日曜日(午前)
ジリリリ ジリリリ
一定の周期を保ちながら耳元で爆音が鳴り響く。
ジリリリ ジリリリ
枕もとをバンバンと叩く、小指が固いものをとらえた。緩慢な動作でその硬いものを手繰り寄せる。
ジリリリ ジリ
ボタンを押す、少し手間取りながら画面をいじると耳元で鳴り響いていた音が急にしんと静まった。
先ほどまでただうるさいだけだった携帯電話を目をこすりながら見つめる。九時三十分、起こしてくれたのは予備のアラームの方だった、ありがとう昨日の僕、君のおかげで今日僕は寝過ごさなくて済みそうです。
適当に着替えてからカーテンを開ける、部屋の向きの関係で朝方の日光は直接は入ってこないけれど、朝起きてすぐに明るい光を浴びると体にいいらしいし、何より気分がすっきりとする。
部屋を出てリビングへ行く。食卓テーブルの上にはこんがりと焼けたトーストとそれに塗る用のチョコレート、そして500円玉が置かれている。
休日は両親ともに夜まで仕事に行っていることがほとんどだ。特に今日みたいに起きるのが遅い日、つまりバイトが午後からしか入っていないような日はこうして朝ご飯のトーストや米と、昼ご飯をコンビニで買ってくる用のお金が置いてあったりする。別に不満があるわけじゃない、朝ご飯は何も言わなくても必ず用意してくれているし、昼ごはんはバイトの都合上むしろお金で渡された方がありがたい位だ。
食後、パン屑が乗っている食器を流し台の洗面器にそのまま放り込む。
ソファの上でごろんと一度横になってから、まだ先週渡された小説を読み切ってないことを思いだした。
本はまだ自室に置いたままだ、ソファに横になった姿勢のまま頭の中に複雑な図形を思い浮かべる。何度も何度も見てきた、今日もまた見ることになるであろうその図形は、図書館員になるうえで最初に魔導書無しでも正確に思い浮かべることができるようになるまで教え込まれる魔方陣。
つづけて自室にある本の様子を強くイメージする。出来るだけ正確に、位置などはもちろんのことできればしおりを挟んだ位置まで正確に思い返す。
そして最後、出来るだけ強く切るように言う。
「本よ、『浮かべ』」
ちょっとだけ音が響いたあと、特に何も起こらないまま家は静かさを取り戻した。
はあ、と一度ため息をつく。当然のことだとわかってはいても、時折試したくなってしまう。
もともといるこの世界で、僕は魔法を使うことはできない。
それは、向こうの世界から戻るときに制約をかけられただとか魔導書がないと魔方陣を一つも正確に思い出せないからとかではない。単純に、体の構造的に不可能なのだ。
魔法を使うために必要な魔力は、こちらの世界には存在しない。向こうの世界の中でなら、空気中に漂っている魔力を利用することができるけれど、こちらの世界の人間にはその漂う魔力を取り込む機能が備わっていないから、魔力を持ってくることも不可能だ。
それは同時に、向こうの世界の食べ物をあまり取り込んではいけない理由でもある。もし仮に少しでも魔力を保存できる臓器が体に生まれたりでもしたら、こちらの世界で魔法を使った犯罪を及ぼさないとは限らないからだ。
そういう面では、僕は非常に優遇されている。二つの世界を行き来することに曜日以外の制約が一切設けられていないのは、アイリ館長が自分と同じように本が好きな者同士、と言うことで、上の立場の、それこそ国の王様のような立場の人に掛け合ってくれたおかげだ。
まあ、それはそれとして。
どうしてもまだ読み終わっていないその本が読みたくなったので、僕はもぞもぞとソファから起き上がって自室へ向かっていく。
ページを開いてしおりを外す、残りのページ枚数を見るにバイトが始まるまでには残りの部分を見終えることができるはずだ。
小説の言語は日本語じゃない、というよりはそもそもこの世界に存在する言語じゃない。それでも内容がわかるのは魔導書のおかげのようだ、別に魔導書で勉強したからとかじゃなく、どうやら魔導書には触れた者に他の言語を一番知っているものへと変換させる能力を持っているらしい、理由は魔導書の中身を正確に把握させるためだと推測されている。
余談だが、別に英語の成績が上がったりはしなかった、魔導書に触れたことのある者同士でしかこの効果は適用されないらしい、残念。
そんな性質のおかげで、こうして異世界の本を読んで楽しめているわけである。この性質は別種族の存在と会話を試みるためにも用いられているようだ、僕も初めて異世界へ渡った日に、まず最初に魔導書を持たされた。
窓の外から子供たちの遊ぶ声が聞こえる。静かな場所の方が好ましいけど、たまには騒がしい音があってもいいかもしれない、ちょうど小説の方も賑やかな酒場の部分だ。
アイリ館長に渡された本は、ジャンルこそさまざまだけどどれもとても面白くて、物語に引き込まれてしまう。一応バイトとして働いている以上給料は出るのだけど、貨幣が違うせいでこちらの世界には持ち込めない。
そこで給料の代わりとしてアイリ館長に本を選んでもらっている、どうせお金の使い道なんてほとんど本しかないのだから、こうして向こうの世界で一番と言っていいほど本に詳しい方にお勧めの本をもらえるということは本当にありがたい。
一枚、また一枚。
周囲の音がだんだん聞こえなくなっていく、時間も気にならない。代わりに聞こえてくるのは水の音、騒がしい仲間の声、土を踏みしめる音。
ページをめくって読み進めるたび、音が、風景が、ゆっくりと変わっていく感覚。今まで感じたことのない新鮮なものが、ゆっくりと心の中にしみ込んでいく。
やがて風景は薄く黒く、余韻を残して消えていく。読み終わった、十分な満足感と若干の疲労が同時に体を襲う。
時間を確認する、十一時十分、そろそろ支度をしないとまずい時間だ、本を閉じて部屋へと向かう。
自室の本棚にしおりを外した本をしまう、そろそろ本棚を増やした方がいいかもしれない、魔法が使えれば、自分で簡単に作ることができるのだけれど。
着替えて準備を整える、アイリ館長に話す感想も考えておかないと、整理しておかないといつまでも喋れてしまう。
忘れ物をしてないか確認して自宅を出る、今日の日差しはそこまで強くない。
「それじゃ、いってきます」
今日はどんな物語に出会えるか、そしてどんな物語をアイリ館長に見せてもらえるのか。
想像に胸を弾ませながら図書館までのアスファルトを駆ける。
今日の午後が幕を開ける。
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