涙色

 私の前でひたすら涙を流すあいつ。私はただその背中を撫でて話を聞いてやることしか出来なくて。あいつはひとしきり泣きじゃくってから、ぽつりぽつりと何があったのかを話し出した。


「俺、振られちゃいました」


 強がりなのか無理に作った笑顔と共に告げられたその声はかすれていた。目を赤く泣き腫らしたその顔を見ているのが辛くて、顔を見ないようにしてその背中を撫でてやる。


 事の発端は単なる偶然だった。なんとなく帰路の途中にある公園に寄った。そしたら、公園のベンチに座って泣き続きるしょうの姿を見つけた。なんとなく放っておけなくて「何かあったの?」と話しかけた。


 その声で私に気付いた翔は泣きながら私の方を見た。「なんであんたがここに」と呟くあいつは私がいることに驚いていて。私がここにいることは想定外だったらしい。


 涙の止まらないあいつを一人にしておけなくて、とりあえず隣に座って泣き止むまで待つことに。そして今の状況に至るわけだ。


「彼女、俺以外の奴と二股かけてて。俺と別れてもう一人と付き合う、って言われて……」


 私は相槌の代わりに小さく頷く。なんて言葉を返せばいいかわからない。今はただ、こいつの話を最後まで聞いてやることしか出来ない。


「俺、めんどくせーけど彼女の前では頑張ってたんスよ。とりあえず嫌われなきゃよかったんで」


 何するにもすぐ「めんどくせー」って言うし、ほっとけばぼけーっと空見ながら寝ちゃうような奴だ。ありのままのこいつを好きになるような奴は限られてるだろうな。


 私自身、こいつに彼女がいたことに驚いてる。別にこいつに彼女がいようがいまいが私には関係ない。そうわかってるのに、なぜか胸がしめつけられるようで。


「彼女に振られたのが悲しいんじゃないんスよ。むしろ彼女と別れてほっとしてる自分がいて。それがすっげー悲しくて」


 ああ、こいつは本当に優しい奴なのだ。彼女に振られた事実よりそれに安堵した自分の方が悲しいなんて。それが、今の自分が彼女を好きでないことを肯定してしまうからなんだろう。


「彼女が告白してくれて。好きじゃなかったけど付き合ってみて」


 むしろ好きじゃないのに付き合った理由の方が気になる。そう言ってやりたかったけどなんとなく口には出さないでおいた。


 こいつはめんどくさがり屋だ。だから、わざわざ好きでもない女と付き合うような面倒な真似はしない。あいつが嫌う面倒な事をしていたんだから、よほどの理由があるんだろう。


「理由、聞かないんスね」

「何? 聞いてほしかったの?」

「いや、そういうわけじゃねーっスよ」


 そういうわけじゃない、とか言いつつ聞いてほしそうな顔をしている。相変わらず素直じゃない奴だな。でも、私は言われない限り聞かないよ。


「俺、情けないっスね。泣いてる所をあんたに見られるなんて……」

「見られちゃまずいの?」

「めんどくせーけど男ってのは女の前ではカッコつけたいんっスよ。あんたには、特に」


 最後に付け足した言葉に思わず目を見開いた。でも冷静に考えて、あいつらしいなって心の中で呟く。馬鹿馬鹿しい。なんで私が三つ年下のこいつの言動にいちいち振り回されてるんだ。


 こいつはやたらと男女にこだわる。私からしたらそんなのにこだわる方が面倒だと思うけど。もう少し言い方を考えてほしい。少しだけ期待した私が馬鹿みたいじゃない。


「お前さ、そんな言い方したら誤解されるよ? 気をつけな」


 そうアドバイスしてやる。無意識だか知らないけど、男女二人しかいない時にそんなこと言っちゃいけない。その言い方だと、私が特別みたいじゃないか。


 ま、女に振られたばかりのこいつにそんな余裕もないか。というかこいつ、何考えてるんだろう。こいつの行動はたまに読めない時がある。


「ま、いい経験になったんじゃない? 今度は本当にお前が好きになった奴と付き合ったらどう、?」


 こいつのことを「泣き虫君」と呼んでみると、こいつは恥ずかしさからか顔を赤くした。まぁ泣いていたのは事実だしな。泣いてる理由もこいつ曰く自分を責めてのものらしいし。


