第三章

第三章


数日後、杉三の家。昼食を食べている、杉三と蘭。

杉三「ご馳走様。」

と、合掌して一礼し、車いす用のトレーを乗せて、流しへ皿をもっていく。そして、楽しそうにお皿を洗い始める。

蘭「杉ちゃんは食べるのも早いし、片付けるのも早いなあ。しかも食器はピカピカだし。」

杉三「蘭も食べ終わったら、こっちへもってきてね。」

蘭「わかったよ。」

と、サツマイモを口に入れたその時、スマートフォンが鳴る。

杉三「蘭、電話なってる。」

蘭「ちょっと待って、(と、急いでサツマイモを飲み込んで水で流し込み)知らない番号だなあ。」

杉三「いいから出てみなよ。もしかしたら、番号が変わったのかもしれないよ。」

蘭「そうだね。(スマートフォンを取り)はい、もしもし、伊能です。」

声「あ、伊能さんでいらっしゃいますか?伊能蘭さん。」

蘭「そうですけど。」

声「あの、そちらに影山杉三さんという方はいらっしゃいませんでしょうか?」

杉三「僕になんの用があるんだって?」

蘭「失礼ですけど、お宅様はどちらでしょうか?」

声「はい、私どもは、デイサービスセンターのものです。秋山清が在籍している、、、。」

杉三「秋山先生がどうしたって?」

蘭「実は、秋山清が、、、。」

杉三「もう、もったいぶらないで貸して!」

と、スマートフォンを蘭からひったくり、

杉三「もしもし、杉三です。僕になんの用ですか、さっさと済ませてくださいよ!えっ、秋山先生が?わかりました、すぐに行きますから、ちょっと待ってください。ねえ蘭、すぐに、タクシーを呼んで!」

蘭「どうしたんだよ杉ちゃん。」

杉三「あのね、秋山先生が、自殺を図ったんだって。だからすぐに見舞いに行こう!」

蘭「ど、どういうことだ。自殺を図ったって、いつどこでどのように、」

杉三「今は文法の、勉強の時間じゃないよ。そんなこと行けばわかることでしょ、早く行こう!」

蘭「じゃあ、病院にいるの?」

杉三「いや、デイサービスにいるらしい。でも、このままだったら、病院に送られるかもしれない。だって、鬱っぽいところあったじゃない。あの年で精神科入ったら、二度と帰ってこれない可能性もある!それは何としてでも、阻止しなければだめだ!早く行こう!」

蘭「杉ちゃん、勝手にそんなこと言わないで。まず状況を聞かないと。」

杉三「状況なんて言ってみればわかることだから、それでいいの、早くタクシーを呼んでよ!」

蘭「わかった。スマートフォン貸して。」

杉三「はい。」

蘭がダイヤルしようとすると、

蘭「あれ、まだつながってる。」

杉三「うん、僕、やり方がわからない。」

声「お願いします。杉三さんが来てくれるなら、私たちも助かりますから。」

蘭「聞こえていたのですか!申し訳ありません。」

杉三「わかったよ、すぐ行くよ!」

蘭「わかりました。じゃあ、一度切ります。今から、タクシー手配しますから。」

蘭は一度電話を切って、タクシー会社に電話をする。

超特急でタクシーがやってきた。二人は無言でそれに乗り込んだ。


デイサービスセンター。清が、施設の職員に叱られている。ほかの利用者は、非難の目で彼を見て、自分たちのプログラムにふけっている。

杉三「来たよ!」

職員「どうもありがとうございます。」

杉三「秋山先生は?」

職員「ええ、朝早く、川に飛び込もうとしていたのを私が見つけました。その時に、バイオリンを抱えていました。」

蘭「バイオリンを?」

職員「ええ、そうです。幸い、実際に川に飛び込むところには至らず、ここへ連れてきたのですが、秋山さん、もう、泣きはらして、朝ご飯も、お昼も食べなかったので、、、。私たちではいうことを聞かないと思いましたので、お二人を呼び出したというわけでして。」

杉三「何馬鹿なことやってるの!」

蘭「杉ちゃん、怒鳴るなよ。」

杉三「いや、読み書きのできないのも馬鹿だけど、命を自分で落とそうとするのはもっと馬鹿だから、それはちゃんと言うべきだと思うんだ、だから怒鳴ってもいいじゃないか!」

