月夜の蝶蛾
発条璃々
前編
ある公園で俺は、街灯に照らされた少女を見た。
儚くおぼろげで、今にも消え失せそうな雰囲気をもった少女が、街灯に群がる蛾を凝視している。
「集まっているのは、蛾でしょうか。蝶でしょうか」
独り言のようにも聞こえるが、少女は一瞬俺を一瞥したので、俺に問いかけているようだ。
「明確な区別はないようだから、蛾かもしれないし、蝶かもしれないね」
「なら、おじさんにとって私は、どっちだと思いますか?」
不可解な言葉を言い終わると同時に、少女はその場に倒れてしまった。
俺は慌てて駆け寄り、すぐ様、担いで近くの病院に走った。少女はか細く息を吐いている。少女から伝わる熱が、危機感を刺激していた。
病院の待合室で俺は待っていると、看護士が現れお礼を言われた。どうやら少女は勝手に病院を抜け出していたらしいのだ。
俺は後日、お見舞いに行く事にした。何となくこのまま別れてしまうのは惜しい気がしたのだ。それに少女が何故、病院を抜け出してあの場所にいたのかも知りたかった。
内情を聞ける保証はないが、夜の中に浮かぶ儚い少女が、印象的だったのかもしれない。
❇︎
次の日、看護士に部屋を確認して病院を訪れた。表札は
俺は勢い良く扉を開ける。その時、目に真っ先に飛び込んできたのは、白磁のような肌と背中の痣、そして少女の羞恥に真っ赤になる顔、つんざくような悲鳴だった。
「すまん、ノックもなしに悪かった」
「…………別に、もういいです……」
未だ少女——揚羽の表情は硬い。
目を伏せてはいるが睫毛が長く、蝶の触覚のようにもみえる。
「でも、何事もなく良かったよ。イキナリ倒れたときは正直焦ったが、本当に良かった」
「その節は、ありがとうございました。でも、裸を見られるとは思っていませんでしたけど……」
俺は苦笑いを浮かべながらもう一度謝る。
「だから、もういいです。でも本当に、おじさんがいなかったら今頃、そう思うと、ちょっと怖いです」
もうすぐ三十に差し掛かる俺をみて、揚羽がおじさんというのも頷ける。が、直視してそう言われると落胆もある。
揚羽はどうみても十四、五である。だが浮世離れしたような雰囲気と、手足の長い体躯が、大人びて見せた。不思議な少女だった。
「あの……背中、見えましたよね。おじさんからみて、あの痣は何に見えましたか?」
唐突とも呼べる切り出しで戸惑いながらも、目に入った情景を思い出す。
「多分、蝶かなって思ったよ。君の名前と同じ」
「そう、ですか……私は太陽に、日の光に憧れてます。火に向かって集まっては羽が燃えてしまう蛾のように、憧れているんです。だから背中の痣は蛾だと思っています」
遠くを見詰めながら話すその横顔は、生気に満ちたものではなく、絶望の色が濃かった。
*
暫く仕事が忙しく病院を訪れずにいた俺は、久し振りに会いに行った。
しかし、揚羽の病室はもぬけの殻だった。
その時、近くを通りかかった看護士を呼び止め事情を尋ねた。
俺は、見る見る青褪めていくのを感じた。
揚羽は今朝亡くなったそうだ。揚羽の遺体は、家族が引き取り帰って行ったという。俺は力なくその場にしゃがみこんだ。
心配して声をかける看護士の声は耳には届かない。
だが、ふと思い出したことがあった。
以前、何かの折に交換した電話番号。
看護士には大事ないことを伝えて、その場を後にする。
緊張した面持ちで、その電話番号にかけてみる。
数秒のコール音の後、電話口に出たのは揚羽だった。
☆
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