私の遺書

@Warasuga

第1話

拝啓 親愛なる親友たちへ


元気でしょうか。


…一言目にしてはいかにも、という感じが過ぎましたね。

気を取り直して、まずは私が今回この小説を書き綴ろうと思った動機について説明いたします。

私には心から大切だと思える人物が三人います。その3人のためならば自分の命を犠牲にしても構わない。逆にその三人がいないならば死んでも構わないと言えるほど大切な人が。

正直、私は大親友だと思ってはいますが向こうからしたらもしかしたらただの友達程度ということもあるのかもしれません。

だからひょっとすると私の行為や気持ちは感情を一方的に押し付けているだけなのかもしれません。

私にとってその存在はとても大きく、小中高と、常にその親友たちの存在に救われてきました。

まずはその3人とのこれまでを話していきたいと思います。

最初は小学校の時でした。

初めて出来た親友を仮にKくんとします。

成り行きで友達になったKくんと話したり遊んだりするうちに気の弱い友達を守ってやらなくちゃならないという義務感が生まれていました。

もしかしたら当時小学生の私は〝守ってあげている〟という事実で優越感に浸っていたかっただけなのかもしれません。

悪い言い方ですが〝自己満足〟のために当時の私はKくんを利用していたのでしょう。

我ながら根本的に腐っている最悪の性根だと思います。

その頃の私は俗に言う〝いじめ〟にあっており、家でも母親の再婚相手とウマが合わず私が唯一すがることのできた居場所がKくんだったのです。

いじめられてると言っても元々気の強かった私は他の子からみたら「あいつは生意気だ」と思われていたのでしょう、正直私にも非があると思います。

これは持論ですがいじめの6割程度はいじめられる側にもなにかしらの非があるのです。

その中でも私が受けていたいじめは仲間外れにされたり、投稿下校中に石をなげつけられたり、ひたすら罵倒されたり、その程度のものでした。

私は怒りのままに暴れ回りますが運動神経の悪い私は逃げられて終わるか、1人に抑え込まれ残りの2人に殴られ蹴られるオチばかりでした。

いじめっ子の他にも喧嘩をする相手はいました。

まぁ私もいわゆる〝問題児〟だったのです。

今から思えばいじめられても当然だと思います。

けれどもKくんはそんな私にも手を差し伸べる程のお人好しだったのです。

Kくんの優しさもあり私の自己満足もいつの日にかそのKくんに対する友情へと変わっていきました。

中学に上がる頃にはKくんもきちんと物事を言えるようになり、その優しい性格からたくさんの友達もできました。

Kくんとの関係は高校に上がった今でも続いています。


次は二人目の出会いです。

前例同様呼び名のイニシャルで例えSくんとしましょう。

Sくんとは中学1年生のときに同じクラスでした。中学1年間はあまりそこまで親しくはなかったと思います。

SくんはKくんとは似ても似つかず、無口でこそあっても心を開いた人にはふざけたり、大好きな部活動に真摯に取り組むとても真面目な人でした。

中学2年生からSくんと本格的に仲良くなり始め、よくKくんを交え遊ぶようになりました。

中学1年生の時も遊んだり、仲良くはしていたのですが、あの頃はまだお互いに少し壁があり〝表だけの友達〟という感じでした。

SくんとKくんとは中学校3年間連続で同じクラスでした。特にSくんとは修学旅行などでも班は一緒、部屋も一緒、飛行機やバスの席も隣という偶然とは思えないほど長い時間を過ごしたと思います。

ですがKくんとは違い、私はSくんと喧嘩ばかりしていました。というのとSくんは親しくなってくるとスキンシップというかちょっかいというか、親しくなった男子の股間に打撃を加えてくるのです。さすがに毎日毎日やられているとこちらも定期的に怒ってしまいました。

