第2話 池ヶ谷賢治

 翌日からは本格的に仕事始めと言うことで、朝九時前には職場である裏静岡駅に到着した。

 裏静岡駅の制服に着替えて、出来たばかりの社員証を首から提げる。

 私の就業時間が始まると、駅長さん直々に駅構内を案内してくれた。

 表の静岡駅に比べてずっと広く、設備も格段にしっかりとしていた。

 それはあの世とこの世を往来する人々の絶対数が格段に生きている人間の数よりも多く、また特殊な境界上に位置する駅のため、往来については空港のように一人一人身元を確かめる必要があるからだそうだ。

 一応念を押すようにこの駅の存在については公にしてはならないと告げられた。もとより、こんな非現実的な駅について余所であれこれ吹聴するつもりもなかったけど。


「ひとまず掃除をしながら駅に慣れて貰えるかな。分からないことがあったら、社員でもわたしでも捕まえて聞いてくれたらいい」

「はい。分かりました」

「もう少ししたらお盆の時期であの世から帰省してくる人が増えるから、そうしたらさとりさんには改札業務に回って貰うつもりだよ」

「そういえばお盆でしたね。八月の一五日前後ですよね」


 確認のため尋ねたのだが、駅長さんは何故かかぶりを振って答えた。


「昔ならそうだったんだ。何しろあの世からこの世まで二週間かかったからね。八月の初めにあの世を出発して、この世に到着するのが一五日少し前くらいになったんだ。でも今では新幹線で一時間四五分だからね。出発したその日に到着するから、八月の頭に帰省客が押し寄せるのさ」

「そうなんですか!?」


 予想を裏切る回答に思わず驚いてしまった。

 そうか。八月半ばにご先祖様が帰ってくると言うのは徒歩とか馬とかで往来していた時代の話であって、新幹線が開通してしまった現代においてはご先祖様は八月頭にやってきてしまうのか。


「正式な一般乗車券の解禁は今日の正午からだね。そういうわけだから、掃除が一通り終わったら、事務室にある改札業務の手引き書と、余裕があったら彼岸鉄道事業法にも目を通して貰えるかな?」

「はい、できる限りやってみます」

「よろしく頼むよ」


 駅長さんはそれだけ言うと事務所の方へと帰って行ってしまった。

 なんだかいきなり先行きが怪しくなってきた。

 不安はあるものの、今はとにかく駅に慣れておかなければ改札業務どころか道案内すら出来やしない。手にしたモップを握り直すと気合いを入れて、構内の掃除を開始した。



 午前中を掃除に費やして、昼休みをはさみ午後からは改札業務手引き書に目を通した。

 業務内容としては非常に簡単のようだ。

 やってきたお客様の彼岸旅券――要するにパスポート――と、乗車券を確認して、内容に問題が無ければ押印して返し、「良い旅を」と声をかけて先へと行かせる。

 彼岸旅券と乗車券が偽造されたものでないことが最重要確認事項ではあるが、続いて大事なのは両者の内容の一致である。

 彼岸新幹線では乗車券の取得も許可制であるため、他人名義の乗車券は無効となるそうだ。そのため、名義については彼岸旅券と乗車券をしっかり確認しなければならない。


 続いて彼岸鉄道事業法についてまとめた書籍に手をつける。

 こちらは一冊一冊が分厚い上に三巻構成で、流し読みでも一日では終わらなそうだ。

 しかも法律文章は文体が硬くいちいち表現が回りくどい。読んでいると眠くなる奴だ。

 眠気覚ましにコーヒーを買ってきて飲み干すと、事務室の向こう側から声をかけられた。


「さとりさん。改札の手伝いをお願いします」

「はい、直ぐ行きます」


 声をかけてきたのは駅長さんだった。とりあえず了承を返して、それから決意を固めて事務室出口へ向かった。

 そこからは駅長さんに続いて改札へ向かう。


「ここの改札をお願いします」

「あの。手伝い、ですよね?」

「そうですよ。手伝いです」


 その割には改札には誰も居ない。まさかいきなり私一人で対応しろということか。まさかそんなわけもない。きっと駅長さんが一緒にやってくれるのだろう。


「ここの改札はさとりさんに任せますね。何かあったらインターホンで連絡してください」

「分かりました」


 そりゃそうだ。駅長さんはバイトの高校生に構っていられるほど暇ではないのだ。

 と言うわけで、私はいきなり改札を一人で担当することになった。

 改札にやって来る人はほとんどいない。何だ結構暇な職場なのか――なんて思っていられるのもつかの間であった。どうやら新幹線が到着したらしく、どっと乗客が押し寄せてきた。

