第1話 裏静岡駅
自宅から自転車で最寄り駅まで行き、そこから電車で十数分。
辿り着いたのは静岡駅。
県内では珍しく駅ビルがあったり駅前が真っ当に開発されていたりと、雰囲気だけは都会のようですらある。
それでも一本路地を入ると大正時代から続く居酒屋があったりと、古さと新しさが混じった不思議な街だ。
ともかく私の勤務地はこの街の中心にあるこの駅だそうだ。
「すいません。こちらで一ヶ月間働くことになったのですが、駅長さんはいますか?」
改札を降りて直ぐの窓口で、受付業務をしていた駅員に声をかける。
「もしかして磐本さん?」
「はい、磐本です。磐本さとり」
「それなら聞いてるよ。一〇時に迎えが来るそうだ」
「分かりました。少し待たせて頂きますね」
少し早めに来すぎたか。確かに一〇時まであと五分ほどあった。
窓口の端っこで手鏡を手に何とか前髪を修正できぬかと奮闘していると、外から駅員のようだけれど、ここにいる駅員とは違う制服を着た、恰幅の良いおじさまが入ってきた。
「ああ、待たせたかな」
「いえ、今し方到着したところです。どうも、磐本さとりです」
「明雄さんのお孫さんだね。君の話は良く聞いているよ。早速だけど、着いてきて貰っていいかな?」
「はい」
断る理由もなく、そのおじいさんと知り合いらしいおじさまに着いていった。
何故かおじさまは駅から出ると、地下を通って呉服町通りへと抜けて、そこから小さな路地へと入っていく。
「さとりさん、視力は良いの?」
「え、視力ですか? 特に悪くは無いです」
突然の質問に不意をつかれて、事実だけを答えた。
「そうか。ちょっと好きなフレーム選んで貰っていいかな」
辿り着いたのは古びた眼鏡屋であった。こんな場所に店を構えていてよく潰れないなとしか思えない立地に、今にも物理的に潰れてしまいそうな木造の店舗。
店員と思われる人物は奥のロッキングチェアに揺られる老婆だけで、それすらも本当に店員かどうか怪しかった。
陳列されたフレームは数は多いが、デザインはどこか古くさい。
それでもかろうじて今風の香りが微かにするアンダーリムのフレームを選んだ。
「これで」
「これだね。トシコさん起きてください。トシコさん」
おじさまが揺り動かすと、ロッキングチェアに揺られていた老婆は薄ら目を開ける。
「あらぁ~駅長さん。どうしましたかね」
「メガネをね、作って欲しいんですよ。レンズはこれを使って下さい」
おじさまは老婆の耳元でゆっくりと大きな声で言葉を句切りながら話した。老婆はそれでちゃんと理解できたらしく、揺れる椅子の波長に合わせるようにして大きく頷いた。
「ああ~、そうかい。分かりましたよ。ちょっと待っててくださいねぇ。す~ぐ出来ますからねえ」
老婆はそれだけ言い残すと、おじさまからフレームとレンズを受け取って、奥の部屋へとゆっくりゆっくり歩いて行った。
「二〇分もすれば出来ると思うから、待っていて貰っていいですか? 出来たらメガネを受け取って、また駅まで来てください。改札前の喫茶店にいますから」
老婆を見送ったおじさまが私の耳元で大きな声でゆっくり話す。
「分かりましたけど、私はそんな話し方をされなくても、ちゃんと聞こえていますから大丈夫ですよ」
「ああ、そうだった。じゃあ先に戻っているからね」
おじさまはこれは失礼と謝って、一人古びた眼鏡屋から出て駅へと戻っていった。
「もの凄く不安だ。絶対二〇分じゃ終わらないでしょこれ」
そんな私の予想を裏切って、トシコと呼ばれた老婆はぴったり二〇分で戻ってきて、完成したメガネの乗ったお盆をカウンターへと置いた。
私はトシコばあさんに大きな声でゆっくりとお礼を述べると、出来上がったメガネを受け取って、元来た道を引き返した。
駅へ戻り、改札前から一番近い喫茶店の中から、先ほどのおじさまの姿が見え手招きされた。示されるがままおじさまの向かいの席、二人がけの長いすの廊下側へと座る。
そしてメニューを受け取ると、一番安かったエスプレッソを注文した。
「無事に終わったようだね、お疲れさま」
「あの、これメガネ」
持っていたメガネを差し出すと、おじさまはきょとんとした表情を浮かべた。
「持ってきたのかい? かけてもらってもいいかな」
「私、視力は悪くないですよ」
「視力を補う物じゃないからね。仕事中は外さないように」
「はあ」