「へ?」

「ふふ、相変わらず腑抜ふぬけた顔してる」


 間の抜けたような声で言うもんだから、笑ってしまう。こいつのやる気のなさそうな顔はどうも気が抜ける。見てると自然と笑いが込み上げてくるんだ。


「もともとこういう顔なんスよ」


 「腑抜けた顔」って言ったら不機嫌になる。泣いたり、不機嫌になったり、忙しい奴だ。不機嫌そうに口をすぼめるその仕草がどこか愛しくて、頭をそっと撫でてやる。


 突然のことに驚いたんだろう。また顔を赤くして私の方を見る。でも嫌ではないんだな。拒絶しないで素直にされるがままになっていた。




 私は何をしてるんだろうな。弟の友達相手になんて感情を抱いているんだろう。あいつと別れて家に帰る時にそんなことを思う。


「ゆかりさんと話せたんである意味振られてよかったっスよ。そう思っちまう自分が一番嫌いですけど」

「翔、あんまり自分を責めないでよ? あんたは悪くないんだから。そもそも、悪いことすらめんどくさがってやらなそうだし」


 別れ際にあいつと、翔とかわした会話はなんと素っ気ないことか。もう少しマシな言葉をかけてやればよかった。今さら後悔しても遅いけど。


 泣き止んで思いをぶちまけたあいつは笑顔を浮かべるようになった。その頃合いを見計らって、背中を少し強めに叩きながらその言葉を告げた。そして私は、翔から逃げるかのようにそこから去ったんだ。


 正直、あいつの失恋話なんて聞きたくなかった。あいつの話を信じるつもりはない。本当は振られたことが悲しくて泣いてた癖に強がりやがって。


 お前は好きじゃない奴と付き合うような馬鹿な奴じゃないだろう。だってあいつは、翔は、よほど混乱しないかぎりそんな馬鹿なことしない。私はそれを知ってるんだ。


 翔の話を思い出して涙がこぼれた。馬鹿馬鹿しい、私は何を期待しているんだろう。なんであいつの失恋話に、あいつが彼女だった子を好いていないことに安堵しているんだろう。なんであいつに彼女がいたことがこんなに悲しいんだろう。


 めんどくさがり屋で男女にうるさくて、誰にでも優しい仲間思いの奴で。彰の友達で、学校から帰る時にかなりの確率で遭遇して途中まで一緒に帰る。私がある意味一番素が出せる奴だ。


 私は、あいつの隣にいたかったんだ。付き合うとかそういうのじゃなくて、ただ隣にいたい。でもいつかあいつに彼女とかが出来るわけで。いつかは諦めなきゃいけないのが、辛いんだ。


「姉ちゃん、どうした?」


 私の正面から現れたのはあきらだった。彰は私が泣いてることに気付いて駆け寄る。あいつのことばかり考えてたからどうやってここに来たのかも覚えてないし、彰がいることにも気付かなかった。


 そうか、私は翔のことが好きなのか。だからこんなに胸が苦しいんだ。だから、翔の失恋話に喜んで、彼女がいたことにショックを受けているんだ。


「姉ちゃん、何があった?」

「お前、なんでここにいるの? 家に帰ってたんじゃ?」

「姉ちゃんを迎えに。翔からメールが来たんだよ。『俺のせいで遅くなった』って。それで、迎えに来た」


 翔が、か。確かにもう外は暗いけど、街灯があるから一人でも平気なのに。むしろ今は一人でいたい。翔のことを好きだって気付いたからこそ、一人で頭を冷やしたい。


 彰は私の通学鞄を私の手から奪うと隣に並んだ。昔は私の方が大きかったのに、もう背丈がそんなに変わらなくなっている。彰も大きくなったな。


「翔と話してたの?」

「ああ、そうだよ」

「翔に何か言われたから泣いてるの?」

「違うよ。これは、目にゴミが入っただけ」


 我ながらなんて嘘くさい言い訳だろうって思う。でも彰は泣いてる理由を言いたくないんだって気付いたらしい。それ以上は聞こうとしなかった。


 お前の友達が好きだって気付いたから。そう言えたらどんなに楽だろう。でもそんなこと彰には言えない。彰と翔には友達でいてほしいから、私の身勝手な理由で仲を裂きたくはないんだ。


 それに翔にだって好きな人がいるだろう。たしかによく話すけど、あくまでそれだけ。だから私は、今日気付いたばかりの自分の気持ちに蓋をすることに決めた。


 涙でにじんだ視界は一向にはっきり見えない。何度両目をこすっても、視界はすぐに涙でボヤけてしまう。涙に染まった視界越しに見える彰は、なぜか翔に見えた。

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