ですがそれでもSくんとは一日置いたら普段通りという風でした。

お互いに単純な性格だった為、寝たらどうでもよくなるという感じだったのでしょう。

ですが変なところで細かく、私の小さな行動でも見逃さずに注意してきました。

私はそれが鬱陶しくてイライラしていましたがそのおかげで少しづつ、少しづつですが私は正しいことをできるようになって言ったのだと思います。

正しいことは正しいと、

間違っていることは間違っていると、

そうはっきり言える人間は中々いないと思います。

私は何度もSさんに道を正してもらいました。


そして3人目。

彼はIさんとしましょう。

Iさんは高校一年生で出会いました。

これまたきっかけは同じクラスになったことからでした。

高校での新生活で私はクラスに話す人が1人もいないために、ひたすら机に向かって趣味の絵を書くという作業をしていました。

そこで私はまず友達を作るきっかけを探しました。そして出た結論は「初対面の人と話すと緊張するからまずはLINEで仲良くなろう!」でした。

そこで活用したのはクラスグループです。

LINEの機能の一つである複数人でトークをできるというこのシステムを使い、まずはクラスの人に認識してもらおうと考えました。

すると話しているうちに「あー!あのいつも絵書いてる人でしょ!」「いっつも授業中寝てるよねw」と思った以上に悪目立ちしてしまっていたようでした。

ですがそこからは早く、クラスに打ち解けることが出来ました。

そもそも私の通っていた高校は、クラスの男女比が3対1だったので、クラスにたった10人しかいない男子は行きどころを失くし、自然と固まっていきました。

ですがその中でもやはりいくつかのグループが存在しました。

私はその中で、なんとなく楽しそうだなと思ったグループに目を付け、足を踏み入れました。

そこがIさんとの出会いでした。

そしてもう一人のちのち重要になってくる人物がいるのですが、苗字も名前もイニシャルがかぶってしまうので仮にその人はSKさんとしましょう。

それからはSKさんとIさんと私の3人で遊ぶことが多くなり、それが日常となっていきました。

その時はそれが日常として、つまりは当たり前になっていたので幸せというものを無意識のうちに実感していました。

ですが学年が上がりIさんとSKさんは同じクラスなのに私だけクラスが離れるという事態が起きてしまいます。

まぁ、ショックはそこそこなものでしたが遊ぶ回数が少し減るくらいだ、と開き直りました。

ですがやはりもの寂しさがありましたね。

朝学校に来て同じ教室で「おはよう」の一言を言えないことが私にとっては大きな変化でした。

新しいクラスで新しい友達を作り、その友達と遊ぶ分私たちが遊ぶ回数は減ってしまうのだろう。寂しいな。などと少し気持ち悪いくらい乙女チックな考え方もしていました。

よくIさんからは「女々しいぞ」とも言われていて自分でもさすがにキモいと思います。

ですが学年が上がり環境に慣れ始めた5月中旬のことでした。

高校生の華の大行事、文化祭が間近に迫る中私は友達とIさんの誕生日プレゼントを買いに行くことになります。

そこで友達はSKさんも呼ぼうということで、私たち3人で行くことになりました。

ですが、当日は生憎の雨でした。

部活終わりだったので一人電車通学な私は終電で帰ることを決め雨の中自転車で約一時間かけて集合場所にいきました。

すると友達から「SKさんは来ないって」と言われ、今更なにを言ってるんだ?と、思い私はSKさんに電話をかけました。

「今日こないのか?」

「うん、雨降ってるから行かない」

「でも俺はもうついたんだけど?」

「知らないよ」

そこで電話は切られました。

私はその態度に腹を立てます。

もう一人の友だちは来たため、そのままIさんの誕生日プレゼントを買います。

ですがその日以降私はどこか意地になり、SKさんが謝ってくるまで不機嫌にしてようなどと、心のどこかで考えていました。

昼ごはんはいつも同じ場所で食べていたためSKさんと私の間に会話が続かない日が続きます。