よく分からない品物ではあるが、仕事中は外すなとのことだ。それにしてもだんだんこのおじさまが本当に駅員なのかどうか怪しくなってきた。
それでもメガネをかけると、どうもレンズはただの素ガラスのようで、特に見える世界は変わったりしなかった。
「これでいいでしょうか?」
「うん。仕事柄どうしてもそのメガネが必要でね。さとりさん、あなたの隣に座っている人が誰だか分かるかい?」
「え? 隣って、隣には誰も――」
言われて顔を動かしてみると、隣の席に誰かいた。
「だ、誰ですか!? えっ、どういうこと!?」
先程まで誰も居なかった席。しかもその席は私の奥側で、ここに入ってこられて私が気がつかないわけはない。
となると、この人は一体どうやって――
「あ、あれ!? おじいさん!?」
「やあさとり。こうして話すのはだいぶ久しぶりだね」
そこに座っていたのは、御前崎のおじいさんであった。
丁度そこに店員がやってきて、席を立って一人驚いていた私を変なものを見るように眺めてから、至極義務的に「ごゆっくりどうぞ」と口にしてエスプレッソを置いていった。
深呼吸して落ち着くと、席に座り直して、隣に座っていた人物をもう一度まじまじと観察する。
「あ、あの。おじいさん、亡くなったはずですよね? 丁度昨日おじいさんのお葬式だったんですよ。遺体も焼きましたし、私、納骨まで参加して」
「たしかに葬式も一生に一度の一大行事だからな。わしも参加しておけば良かったか。通夜には行ったんだがな」
「ええ? 一体どういうことですか?」
「まあまあ落ち着いてください。メガネを外してみてください」
「何故メガネを?」
言いつつも、私はメガネに手をかけて上へと持ち上げる。
そうして隣を見てみると、そこには誰も居なかった。
「あれ――。もしかして――」
ゆっくりとメガネを戻してみると、そこにはまたおじいさんの姿があった。
「――すいません駅長さん、で良いんですかね? これ、どういうことか説明して頂けますか?」
「もちろん。その為に来て頂いた訳だからね。まあ、それを飲み終わってからゆっくりと説明しようか」
私はエスプレッソにスプーン二杯分の砂糖を流し込んでそれを飲み干すと、駅長さんに向かって「お願いします」と頭を下げた。
駅長さんと、そして亡くなったはずのおじいさんの後に続いて歩いて行く。
新幹線の改札と、東海道線の改札の間。切符売り場と自動券売機がある空間に、見覚えのない通路があって、二人はそこへと入っていく。
「こんな通路、ありましたかね?」
「そのメガネをつけていないと見えないし通れない通路ですからね。通路を抜けるまでメガネを外さないように」
外したらどうなるのか。そんな好奇心にさいなまれたりもしたが、言いつけを守っておいた方が無難だろうとそのまま進んだ。
「さあ、ここが明日からのさとりさんの職場、裏静岡駅ですよ」
「うら、しずおかえき?」
目の前に広がるのは巨大な空間に作られた広々としたターミナル。
しかしそれは明らかに静岡駅ではなく、ベルトコンベアを流れていく手荷物や、一人一人チケットを確認するカウンターは空港のようにも見えた。
「そう。裏静岡駅。ここはね、あの世とこの世を繋ぐ、特別な新幹線の駅なんです」
「あの世とこの世――?」
「わしもお迎えが来てしまってな。長いことこっちで働いていたが、明日からはあっちの勤務になってしもうた」
おじいさんはこっちと言って手前側を示して、あっちと行って改札の向こう側を示す。
「ええと、いまいち理解が追いつかないのですが、もしかしてここは、天国とか地獄とかの玄関口みたいなものですかね?」
「大方正解ですね」
駅長さんが頷いて答えると、私はどうしても気になって仕方がなかったことを尋ねた。
「どうして静岡なんてのぞみも停まらない不便な場所に作っちゃったんですかね……?」
「江戸時代の始めに徳川家康が駿河にあの世への道を開かせたというのが定説だね。勿論、日本各地にあの世とこの世を繋ぐ駅はあるよ。新幹線が停まるのは静岡の他には東京と京都だけだけどね」
「はあ。家康がねえ。でも東京にもあると聞くとなんだか納得しました」
これで一番聞いておきたかった問題は解決した。この際だから残りもかたしてしまおう。
「で、おじいさんはこれからあの世へ向かうと?」
尋ねるとおじいさんはかっかっかと笑って自慢げに答える。