 私の改札にもいよいよお客様がやってきた。

 スーツ姿の、太い額縁のメガネをつけた中年男性。

 彼岸旅券と乗車券を受け取って内容を確認。写真と本人は大方一致。旅券と乗車券の名義も一致。

 慣れない手つきで二つを見比べていると、ガラス越しにお客様の視線を感じる。

 急かされてる? ――いや、落ち着け。正確でミスがないのが一番だと業務手引きには書かれていた。

 二つを確認し終えて、最後に然るべき場所に判子を押す。ちょっとずれたがまあ良し。二つをカウンター越しに返して、緊張で一杯ではあったが笑顔を作って声をかける。


「良い旅を」


 するとお客様も笑顔を返してくれた。


「新人さんだね。お盆は忙しいだろうけど、頑張ってね」


 どうやら同業者らしい。笑顔を作って損した。――いや駄目だ、そんなことを考えてはいけない。お客様には間違いないのだから。

 それからも続々と人がやってきた。二人目、三人目と判子を押していく。しばらくすると何人目とかも数えるのをやめていて、すっかり業務にも慣れてきた。

 なんてことないじゃないか。これなら私でもやっていけそうだ。


 さあ次のお客様はちょっと太めのおじいさま。旅券と乗車券を受け取ってこれまで通り確認作業を進める。

 旅券名義『青木岳』。乗車券名義『青木洋』。


 ――あれ? 違う?


 再度見比べてみたがやはり違う。


「少々お待ちくださいね」

 お客様に声をかけてから、外部スピーカーの電源を切ってインターホンへ切り替える。若干迷ったが駅長席のショートカットを押した。


「すいません一二番改札の磐本です。駅長さん今よろしいですか?」

『はい、なんでしょう』

「旅券の名義と乗車券の名義が一致しないお客様がいらしまして、どうしたらよいでしょうか?」

『旅券の別のページに改名記録が残っていないか確認して、記録があってそれが名義と一致したら通して良いよ。念を入れるなら指紋検査かけても構わない。やり方は分かるかな?』