すると先程の友達からLINEで「SKはお前と縁切るって言ってるぞ」と言われました。

私はフッと心が抜けていくような感覚になりました。

本気か冗談かはわからないがお前が悪いのにそんなことを言ってしまうのか、と。

そして私はさらにムキになり、「そうか、なら所詮その程度の関係だったんだろ」とこの指でスマートフォンに打ち込んでしまいました。

私はこの時の事を今もずっとずっと後悔しています。

そしてその事がその友達に伝わったのでしょう、私とSKさんは言葉を交わさないまま本当に縁を切る事になりました。

私は本当にこんな関係だったのか、と悲しい気持ちに包まれていました。

その時まで私は来なかったSKさんが十中八九悪いと思っていましたが、

のちのちにSKさんはそもそも私がいることも来ることも聞いてなかったと知りました。

だとすればSKさんからすれば私は〝勝手に来て勝手にキレているやつ〟だったということになります。

それを聞いてから私は後悔しました。

お互いの勘違いで大切な関係が崩れるなんて馬鹿らしいと思い、一度話し合うべきだと判断しました。

そこでSKさんに連絡を取り、

自分の想いを余すこと無く伝えました。

実際に私が送った文章がこちらです。


「SKが俺と縁切るって聞いてから正直俺はなんか抜けた」

「今まで作ってきた思い出だとかバカ騒ぎしたことだとかが」

「ぜんぶ一瞬で消えたみたいな感覚になって」

「すごい背中がかゆくなって」

「でもそんなこと簡単に言っちまうようなやつなだったんなら仕方ないから」

「そんなこと言えちまう関係性しか作れなかったんだし」

「それも仕方ないから」

「それならもう仕方ないから」

「縁切るってんならそれも仕方ないから」

「俺もそーしよって思った」

「でもなんとなく」

「本当に急に全部だるくなって」

「なんも考えたくないのにどんどん考えちゃうから」

「嫌になって寝た」

「んで今日起きて」

「朝からクソ考えた」

「いろんな事考えた」

「少なくとも俺は」

「告白したこととかも信用してるから話したし」

「1年生めちゃくちゃ楽しかったし」

「振られてからずっとそれ引きずってても」

「お前とかIさんと遊んでる時はなんとなくそれも忘れられて」

「心の底から感謝してた」

「けど縁切るって言われてるって知って」

「そーゆーのも」

「一方的に俺がそー思ってただけで」

「全部勝手に俺が信用して楽しんでたって」

「そー感じたから」

「俺はもう縁切るってのにも納得したけど」

「実際今日ずっと考えて」

「授業中も」

「ずっと考えて」

「考えたくないから色んなことして気紛らわすよーにしたし」

「飯ん時も一人でずっとウェイトして」

「授業中はミサンガつくったりして」

「そもそもミサンガだってお前とIさんに渡すつもりだったのに」

「頼んでたIさんの誕生日プレゼント届いて」

「それみて」

「去年は俺はSKさんにもIさんにもお菓子しかやってないのに」

「それなのにお前らは俺に1000円以上も使ってくだらないもの買ってきて笑わせてくれたから」

「今年こそはお返ししようって思ってたのに」

「これからの祭りもIさんの誕生日も」

「また思い出が増えるのが楽しみだったのに」

「直前でこんなクソみたいにくだらないことで意地張って関係が崩れてきて」

「それなのに」

「お互いに会話すりゃもしかしたらこんなんにならなくて済んだかもしれないのに」

「根本の俺らが話もしないで勝手に話進んで」

「話してもないのに縁切ることなって」

「それなのに昨日はそれすらおかしいとか全然思ってなくて」

「三国同盟(私とSKさんとIさん3人のLINEグループ)だって好きだったのにこんなクソみたいな形で終わるとか」

「だから俺はいったんSKさんとも離すべきだと思った」

「お互いの言いたいこととか全部言って」

「それでもお互いにお前は嫌いだわって思っちまうんならもうそれは無理やろ」

「本当にそれならもう本当に縁切ろ」