「その通り。あっちの駅で副駅長をやらにゃならん」
「はあ、副駅長」
「そうだ。なーに新幹線に乗れば、向こう側までたったの一時間四五分だ。会おうと思えば何時でも会えるさ」
「一時間四五分」
「あっという間だよ。それじゃ、わしも向こうで今日中に受付を済ませないといけない身だからな。旅立ち前にさとりの顔が見られて良かったわい」
「それはどうも」
おじいさんは私と駅長さんに手を振って、従業員用の通用門から改札の向こう側へと通り抜けていった。
「見送り、行きますか?」
「どうしましょう。お葬式で見送りは済ませたつもりだったのですが」
この短時間でいろんなことが起こりすぎていて、駅長さんの問いかけにも真っ当に答えることが出来なかった。
「駅の中を軽く案内するついでに、行きましょうか」
「そうですね」
再度の提案に、今度は自然と頷いていた。
おじいさんが通っていった従業員用の通用門を抜けて、そこから先は何処をどう通ったかはいまいち覚えていないけれど、気がつくと駅のホームにいた。
静岡駅で良く聞くチャイムがスピーカーから響き渡ると続いてホームアナウンスが流れ始めた。
『彼岸新幹線をご利用頂きありがとうございます。間もなく七番線に、一〇時五七分発さとり四八六号、彼岸行きが到着いたします』
「さとり?」
「そう、さとり号。こっちの静岡駅に停まる新幹線は、さとり号だけなんだ。ああ、明雄さんはあそこだね」
駅長さんがおじいさんの姿を見つけて指し示す。おじいさんもこちらに気がついたのか、並んでいた列から離れて手を振った。
「なんだどうせ直ぐ会えるのだから見送りはいいのに」
おじいさんは言葉とは裏腹に表情はとても嬉しそうだった。
「さとりさんがどうしてもと言うので」
駅長さんが事実とは異なることを言っているが、今日の所はそういうことにしておこう。
「未だに良く分かっていないですけど、おじいさんはこの駅でずっと働いていたんですね」
「その通り。さとりの生まれる前から。磐本家の伝統だからな」
「磐本家の人間には代々あの世とこの世に繋がる特殊な力があるとか?」
「いや、たんなる世襲だ。メガネがあれば誰でも勤まる」
「あ、そうなんだ」
何だか一気にやる気が失せていった気もする。
そんなとき、ホームに新幹線がやってきた。車体は700系のものだが塗装は赤を基調とした物に変えてあって、何より新幹線の名前がこれまで見たことのないものであった。
「さとり号、ですか。そういえば私の名前決めたの、おじいさんでしたね」
「ああ。あの世とこの世を繋ぐ由緒正しい新幹線の名前だ。さとりにこの新幹線を見せてやるのが長年の夢だったが、あのぼんくら息子共のおかげでその夢も叶ったよ」
「いまいち私が喜んで良いのかどうか分かりづらいですね」
「ま、何にせよ。短期間でもやると決めたんだ。さとりにこんなこと言う必要はないだろうが、やるからには一生懸命やってみると良い」
「――はい。そうですね。頑張ってみます」
どうしてだろう。おじいさんの言葉に、自然とそう答えていた。
ホームに新幹線の発車を告げるアナウンスが流れると、おじいさんは私に別れを告げて新幹線に乗り込んだ。
発車の合図がなされ扉が閉まる。おじいさんは扉の向こうで手を振っていた。自然と私も手を振って返し、新幹線が見えなくなるまでその姿を見送った。
「なんだか、亡くなった人と話せるというのは不思議な感じですね」
「直ぐに慣れますよ。なにしろ、この駅を使う人間は皆、亡くなっていますからね」
「言われてみれば、そうですね」
ここはあの世とこの世を繋ぐ新幹線の駅。利用者は当然、皆亡くなった人たちだ。
「あれ、駅長さんは……?」
「自分は生きていますよ。こちら側の従業員のほとんどもそうです」
「そうですよね」
駅長さんの姿はメガネをかける前から見えていたのでそれもそうかと一人納得する。
「さとりさんには明日から働いて頂こうと思います。よろしいでしょうか?」
「はい。若輩者ですがどうぞよろしくお願いします」
姿勢を正し、駅長さんに一礼する。
こうして、私はあの世とこの世を繋ぐ裏静岡駅で夏休みの間働くことになった。
未だ業務内容については不明で不安なことばかりだが、やれるだけのことはやってみよう。
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