山田太郎物語―存在許可証―
桃月ユイ
山田太郎物語―存在許可証―
それは呑気な休日の昼下がりのことだった。
「『存在許可証』の提示をして頂きたいのですが」
チャイムの音を聞いた私は、玄関の扉を開いた向こう側にいるスーツ姿の男性の言葉にただ唖然とした。人生の中でも聞いたことのないような単語を放った男性に、私はぎこちなく笑みを作りながら聞き返した。
「えっと、もう一度言っていただけませんか?」
「『存在許可証』です。『存在許可証』の提示を」
営業スマイルを浮べるスーツの男性はそう言った。セールスマンのように見えるけれど、許可証、という言葉からセールスマンと言うよりは役所の人間だろうか。こんな昼下がりにスーツ姿と鞄を持っている男性は高い確率でセールスマンだと思っていたのだけれど。もしもここからセールスをするとしたら一体どんな高額商品が出てくるのだろうか。予想がつかない。
「存在、許可証ですか…」
私が言うと、男性は頷いた。「そうです、『存在許可証』です」と、大げさに首を動かした。
「あの、何で提示しなくちゃいけないんですか?」
「定期的に『存在』を確認する為に『許可証』が必要なのですよ。これがないと、あなたの『存在』は『許可』されていないことになって、『証明』されないのです」
笑みを浮かべたまま、淡々という男性の言葉にマニュアル通りの説明、と言う印象を受けた。
「存在を、許可、証明…。えーっと、よくわかんないんですけど……。その、存在許可証、でしたっけ?」
「よくわからない、と申しますと?」
「だから、ちょっと見たことがないと思うんですよ…。あ、もしかして何かと勘違いとか間違えたりとかして、どこかに直しちゃったのかも…」
はあ、と気の抜けた吐息を漏らしながら男性が頷く。その様子からして、男性は帰るつもりはないのだろう。今までのセールスマンを追い払ってきた私の経験が語っている。そこで、私は時間稼ぎをしようと考えた。
「だから、その……存在許可証ってどんなものか見せていただきませんか? それ見ればもしかしたら、どこに片付けたか思い出せるかも知れないんで」
まずいなあ、これは失敗したかも知れない。そんな私の思いに反して、「はい」と男性は頷いた。まさか頷いてもらえるなんて、ちょっと驚いた。
「わかりました。では、私の『存在許可証』でよろしければ」
そう言って、男性は鞄の中から一枚の薄い紙を取り出す。一番上にでかでかと『存在許可証』と書かれており、その下に少し小さめの文字で様々なことが記されていた。
「こちらが、私の『存在許可証』です。これで、私の『存在』は『許可』されて、『証明』されています」
そうなんですかぁ、などと言いながら私は男性の許可証を見る。彼の名前は『山田太郎』と記されている。なんだか典型的な男性の名前だ。逆にこの名前をつける人って少ないんじゃないかなと思った。許可証には名前、生年月日、血液型、経歴といったものが記されていて、履歴証のようだった。
しかし、携帯電話の機種やチャームポイント、好きな食べ物、好みの異性のタイプなど履歴書には普通書かないものも記されている。どう考えても好みの異性のタイプは絶対就職などには使わない。
「ご覧になったこと、ありませんか?」
存在許可証とやらに見入っていると、男性…山田太郎が私に声をかけた。
「えーっと……」
まずい。これは私の存在許可証を見せるまでは山田太郎はずっと、しかもしつこくここに居ることになるだろう。今まで何度かセールスマンを見ていると、分類が出来ることを知った。同じことを繰り返し言っていくうちに諦めて帰るタイプと諦めずに帰らないタイプ。もちろん、山田太郎は後者だ。
「も、持ってないかもしれません」
「それは大変だ!」
先ほどまで淡々とした声で話していた山田太郎が目を剥いて大声を上げた。そのリアクションはやけに大げさだった。まるで――演技のようで、少し不気味。
「それでは貴方の『存在』が認められていないことになりますよ! 大変だ!」
「……はい?」
さっきから思っていたのだけれど、誰に私の存在が認められていないといけないんだ。誰に私の存在を証明しないといけないんだ。ちょっと苛々してきた。早く帰らないかな、山田太郎。
「困りましたねえ……」
山田太郎はうーんと唸って腕を組む。その動きも演技っぽい。
「あの、その存在証明証…でしたっけ? それってどこかの役所かなにかでもらえるものなんですか?」
「いえ、これは必ず持っているものですよ」
そんなこと言われましても……。これはセールスよりもたちが悪いな、と私は目を細めた。知りもしない証明書を必ず持っているなんて言われて、いい気分はしない。けれど、もしかしたら知らないうちに失くしてしまったかもしれない、という可能性も否定できなくて、私は山田太郎に尋ねた。
「再発行、とかできませんか?」
「再発行……ですか。できないことは、ありませんが…」
山田太郎はスーツの胸ポケットからハンカチを取り出し、額についた汗を拭いた。その表情は困ったような顔をしている。何だ、再発行できるならいいじゃないか。もしかして、その困った顔は仕事が増えたからか? 働け、公務員。
「それでは、貴方の『存在』を『証明』できるようなものを提示していただけませんか?」
「はい、わかりました」
存在を証明……、ねぇ。私は山田太郎に背を向けて部屋に行く中で考えていた。身分証明ができるものでいいのかな、と思い部屋の机の引き出しを開ける。
「見つかりましたか?」
玄関に戻ると山田太郎が微笑みながら私に尋ねた。私は「はい」と言って頷き、部屋から持ってきた保険証を山田太郎に見せた。
「…ええと、それでは貴方はナガサワマサミ様でよろしいですね?」
………はい?