蘭「先生。申し訳ありません、杉ちゃんいや、杉三が、余分なこと言ったばっかりに、本当に申し訳ありません。」

何度も頭を下げる蘭。

杉三「蘭、謝る必要なんか何にもない。一番大事なものを自分で捨てようとするほど、わがままなことはないよ。」

蘭「杉ちゃん、それはそうだけど、僕が言いたいのはそうじゃなくて、」

杉三「そうじゃなかったらなに!誰でも簡単にごみみたいに一番大事なものを捨てていいってことか!それなら僕は、そんな話は信じないね!それが間違いだったとしたら、理由を教えろ!」

清「もういいですよ。蘭さん。杉三さんの言う通りです。私が、悪かった。自殺なんて、キリスト教では神を裏切る行為だから、絶対にやってはいけないと、生徒たちに教えていたのに、本当に教師失格です、、、。」

蘭「先生、、、。」

清「蘭さん、悪人をかばう必要はありません。私は、教師だったのに、あなたでさえも、育て上げることが、できなかったじゃありませんか。杉三さんが言ったセリフは、本来あなたがぶつけてくれても、当たり前なんですよ。」

蘭「先生、教師が生徒に謝ってどうするんだと僕におっしゃっていましたね。その言葉をお忘れですか?僕は、先生を悪人だとは思っていません。むしろその逆です。尊敬しているんです。尊敬しているからこそ、杉ちゃんに責められている先生が、哀れになるのですよ。」

清「蘭さん、、、。あの病院の時に、右城君、あ、今は磯野君か、磯野君、磯野君の変貌ぶりには驚きました。というより、罪深くてなりませんでした。蘭さんにも同じことなんです。私は、生徒を二人もそだてることができなかったんですよ!」

杉三「じゃあ、会いに行こう!」

蘭「誰に?」

杉三「水穂さんにだよ。今頃、製鉄所で姉こもさ聞きながら、寝ていると思うよ。しばらく安静にしていろと言われたそうですから。何もしていないから、謝罪できるよ。早く青柳教授に電話して。」

蘭「あのね、杉ちゃん、僕は雑用がかかりじゃないんだけどな、、、。」

杉三「だって僕は、電話なんてできないもん。」

清「蘭さん、連れて行ってください。彼は、早く逝ってしまいそうな気がする。それでは、永遠に謝罪できない。」

蘭「いいですか、職員さん。」

職員「ええ、連れて行ってあげてください。秋山さんのために、そうしてあげてください。」

蘭「わかりました。」

と、スマートフォンを取って、電話をかける。


製鉄所。布団に寝ている水穂。

懍「水穂さん。」

水穂「はい。」

と、急いで起き上がる。

懍「今、杉三さんから電話がありました。秋山さんが、こちらに来るそうです。まだ、本調子でないようなら、僕が、代わりに受けましょうか?」

水穂「いえ、もう大丈夫です。先日は申し訳のないことをしました。僕も、先生にお会いしたいし、すぐに着替えていきますから。」

懍「わかりました。よろしくお願いします。」

と、また美しい声で、赤とんぼが聞こえてくる。

水穂「ああ、また歌っているのですかね。」

懍「もし、気に障る様ならやめさせましょうか?」

水穂「いえ。大丈夫です。彼女は歌の才能があるなと思います。自然にベルカント唱法が身についているのでしょうか。」

懍「そうですね。それは僕も認めますよ。しかし、あなたは、ご自身を痛い目に合わせた女性に対しても、そうやって受け入れるとは、包容力の塊のようです。僕も正直、信じられません。」

水穂「ええ、病気にならなかったら、身につかなかった技術です。」

懍「それを、若い人が、身に着けてくれれば、苦労はしませんね。」

と、正門を開く音。

声「来ましたよ!青柳教授。秋山清さんです!」

水穂「杉ちゃんだ、思ったより早かったですね。すぐに着替えてきます。」

懍「いえ、そのままで結構ですよ。」

水穂「わかりました。」

二人、応接室に移動する。


応接室。

ドアが開いて、懍と、水穂が入ってくる。

懍「こんにちは。」

水穂「秋山先生、その節はご迷惑をおかけしました。」

清「右城君、いや、磯野君、本当に済まなかった。君が、そんな体になっていたとは、思いもしなかった。」

と、手をついて頭を下げる。

水穂「顔を上げて下さい、先生。先生に謝られては僕も困ります。先生は、僕のこと、一生懸命期待してくれたじゃないですか。それのおかげで、僕は、音大まで無事に進めたんですから、もういいのですよ。」

清「しかし、君がまさかあのような体になるとは、思ってもいなかった。君がとても優秀だったから、ああして、補習にも出させて、部活もさせないで、友人との付き合いでさえも、禁じてしまった。それにピアノの練習があったのなら、休む時間なんて何もなかったよな。」

