第4話 残された人

 翌日、朝九時前に裏の静岡駅へと出勤すると、制服に着替え、駅長さんへの挨拶を済ませてから静岡駅へ向かった。

 あの世とこの世を繋ぐ新幹線の駅ではない、普通の静岡駅の東海道線のほうだ。

 鈍行に乗って焼津まで。一五分もかからない。


 その間に借りてきた駅員用のスマートフォンで西ヶ谷健治の名前を検索する。

 珍しい名前だけあって直ぐに結果が出た。町内会の会長を務めていたらしく、写真付きの画像まであった。そこから住所まで辿り着くのは実に容易い。情報化社会万歳!


 焼津駅で降りるとタクシーに乗って西ヶ谷さんの実家へ向かう。

 朝早い時間だが、突然尋ねて大丈夫であろうか。あの世の西ヶ谷さんの家よりか多少緊張しながらも、インターホンを押した。

 あの世と異なりこの世では、直ぐに反応が返ってくる。


『はい、どちら様でしょうか?』

「私、静岡駅の駅員をしております磐本さとりと申します。お亡くなりになった西ヶ谷健治さんについてお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」

『お父さんの、ですか? 構いませんけれど、珍しいですね。少々お待ちください』


 インターホンが途切れると、やがて若い女性が玄関を開けて顔を出した。これがあの西ヶ谷さんの娘さんにあたるのだろう。


「どうぞ、お上がりください」

「失礼します」


 通された先は小さな和室で、どことなくあの世の西ヶ谷さん宅の和室と似ていた。和室の隅に仏壇が置かれているところまでそっくりだ。


「どうぞお座りになってお待ちください。ああ、ゆーくん、お客様ですよ。お部屋で遊んでましょう」


 ゆーくん、と呼ばれたのは、西ヶ谷さんの娘さんの息子らしく、つまりは西ヶ谷さんの孫にあたる訳だ。一人で歩き回れる年齢で、足腰もだいぶしっかりとしている。


「構いませんよ。西ヶ谷さん――健治さんのお孫さんですね。いまおいくつですか?」

「みっつ!」


 娘さんに尋ねたのだが、ゆーくんの方が元気いっぱいに答えてくれた。


「みっつかー。教えてくれてありがとうね」


 笑顔を作って手を差し出すと、ゆーくんは私の指を握ってくれた。あの西ヶ谷さんの孫とは思えない、とても社交的なお子様だ。


「こちらどうぞ」


 娘さんは麦茶の入ったコップをお盆にのせてやってきて、丁寧に私の前へと置いてくれた。


「ありがとうございます。あの、早速ですが、仏壇にお線香を上げても?」

「お父さんのですか? ええ、是非お願いします」


 仏壇の前に座り直すと、娘さんが仏壇を開けて、線香を用意してくれた。

 紛れもなくあの世であった西ヶ谷さんの遺影が飾られている。遺影は西ヶ谷さんと、奥さんであろう女性。遺影の中の二人は肩を並べて笑っていた。


「お父さん、笑顔の写真が少なくて、でもお母さんと一緒の時だけは本当に嬉しそうにしていました」


 線香を上げ終わると娘さんが西ヶ谷さんについて話し始めた。


「仲が良かったのですね」

「喧嘩することも多かったですけど、ちゃんと仲直りするんです。お父さん、頑固でしたけどお母さんだけには甘いんですよ」

「へえ、想像もつかないですね」

「かも知れないです。亡くなったのはあの子が生まれる三ヶ月前でした。だからあの子もお父さんのことを知らないし、お父さんも孫の顔を見ることなく他界してしまいました」

「そうだったのですか」


 孫の顔を見ること出来ずに亡くなった。それも生まれる直前に。

 その時、他人の乗車券を使って不正越境しようと試みた、池ヶ谷さんの顔が脳裏に浮かんだ。

 同じような境遇の池ヶ谷さんを前にして西ヶ谷さんはどう感じたのだろうか。

 廃棄したなんて嘘っぱちだ。だって廃棄するなら、在来線の乗車券も廃棄していないとおかしい。それが手元にあったのだから、意図して池ヶ谷さんに乗車券を渡したに違いない。