その名前は、私の名前ではない。
「あの、すみません。それ、私の名前じゃないんですけど」
「え? ですが、こちらに明記されている名前はこうなっていますよ」
山田太郎が、私に保険証を見せた。そこには確かに『ナガサワマサミ』と記されている。嘘だ、と思わず口から漏れそうになるのを飲み込む。もしかして間違えて持ってきたのかもしれない。私は慌てて運転免許証を見せた。
「すみません! 間違えちゃったのかも……こっちなら大丈夫だと思います!」
山田太郎は運転免許証を手にとり、じっと見つめた。何度か頷いて、再び私に言う。
「それでは、ナカマユキエ様でよろしいですね?」
「は?」
「ほら」
山田太郎が見せた運転免許証には確かにナカマユキエと書かれている。
「嘘……?」
「嘘ではありませんよ」
「ちょっと待ってください!」
山田太郎に対してよりも私は自分に言い聞かせる為に叫んだ。どういうことだ、私の名前はどこにあるんだ。走って部屋に向かう。
机の中にある、私に関係するものを出す。それは学生証であったり、会員証であったり、履歴書であったり……
ハマサキアユミ、イシハラサトミ、ホリキタマキ、ナカジマミユキ……
「違う! 私の名前じゃない!」
アヤセハルカ、マツシマナナコ、サワシロミユキ、ミヤベミユキ……
「違う! 違う!!」
キムラタクヤ、フクヤママサハル、キタノタケシ、サクライショウ、フクシソウタ……
「違う! どれも違う! 私の名前じゃない!!」
いくら探しても、私の名前は見つからない。私の名前はどこ? 私の名前は何? 私の存在はどこ?
「私の存在は……」
私の存在は…、私の『存在』は『許可』されているの? 私の『存在』は『証明』されているの?
違う。私は、
「私は、誰?」
「見つかりましたか?」
再び、同じ言葉を聞いた。声のしたほうを向くと、そこには山田太郎が立っていた。先ほどまでの笑顔とは打って変わって無表情になっている。
「え……」
「貴方の『存在』みつかりましたか?」
声だけは穏やかなまま、山田太郎は一歩ずつ私に近付く。
「私は……」
部屋中に散乱している私に関係するものを見る。そこには一切、私に関係していることは記されていない。私の『存在』を『証明』してくれるものは、何もない。
「私は……」
「貴方の『存在』は『許可』されていません」
機械のような山田太郎の声が私の耳にはっきりと届いた。その声に、穏やかさもなにもなくなっていた。山田太郎が、土足で散乱しているものを踏む。そこに記されているものは、誰の『存在』を『証明』したものなのだろう?
「『許可』されていない『存在』は私が処理しなければいけないのです」
そう言って、私の腕を山田太郎が掴んだ。少しずつ、力が加わって私の腕に痛みが走る。顔を歪ませて、悲鳴を上げた。このまま力が加わり続けたら、骨が折れるんじゃないか、と言うぐらい痛い。
「その感覚も、『許可』されていません」
山田太郎が言った瞬間、腕の痛みが消えた。――いや、無くなったんだ。
「いや……」
ごきん、という不気味な音がした。私はゆっくりと山田太郎が握っていた腕を見る。ぶらん、と力なく私の腕は垂れ下がっている。
「……うそ」
私の力ない声を聞いても山田太郎は腕を掴んだままだった。直後ぱきぱき、と乾いた音がした。骨の砕ける音だ、と理解した時、私の耳から音という音が消えた。
何で? そう思って、山田太郎の顔を見る。その途端、目の前が真っ暗になった。そうか、聴覚も視覚も『許可』されていないからだ。冷静にものを考えられている今の状態が不思議だ。
そう思っt――――――――――――――
***
はじめまして、私、山田太郎と申します。以後、お見知りおきを。
さて、私のことについて少しだけ説明させて頂きたいと思います。私、これでも重要な職に就いているのです。見た目はそう見えるかもしれませんが、ただのサラリーマンではないのですよ。
私の重要な職、それは『存在』を『許可』されているか確認をするのです。そのために、『存在許可証』の提示を求めているのです。ちなみに私の『存在許可証』は……え、見せなくていい? ああ、そうですか……。
それで、それがなければ、『存在』が『許可』されず『証明』されなくなるのですよ。これはとても大変なことなのです!
……え? そんなものがなくても、自分の『証明』ぐらいできる?
そう仰いますがね、そういかないものですよ。貴方だって一度ぐらい思ったことがあるでしょう?
「別の何かになりたい」
「別の誰かになりたい」
「自分が嫌だ」
こう思うたびに、貴方は自分の『存在』を認めようとしないまま『存在』しようとするのですよ。これはすごく重大な問題であることを、貴方は知らないでしょう?
だからこそ、この『存在許可証』が必要になるのです。貴方がここに『存在』していることを『許可』して『証明』する、大切なものです。
貴方の『存在』を『許可』するのは貴方自身、貴方の『存在』を『証明』するのは貴方自身。そう思われているでしょう?
確かに間違ってはいません。間違ってはいませんが、でもそれはあくまでも自分の中の……自己満足に近いもの。結局、自己満足は他人に認められない場合が多いじゃないですか。つまり、他人にはっきりと自分の『存在』を『証明』する為に、生まれながらに持っているものが『存在許可証』なのですよ。
……はあ。ああ、すみません、ため息なんて吐いてしまって。今日もまた『存在』を『許可』されていない人を見つけましてね……最近は多くて困ったものですよ。
ところで、
貴方の『存在許可証』はどこにありますか?
山田太郎物語―存在許可証― 桃月ユイ @pirch_yui
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