以上が私がSKさんに送った文章です。

返ってきた返信は


「うん」

「これからの楽しみを奪ってしまったことはごめん」

「けどもう決めたことなんで」


でした。

私はもう完全に壊れたんだなと悟りました。

本当に、辛かったです。

あれ以来心に穴が空いた感覚はなくなりません。

そしてその後Iさんとも話しました。

最後の最後にくだらない話をしました。

会話をしながらお互いにこれで俺たちの関係も終わるんだとわかっていたんだと思います。

Iさんは普通とは違う人でした。

なんというのか、言葉に出来る人でした。

私が普通というラインから斜め下に位置しているとしたら、彼は普通という枠自体から外れた存在でした。

人間は言葉にしない、できない生き物です。

仮にほかの人の本性が見えかけても、あえて見えないふりをして、見ないで、自分にもその汚い部分が当てはまるのが怖いから。

自分を守るために人を見ないように出来ています。

けど自分の汚いところなんて多分人は心のどこかで気付いているんです。

ほとんどの人が手を付けられない心の箇所をピンポイントで掘り当ててくるのがIさんでした。

彼自身からしたら思ったことを言ってるだけなんだそうですが、私からしたらそれはとても怖いことでした。

掘り当てられた穴の中からは予想していた自分の嫌な本性と一緒に、本音というか、自分が本能で考えていた〝自分の知らない自分〟も出てくるのです。

そこに無理矢理向き合わされるから、私はIさんが怖かったのだと思います。

みんな普通でいたいのです。

人と違いたくない。ノーマルでいたい。

人は自分と違うものが怖くて除外したくなるから、みんな除外されたくないから。

いじめなどが典型的な例でしょうか。

自分たちと違うから攻撃する。

自分の言う通りに、自分の思い通りにならないから〝敵〟として認識する。

その意識が進化したのが戦争なのだと思います。

いじめた人がいじめられるのは当然だと思います。自分の汚い本性を隠さず撒き散らしてる行為の終わりには報いがあります。

誰か一人がそのいじめっこの本性を形や言葉にしてしまえばその一人に便乗してみんなが感じていた引け目を表に出し始めるのです。

それは当然だと思うのですが、いじめっこのタイプによってはそれは気に食わないやつを攻撃していたためでなく自分が攻撃されないための攻撃ということもあります。

その場合私は仕方ないとは思いませんが同情はします。

そのやり方でしか自分を守ることができないということなのです。

そしておそらくこのやり方は昔いじめられてた子がやるのでしょう。

一度いじめられ、その恐怖を知ってしまったいじめられっこ達は恐怖から逃れようとします。

そしていじめる側に立てばいじめられることはなくなると勘違いしてしまうのです。

そんな考え方がある限り負の連鎖は途絶えることなんてありません。

いじめられっ子がいじめっ子に、それが繰り返されていくことになんの意義も意味もないのです。お互いになにも得がない。けど当の本人たちは気付かない。

教えて貰ってもそれを認めたくはない。


人間とはとても愚かな生き物です。


少し長くなってしまいましたがIさんとはそんなくだらない話をして、最期に

「今までありがとな。本当になにからなにまでごめんな、お前には高校で一番世話になった」

「俺もお前が一番でかいと思ってる」

なんて会話をして、私は高校で出会えた恐らく生涯出会えないであろう最高の友を失いました。


それ以降は苦痛でした。

ただひたすら毎日を過ごすばかり、

なにもかもがつまらなく感じ、

学校で二人とすれ違うたびに孤独を実感し、

幸せを感じようとすれば自然とあの二人との幸せと比較してしまい、

楽しみだった文化祭もつまらなく、

修学旅行も行きたくなく、

私生活もどこか通れば「ここで遊んだな」などと作った思い出の重さに心が潰されそうになりました。

未だに想いは断ち切れません。

1年をかけてとてつもない速度で繋ぎ合わせた思い出という名の鎖はあまりにも硬く、頑丈でした。


