第3話 西ヶ谷健治

 ホームには既にさとり号が到着していて、慌てて車両に乗り込むと、乗車券に示された座席まで移動する。

 移動途中でさとり号は発車のアナウンスをかけて、無慈悲に動き始めた。

 あの世とこの世を繋ぐ新幹線さとり号。

 私は確かにその中にいて、この世を旅立った。乗車券には往復券と書かれているが、本当に無事に戻ってこられるのだろうか……?

 動き出してしまった新幹線を止める術など私にはない。もう座席に腰を下ろして外の景色を眺めているしか選択肢はなかった。


「この世からあの世へ向かう新幹線――。あんまり実感湧かないなあ」


 外の天気は良く、空は青々と澄み渡っていた。夏の熱気で霞んでしまう静岡の空よりずっと綺麗だ。河川敷では子供達が草野球の試合をしている。さとり号はやがて大きな川にかかる橋を走り始める。川を渡り終えた向こう岸の河川敷に立つ大きな青い看板に、白い文字で川の名称がでかでかと示されていた。


「あ、これ三途の川だったんだ。私三途の川越えちゃった」


 磐本さとり、享年一六歳。


「まだ死ぬ気はないけど。これ戻れるよね? 大丈夫だよね?」


 答えてくれる人は居ない。

 あまりに暇で、車両前方の電光掲示板に流れる田中角栄総理のスキャンダルやらなんやらをうつろな目で眺めていると、いつの間にか眠りに落ちていた。


『間もなく終点、彼岸です。極楽線、奈落線、黄泉線、天津国線はお乗り換えです』


 聞き覚えのある音楽が流れたかと思うと、そんな車内アナウンスが流れた。


「あ、到着してる」


 体を触って確かめてみるが、死んだような感触はない。いや、死んだらどうなるのかさっぱり分からないけど。

 さとり号は彼岸駅に到着し、乗っていた僅かな乗客達もホームへと降りていく。

 私もその場でじっとしているわけにも行かず下車して、駅構内を歩いて改札へと向かった。

 彼岸駅は静岡駅よりも更に大きなターミナル駅のようで、さとり号の他にも、りんね号やいんが号なんかも停まるらしい。一体何処に向かうかは確認しなかった。

 こちら側の改札も数が多く、さとり号の乗客も少なかったので私は直ぐに改札へ通された。

 事情が説明されていたようで社員証と乗車券を見せると、改札の人から極楽線への従業員通路を教えてもらえた。言われたとおり従業員用の通路を通り極楽線ホームへ。停まっていた特急に乗り込み次の浄土駅で降りる。

 浄土駅を出て駅長さんから貰ったメモを見ながら歩く。町並みも空気も、この世とあの世で何が違うのかさっぱり分からない。坂の多い道を歩いて行くと一〇分ほどで西ヶ谷さんの家まで辿り着いた。

 ここまで来たのだから使命を果たさねば。臆すことなくインターホンを押した。

 押してからだいぶ経過してから、インターホンから高圧的なしゃがれた男の人の声が響く。


『誰だ』

「静岡駅からきました彼岸新幹線の駅員、磐本です」

『何の用だ』

「西ヶ谷健治さんの乗車券のことで確認させて頂きたいことがありまして」


 そこまで言うと、インターホンがぶつりと切られた。あれ、帰れって事かな? 門前払いを受けたと報告すれば良いのだから使命は果たしただろうか。

 帰ろうとした矢先扉が開いて、中から白い髪を短く切りそろえた、昭和の頑固親父みたいな風防の老人が顔を出した。


「入りな」

「は、はい」


 西ヶ谷さんの後に続いていくと、小さな和室へと通された。目に入った部屋の隅の仏壇には、西ヶ谷さんの親族らしき人たちの写真が飾ってあった。


「座ったらどうだ」

「はい、そうですね」


 示された座布団に腰を下ろすと、西ヶ谷さんは部屋から出て行き、しばらく後麦茶の入ったガラスのコップを持ってきて私の目の前にどんと勢いよくおいた。

 そして向かいの席にあぐらをかいて座り込む。


「で、駅員が何のようだい」


 問われたので、早速本題に入ろうと、池ヶ谷賢治から没収した西ヶ谷さんの乗車券を机の上に置いた。


「静岡駅で西ヶ谷さんの乗車券が不正に利用されました。彼岸新幹線の乗車券は乗客同士での売買・譲渡など一切が禁止されており違法です。なのでどういった経緯で乗車券が他者の手に渡ったのか確認しに来ました。西ヶ谷さん、乗車券を転売したりはしていませんよね?」