水穂「ええ、それはおっしゃる通りです。でも、音大志願者であれば、誰でもそうなることです。」

清「君は、東京の先生に習いに行ったりしたそうだね。覚えていないかい、上履きを新しくしないで、学年色に塗り替えてきたとき、私が激怒したこと。」

水穂「覚えていますよ。あの時は、高い月謝を払いきれなくて、上履きの新しいのを買いに行けなかったのです。」

清「それに、進路講演会をやったときも、講師が、音大に行くなら死んでしまえと言ったときに、君は絶対に負けないと言って、泣き続けたね。あの時、言い過ぎだと思ったよ。本当なら、声をかけてやりたかった。でも、それは、学年主任の意向だから、許されなかったんだ。学年主任の意向というと聞こえはいいが、本当は学年主任の下僕にしかなれなかったんだから、自分の責任だ。君は、絶対に負けないと誓いを立てて、ますますピアノに励んでいた。本当は、よくやっていると励ましてやりたかったが、それも許されなかった。ごめん。」

水穂「ええ、あの言葉は、忘れたことはありません。その言葉に勝とうと思って、練習にも打ち込んだのも事実です。でも、それが度を越して、自分の体を壊してしまったのは、先生のせいではなく、自分の責任ですから、僕は、先生を恨んではいません。大丈夫です。」

清「そんなことはない。君が一生懸命やっているのを、励ましてやれなかったんだから。教師は生徒を不幸にする職業ではないからね。それなのに、何もできなかったんだから、やっぱり、失格だ。許してくれ。この通り!」

もう一度清は、手をついて謝罪する。

水穂「いえ、先生のせいではありません。僕も、度を越していろんなことをやりすぎたのです。僕は、蘭さんを含めて、他の人と優れていると思おうとしすぎて、このような人生しか送れなかったのですよ。それは、先生のせいではなく、それを選択した僕が悪い。右城水穂としての時代はもう終わりました。僕は磯野家に婿養子になったけど、妻にも、彼女の実家にもよい顔をされなかった。そこでもピアノに打ち込みすぎて、妻に愛情をかけることもできませんでした。そして、病気になるという、妻から一番大きなプレゼントをもらったのです。それはきっと、他人を大事にしなかった僕への罰なんでしょう。だから、もう、しっかりと受け取ることにします。先生は、きっとそれを伝えたかったのだと思います。なので、もう、何も気にしておりません。あとは、穏やかに最期の時を待つのみなのです。」

清「すまん!もうしわけなかった!」

杉三「いいんだよ。水穂さんも、先生も、もう過去は戻ってこないし、傷のなめあいをしてどうするの。それでは、いつまでたっても、前へ進まないじゃない。もう、謝ったんだから、それでおしまいにしてさ、そして、新しい課題に向かってまた突進していけばいいんだ。」

懍「お二方、まさしく、杉三さんの言う通りですよ。」

不意に、赤とんぼの歌が聞こえてくる。

水穂「また歌ってますね。」

杉三「いいソプラノだね。誰が歌っているの?」

水穂「ああ、先日入寮してきた方です。」

杉三「へえ、なんていう人?」

懍「ええ、小川聡美といいます。」

杉三「将来ソプラノ歌手になれそうだね。不良って感じの声じゃないじゃない。」

水穂「そういえばそうですね。僕を殴ったときは、確かに怒りの気持ちだったと思いますが、あの、赤とんぼの歌を聞く限り、あの時の声とは別のようです。」

懍「確かに。もしかしたら、彼女の歌の中に、まだ善良な部分が残っているかもしれませんね。彼女は、確かに母親に捨てられてここに来た時は、怪獣のようでした。しかし、それ以来、部屋に引きこもってはいますが、暴れたことは一度もありませんからね。」

杉三「でも、水穂さんに殴りかかって、体を壊しても冷たかったんだ。」

水穂「そう。きっと殴ったときは英雄気分だったんだろうね。」

杉三「英雄気分じゃなくて、本当は違うんだけどな。やっぱり今の不良は、違うや。」

清「そういう子を、預かっているのですか、教授。」

懍「そうですよ。預からないでどうします。親にだまされてここにきて、もう、この世に居場所がないと思い込んでいる若者たちです。放置しておけば通り魔や、大量殺人を起こす可能性もある。そういう子を何とかするこそ、教育者じゃないでしょうか。まあ、確かに僕も水穂も、これまでに何回も殴られましたけどね。これがその証拠品。」