私の心のピースには様々な形の友達がいて、その中でも最も大きく、いびつな形をしていたピースが抜け落ちてしまいました。

あまりにもそのピースは複雑な形で、ほかのピースには代わりは務まらないのです。

無理矢理ほかのピースをハメこもうとすると他のピースが欠けてしまうでしょう。


長ったらしく語り明かしました。

本当はまだまだ言い足りないほどです。

それほどまでに私は彼らが大好きでした。

なのにそれを自ら手放してしまったという私は世界1のバカなのです。


私は私が嫌いです。大嫌いです。


あの時こうしていれば、などという後悔は所詮後悔です。後を悔いたところでなにがどうなるわけでもありません。


大切な日常を幸せだった過去の非日常にしたのは自業自得でしかありません。


私は支えられて生きてきました。

変なところで意地っ張りなので頼ることはありませんでしたが大切な人がいるというその事実、その人たちの存在が私にとってはもう救いなのです。

私の生きる意味の大半だった存在はもう私とは関係のない赤の他人となりました。

今日あったいいことを自慢する人も、

今日あった辛かった愚痴を聞いてくれる人も、

くだらない話でゲラゲラと汚くバカみたいに笑い合える人も私にはもういません。

「助けて」というにはあまりにも都合が良すぎるのです。

それにこの問題はもう解決に向かうことはないと、私はわかっています。

誰が私にどんな方法で手を差し伸べてきてくれたとしても私の欲しているはずの手はもう二度と私の眼前に広がることはない。


でも、すがりつづけます。

好きなことに打ち込めばなどと安易な考えで好きなことにのめり込みました。

ひたすら絵を書き続け、ひたすらロードバイクを漕ぎ、ひたすら剣道部として竹刀を振り続けました。

ですがその逃げ道すらも私は自ら崩してしまいました。

夜にロードバイクに乗り深夜徘徊で学校に通報され、私はもうロードバイクに乗ることを禁止され、部活動も大会の団体メンバーなら外されてしまいました。

絵を書くことは続けていますが最近は気持ちが落ち着かずイライラしてばかりで納得のいく絵も書けません。

なにかをしていないと、なにかの事だけ考えていないと常に私はIさんとSKさんの事を後悔してしまいます。

常に苦しい思いを背負い続けています。

もう嫌なのです。考えたくない。

こんなつまらない生活をただただ送るだけの人生も、この先も私はくだらない生き様を晒し続けると考えることが、


私は今の精神状態で生きていける自信がありません。

それでも今を必死に生きています。

IさんやSKさんを失っても、SさんやKさんの存在に支えられてギリギリ生きていられます。

けどそれは決してIさんとSKさんの代わりにその二人を使っている訳ではありません。

何度も何度も言うようですが、IさんとSKさんはこの世にたった一人で、代わりなんてものは決して、絶対に存在しないのです。

空いた穴はもう同じ形で埋まることはなく、

失った時間と後悔している言葉はもう取り消すことはできません。


けど、それでももし、私が私のせいで背負った業に耐えきれず自殺した時のために。

つまりは遺書の代わりに、


私の想いをここに書き綴ります。


この文は全て私が精魂を込めて書きました。

どんな形でもいいです。

私の最悪の経験と心情で一人でも心が動かされたというなら、

私は少しだけ報われます。

私の別れは無駄ではなかったということにできます。


どんなものでもほんの些細なきっかけで壊れてしまう事があります。

だから、今ある日常と幸せを時々でいいので、改めて実感してください。

それができないならば貴女の元に今ある日常は非日常へと変わり、今までが嘘だったかのような辛い毎日が新たなる日常へと変わることになります。

私は私のようなこんな生きてる意味すらわからなくなるような思いを誰にもしてほしくありません。




そばにいる人の大切さを忘れないでください。

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