「後を追うようにお母さんも亡くなって、結局二人に孫の顔を見せてあげられなかった。わたしには、二人が天国で仲良く暮らしていることを祈るくらいしか出来ません」

「きっと、西ヶ谷さんと奥様は仲良く暮らしていますよ。極楽線の沿線なら多分あそこ天国でしょうし」

「極楽線?」

「あ、それはこっちの話。それに孫の顔だって絶対見に来てくれていますよ。そろそろお盆ですし、こんな可愛い子見に来ないわけがないですよ」


 寄ってきたゆーくんの頬を撫でると、ゆーくんは嬉しそうに笑って飛び跳ねた。

 もう一度仏壇を見る。うん。きっと来てくれる。だって残された家族にこんなに愛されているのだから。


「そう言って貰えると嬉しいです。ところで磐本さん、静岡駅の人がどうしてお父さんのことを?」

「健治さんが町内会の会長をしていたときにちょっとしたやりとりがあったんです」


 まるで考えてきていなかったので口から出任せで適当言ったが、娘さんはそれで納得してくれたようだった。

 メガネをしっかりとかけ直して辺りを見渡す。が、探していたものは見つからなかった。


「お線香も上げられましたし、私はこれで失礼します。あ、でも麦茶だけ頂きますね」

「ぬるくなってますね。入れ直します」

「いえ、ぬるいのが良いんですよ」


 私の言葉に、娘さんは声を出して笑った。


「磐本さん、お父さんみたいなことを言いますね」



 しっかり見送ってくれる娘さんとゆーくんに頭を下げて、西ヶ谷さんの実家を後にする。

 西ヶ谷さんについて教えてもらえたことは良かったのだが、肝心な人とまだ会えていない。


「あらまあ、こんな若い人が尋ねてくるなんて、珍しいわねえ」


 玄関前で思案していると、おっとりした女性の声が聞こえてきた。

 それはまさしく、探し求めていた西ヶ谷さんの奥様である。


「ええと、初めまして。彼岸新幹線の方の静岡駅で働いています磐本さとりと申します」

「そういえばその制服、見覚えがありますわ」

「西ヶ谷健治さんの奥様ですよね。少しお話を伺っても?」

「よろしいですわ」


 奥様と話をするため、近所の公園へと向かった。

 端っこの方の人気の少ない場所にあるベンチに腰掛け、これまでのことを奥様へと話す。


「と言うわけで、西ヶ谷さんの乗車券が不正利用されたことについて調査を進めています」

「この度は本当に申し訳ありませんでした。わたくしが勝手に乗車券を申請して、しっかり廃棄もせずにおいてきたせいでこんなことに――」


 丁寧に頭を下げて謝る奥様に、思わず両手を振って応じた。


「あ、いえ、謝らないでください。その、私は罰するつもりはなくてですね、その――」


 何と言ったら良いのか、言葉に詰まる。

 そもそもどうして、私は西ヶ谷さんの乗車券についてあれこれ聞き回っているのだろうか。


「――あの人がどうして帰省しないか、知りたいのでしょう?」


 奥様の言葉ではっと気づかされた。

 そっか。私は、西ヶ谷健治さんがどうして乗車券を自分で使わないのか気になっていたのか。

 始めて生まれた孫。生まれる直前に亡くなった西ヶ谷さん。帰省のために奥様が乗車券を取得したのに、あの人はあの世に残り、乗車券を他人へ譲った――。


「そう、みたいです」

「そうでしょう。あなた、そんな風な顔をしていたもの」

「そうですかね」


 感情が表情に出るタイプではないと自分では思っていたのだが、人生経験の差という奴なのだろうか?


「あの人はね、亡くなって一年と少し後、始めて乗車券が取得できるようになったお盆に、孫の顔をしっかり見ていますよ」

「え? そうなんですか? てっきりずっと帰ってきていないのかと」

「あの人も孫の顔を見たくてたまらなかったですから。でも、見たくないものまで見てしまって――」

「見たくないもの、ですか? それは一体何でしょう?」


 恐る恐る尋ねる。奥様は一呼吸置いてからゆっくり答え始めた。


「一年も経つと、いろいろなものが移り変わっていくものです。孫もすっかり自分の足で歩けるようになっていましたし、あの人とわたくしの部屋も、綺麗に掃除されていました。娘夫婦はとても幸せ一杯で、それこそ、わたくしとあの人が居なくなったことなんて遠い過去のことのようで――。それを見たあの人は、自分が忘れ去られていると思ったのでしょう。娘夫婦と会うことが恐ろしくなってしまったのです」

「そんなことって――」

「わたくしも、娘夫婦の暖かな家庭を見ていると、自分は居なくなって良かったのではないかと思ってしまうこともあります。近くによって娘夫婦の生活に触れるのが恐ろしくて、こうして帰ってきても、遠くから孫の成長を見るのが精一杯です。だからあの人も、わざわざ帰って来たくはないのでしょう」


 奥様は目を伏せて寂しそうにそう言った。

 せっかくあの世から新幹線に乗ってこの世に帰ってきたのに、どうしてこんな悲しい顔をしなければならないのだろう。一年に一度の帰省くらいもっと楽しんでも良いはずだ。だって、奥様も西ヶ谷さんも、あんなにも家族に愛されているのだから。


「奥様、私からお願いがあります。怖いという気持ちも分かりますが、少しだけでも家の中に入って頂けますか? ほんの少し、和室の仏壇を見て頂ければ結構ですから」

「そうねえ。折角来たことだし、見てこようかしら」

「はい! 是非そうしてみてください!」


 今一度西ヶ谷さんの実家まで戻り、玄関の前で奥様を見送る。

 奥様は扉をすり抜けて家の中へと入っていった。

 あの時仏壇には、お孫さんが描いた西ヶ谷さん夫婦の似顔絵が飾られていた。それに娘さん夫婦から西ヶ谷さん夫婦へあてた感謝の手紙。西ヶ谷さん夫婦は今でも家族から愛されているのだ。

 長い時間の後、出てきた西ヶ谷さんの奥様は目元を涙で濡らしていた。


「あの子達には感謝しないとね。可愛い孫の顔も見られたし、きっと来年こそは、あの人も連れて来てこの光景を見せてあげないと」

「そうですね。西ヶ谷さん、あながち悪い人ではなさそうでしたからきっと分かってくれますよ」


 奥様は重ねて私にお礼を述べて、こぼれ落ちた涙を拭う。

 名残惜しいが私も職務の途中だ。最後に、大切なことだけ確認して駅へ帰るとしよう。


「奥様。この西ヶ谷さんの乗車券ですが、私に譲って頂いてよろしいでしょうか?」

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