 尋ねても西ヶ谷さんは態度を崩さず、置かれた乗車券をちらと見ると一笑に付して答えた。


「いらねえから捨てた」

「は、はい? 捨てたというのは乗車券をですか? 乗車券は許可制でして、西ヶ谷さんは申請をして乗車券を取得しているわけですよね?」

「俺じゃねえ、嫁が勝手に俺の分も申請しやがったんだ」

「ええと、奥様が西ヶ谷さんの乗車券を申請して、西ヶ谷さんは乗車券が必要ないからと廃棄したわけですか」

「そうだよ」


 ここまで開き直られるとどうしようもない。私はなんとかチラ見してきた彼岸鉄道事業法の内容を思い出しつつ質問を重ねる。


「必要なくなった乗車券を廃棄する場合は、駅へと持ち込むよう規定されています」

「ああん? いらねえもんを捨てるのに、なんでわざわざ持って行かねえといけねえんだ。お前らが取りに来いってんだ」

「規則なので」

「そんな規則知らねえよ。書いとけってんだ」

「書いてあります」


 机の上の乗車券を裏返し該当箇所を指し示す。それでも西ヶ谷さんは折れない。


「こんな豆っちい字で書かれても見えねえよ。それに、これは嫁が勝手に持ってきたもんだ。俺にこの規約を守る義務はねえ」


 駄目だこの人。言っても聞かない人だ。手っ取り早いのは彼岸駅に連絡入れて彼岸鉄道事業法違反でしょっぴいて貰うことだろうか。


「では奥様は今どちらに」

「帰ったに決まってんだろ」

「帰ったと申しますと? 新幹線に乗ってこの世に?」

「それ以外あるかよ。しばらく戻っちゃこねえだろうな」


 奥さんはこの世に帰って、夫はあの世に居続ける。頑固親父というのは死んでも治りやしないのか。なんだか死後までこんなのに付き合わされる奥様が不憫になってきた。


「そうですか。分かりました。それでは西ヶ谷さん、この世での乗り継ぎの乗車券はどちらですか?」

「仏壇に置いてある。いらねえから持ってってくれ」

「分かりました。合わせてこちらで処分します」


 仏壇には静岡―焼津間の乗車券が一枚置いてあった。それを回収すると、先程机に置いた新幹線の乗車券も再度回収する。


「私はこれで失礼させて頂きます」

「なんだ、出した茶も飲まねえで帰るのか」

「飲みますよ、全く面倒くさい」


 思わず声に出したりしたが些細なことだ。出された麦茶を一気に飲み干して、西ヶ谷さんが机に置いたときと同じよう、どんと勢いよくコップを置いた。


「ぬるい!」

「それがいいんじゃねえか。気いつけて帰れよ」

「分かってますよ。もう乗車券の廃棄は勝手にしないでくださいね」


 形だけ見送られて西ヶ谷さんの家を後にする。あながち、悪い人ではないのかも知れない。

 やるべき事はやったので元来た道を引き返し、浄土駅から極楽線の特急に乗って彼岸駅へと行き、そこからさとり号に乗って静岡駅へと帰った。


 静岡駅に到着したのは終業時刻手前だった。

 静岡駅の改札に並んでいると駅長さんがやってきて私を従業員通路へと通してくれる。


「西ヶ谷さんはどうだったのかな?」

「乗車券は廃棄したそうです。こちらの在来線の乗車券も廃棄したいそうなので受け取ってきました」

「廃棄したのなら仕方無いね。廃棄する際は駅に持ち込むよう言ってくれたかい?」

「はい。しっかり言っておきました」

「ではこの問題は解決かな」

「あの、駅長さん」


 駅長さんはそこでこの件についての話を打ち切ろうとしたが、私は思わず引き留めてしまった。

 使命感だろうか? いやたぶん違う。私はそんな真面目な人間じゃない。


「なにかな、さとりさん」

「西ヶ谷さんの奥様がこの世に来ているそうです。明日会いに行っても良いですか?」

「まだ調査の必要がありそうかな?」

「どうでしょう。それが分からないので、少しばかり時間を頂きたいのです」


 提案に、駅長さんはいつも通り柔らかく微笑んで答えてくれた。


「分かりました。明日も引き続き調査を進めてください。それまで、その乗車券は預けておきます。協力が必要な場合はおっしゃってください」

「ありがとうございます。あ、念のため確認しておきたいのですが、駅長さんは私が買収されても構わないとおっしゃいましたが、それは今でも継続中ですかね?」

「ええ、もちろん」

「それはどうも、ありがとうございます」


 私も駅長さんのその言葉に、柔らかな笑みを浮かべて答えた。

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