、今日は、今日は、今日は、と。
足を一歩踏み出せば、良かったのに、誰かが声を掛けたのです。
深夜の誰もいない、こんな崖にいるのは一体誰なのか。
振り返ると、一匹の蛙がいました。
人でも幽霊でもなく蛙。話それも話す蛙です。
私が正常な判断がついておりましたら、学会にでもだすか、ツイッターでこんなことがあったと呟くでしょう。もしくは、眠いのだと思うだけでしょう。
しかし、私は死にたがっていた、精神不安定社会不適合者だったので、蛙と話すことにしました。
『駆け落ちとは、どういうことだい』
『いえね、自分は疲れていたのです。一人でいることに疲れたので、適当な蛙と結婚をしたのですが、酷いもので』
『何が酷いんだい』
『いびきがね、五月蠅いんですよ』
『それだけかい』
『それだけも何も、そのことで私の安眠が妨げられるのです。毎日毎日嫌になるのです。今では相手の蛙が帰る度に、吐き気をもよおすほどなのです」
「はあ」
「ですから、駆け落ちを。死ぬ前に私に本当の海を見せてもらえませんか」
「海なら、そこからいくらでも見えるじゃないか」
「これは海ではありません。ただの墨。色んな嫌なものが沢山出ています。ああ、君と似ていますね。君もああなりたいのですか」
よく喋る蛙だ。
しかし、まあ。
自殺をすれば地獄に落ちるらしい。
別にそれはいいけれど、刑罰は軽くしておきたい。蛙に良いことをすれば、少しは楽になるんじゃないか?
「分かったよ。本当の海を探しに行こう」
「いいんですか? 」
「ああ。ただ、干からびてしまうだろうから、何か…」
私は傍に止めてあった車の中から、ビニール袋を取り出して、飲みかけていたミネラルウォーターを入れた。たぷんたぷんとなったころ、丁度よく入っていた、少し丈夫に作られているプラスチックの箱にそれを入れる。
直接そこにミネラルウォーターを入れなかったのは、プラスチックの箱には私の嘔吐物が付着していたからだ。
祖母のように身体が弱いから吐いたのではなく、単純に車酔いであった。
「まるで金魚になったようです」
蛙は文句を言わず、その中に入ってくれた。
「では、駆け落ちを。蛙ですから何も返せませんが、話をすることはできます。井の中の蛙、大海を知らず。そうは言いますが、井戸の深さは知っております。
ある一点の知識においては、深く存じ上げておりますので。何なりとお聞きください」
片道分とちょっとのガソリン。とりあえずガソリンスタンドか廃車を見つけることから始めないといけない。
私は車にエンジンをかけた。
「自殺するなら、車ごと、突っ込めばよろしかったのに」
「…私は、死にたがるくせに、ケチな人間なんです」
「というと? 」
「車を沈めれば、海が汚れるでしょう? 」
「それは、人も同じでは? 」
「人は時間が経てば、沈みます。身体が崩れて、海の栄養となるんです」
「ああ、そういえばそんな葬式があるんですっけ。お寺の御坊様がおっしゃっておりました。海の栄養…星の栄養となるのですね」
「その考え方はなかった。生きているよりもよっぽど、星にとってはいいだろうね」
「星にとっては、そうでしょう。しかし誰かにとってはそうでは、ないかもしれませんよ」
蛙のくせに、やたらとスピリチュアルな考え方を出してきた。人であったなら、心理学を習っていたことだろう。
「例えば。私は、貴方が必要です。本当の海を見せてくれる優しい魔法使いに思えます。蛙のたわごとなんて、まず聞きません。踏んず蹴られて下手したら死んでいたかも」
「私は普通じゃない、状態なんだ」
「普通とは、誰が決めるのです? 誰かそれぞれ違うでしょう」
「……普通は、蛙が喋るなんて思わないだろう。それと同じように、私は人と違って、おかしいんだ」
「自ら死のうとしたことがですか? それの何がおかしいんです」
けこん、と蛙は助手席から鳴き声を放つ。
「誰だって、スイッチを切りたくなるときはあるでしょう。多かれ、少なかれ。
それが大掛かりなものか、ちょっとしたものか、だけです。私の友達の蛙は、産んだ卵が魚に食われたのに、また子供を作るのか、面倒だ、と数日だらけてぼやくだけでした。翌日にはせっせと、子作りに励んでおりましたが」
蛙にも社会はあるらしい。死生観を蛙に教わることになるとは思わなかった。
「まあ、反してますね。生きることに反するのは、人間の特権だと、げろん太先生は仰っておりました。羨ましい限りです。私達は自分で死を選べないのですから」
そう言う、蛙の目はなんとなく悲しそうに見えた。蛙だから、そんなの、分かるワケないけれど、それは、私が『おかしくなって』いるからだと、思うことにした。
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