後編
俺は電車に揺られながら、あの日のことを思い出す。特に話したわけではない。ただ好奇心かもしれないが気になったのだ。あの存在感と、儚げな表情に惹かれたのだ。
少し郊外にある一軒家がみえる。俺は呼び鈴を鳴らすと暫くして、揚羽にそっくりな声がした。
「あ、あの……生前、揚羽さんと面識があり、お亡くなりになったとお聞きして……お悔やみ申し上げます」
相手は無言だったが、暫くして扉が開き、揚羽と瓜二つな少女が現れた。俺は驚愕しながらも溜め息混じりに涙した。
「揚羽の姉の、
生気のない青白い顔がまたより一層、揚羽を思い出し、胸が苦しくなった。
両親はちょうど留守なのか姿がみえない。俺は揚羽が安置されている部屋に通された。姉に許しを貰い、頬に触れてみた。まだ柔らかく、目を開けて起き上がってきてもおかしくない。これがもう死人だというのが、目の前にしても信じられずにいた。
姉の初は俺の隣に座ると、ひとつひとつ確かめながら言葉を紡ぎ始める。
「揚羽は昔から、体が弱く、先天性の病気で日中は、外に出ることが出来ませんでした。だから私と夜に散歩するのが、揚羽にとっての唯一の楽しみで……それも病院に入院するようになってからは、それすらも難しくなって……」
俺は何も言えず、ただ黙って聞いていた。初のしめやかな声と、涙は尽きることはなかった。
俺はまた、例の——揚羽と出会った公園に来ている。街灯に群がる蛾を、あの時の揚羽のように眺めている。すると一匹の青白い光沢を放つ蝶が街灯の周りを旋回するように回っている。
ふと俺は誰かに呼ばれて、振り向いた。が、誰もいない。視線を街灯に戻すと青白い蝶はもういなかった。
「……おじさん」
今度は確かに聞こえた。揚羽の声だ。俺は声を荒げてその呼びかけに応えようとした。だが揚羽の姿はどこにもない。
「……おじさん、あのね。私、パパと先生以外の男の人にあの痣を見られたの初めてだったんです。パパも先生もあの痣は、蝶に見えるって。おじさんもそう言いましたよね……」
「ああ、そう言った」
一瞬、冷気を感じ、振り向くと揚羽がいた。一糸まとわぬ姿で、俺を真剣な眼差しで射抜いている。
「もう一度聞きます。おじさんにとってこれは何に見えますか?」
揚羽は髪を掻き揚げて、俺に背中をみせる。だがそこにあの痣はなかった。変わりに、翅がみえた。仰々しい目玉のような模様の翅。
「蛾にもみえる。でも蝶にもみえる。明確な区別はないんだよ。だから、揚羽は蛾でも蝶でもない。揚羽だよ」
揚羽は俺の言葉を真摯に受け止め、振り向き軽く頷いた。
「そうですね。揚羽は揚羽です。私は生きている間、何かに囚われこだわっていました。でも、それももう終わり……最後に出逢えてよかったです。おじさん、ありがとう」
揚羽はそっと歩み寄り、俺の頬に口付けした。揚羽はニッと笑顔を見せ、その姿は青白い姿となり空高く、飛んでいく。
あれは蝶なのか。蛾なのか。やはり区別出来ない。
俺はそれをいつまでも見詰めていた。
〈了〉
月夜の蝶蛾 発条璃々 @naKo_Kanagi885
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