そういって、懍は左腕の袖をめくった。傷やあざの上にクジャクの入れ墨があった。

清「恐ろしいとは感じなかったのでしょうか?」

懍「何を言います?それを言っていたら、僕たちはおしまいです。僕たちがおしまいになったら、彼らはより生き難さを感じて、より犯罪が増えていくことになるでしょうね。そして、その作り手は誰なのか、反省してもらいたいものですよ。」

顔は笑っていたが、その内容は厳しかった。清は、もう一度首を前に垂らした。

懍「反省するだけではだめです。行動に移さなければ。僕も、長年製鉄ばかりしてきましたから、妻が子と一緒に心中を図ったときは、この世の終わりかと思ったくらいでした。しかし、生きている以上、生きなければなりません。そのために何ができるのか、僕らは、自問自答して生き抜いていかなければならないのです。確かに、二人が亡くなったときは、もう、鉄なんか作っても仕方ないと思いましたが、僕に残されたものは鉄しかないことに気づき、この製鉄所を創始しました。喪失した時の衝撃は、確かにとても大きなものですけれども、

それのせいで周りがどうなるのかといえば、何も変化はありませんから。」

清「そうですか、、、。私にはとても、、、。」

杉三「とてもじゃないですよ。そんなこと言っているからダメなんだ。この際だから、経歴も肩書も何もかも捨てちゃいな。そのほうが身軽になって、何でもできるようになるから。」

清「しかし、」

杉三「しかしじゃない!」

懍「よかったら提案があります。ここで、しばらく暮らしてみたらいかがでしょう?」

清「しかし、ここは若い人の住むところで、私はもう80を超えてしまいましたし。」

杉三「いや、史上最年長の入寮者だ。それは面白いぞ!」

清「でも、デイサービスはどうなのでしょうか。」

杉三「そんな所より、こっちにいるほうが、はるかに刺激的だし、楽しいことは確かだからな。」

清「楽しいのでしょうか。」

杉三「当り前だ。本当は、若い人と年寄りがごちゃまぜでなきゃいけないの。そうやって、施設にぶち込んでおけばいいという考えが、間違いなんだよ本当は!」

懍「杉三さんのいう通りです。僕自身も、80歳を超えていますが、若い人たちと、一緒に付き合っていくと、新しい発見がまだまだあるものです。これは決して嘘ではありません。そして、もう一つわかる事が、若い人たちが、時代が変わるにつれて、より美しい感性を持っているのに、社会が殺そうとしていることですよ。」

蘭「僕も、刺青師としてやってきましたが、きっと、教育者の立場からすれば、刺青というものは、やくざや暴力団の世界としかないと思うけど、依頼をするのは、社会に出て傷ついた人達です。時には、彼らの話を聞きながら、どこかで立ち直ってほしいなと祈りを出さずにはいられない気持ちになることもあるのです。」

清「そうですか、、、。」

水穂「やってみませんか。僕みたいなひとより、先生は経験というものが豊富にあるんですから。」

清「わかりました、、、。でも、怖い目にあったときはどうしたら、、、。」

水穂「怖い人なんていません。みんな美しい心を持っているけれど、使い道がなくて、怒りを持っているだけです。彼女の赤とんぼを聞けばすぐにわかることでしょう。」

懍「お静かに、聞いてみましょうか。」

全員、頷いてしばらく黙る。

声「夕焼け小焼けの赤とんぼ

  負われてみたのは、いつの日か、、、。」

蘭「きれいな声してますね。」

声「山の畑の桑の実を

  こかごに積んだは幻か、、、。」

水穂「お上手に歌ってますね。なかなかこの歌を、このように情景が浮かぶような歌い方を、できる人はそうはいないでしょう。」

声「十五でねえやは嫁に行き

  お里の便りも絶え果てた、、、。」

懍「彼女は歌う技術だけではありませんね。歌詞を読む能力も高いでしょう。」

声「夕焼け小焼けの赤とんぼ

  止まっているよ竿の先

  止まっているよ、竿の先。」

杉三「だからね、彼女もまた被害者なんだよ。あれだけ見事なソプラノなのにさ、その本領発揮する場がなかったばかりか、全否定ばかりされる人生しか送ってこなかったんじゃないのかな。そして、それに、負けまいとする気持ちも、わいてこないほど、怒りを感じているのじゃないかな。それを救うのは、機械ではできないさ。」

清「わかりました。ここで少し、暮らしてみることにします。」

声「夕焼けこやけの赤とんぼ

  止まっているよ、竿の先、、、。」








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