第三章

 父親から譲られた、仕事場を兼ねた寝室で、銃を分解し、部品をていねいに磨きながら、イズムは今日呼ばれたある得意先の豪邸での会話を思い出していた。

「虹翡翠、ですか?」

 数々の、鳥の剥製に囲まれた部屋で、出された熱い茶の湯気を嗅ぎながら、聞き返した。

部屋に並べられた剥製の半分はイズムの獲物で、今にも動き出しそうに翼を広げる様や、生きているかのような目の輝きなどは、鳥の皮膚の表面の傷を極力小さくするイズムの銃の技術とともに、隣に座っている剥製屋の腕の良さである。

 一人暮らしの初老の大金持ちは、美しい色彩や形状を持つ鳥の剥製に囲まれたこの部屋で過ごすとき、最も安らぐと言う。そういう客の想いに応えるため、剥製屋も心をこめて丁寧な仕事をしている。

「名前は聞いたことがあるかな?」

 いいえ、とイズムは首を横に振った。

「翡翠と言うと、カワセミの一種ですか?」

「ほう、やはりそういうことには詳しいんだね。普通の人はヒスイと聞けば宝石のメノウを思い出すが、あの石の色はカワセミの羽根の色を由来にしている」

 依頼主は灰色の品良く手入れされたヒゲを撫でながら、まぶたを伏せて歌うように語る。 

「しかし、虹翡翠がカワセミの仲間かどうかは不明なんだ。とにかく謎の多い鳥でね。虹翡翠に詳しい者はなかなかいない。この鳥を近くで見たり、捕獲して観察した者がいないのだ。しかし飛んでいる姿を見た者は多く、大きさはカワセミと同じくらいで、全身の羽根は太陽の光の角度の加減で虹の七色に輝くという。数も少なくはなく、捕獲禁止の対象にはなっていない。ただ、知能が高くて捕獲できたものがいないのだ」

 そして、彼は目を開き、穏やかに言った。

「ぜひ、手に入れたい。ただ、本当に小さく捕獲が困難な鳥なので、今回も、どうしても君の腕に頼るしかない。やってくれるか? イズム君。報酬はいつも以上にはずむよ」




 依頼を引き受けてすぐ、イズムはすぐ、街の図書館へ行き、虹翡翠に関する情報を調べ、わずかながらも知識を得ることが出来た。そして、銃の部品を売っている店へ行き、部品や弾を選び始めた。

(カワセミと同じ程度の大きさだとすれば、弾の大きさはほぼ針に近いほどの小さなものがいい。飛んでいる姿しか目撃されないとなると、どこかに止まっているところを狙うのは不可能だし、引き金を引くタイミングを計るのがかなり困難だから、長期戦は覚悟しなくてはならない。飛んでいる目標に即座に狙いを定めて、速度や方向まで、最小限の誤差内で正確に射弾するのに必要な部品は…)

 イズムの自由になる範囲の小遣いは、そういった銃のグレードアップのために遣われ、 彼の旺盛な知識欲は、次の猟の成功の為の分析の作業に費やされる。そんな風に長い長い時間を、この部品屋で過ごすのは、イズムにとっては充実したものである。

時々、独学で考え出した計算式を書き込んだメモを片手に、棚と棚の狭い隙間に座り込みながら、イズムは

(父さんもこんな時を過ごしていたんだろうか)と考え、

茶色い天井を見上げた。

(父さんは、俺の様に、食うためじゃなく、金のために、

飾られる為だけのために鳥を撃ったことは無かったんだっけ)

 父親が亡くなって1年ほどした頃、この銃の部品屋の店長に紹介されたのが、今、イズムの獲物を買い取ってくれている剥製屋である。

彼に連れられて、あの大金持ちの依頼主の元へ行った。

彼の剥製のコレクションへ傾ける、寂しくも愛情に満ちた視線を見て、初回の仕事を引き受けて帰ると、母親の猛反対が待っていた。

「生き物は、すべて、他の命によって生かされている。 我が家の人間たちは、生きていくのに必要な分だけの鳥を撃って、その肉のおかげで生かされているのだよ、イズム。父さんが、お前が高い報酬に目がくらんで、剥製撃ちになるなどと聞いたら、お前を殴って、すぐにでも鳥撃ちを辞めさせるだろうよ」

「でも、今回の仕事を母さんがどうしても止めるなら、俺は二度と銃を持たない」

 イズムは頑として母親の反対にあらがい続けた。

そして、翌日、母が起きるより早く起きた彼は、一人で支度をし、最初の剥製撃ちに旅立った。

寝たふりをする母に気付かずに。

 数日後、いつもより高額の報酬を得て帰ってきたイズムは、家族の分の食肉の包みと、

報酬の入った袋を母親にいつものように手渡した。

母親はいつもより、厳かな顔で、それらを受け取った。

 

 それから何度、こんな猟を続けただろう。母親とイズムの会話は、彼が剥製撃ちを始めてから急激に少なくなった。

たまに母親はさっきのように、

「父さんは剥製撃ちを嫌っていた、剥製撃ちはお辞め」

と説得を試みるが、イズムは一切聞き入れなかった。

父を亡くした時、わずか七歳だった妹のサカが言った

「わたし、お医者さんになりたい。わたしが、とても腕のいいお医者さんだったら、お父さんを助けられたかもしれない」

という言葉が、頭から離れなかったからだ。

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