「はい、機械の使い方は分かります」

『ではもう一度確認して、それでも問題があったらまた連絡ください』

「分かりました」


 駅長さんとの通話を打ちきり再度お客様の彼岸旅券を確かめる。次のページを開くと、確かに改名履歴が残っていた。『青木岳』から『青木洋』へ。日付は先月。

 スピーカーの電源を入れ直してお客様に声をかける。


「すいません、指紋の確認を願いします。こちらに右手の指を押し当ててください」


 指紋検査装置を示して指紋をとらせて貰う。照合結果は直ぐに出て、確かにお客様は青木岳から青木洋へと改名していた。

 問題なかったので旅券に押印して乗車券と合わせて返却する。


「手間をとらせましたね。実は山で滑落して死んでしまいまして、縁起が悪いから死後改名したんですよ」

「そうだったんですか。良い旅を。山には気をつけてくださいね」

「どうもありがとう、お嬢さん」


 お客様は笑顔を返して改札を通り抜けていった。

 にしても死後改名なんてのがあるのか。これは油断できない。

 続いてやってきたのは、やせ気味で髪の薄いおじいさん。風邪なのかマスクをしていた。


「すいません、マスクを外して頂けますか?」


 旅券と乗車券を受け取ると、顔の確認のため声をかける。おじいさんは言われるがままマスクを外して顔を見せてくれた。

 旅券と顔写真は一致。期限問題なし。旅券と乗車券の名義は――一致――じゃない。

 よく見ると旅券では『池ヶ谷賢治』で乗車券では『西ヶ谷健治』であった。なんだろう、池で死んだから改名したのだろうか。


「少々お待ちくださいね」


 声をかけて旅券のページをめくる。改名記録は――無い……。


「すいません、指紋の確認をお願いします。こちらに右手の指を押し当ててください」

「こ、これですかね」

「はい。お願いします」


 なんだかおじいさんのしゃべり方が怪しく感じてきた。それでもおじいさんは指紋検査装置に指を押し当てた。

 照合結果は――。


「しばらくお待ちください」


 外部スピーカーを切ってインターホンで駅長さんへと繋いだ。


「度々すいません駅長さん。一二番改札の磐本です」

『構わないよ。先程のお客様ですか?』

「いいえ、次の人ですが、旅券と乗車券の名義が不一致で、改名記録もありません」

『少し待ってね、こっちでデータを確認するよ――。池ヶ谷賢治さんだね。この人、命日が今年だね。鉄道事業法で命日から一年間は越境許可が下りないから、明らかに不法越境だね』

「はあ、不法越境ですか」


 駅長さんと会話していると、こちらの会話内容を察知したのか外にいる池ヶ谷さんが声をかけてきた。


「見逃してくれ。二万払う」

「大変です駅長さん。この人、私を二万で買収しようとしています」


 事実を正しく報告するのが改札業務で最も大切だと、業務手引き書に書いてあったのでその通り報告を行った。


『面白いお客様だね。対応は任せます。送り返す場合は乗車券を没収して送還用の切符を発行してくださいね』

「え、任せるって、買収されても良いって事ですか?」

『ええ、お任せします』


 駅長さんとの通話はそれで切られてしまった。

 任せるとは。二万で買収されてこの人を通しても良いし、送り返しても良いと。


 ――これ、試されてる?


 今だけのことを考えたら二万は嬉しいけど、この仕事は今月いっぱい続ける予定だ。それに私は磐本家の代表としてこの仕事に就いたのだ。となれば悩む余地は無い。


「他人名義の乗車券は使用できません。この乗車券は没収します。送還用の切符を発行するので、彼岸駅へ戻って改札にこれを見せてください」

「頼むよ! 予定では先月孫が生まれてるはずなんだ! 無事に生まれたかどうかも確認できず、一年間待つなんて酷い仕打ちだ! それなら死んだ方が良い!」

「もう死んでますよ。個人の事情より規則が優先されます。これ以上ごねると警備員呼びますよ」


 緊急通報ボタンに手をかけて見せると、池ヶ谷賢治は慌てて、捨て台詞を吐いて改札を飛び出していった。


「この人でなし! デコ頭!」

「人でなしで結構。次の方――あれ、駅長さん?」


 私が担当する改札は進入禁止になっていて、駅長さんと別の駅員さんが入ってきた。


「送還したようだね」

「規則ですから」

「没収した乗車券は?」

「こちらです」


 今し方没収した乗車券を差し出すと、傍らにいた別の駅員さんがそれを手に持った装置にかけて、それから乗車券を私へと返した。駅長さんはその装置を確かめて、メモ用紙に一筆したためると私に手渡す。


「西ヶ谷健治さん。彼岸駅から極楽線の特急に乗って浄土駅で降りて徒歩一〇分。二時間半かからないね。まだ終業まで五時間以上あるし、さとりさん、西ヶ谷さんの家まで行って、乗車券について聞いて貰ってきてもいいかな?」

「はあ、私がですか?」

「はい、そう言いましたよ」


 駅長さんは何故か不思議と柔らかな笑みを浮かべていた。


「ええと、さとり号に乗るのですよね?」

「そうです」

「……死ねって事ですかね?」

「いやそうは言ってないよ。はいこれ、従業員用の乗車券。さとりさんは向こうで彼岸旅券の代わりに社員証を見せてね。では後は頼みます」


 駅長さんがその場を後にすると、残された駅員さんが私が受け取ったばかりの従業員乗車券に押印した。


「次のさとり号は三分後です。少し急いだ方が良いですね」

「はい。行って参ります」


 先輩社員にも駅長さんにも逆らうことは出来ず、私は小走りでさとり号のホームへと走った。

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